団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

大発見、STAP細胞

2014年02月06日 | Weblog

  理化学研究所の小保方晴子(30歳)博士のSTAP細胞の発見が大きな話題になっている。私にはその発見の内容を理解するだけの知能も知識もない。大発見の科学的詳細を知ることをハナからあきらめている。ただ若い女性研究者が大発見をしたことを素直に喜んでいる。小保方さんの話の中で「ピンチに陥ると必ず助けてくれる人が現れて、助けていただけた」には自分の耳を疑った。私が自分の人生を総括する時に思うことと同じだったからである。

 私は自分の人生のいくつかの絶体絶命のピンチで助けてくれた人が現れている。4歳で実母を亡くした。残された4人の幼子たちの面倒を見るために実母の妹が継母になってくれた。「あの時、幼いあなたたちを見て、放っておけないと何も考えないで飛び込んでしまった」と今でも笑う。継母が来る前、東京と新潟の2家族に預けられたが、結局長野県に戻った。理由は分からないが、たぶん、私は貰われていくにはあまり可愛くない子だったに違いない。

 その後、家の近くの農業用水に流された捨て猫を助けようとして私は水の中に落ちた。農繁期以外はチョロチョロとしか水が流れていなかった。田植えの季節で水は満々と川渕にまで迫っていた。たまたまそれを見ていた近所のおじさんがいて、流される私と私が抱いていた猫を助けてくれた。私はこの事故の記憶はまったくない。親から何度も「あの時あのおじさんが助けてくれなかったら、お前は死んでいた」と聞かされた。

 高校に入って通ったアメリカから来ていたバイブルクラスの講師ネルソン夫人はカナダの高校へ留学するのに煩雑な手続きを引き受けてくれ身元保証人になって助けてくれた。

 日本に帰国して結婚したが、10年も続かずに離婚した。手元に残された2人の子供。長男は全寮制の高校が彼の面倒をみてくれた。長女はアメリカの友人一家が預かって育ててくれた。

 私は長野県に残り、働けるだけ働いた。子供が大学を卒業するまではと歯を喰いしばって仕送りした。息子には週1回、娘には毎日手紙を書いた。

 最後に幸運のキューピットが弓の矢を私の心を打ちぬいた。私の人生における大発見であった。40歳を過ぎてから出逢いがあって再婚した。今の妻は私の人生を変えた。妻は大学医学部を卒業してから私と結婚するまで、不妊治療の勉強をしていた。そのためにオーストラリアそして英国にも留学した。小保方さんにも同じような女性に対する思い遣りが研究の根底にあると聞いた。

 妻の研究は発見やいかなる賞にも結び付かなかった。けれども妻に後悔はない。私はそういう妻を尊敬する。今回の小保方さんの大発見のニュースにも妻は何回も目頭をティッシュで押さえていた。「ピンチに陥ると必ず誰かが現れて、助けていただいた」と小保方さんが言うと妻は「彼女には周りには傍から見たら無駄としか思われない研究を毎日何度も繰り返すたくさんの研究者がたくさんいるんだろうね」と言った。いかなる科学的な研究に従事したことがない、もともと理系でない私には彼女たちの研究の実際を理解することは難しい。でもそれを聞いて母の言葉を思い出した。

 「10人の人がいたら、そのうちのせめて3人くらいからは、お前をどんなことをしても助けてあげたいと思われるような、そういう性格の良い好かれる人になりなさい。お金より勉強より大切なことだよ」

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