Easy to peel(皮をむくのが簡単の意)とは、カナダで日本のミカンを言い表す決まり文句だった。今でもそうか知らないが、私がカナダの学校にいた頃1960年代はそうだった。クリスマスが近づくと、スーパーに小さな木箱に入った日本のミカンが積み上げられ、売られていた。(図:カナダへの日本からの輸出量推移)私が在学した学校の生徒の多くが日本のミカンが好きだと言ってくれた。あまり日本の事で褒められることがなかったので、嬉しかった。カナダのクリスマスには、なくてはならない物だとも聞いた。理由は、皆、口をそろえて「Easy to peel」と言った。私にとってミカンの皮が簡単に剥けることは、特別なことではなかった。スーパーで売られていたカルフォルニアのオレンジは、日本のミカンのように簡単に剥くことができなかった。ナイフで剥くのだが、果肉まで削り取る感じだった。味は悪くないのだが、あの剥く苦労を思うと、買ってまでオレンジを食べる気は起らなかった。
散歩の途中、ミカンの無人販売所を見つけた。私が住む町には、ミカン畑が多い。ここでも後継者不足でミカンの栽培をやめる人が後を絶たない。それでも家の前に無人販売所があちこちにある。ミカンの種類は、たくさんある。ブランド化しているが、私にはその違いがよく分からない。ミカンといえば、和歌山県の有田ミカンが有名だ。私の子どもの頃、冬、カナダで見たような木箱に入ったミカンを買ってもらい、コタツに入って食べたものだ。手が黄色くなるほどたくさん食べた。箱買いしてもらえたものなどミカン以外になかった。ミカンだけでなく、木箱も記憶に残っている。木箱に紙を貼って、物入れや本箱にして使っていた。
以前静岡県三島の美術館で安藤緑山の『蜜柑』という牙彫を見た。人間が彫り物でこれほど精巧に作れるのかと驚嘆した。私は、実物のミカンを安藤緑山の牙彫の剥きかけのミカンを真似て剥いてみた。写真に撮って比べてみた。どう見ても本物に見える。芸術、そして人間の才能の素晴らしさに心打たれる。もし安藤緑山がカルフォルニアのオレンジの剥きかけを彫って、日本の剥きかけのミカンを並べて展示したら…などと想像してみた。それをアメリカやカナダの美術館に展示すれば、来館者からきっと「Easy to peel!」と歓声が上がったであろう。カナダへミカンの輸出は、アメリカへの輸出より多い。それは気候のせいであろう。カナダでミカン類の栽培は、できない。だから輸入するしかない。もちろんアメリカや他の産地からもオレンジ類の輸入はある。でもやはりeasy to peelは、魅力的なのだ。
果物のグローバル化も進んでいる。売れるものは、何でも普及するのが早い。国際的な競争にさらされる。1998年から2000年まで、旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んだ。経済封鎖されていたので、買い出しにオーストリアのウイーンへ行った。ウイーンの市場にリンゴの『ふじ』が売られていた。シールが貼ってあった。そこに「Fuji Korea」の文字。品質さえ良ければ売れる。良い物が最後に残る、は、すでに時代遅れなのだ。価格や流通手段で勝負が決まってしまう。日本人は、お人好しで競争に向いていないのかもしれない。
今では、中国の『シャインマスカット』は、生産量が世界一になって、世界中に輸出されているという。多くの分野で日本の衰退が見られる。ミカンもリンゴもシャインマスカットも栽培する大多数は、老人の手による。今の現実を見越して手を打って来なかったのは残念だ。私にできることは、簡単に剥けるミカンを食べて、それを長い年月をかけて改良して、今も丹精込めて育てている人々への感謝の想いを寄せることだ。良い物を改良して世に出し、ただ世界に貢献しているだけで終わらないことを祈りつつ。