団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

私の中のウクライナ

2022年03月16日 | Weblog

私は、ウクライナへ行ったことがない。ただカナダの学校にいた時、ウクライナという国名と民族名をよく耳にした。学校があるアルバータ州は、穀倉地帯で小麦が主要産物だった。小麦生産農家にウクライナから移民してきた人が多いと聞いた。高校はプロテスタント系だったので、ウクライナ人の生徒はいなかった。ウクライナ人は、ロシア正教の信者が多く、ウクライナ人が集まって暮らしているとも聞いた。今回のロシアのウクライナ侵攻後、小麦粉の値段が暴騰しているという。ウクライナもロシアも小麦の生産の主要産出国だと知った。そしてカナダの穀倉地帯にウクライナからの移民が多いということに納得がいった。

 私が日本に帰国した後、高校の同級生だった女性が、新婚旅行で私を訪ねてくれた。ヨーロッパ各地を巡って、シベリア鉄道に乗って、船で新潟港に着いた。約1カ月我が家にいて、日本各地を旅行した。彼女の夫が、ウクライナ系で名前がニールといった。こんどのロシア侵攻でウクライナ情勢が毎日放送されている。ウクライナと聴くと、彼のことを思い出す。

 ユーゴスラビアのベオグラードに暮らしていた時、妻の車でのウイーン出張に同行した。夏、ハンガリーに入ると一面ヒマワリ畑が広がっていた。それはイタリア映画『ひまわり』の風景と重なった。驚いたことに『ひまわり』は、ウクライナで撮影されたと知った。私は、ウクライナへ行ったことはないが、東ヨーロッパのハンガリー、ルーマニア、モルドバなどは、ウクライナによく似ていると思う。

 昨日、メールが来た。小説『忘れられた墓標』(人間の科学社発行)の著者小林多美男の娘さんからだった。「……去年から今年コロナが落ち着いてきたことがありましたが、そんなの瞬きする間に終わってしまいました。そしてウクライナへのロシアの侵略です。毎日ニュースを見るのが辛いです。キエフは両親の最後の旅行の地です。日本刀を戦後35年錆1つつけずに保管していたペギシェフさんと再開した土地です。まだチェルノブイリの原発の事故の後で、父が食事を食べられなかったのを汚染を心配して食べないのか?と気にしていたそうです。でも既にその時癌だったのです。それから2年たたずに昭和の終わりも確認して亡くなりました。キエフは父の戦後が終わった土地と時でもあります。勿論ペギシェフさんも亡くなったと思いますが、もしも2人が生きている時だったら2人がどんな話をしたかしら?なんて考えています。」 この日本刀が小林多美男に返されたことは、確か多くのメディアに取り上げられた。

 写真家齋藤亮一の写真集『NOSTALGIA』(JDSグラフィック発行税込み3500円)に多くのウクライナの写真が載せられている。齋藤亮一の写真は、カラー写真ではない。白黒である。1枚の写真が私の心を掴んだ。この女の子たちは、すでに成人になっている。今どうしているか。

 カナダのニールも、キエフのペギシェフさんの遺族も、齋藤亮一の写真集の中のあの女の子たち、どうかご無事で!戦争がもう今日にでも終わりますように!


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