団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

柿の思い出  隣の客はよく柿食う客だ

2017年11月09日 | Weblog

①    べちょ柿

②    コーちゃんと渋柿

③    チュニジアの柿

①     私の父親の嗜好は、風変わりであり強いこだわりがあった。餅は粉餅、タバコは「富士」、日本酒は「月吉野」、柿はべちょ柿などなど。私が一番受け入れがたかったのがべちょ柿だった。べちょ柿好きを知る父の知人が、毎年木の箱にきれいに自分の家の庭で採った柿を並べて入れ、届けてくれた。届いたばかりは、まだツヤツヤした普通の柿だった。これを父は大事に保管した。そして正月に食べる。私たち子どもは、父親がべちょべちょの半分腐りかけた柿を美味そうに食べる姿を、まるでドラキュラが生き血を吸う姿を連想しながら気味悪がった。父は本当に破顔の笑みを浮かべて食べつくした。残った皮と種は、ピカピカだった。人それぞれに食べ物には、思い入れがある。

 10月の悪天候の連続で散歩できない、いや正直に言うと逃げる良い口実になっていたのだが、外に出た。日光が気持ちよかった。途中、柿の枝を大胆に地面に置き、柿を収穫している年配男性に出くわした。(写真参照)相当な数だ。できれば声をかけて「べちょ柿にするのですか?それとも干し柿ですか?」と尋ねたかった。一心不乱に柿をもいでいる姿は、亡き父の姿に見えた。頭の禿げ具合もよく似ていた。

②     保育園にコーちゃんと一緒に通った。コーちゃんは知的障害者だった。コーちゃんのおかあさんにコーちゃんと通園するよう頼まれた。行きの保育園まで、帰りの保育園からコーちゃんの自宅までの道のりには、悪ガキが多かった。当時保育園の通う子より、家にいる子の方が多かった。悪ガキの集団に私たちは、待ち伏せされよくいじめられた。一度二人が畑のタメに落とされたことがあった。二人は糞まみれ。畑の所有者に助けられ、コーちゃんの家まで戻った。コーちゃんのお母さんはとても美しい人だった。外の水道で二人を洗ってくれた。コーちゃんはキャッキャッ騒いで喜んだ。コーちゃんのお母さんは私に「いつもありがとうね」と言った。私はコーちゃんをどんな時も守るぞと決意した。

 コーちゃんはいつも私の言う事に素直に従った。いつしか私は傲慢になり、親分風を吹かすようになった。秋、私は渋柿と知っていて、コーちゃんに柿を「美味しいから食べな」と渡した。コーちゃんが顔をしかめた。コーちゃんの頬に涙が流れていた。私は本当に悪い奴だ。タメに落とされてコーちゃんのお母さんに感謝された時、コーちゃんを守ると誓った私は、根っからの根性悪なのだ。もう一度コーちゃんに会いたい。コーちゃんに謝りたい。黒いゴマがいっぱい入った甘い柿を一緒に食べたい。最近、コーちゃんの夢をよく見る。

③     スペインを旅した時、ある宮殿の中庭で緑の葉が茂る中にオレンジ色のミカンがたわわに実っていた。スペインの青い空、葉の緑、ミカンのオレンジ色、宮殿の壁のタイルの色、そのコントラストが美しかった。そしてそれに日本の柿実る秋を思い出した。オレンジ色と緑の組み合わせが私は好きである。チュニジアの市場で柿を見たことがある。アラブ人は渋柿を何かの薬代わりにすると聞いた。渋柿の渋の抜き方を友人のチュニジア人に教えた。とても喜ばれた。

 日本の美味しい柿が世界へ輸出されるようになると良い。早口言葉の「隣の客はよく柿食う客だ」を言いながら柿を食べ、笑いを取った父ちゃん、べちょ柿は世界に受け入れられるかな。


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