備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

情報発信の多様性と将来性

2009-09-30 21:09:23 | Weblog
世間の真っ只中に一週間、身を置きながら考えていた事は『情報発信の多様性と将来性』だった。



備忘録代わりに自分用に書いていますので、以下読みにくく、かつ長文です。
あまり楽しい内容はありません。あしからず。m(_ _)m




『情報発信の多様性と将来性』について

●情報はストックされる

情報という言葉は、限定しにくい概念であるけれど、ここでは情報を『事象を言語化、データ化した総ての事柄』とする。簡単に『人間が関わる世の中全部』という事で。

実在する物でも知的な物でも、人間は事柄をデータ化して集積してきた。資産財産、経験も、結局はデータ化された価値の上に成り立つ。その意味で、世の中は『情報』といえる。
これまでリアルな世界では、『情報』はストックされていく存在だったと思う。
ちょうど本が、本棚にも脳もストックされる様な感じで、形の有無にも関わらない。

Web、blog、mailにしても、考え、想いという情報を、発信しつつ同時にストックしている状態。情報のストックは常に身の回りで起こっている。

物流・小売の現場は、そういう意味で『情報』が象徴的に集積された場所であり、デパートはその頂点にあると言えるだろう。モノだけでなくブランド力という情報も掲げて。



●『情報発信』の変化

これまでの『情報発信』のあり方は、社会のシステムとして見るとトップダウン型だった。
編集して出版、放送という何らかのフィルターを通して、一般に知らしめるというあり方だった。
マスメディアは情報の源流に近い部分(トップ)からの発信という立ち位置になるだろう。
政権交代で政治家の定時会見が無くなりそうになって記者が右往左往しているのは、そのトップでの変革が起きている例。
これはフリーペーパーでも言える。トップダウンという意味において、フリーペーパーとマスメディアは、その規模の差でしかない。


それが、インターネットの普及に伴い個人が、Web、blogなどでの発信が容易になった。これによって、情報発信がフラットでグローバルになり、ブロガーやアフィリエイターの存在、ネット選挙を言うまでもなくボトムアップ型に変革している。

マスコミなどの『トップダウン型』から、ネットによる『ボトムアップ型』への変換ではあるけれど、ここへ来てもまだ情報発信は『ストック化』と『上下関係性の構図』から抜け出せていない。


●ヤキモノ屋としての情報発信

上下関係性は転換が進むとして、ヤキモノ屋としての看板、地盤を持たない外からの初代組は、ネット発信も含めて発信方法そのものを模索している。情報発信がフラットになってきたとしても現実での『しがらみ』は依然としてあるし。

現在は画廊・百貨店などの『旧来型の発信(トップダウン型)』と『フラットな発信(ボトムアップ型)』が混在している状態。まだそれらはツールとして有効に整理されてもいない。

個人的な感覚としては、お客様、画廊はボトムアップ型の発信に関して敏感。全ての個人がそうではないけれど増えている。
百貨店はトップダウン型が根強いし、どちらかというとボトムアップ型の発信に対してはアンチなスタンス。実際ブランディングの構築にはトップダウン型の方が効果的で迅速であるには間違いない。しかし、この温度差についての見解は寡聞にして知らない。

これらを上手く組み合わせる方法ってなんだろうか?
同時に使うほうが良いのか? 別々に使い分ける方が良いのか?
エンドユーザーは、我々に対して直接のフィードバックを求めている気がする。ならば…

が、今後の課題。



●情報発信の将来性

情報の『ストック化』自体、今後は転換する可能性を感じている。
それがTwitter(ツイッター)などの存在。必要な時に『つぶやく』。つぶやきのさざ波(情報の集合)が『フロー化』しているのではないかと。
こういう『つぶやき』という『大きな独り言(プチ情報)』は発信し易いし、誰にもストックされる必要性のないもの。別の機会に必要になれば、再び『つぶやく』と最新情報が入手出来る。

Twitterは、サービスが出来て3年程度らしい。まだ岡山では黎明期だと思うが、都市部ではかなり進んでいるのかも知れない。まぁ、都市向きのツールだろうという気がしているが。
爆発的にユーザー数は伸びる気配を感じている。人口の絶対数でいえば都市部が多いのだから。

こういう流動的な(フローな)コミュニケーションではモバイルは優位になるだろう。
これまではPCの操作性に優位差が圧倒的にあったけれど、モバイルでしか出来ない事も増えてきた。そうなるとモバイル限定ユーザーも増えるし、両刀使いも必至。

フラットかつグローバルな情報発信のあり方と、マスに対するプチ情報発信のあり方の親和性は高い。
今後、個人ツールとして、かなり強みになるだろう。

でも、都市生活者の便利ツールという気がしているが。
都市部ユーザー向けに一次産業者発信とかは、『あり』だと思うけれど、どちらにせよ便利なのは都市部ユーザーだろう。



●やきもん屋から見るTwitter

大体、我々の仕事現場では使えない。
「今からロクロします」とか「温度が1000度になりました」とつぶやいてどうする? その情報発信している時間があるなら「もっと優先すべき事しよう…」となるだろう。
まぁ、それ以前に小生は携帯メールすらしない(契約もしていない)ヒトなのだが。


ただ、目が離せない状況であるのは確か。
自分が発信せずとも、今後使っている人にきっと遭遇するはず。そして、少なくとも『ユーザー感覚』は、これまでの『ストック化』と異質であると思うから。

今後、情報の扱い方についての大きな変換ポイントになる可能性を持っているように思える。
モノに想いをのせている立場のクラフトマンとしては、情報が『フロー化』しても現実のモノがある訳なので、特にその部分の言及はないけれど、「それを使う人々の即時性や流動感は知っておいた方が良いかもね」って、ところか。


『情報のフロー化』といいながらも、日本人の肌感覚としての『無常観』のグローバル化と思えば、特になんら違和感はない。

要は、その規模と扱い方の問題では……と。



●結論としてのスタンス

『情報発信の多様性と将来性』については、興味を持ちつつも傍観する。
幾つか似たようなサービスもあるので、いずれ淘汰、統合される可能性もあるだろう。


肝心なのは、
トップダウンとボトムアップの扱い。
フロー化する情報を扱いなれた人々との関わり方。

ですな。




長々と、失礼をば。m(_ _)m


やきもん屋における『情報発信の多様性と将来性』の駄文をネット上にストックしてしまいました。m(_ _)m



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