① 車虎次郎
② 国安おじさん
① 10月30日に逮捕されてから、座間市9人殺人事件の報道で徐々に白石容疑者の本性が伝えられている。ラジオ、テレビ、ネットなどのニュースでは、なかなか知りたいことに触れられていない。(写真:先週小田急線で新宿へ行くとき事件現場を通過した時撮った写真)やはりこういう事件は、週刊文春、週刊新潮の出番である。私は週刊新潮の11月16日号を買った。白石容疑者の猟奇的快楽殺人の暗闇を知ることは誰にもできやしない。ただ8人の犠牲になった女性が寅さんのような人を求めていたのではないだろうかと私は推測するようになった。
自殺したいとほのめかす程、自分たちの人生の先行きに不安を抱えたり、自信を失っていたであろう女性たち。白石容疑者は、SNSを駆使して彼女たちに近づいた。いや、彼女たち側から近づいたとも言える。人は誰でも自分の存在を他人に認められたい。褒められたい。寅さんと白石容疑者と比較することは、寅さんの冒涜に値することは、重々承知している。私が寅さんを尊敬するのは、寅さんはどんな人とも面と向かって話ができることだ。私は今現在、見ず知らずの人と話すことはまずできない。小心者のせいもある。他人と関わることで、何か犯罪に巻き込まれるのではという恐怖を常に持っている。先を読み過ぎて、過度に警戒してしまう。臆病すぎてSNSで見ず知らずの人と交流することもできない。寅さんはSNSを知らない。常に自分の半径数メートル以内との会話で寅さんは生きる。本気で笑う、怒る、褒める、助ける、けなす、見放す。SNSの世界では、誰でも寅さんのふりをすることができる。SNSを通して構築された相手の人となりは、架空の存在である。8人の女性たちは、架空の人物と直接対峙したその日に毒牙にかかって殺されたようだ。
カナダやアメリカで多くの親は、性教育として子どもに次のことを教えるのを見た。部屋のドア、車のドアは、YesかNoの境目だと。二人だけの空間に身を置くことは、自分しか決められないことだと。日本も豊かになり、個室を持つ子供が増えた。しかしまだ精神的にドアの壁を持つまでには至っていない。
座間の事件でどうしてもわからないことがある。ニオイである。部屋には、何らかのニオイがあったはずである。同じアパートの住民が「異様なニオイがしていた」と証言していた。私は、今の若者はニオイに敏感だと思っている。それとも異臭に気づかれる前に犯行に及んだのだろうか。白石容疑者が、あの部屋で寝起きしていたこと自体、異常だと思われる。
② 子どもの頃映画を観に行って映画館で国安おじさんに会うのが楽しみだった。国安さんは、映画を観ながら画面に向かって声をかけた。「待ってました!」「そこだ、やっちまえ」 映画も楽しかったが、国安おじさんの掛け声は、映画と同調していて私もほとんど同じ気持ちだった。国安さんは、昼間、リヤカーを引いて廃品回収をしていた。
父は映画好きだったので国安おじさんと気が合ったらしく、時々家で一緒にお茶を飲んで話し込んでいた。私にもよく10円玉をくれて「好きなものを買って食べな」と言った。父が彼はいい人だと言っていたので、私も素直にそう受け止めていた。寅さんに似た人だった。
③ カナダの学校で用務員のPoul Kochさんと会った。たまたま私のスクール・ワーク(毎日2時間学校のための無料奉仕の時間)の上司だった。独身だった。年齢は70歳ぐらいだった。物静かで私をとてもかわいがってくれた。私は日本から来たばかりで英語も話せず毎日が緊張の連続だった。Poulさんも英語は片言だった。働き者で笑顔が素敵だった。1年後彼は突然死んでしまった。前の日まで一緒に働いていた。彼のことは、何一つ知らなかった。でも一緒に働いていて彼の優しさを感じた。
誰の心の片隅にも得体のしれない魔物が住んでいる。私にもいる。今日まで事件を起こさずにこられたことは、感謝である。中学生の時、担任でない教師が宿直だった夜、その教師に呼び出され、私は他の男子生徒と宿直室で泊まった。夜中にその教師は、私の布団の中に入って来て、私の上に乗り、ささやくように「気持ちのいいことをしよう」と言った。私は何とか家に逃げ帰った。今なら警察に言えば、教師は逮捕されたかもしれない。しかしこの事以降、私は極端に注意深くなった。災い転じて福となる。あと少し、何とか魔物を封じ込めておきたい。