団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

火葬か土葬か

2019年10月24日 | Weblog

  連日報道される台風19号の被害地の映像で心を痛めるのは濁流によって墓石が押し倒され折れ重なり、水浸しになった光景である。私は思う、墓の中のお骨はどうなってるのかと。東日本大震災でも多くの墓地が破壊された。災害は生きている人間だけでなく埋葬された人間にまで魔の手をのばす。墓を見るといつかは自分の身に起こる死を思う。墓も決して安住の地ではなさそうだ。私は墓に入れてもらわなくていいと思っている。

  私は土葬を望んでいた。土葬ならいつかは土に戻れる。わが身を焼かれる必要を感じない。妻の父親が私に言った。「死ぬのは仕方がない。でも火葬は熱そうで恐ろしい」と。そんな義父も亡くなり、火葬にされ骨壺に納まった。土葬という話はなかった。私は日本で土葬は法律で禁止されていると勝手に思い込んでいた。何故、とずっと思っていた。私は4歳で母を亡くした。母ちゃんなしではいられない母ちゃんっ子だった。その母ちゃんが火をつけられて燃やされていた。火葬場の小さな覗き口から母親が荼毘にふされるのを身動き一つしないで見続けた。終わると骨壺に焼け残った骨が入れられた。母ちゃんが私の世界から消えた。私に残ったのは、らせん状に渦巻く死生観だった。母ちゃんの骨は、墓に入れられた。母ちゃんが土葬されていたら、きっと私は死んではいるけれど母ちゃんを身近に感じていたと思う。

  調べてみると日本の法律で土葬は禁止されていない。ただ自治体や墓地の経営団体によって禁止されている所もある。キリスト教ではイエス・キリストが再臨すると死者は復活する。だから火葬しないでその日に備える。イスラム教はいまだに救い主を待っている。救い主が降誕するとやはり信者の死者は蘇る。だから火葬にしないで死者もその日を土の中で待つ。

 私は日本で火葬するのは病原菌などの衛生面と国土が狭く土葬すると広大な墓地面積を必要とするから役所がそれらを防ぐために法律を作ったと勝手に思い込んでいた。

 養老孟司著『身体巡礼』(新潮文庫 590円税別)を読んだ。そこに次の記述があった。「骨の保存に関して、日本と欧州では事情が違ってくる理由の一つは、欧州には石灰岩の地域が多いことである。パリが典型で、パリ市の地下には鍾乳洞がありくらいである。石灰岩はアルカリ性で、アルカリ性の土地では、骨が溶けにくい。だからパリ近郊からは化石も出て、…。逆にたとえば関東ローム層は酸性土壌で、百年もすれば骨が溶けてしまう。石器は出土しているのに、旧石器時代の人骨が日本で見つかりにくかったのは、そのせいもある。火葬が例外であるヨーロッパでは、墓地にどうしても骨が溜まってしまう。パリ市の場合には、だからは墓に溜まった人骨をときどき市がまとめて掘り出し、地下の石切り場に入れて整理した。それをカタコンベと称しているのである。」『身体巡礼』30ページ 私の長年の多くの疑問が解けた。読書はだからやめられない。

 私は世界で多くの葬式を見た。カナダでキリスト教の、ネパールでヒンズー教の、アフリカのセネガルでイスラム教の、東ヨーロッパの旧ユーゴスラビアではセルビア正教の、ロシアではロシア正教の、日本では仏教の葬式。見習うものはない。私は直葬で結構。

 子供の頃、私はこのまま人間が墓に埋葬され続ければ、いつかは日本中墓だらけになってしまうのではと心配になった。どうやらその心配はする必要がないようだ。日本ではどう埋葬しても酸性土壌、酸性雨が終いには土葬だろうが火葬だろうが、骨まで溶かしてしまう。

 私は墓の墓碑を読むのが好き。イタリアのローマで観た『次はお前だ』に感動した。私は“次はお前だ”と指名されている。こうなれば土葬、火葬どちらでもかまわない。ただ最後まで妻を大切に生き、妻に「ありがとう、次はお前だね」と言い残せたら、それ以上は望まない。


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