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田圃の中に草が部分的に生えているのが見える。全体的に緑色のアメーバーの如く不定形な形で田圃のあちらこちらをマルチしている。
七草で見るものもあるけれど、多くは名も知らない草。
それぞれが精一杯日光に当たるように葉の向きや重なり具合を工夫して生きている。
自然の中の名も知らぬ草を「雑草」といってしまうことがあるけれど、その植物の有益性を未だ見つけられない場合にそう言う事が多い。
有益性を見つけるのは人の視点。ある人にとっては雑草でも、ある人にとっては大切な植物である事は多い。
それぞれ固有の名前があって「雑草」とひと括りにするのは人の愚かしさに他ならない。
雑草とは人の無知が作り出した名前である。
しかし、冬枯れの景色の中にあって、光のちょっとした当たり具合でそこだけが美しく際立つ様を発見したこの極めて個人的な悦びは何だろう。
視覚的な有益性。
……を持ってしても名前が判らないのは不勉強ゆえ。見たところ「雑草」だらけだ。
(う~~ん、自分の馬鹿ぁ)
……とかなんとか思いながら仕事場から眺めていると、雲間からの光が陽だまりのように田圃に差す。
まるで農村絵画だな。
タイトルを後付けすれば『春を待つ』とか『痕跡と成長』とか『コントロールと自然の対比』とか。
それにしても見る事に付帯する言葉の呪縛からなかなか脱却しないなぁ。……しかも冴えがない。
素直に「良いね」で終われない性分ではあるけれど、どうも最近、手元ばかりの仕事が続いているので疲れている?
(だから雑草の定義とかをつい考えるんだよな)
気分転換しよ。
耕される前の風景を撮影しておきましょう。
ウロウロしていると不審な行動と見えて、番犬福助くんに集落中にこだまする程大きく吼えられた。