団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ししゃも ピンキリ

2019年10月04日 | Weblog

  ロシアのサハリンに約2年間暮らした。2003年から2004年。すでに16年前である。厳寒地で真冬はマイナス40度を記録するほど寒かった。冬は閉塞感で押しつぶされそうになった。遅い春が来て、短い夏が過ぎあっという間に秋が終わり冬になる。春夏秋は山菜取り、魚釣り、貝獲り、カニ採り、キノコ採りという楽しみがあった。黒沢明監督の映画『デルスウザーラ』に出て来る主人公、ナナイ族の猟師デルス・ウザラのようなリンさんといつも一緒だった。拙著『サハリン旅のはじまり』清流出版に彼の事を書いた。

 先日、北海道からシシャモが送られてきた。シシャモを見て、サハリンでリンさんと一緒にシシャモ漁をしたことを思い出す。北海道のシシャモは、産卵期の10月頃から川を遡上するという。しかしサハリンのシシャモは、川でなく、海岸の波打ち際に海面がシシャモの大群で黒くなるほど集まってくる。そこへ入り込んで、網ですくう。網がたわむほど重い。リンさんは言った。「これぐらいでいい。後は残さないと来年のシシャモがいなくなる」と。私はリンさんがちゃんと資源保護を考えていることに感心した。

  ネットで調べると北海道広尾干しししゃも(メス20尾)4000円とあった。近所のスーパーで売っているシシャモは、1パック10尾で298円。シシャモにもピンキリがある。北海道のモノが本物で、他は種類が違うという。良くある話だ。昨日、テレビのニュースで関西電力の役員が高浜町の元助役から50万円と70万円のスーツ仕立券を贈られたと言っていた。スーツ仕立券!去年私は長男の誕生日祝いにスーツの仕立券を贈った。あるデパートのセールで見つけた2着2万円の仕立券だった。長男は喜んでくれた。私は昔国会議員で70万円以下の背広を着ないと豪語する人に会ったことがある。その時私は量販店アオキの背広を着ていた。

  長野県に生まれ、育った。この世の中にピンからキリがあることを長野県から離れて初めて自分の目で見て知った。高校まで周りは、ピンがなくキリばかりだった。皆貧しかった。格差を成績以外で感じたことがなかった。高校の途中からカナダへ行った。まず入ったのは、全寮制のキリスト教の自給自足する宣教師を養成する学校だった。贅沢に罪悪感を持つ、質素で慎ましい人ばかりだったのでピンはいなかった。

  日本に帰国して仕事をして収入を得るようになって、自分が段々物質主義に洗脳されてゆくようになった。しまいにどんなにもがいても超すに超えられない壁が世の中にはあるのだと知った。車、家、服、装飾品、食事、食材、食器。ピンキリなのだ。幼いころからキリの中で生きてきた。ちょっとでも高く、高級と呼ばれる物に心奪われる。戦後生まれで団塊世代と呼ばれる者の悲しい性である。しかし使える金には限度がある。キリには月賦というワナが仕掛けられる。月賦で首が回らなくなったこともある。見栄坊は実力も金もないのに自分の明日はもっと良くなると固く信じ込む。

  そして限界にぶつかって目が覚めた。コキジ(古稀+2)になって、残ったのは食欲だけだ。我が家のエンゲル係数はいまだに高い。私たち夫婦は、御題目のよう「いつもニコニコ仲良く美味しく現金払い」と復唱する。やっとピンキリの世の中を認め、キリにキッチリと納まった。納まるところに納まった。居心地抜群。関西電力の50万70万円のスーツ仕立券や3億円を超す賄賂も腹が立つけれど、違う世界、ピンの世界のことと顔の筋肉を引きつらせて笑う。

  リンさん、日本で今シシャモが20尾で4000円と知ったら腰を抜かすだろう。生活はキリでもリンさんの生き方はピンだった。


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