団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

クボタ 壁があるから。

2020年08月27日 | Weblog

 テレビのCMで好感を持てるものは、少ない。観たくないので、リモコンでそのCMの間、他局に移動することが多々ある。サプリメント、過払い金、肝炎賠償金、出演している嫌いなタレントなどなど。そんな中で私を引き込むCMが、“クボタ”である。女優の長澤まさみさんを起用して、海外でロケした『壁がある。だから、行く。支えられている 水』編などのシリーズものだ。世界各地で撮影されたものである。イタリア、東南アジアなどの、クボタの製品が使われている現場。海外での事業展開に“壁”があるけれど、人々の生活に役立ちたいという想いが、数分間に凝縮されて込められている。そして現地の人々の「クボタ」と、現地の言葉風に口にする場面が、私の海外で暮らした時の思い出につながる。しょうもないCMの多くは、商品名だけの連呼のようなもので、物語性がない。

 残念ながら、私が海外で暮らしていた頃、「クボタ」と口にした人と会ったことはなかった。初めての外国暮らしだったカナダは、1960年代後半でまだ安かろう悪かろうの「メイド イン ジャパン」の考えが、カナダの人々に浸透していた。よくカナダ人アメリカ人学生に、日本製の酷さをからかわれた。ただ車の「DATSUN」オープンリール録音機の「AKAI」は、人気があった。私はAKAIという会社の名前さえ知らず、恥ずかしい思いをした。

 再婚した妻の仕事の都合で、自分の仕事をやめて、妻の海外赴任に同行した。1990年代のことだった。まずネパールで暮らした。まだ日本の家電業界が世界を席巻した頃だった。ネパールにはインドからの輸入品が溢れていた。雇っていた庭師がある日、日本製のガーデントラクターを買ったと言った。私は井関かヤンマーかと思った。彼は「HINOMOTO」と言った。これはインド製で日本語の名前を付けることによって、販売を伸ばそうとする魂胆だった。このように日本が勢いのある頃、中国でもインドでも、日本製であるかのようにして怪しい商品名、それどころか会社名までそれらしく装った。

 それも、私たちがアフリカのセネガルに転勤になった頃から、様子が変わってきた。セネガルの道路脇の看板は、中国の「Haier」と韓国の「LG」が目立っていた。まだ何とか日本製品が持ちこたえていた。フイルムカメラで写真を撮るのが普及し始めていたセネガルには、多くのフイルム現像店があった。そのほとんどが何故か韓国人の経営だった。そしてそこで使っていた現像機が、「ノーリツ鋼機」社のものだった。こんなに遠くのアフリカで、活躍するノーリツ鋼機製の機械に感動した。

 1996年に東ヨーロッパの旧ユーゴスラビアへ移った。この頃から日本の家電は、転げ落ちるように勢いを失った。自動車でさえ、韓国の「現代」と「大宇」がもの凄い勢いで入って来ていた。

 2000年になってすぐチュニジアに移ると、日本の家電は白旗を上げたように衰退していた。驚いたことに、ショッピングモールの家電売り場の8割以上が韓国製品「SAMSONG」と「LG」の製品になっていた。ソニーの製品が、端っこにさみしそうに置かれていた。日本家電の衰退に凹んだ私を、友人がコンテナ型電話中継所の製造工場へ案内してくれた。大きな体育館のように広い工場内に、何十台という工作機械が整然と並んでいた。その機械に「AMADA」の表示。機械の横で工員がニコリと親指を立てて、「アマ~ダァ」と言った。まさに、帰国してから観た「クボタ」のCMと同じシーンだった。だから「クボタ」のCMを観るたびにジーンとくる。

 ガンバレ、ものづくり日本!

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