団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

結婚記念日とノーベル賞

2019年10月10日 | Weblog

  昨夜、ノーベル化学賞に旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰さんが受賞というニュースが飛び出した。71歳だそうだ。いわゆる私と同じ団塊世代である。

 同じ日の午後、台風18号今週末、日本に接近上陸するかもしれない、と気象庁が特別会見して「自分の命、自分の大切な人の命を守ることを」と警告を発した。台風15号で甚大な被害があったので、日本中が何となく暗くなっていた。ニュースも関電と高浜町との汚い金のやり取り、NHKから国民を守る党の党首の自身の恐喝事件で書類送検され参議院議員を辞職して、すぐ埼玉参議院議員補欠選挙に出馬する不可解、神戸の小学校教員のいじめ問題など、気持ちが落ち込むニュースが私の心にコールタールのように溜まっていた。

 今回のノーベル賞に日本人が例年のように候補に挙がっていた。確か私が観たノーベル賞受賞予想候補者の中に吉野さんの名前はなかった気がする。旭化成東京本社からの中継が始まった。大騒ぎが始まった。今朝のラジオで上柳昌彦アナウンサーが「旭化成の本社、大騒ぎでしたね。ああやって受賞候補者を持つ会社や学校は集まって受賞を見越して発表を待って、ダメだと皆ガッカリするんでしょうね」と言った。面白い着眼。

 ノーベル賞は確かに権威ある賞である。でも日本人は騒ぎすぎる気がする。末は博士か大臣かは、私たち多くの団塊世代が子供の頃持った夢だった。小学校の何かの授業でそれぞれの将来の夢を発表した。驚いたのは内閣総理大臣と言った男子が3人もいたことだった。もちろん彼ら3人の夢は実現しなかった。私は国鉄の機関士と答えた。これも消えた。

 吉野さんは会見で化学者にとって必要なことは何か、と問われた。彼は「頭の柔軟性とあきらめない執着性」と答えた。私は頭の固さと飽きっぽさに幼いころから定評があった。

 今日10月10日は私たち夫婦の28回目の結婚記念日である。記念日が来るたびに思い出す。あの日妻の母親に「二度目なので何でもよくわかっている」と言われた。そう私はバツイチ。妻の母親は、最後まで私たちの結婚に反対だった。ある時、友人の妻にこの話をした。彼女が「私だって反対する」と言った。それを聞いて義母も普通の人なのだと変に納得した。目が覚めた。私だって私の娘が子ども2人いるバツイチの男と結婚すると言ったら反対するだろう。自分の事は、都合よくどんな悪いことでも取り繕って正当化してしまう。ノーベル賞を受賞するような天才的な知能やひらめきは持てなかったが、悪知恵だけは授かった。私たちの結婚を認め陰に日向に応援してくれた義父はすでに鬼籍に入り、あれだけ反対した義母も介護施設に入った。自分の娘の職業もどこに住んでいるかももうわからない。そんな義母が妻に私がどうしているかと気遣って数分おきに同じことを聞き返すという。嬉しく哀しい。

 吉野さんの会見を見ていて思った。吉野さんがノーベル賞を受賞できたのは、彼の功績も大きいが奥さんの陰の支えがあったからこその受賞ではなかったのかと。私は再婚して仕事を辞めた。世間でいう“髪結いの亭主”になった。

 妻は言う。「私が病気にならず健康で診療を続けられるのは、あなたがこうして家で待っててくれるから辛くても働ける。私はあなたのずっとファンでいたい」

 妻の『あなたのファン』は、私が生涯で得た唯一の賞である。私も妻のファンである。


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