団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

電池交換

2023年12月21日 | Weblog

  駐車場に入るのにも出るのにも、リモコンでシャッターを開け閉めしなければならない。朝妻を駅に送るために駐車場から車を出す。車もリモコンで離れた所からでもドアの開閉ができる。車にドアにカギを差して、開けなくてもいい。なんと便利な時代だ。車に乗り込む。シートベルトを着用する。車の中からリモコンを操作して、駐車場の出入り口のシャッターを開けようとする。開かない。シャッターに反応がない。仕方がないので、シートべルトを外して、リモコンを手にドアを開けて、車から降りる。シャッターに向かって、2,3歩で開くときもある。酷い時は、ほとんどシャッターの前まで歩いて行かなければならない。車に戻ると、助手席に鎮座まします妻が、「リモコンを向ける角度がいけないんじゃない。もっと水平にしなきゃ。もっと上なの。もっと下に。」とのたまう。毎朝の恒例となっていた。

 電池を替えてみることにした。まず電池の型番などを調べなければ。リモコンを顔に近づけて調べる。字が小さい。電池交換の仕方も、蓋の開け方も書いてない。仕方がないのでネットで“万歩計 電池交換 蓋開け方”と入れた。何やら小さいツメを押して、凹みに指を入れ引き出すとあった。ツメと言ったって、1ミリ2ミリのモノ。手の爪は切ったばかりで、爪は無いに等しい。それにこの間隔でツメと凹みを同時に操作するのは、至難の業。ピンセットを使って爪を押さえ、凹みに指をかけ、引き出した。電池を発見。何だか金かダイヤモンドを掘り当てた感じがした。老眼鏡をかける。老眼鏡でもよく見えない。虫メガネを探す。ない。どこだ。あった。焦点が合わない。見えた。CR2032。電池を買い置きしてある引き出しを開けて探す。ない。買いに行かなければならない。散歩途中にあるドラッグストアで買うことにした。散歩の身支度を整え、電池を買う金をポケットに入れた。万歩計の電池もついでにチェック。電池切れの知らせが出ていた。ラッキー。一緒に買ってきて交換しよう。調べると同じ型の電池だった。

 家の中には電池で動く機器がたくさんある。テレビのリモコン、エアコンのリモコン、トイレのウォシュレットの操作パネル、パソコンのマウス、パソコンのキーボードなどなど。他にも充電式の電池も、充電しなければ使えなくなる。記憶力が抜群で、いちいちすべての機器の電池交換した日時を覚えていられれば良いのだが、なにせ脳が弱くなってきて、自分の事でさえきちんと覚えていられない。備えあれば憂いなしは、私に適用されない。備えがないので憂えてばかり。日進月歩の社会であっても、電池という分野においての発展進展は、遅い気がする。電気を飛ばす研究が進んでいるそうだ。電池を搭載しなくても、電気機器を使うことができる時代が来るかもしれない。

 私が生きているうちに電池がいらない時代が来ればいい。それまでは、こまめに機器の電池容量をチェックするしかない。便利この上ない電気機器のお陰で、以前はとてつもない手間と時間をかけていた事でも、数分数時間で済むよういなった。せめて電池の交換時に日時をメモしておくぐらいの手間は惜しまないようにしたい。ただ問題は、私の脳がそのメモをどこに書いて置いたかを覚えていられない事だ。


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