団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ラグビー実況放送に物申す

2019年10月30日 | Weblog

 26,27日に行われたラグビーワールドカップ準決勝は、いずれも好試合だった。スポーツの実況中継が大嫌いな妻が、ラグビーのワールドカップのほとんどの試合を実況生放送で観ているから驚きである。ルールも知らない、やったこともないスポーツに妻を魅了しているラグビー恐るべし。

 ラグビーは実況の放送だけで十分楽しめると、私は思っている。日本のテレビは、たけし軍団、石原軍団、ジャニーズ事務所、吉本興業、特定の宗教信者グループなどによって支配されているのが“つまらない番組”の原因だと思っている。それらの組織団体が、“聖域”を設け、日本の映画、テレビドラマが核心に迫れない原因をつくっている。番組の構成は、どこの局でも金太郎飴。原形は大みそかの紅白歌合戦に類似する。日本は個人が活躍できる国でなく、何がしろの組織に組み込まれないと中々テレビに出ることもかなわない。朝のニュース番組、どの局もまるで桃の節句のひな壇のように男女を並べてスタートする。

 今回のラグビー中継は、NHKと日本テレビが放送権を獲得した。試合前になくても構わない式典が放送される。NHKは五郎丸歩元日本代表選手と東宝シンデレラの山崎紘菜、日本テレビはお笑いタレントの上田晋也、ジャニーズの櫻井翔と石原軍団の舘ひろしが出てきた。彼らがどんなに喋っても何をやっても、空回り。ラグビー選手の収入と飾り芸人のギャラの格差に驚愕。私に話を聞こうと言う気さえ起こさせない。侵害でしかない。邪魔でしかない。

 試合が始まれば、国の名のもとに一つのチームを構成する色々な背景を持つ今まであまり名を知られなかった選手たちが主役である。それを見守り応援する何万人という大観客。私の妻さえ熱狂させるラグビーという道具をつけない選手の肉体だけのぶつかり合いが始まる。ラグビーの試合を支配するのはレフリーである。チームのコーチは、グランドから離れた観客席にある高い場所に隔離される。指令はすべて無線を通じてウオーターボーイに伝えられる。この伝令内容を知りたいとは思わない。

 知りたいのはレフリーが放つ言葉全てである。アナウンサーの実況も滑舌の悪い解説者の意味不明話もカットしてくれ。前座の飾り芸人もいらない。いるのはレフリーの一言一句を同時通訳するプロだ。これが実行されれば、観ているあまりラグビーを知らない人でも、今の実況放送よりはるかにラグビー観戦が面白くなること請け合いである。ラグビーのレフリーは、常に試合の動きを注意深く見ている。アドバンテージはその表れの一つである。加えて最近のビデオ判定制度が、ますますラグビーをより公平なスポーツにしている。レフリーから見えていなかった反則行為を3方向から写した映像をスロー再生して的確な判断をレフリーが下す。最初私はスポーツの判定は、たとえ間違いがあったとしても審判の判断に任せるのがスポーツだと思っていた。今は違う。ラグビーのような下手をすれば人命に関わるような反則や、体格の違いによる一方的な力まかせの行為にも厳しい目を光らせることができる。レフリーは、常にキャプテンを呼びつけて、警告注意を出し続ける。「お前の7番は今度反則したらシンビンだからな」 NHKも日本テレビもこれを同時通訳していない。金を使うところを間違えている。それとも知っていてもできないのか。

 日本の国にもラグビーのレフリー並みの計らいができる制度や組織や人が必要だ。レフリーが言っていることに周りは耳を傾けなければならない。脱税したり、しようとする芸人を呼びつけて注意勧告する。マスコミや野党に難癖つけられるような発言を指摘訂正させる。車の運転に問題が出てきた老人運転手に警告や代案の喚起。子供の虐待、生徒同士や先生同士のいじめの加害者にペナルティを与え、被害者に救済のための特権を設ける。必要なのは、規則ではない。規則を守る人を保護する。破る人にそれが間違っていることを知らしめる。厳格で優しい判定。力や権力だけで他を倒せない。それこそがラグビー精神の神髄であり、ラグビーを通して人間が築こうとする社会の姿だと私は思う。


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