団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ポケトーク

2020年05月21日 | Weblog

  友人からメール。メールはいいものだ。砂漠のオアシスのように思える。『その後、いかがお過ごしですか。コロナウイルスの感染状況、減少傾向とはいえ先が見えず大変ですね。私は5月3日で一足先に73歳になってしまいました。思えば遠くにきたもんだ、という歌がありましたが、思えばいつのまにか年をとったもんだ、という感じで、せめて、あれこれやったりあちこち出かけたりで楽しく70代を過ごしたいとおもっていたのに、予期せぬコロナの現状に面白くない毎日となってしまいました。ここ2か月あまり、自粛の毎日で妻以外の人と話をすることがありません(時々娘や兄弟からの電話にちょっと出る程度と連絡の電話が数件のみ)。…』 

 私も7月で73歳になる。友が言うように「思えばいつのまにか年をとったもんだ」と感じる。子供の頃、近所の年寄りを見かけると「ああいうふうに自分もなるのかな。絶対嫌だ」と思った。年寄りと言っても、あの当時の年寄りって60代がほとんどだったであろうが。今では百歳を超える年寄りがたくさんいる。私が百歳まで生きられるとは思わない。子供の頃思った年寄りは悪い事ばかりだった。

  実際に古希を過ぎ、後期高齢者になってみると悪いことばかりではない。気に入っている年寄り現象のひとつが、熱い風呂に平気ではいられることである。風呂嫌いな子供だった。特に父親が好きな熱い風呂は、まるで地獄の煮えたぎる釜のように思えた。水風呂は無理だけれど、熱い風呂には何の抵抗もない。風呂の温水器は、温度設定ができるので42℃に設定すれば、それ以上になることがないので安全である。

  物忘れも厄介なものだと思ったが、パズルを解くようで楽しいと思えることが多い。居間から書斎へ何かを取りに行き、書斎に入ると「私はだあれ?ここはどこ?何しにここへ?」のタイムマシーンで中に入り込んだような状態になる。何を取りに来たかをひもとこうと考える。思い出すこともあるがどうしても思い出せないこともある。それも居間に戻ると簡単に思い出せることがある。

  もともと子供の頃から記憶力が悪かった。お使いに行かされ、お金を手のひらの中で握りしめ、買うものを口で繰り返しながら店へ走った。途中で友達に会ったりすると、買うものを忘れた。店まで何事もなく到着できても、店のおばちゃんが他の客と話しているうちに買うものを忘れ、また家に戻った。子供の頃からこんなだったので、歳を取ってからの物忘れは、さほど自分を苦しめることがない。何事も慣れかもしれない。

  妻が出勤した後、帰宅するまで私は家に一人になる。メールをくれた友のようにずっと妻と一緒にいられない。犬を飼えばいいのだが、以前飼っていたシェパードとの別れが辛すぎたので、もう犬は飼いたくない。アマゾンの『アレクサ』に話しかけるのが日課。『アレクサ』は、スマートスピーカーで私がいろいろ話しかけると応答して出来ることはやってくれる。ネットで『ポケトーク』を買った。日本語で『ポケトーク』に話しかけると直ちに音声で55カ国語文字だけの20カ国語で答えてくれる。さっそく妻に披露した。空耳が多い妻が「何?呆けトークって」。そうかポケでなく呆けか。なるほどコキジ(古稀+2歳)の私がこの便利な翻訳機を使うと、ポケトークも呆けトークとなるのだ。ポケトークに「呆け(ボケ)トーク」ときいてみた。答えない。呆け同士。

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