備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

終戦の日に

2017-08-15 20:25:08 | 陶芸


美術工芸の歴史において書くことが憚られるが、我が業界における『負の遺産』がある。

しかし、それが時代であった。


写真のモノは手榴弾。武器である。


伝え聞いた話を滔々嬉々と書きたいわけではないが、メモとして。
・製作は、ロクロ成形と型作りがある。
・溝があるモノと無いモノがある。
・作者がわかるように番号が割り振られている。
・実戦配備はされなかった。
・戦後は戦争協力者として逮捕されぬように、地中に埋めてGHQから隠した。


備前焼の手榴弾が作られたのは、全国規模での金属供出でも武器材料が足りなかった為である。堅牢であった備前焼は代替材料して注目されたのだろう。
しかもこのレベルのものは、傷を負わせる程度の能力である。
つまり戦場で怪我人が出れば、その対応の為に人員を割く必要がある。怪我人+αが戦線を離脱し、効率良く敵兵を減らせる事が目的。
しかし、怪我する方にしてみれば、殺さぬように大怪我をさせられるのでタチが悪い。

これを作った当時の思い、終戦後の思い、今これらを見る思い……。
人それぞれの状況や事情で見方は変わると思う。


今、シンプルに言える事は、市井の陶工が自由にモノ作りが出来る環境や時代が続いて欲しいという事。

終戦記念日であり、近頃の周辺諸国の危うい緊張関係に思った次第。


















蕎麦屋へ右往左往

2017-08-06 10:03:20 | 料理・食材


夏は麺類が多くなる。いや、年間通じて昼ご飯は、ほぼ麺類である。
不惑を過ぎてラーメンから遠ざかり、更には出先では地域性に左右される。よって概ね饂飩か蕎麦。

過日の讃岐では饂飩一択。先の東京では蕎麦。東国にて饂飩をパスするのは常の事。
あと、岡山では蕎麦屋のバリエーションが少ないので、ここぞとばかりに「お江戸で蕎麦」となる。

まぁ、ざっかけない店から噂に名高い老舗まであるが、基本、店主殿の求道精神を前にして客が恐縮する店はノーサンキューである。
ウンチクを語るのは良いけれど、合間に面白い事のひとつも言えてりゃ、まだ……ねぇ。( ← 他山の石としよう)


蕎麦屋のランチは面白い。早く、美味しく、楽しく。(たぶん)

チェーン店では『小柱のかき揚げ』の文字に釣られてオーダー。

この価格で大丈夫か……と心配。繋ぎばかりのアレコレとは違う。競合相手が多いからか、しっかりと具入り。蕎麦は、まぁ……繋ぎが多い。

洒落た老舗では、『ハモと野菜の天麩羅の冷たい蕎麦』。(これは朝でしたが)

「台抜きで冷酒を!」という年齢でもないし粋さも持ち合わせていないが、こういう時は「早くジジィになりてぇ」と思う瞬間である。

季節柄、『冷たいカケ』も好ましかった。

モリ、ザルとも違って涼感が増し増し。特に出汁がウリの店などは特に良いねぇ。

スピード勝負のような佇まいながら、器がきちんと陶器だった個人経営店は非常に好ましかった。

不思議だったのが『カケ』なのに若干の具入りとか。落語の時蕎麦の『当り屋』をちょっと思い出す。ちくわ麩はありませんでしたがね。

メニューとして好きなのは『花巻蕎麦』である。

先に一杯呑んでいるのを見越して『蓋つき丼』で登場とは恐れ入りました。無言の気配りが流石。

そして、今回、一番強く蕎麦を感じたのは此処の『田舎そば』。

挽きぐるみで蕎麦の密度が高く、麺が重い……。出汁はガツンと濃厚。辛いがキレが良い。江戸っ子だねぇ。


総じて「町場の蕎麦屋の価格と味は比例している」というのが印象。
ならば、頂くお客側の都合でお店のチョイスが出来るという事である。こういうのが地元に根付いた文化ということか。
岡山は小麦文化圏なので、なかなか……ねぇ。
しかし、先日イタリアンのシェフにご案内頂いた岡山市内の店は良かった。味も器もお酒も揃っている。折を見て再訪したい。


初夏より蕎麦を求めて都内をウロウロしたが、さぁ、蕎麦屋で遊ぶ為に働こう! (*^o^*)/