団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

おっとっと

2020年10月26日 | Weblog

 土曜日に妻と近所のスーパーへ買い物に行った。買う物を紙に書いてあった。いつものように二手に分かれて、短時間で買い物を済ませた。レジで合流した。商品を灰色のカゴから目が覚めるようなミカン色のカゴに、店の人が値札読み取り器を商品に当ててから、移した。ミカン色のカゴに買い物の紙に書いてない奇妙な箱が入った。『おっとっと』だった。

 帰りの車の中で、妻に「どうして『おっとっと』買ったの?」と尋ねようとした。でもやめた。私だって買い物していて、目にしたモノを考えもしないでカゴに入れることがある。まだ私たち夫婦が、海外に暮らしていた時、帰国休暇で妻の実家に滞在した。妻の両親は、年金暮らしの質素な生活をしていた。普段近くに居られない罪滅ぼしと、親孝行の真似事のつもりでスーパーへ買い物に誘った。欲しいモノ、何でも買ってあげようという魂胆だった。普段は質素な生活をしている二人だった。2年に一度しか帰ってこられない私たちだったので、せめて二人に金額を気にしないで食べたいモノを買って欲しかった。妻の父親は、レジに並んでいると、ポイっと物をカゴにいれ、「これもお願い」と言った。干しブドウが上にのった蒸しパンだった。恒例になった私たちの帰国休暇時の買い物、義父は必ず蒸しパンをレジの前でカゴに入れた。兄妹が多く、貧しい子供時代を送った義父。きっと蒸しパンに特別な想いをずっと持ち続けていたのであろう。人にはそれぞれモノに対して思い入れを持っている。妻の『おっとっと』も、きっと彼女の気持ちの中で何かにつながっているに違いない。

 それにしても『おっとっと』の名称は、可笑しい。と言う私は、『おっとっと』を買って食べたことはない。でも「おっとっと」は、日常に連発している。毎朝、体重を測ってから着替える。これが現在大仕事なのである。靴下がはけない。片足立ちすると、体が揺れてあっちへこっちへグラグラ。気持ちは、靴下ぐらい簡単に、はけるわいという上から目線。体は、特に脚の筋肉は、気持ちと仲が悪い。脚の筋肉は、気持ちのいうことを無視している。「おっとっと」と言いながら、右は左へケンケンするように跳ねる。靴下だけではない。風呂上がり、体を拭いて、下着をつける時にも同じ現象が起きる。下着に足を差し入れる。この「おっとっと」は、脚の筋肉ではなくて、足の指が悪さをすることで発せられる。気持ち的には、子供の頃から、さっと足を入れ、さっと引き上げ、はい終わりになる。だが足の指一本一本が、まるでチャペルの壁のツタのように、下着に絡みつく。狭い着替え所を片足でピョンピョン。壁にぶつかることもある。気持ちと足の指は、連携しない。自分の体なのに、もどかしいものである。

 『おっとっと』の名前は、森永製菓の社員たちが酒を酌み交わしていた時に思いついたそうだ。盃に酒を注いでいる時、酒がこぼれそうになり、「おっとっと」と言った。それを当時売り出そうとしていた商品の名前にした。咄嗟の行動制御で発する「おっとっと」と、魚を“とと”と重ねてできた名称だとか。

 妻は私が心配するほど酒が好き。晩酌を欠かさない。土曜日の夜、妻が『おっとっと』をつまみにしていた。「食べてみて」と小さな魚の形の大きさの割に、腹が膨らんだ煎餅のようなものを、10個ぐらい私の手のひらに乗せた。こぼれそうになった。つい「おっとっと」と言ってしまった。顔を見合わせて笑った。

 

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