団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

長寿109歳

2017年11月27日 | Weblog

①    109歳

②    100歳

③    95歳

①    ② ③ 今日までに喪中はがきが7通届いた。109歳100歳95歳が今年届いた喪中はがきの長寿の順であるが、他の4人も皆90歳以上である。平均寿命はゆうに90歳を上回る。私の皺、シミ、ハゲなどの老化現象が進むにつれ、喪中はがきを受け取る枚数が増える。寄せる年波の抗いがたい現実である。一層終活に力を入れなければと思うばかりで、毎日ほとんどの時間を無駄に使っている。

 友人の岩手県に住む母親が109歳で今年1月に亡くなった。友人と岩手へ旅行したのが、彼の母親が100歳になる直前だった。毎日やることは、朝押し入れから柳行李を引きずり出して、中の物の整理を始める。今で言えば、それこそ終活である。しかし手に取ると、それぞれの物が彼女に思い出を語り始める。昼食の時間となり、手を一旦休める。そして作業再開。気を取り直して、整理しようと別の物を手にする。再びみたび、物が語り始める思い出に包まれる。夕方が訪れる。行李の蓋をして押し入れに押し戻す。「私の毎日はこうして過ぎています」と友人の母は優しく微笑んだ。あれから10年が過ぎていた。事あるごとに友人に「お母さんお元気ですか」と尋ねると「相変わらず元気でやっています」と答えが返ってきた。岩手で実際に元気な姿を見ていた。友人と彼の母親のことを話していると、私は不思議な気持ちになった。自分も100歳過ぎてもあのように元気でいられるのではないか、との幻覚のような希望の中に一瞬いる事が出来た。

 私は心臓のバイパス手術を受けた。最初の手術で大きなミスがあり、別の病院で再手術を受けた。危険な手術だった。何とか問題の血管を担当の医師の高い医療技術で修正できた。その医師が言った。「10年前だったら、助からなかったでしょう。良かったですね。これからこの頂いた命大切に生きてくださいね」 私は手術を54歳で受けた。友人の母親の109歳のちょうど半分の年齢だった。あれから16年。色々な体の問題を抱えながらまだ生きている。今年古希を迎える事が出来た。

 私が109歳まで生きられるとは思わない。現代医学がここまで進んでいなかったら、私はきっと心筋梗塞を起こして54歳で死んでいた。実際54歳である人の勧めで『辞世帳』を書いた。今流行りの『エンディングノート』である。まさかこんなに長く“おまけ”の人生を送れるとは。

 来年はもっとたくさんの喪中はがきが来るかもしれない。そうこうしているうちに,やがて私の喪中も来る。岩手の友人の母親の柳行李が私の理想である。私の母も90歳を過ぎ、風呂敷包みひとつにまとめ、「私が死んだらこれを処分して」と言っている。私も、できるだけ早く家中に散らばる私のゴッタクを行李一つくらいにまとめたい。行李ひとつ、風呂敷包みひとつに自分の人生をまとめることがどのくらい大変なことか・・・。今朝もすでに「明日から・・・」の声が大きくなりつつある。


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