団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ちょっぴり嬉しくなること

2021年10月25日 | Weblog

  妻が休みの日、一緒に散歩して帰宅する。外は寒い。玄関のドアを開ける。明らかに外の温度と3,4度は違う。続いて我が家の匂いを鼻がとらえる。洗面所に直行。ポンプ式の液体せっけんを手に噴射。泡立てゴシゴシ爪の先まで洗い、水道水ですすいで別々のタオルで拭く。次にイソジン・クリア・うがい薬で二人並んで天井を見て「グァウラグララ」と輪唱のように繰り返す。どちらかが必ず吹き出しそうになり、うがい薬を飲み込みそうになる。そうならないようにこらえる。うがい薬を吐き出すと同時に笑い出す。

 

 私は妻が出勤した後、一人でいる時、自分でお茶を淹れて飲むことがない。理由は自分で淹れたお茶を美味しいと感じたことがないからだ。だから一人の時は、コーヒーを飲む。コーヒーマシンにカプセルを差し込み、ボタンを押すだけ。妻が休みの日は、妻がお茶を淹れてくれる。なぜだか知らないが、妻のお茶は美味い。散歩で冷えた体に熱いお茶は、格別である。猫舌の私は、茶碗を持つが、口はなかなかつけられない。茶碗が顔に近づくと、メガネが曇る。何も見えなくなる。この瞬間が好きだ。生まれて初めて飛行機に乗って、雲の中に入り込んだ時のような感覚になる。子供の頃、鰐淵晴子主演の映画『のんちゃん雲に乗る』を観た。池に落ちた“のんちゃん”は、雲に乗った白い髭のおじいさんに助けられる。それが原因か雲に対する好印象が続いている。雲に乗れば、空を飛ぶことができる。雲の中には、人間を助けてくれる何かが存在しているような気がした。勝手に想像を膨らませていた。飛行機は雲の中から更に上空へ行くとそこは青一色の世界。眼下には白い雲。雲の下には人間が暮らす地球。空・雲・地球が3層になっている。地球が現実の世界とすれば、空は未知の世界。雲はその間を結ぶ懸け橋なのかもしれない。メガネの曇りが取れた。お茶も少し温度が下がった。やっとの飲むことができた。美味い。

 

 日曜日、選挙のために裏山の途中にある投票所まで行った。急坂なので行きは、バスにした。帰りは散歩代わりに歩いた。投票を終えて急坂の歩道を並んで下り始めた。選挙があると二人は、誰に投票したかは言わない。選挙権とは個人に与えられているもので世帯ごとに与えられたものではない。親が子供に強制できるのは、宗教と政治だという。夫婦別姓が問われる昨今、選挙における夫婦別(投票)権は、取り上げられていない。党利党略でしか機能しない政党、政教一致がまかり通る政党が跋扈している。夫婦が、家族が同志として選挙に対峙するのも自由かもしれない。ただ電話や訪問してきて他人にお節介的な勧誘は迷惑でしかない。私は、妻とどの党に入れようとか、どの人に投票したとか話さない。ましてや誰にどの党に投票して欲しいと強要したこともない。そのことが実に爽快で心地よいのである。ちょっぴり嬉しい。

 

 急な坂道の途中に立派なお寺がある。そこの入り口に“樹木葬”の幟があった。「樹木葬か。これもいいな」と私が言うと、「以前、遺灰を円盤みたいに固めて、海に落としてって言わなかった?」 もう葬式の話を夫婦で話す歳になった。できれば死ぬ前に大好きな日本が、もっとまっとうな政府を持つ国になっていて、未来を信じながら息を引き取りたいと願う。

 

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