備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

PLATINIUM ・ SILVER ・ Pt.Alloy

2009-02-25 15:10:49 | Weblog
手帳を使うようになると筆記用具が手元に必要になる。今のところ0.3mmの極細のボールペンを使っている。
しかし、人前で使う時にちょっと難がある。安い量販品を使っているとそれを見る相手が、ボールペンを通してコチラを値踏みしているような……、特に領収書を書いている時に感じる。……考えすぎ?

「なんかあったっけ?」と思って、文房具を入れている引き出しを引っ掻き回す。
小生は物持ちが良く、ご幼少の頃からの色々なものがある。拾った石も何度も一緒に引越ししているし。


中学1年の時に親父から貰った万年筆が出てきた。2本あるうち1本はセーラーのプラスチック軸のもの。そしてもうひとつは銀色のもの。黒く酸化しているので、シルバーと直感。水につけて丸洗いして書けるようにする。


アンティーク感が漂うが、文房具オタクではないのでどれほどの『お品』か知らない。

……で、調べる。

調べる気になったのは、ボディーに『PLATINIUM』『SILVER』とあり、ニブ(ペン先)に『Pt.』とあるから。
プラチナ、シルバー……ジュエリーで見るような名前が…何か高級感が…ひょっとして高価なもの?


若干のさもしさを含んだ好奇心で、検索をかける。色々と出てくる中、さらにディープに…。

ボディーにあった『PLATINIUM』は『プラチナ万年筆』というメーカーのロゴ。紛らわしいわぁ~。岡山発祥の国産メーカーと特定された。
急に親近感が沸くものの、同時に舶来品信仰的な価値は消える。(貰った頃には、親父はモンブランを数本所有していたので、子供へのお下がりの理由はこの辺りか。)

さらに調べると、『SILVER』はボディーの材質。これは妥当なライン。

ニブにある『PLATINIUM Pt.ALLOY』については、『メーカー名』と『プラチナ合金』と判明。ロゴ表記は2通りあるらしい。『PLATINIUM』と『P』。初期モデルが『PLATINIUM』なので、これは初期モデルとなる。


と、ここで事態は急変する。(おおげさ!)


どうやら、それなりの価値のあるものと判明。万年筆コレクターが一度は通るアンティークアイテムらしい。オークションでもそれなりの価格がついている。


1966(昭和41)年発売のプラチナのニブを使用した最初の万年筆で、生産数が少ない希少モデル。模様が『二重格子』で『pt.ALLOY』と言うのがミソらしい。名前は『プラチナプラチナ』そのまんまやなぁ。

ただし、『925スターリングシルバー』というボディーがあるらしい。
925とは刻印されていないので、その辺りがよく判らんところではあるが…。フラッグシップモデルでは無いのかも知れない。


金銭的価値はさておいて、親父からの贈与として大事にしたい。それに自分と年齢が近いというのが良い感じ。
……ではあるけれど、使う気満々。インクは現行の物がそのまま使えるし。ただ、手帳には太いなぁ。


素性が判ったので、これからは大いに人前でも使えるアイテム。
これで、なんだかよく判らない『負けた気』や相手の視線を気にしなくても済む。

訊かれたら「あぁ、親父譲りなんですよ~」ってクールに言いつつ、「どや?」って感じ。
……あ~っ 自分の小ささを感じる!

たった万年筆1本で、心の持ちようが変わるとは!「ちっちぇ~なぁ……」


まぁ、身の回りの品ってそういうものかも知れんけど……。


余韻が続く

2009-02-22 10:58:58 | Weblog
ドゥダメルの余韻が続いている。

ユースオケながら弦の一音一音がクリアな粒々感。硬質感のあるそれを未熟と見るかどうかで好みが分かれるだろう。どんなに細かい音になってもしっかりと縦のラインが揃う。安易に流さないでしっかりと全体の輪郭を形作る。そして、管楽器は倍管編成。無理せずに大きく鳴らす為ではない。あくまでも倍の力を得る為。ひと頃のアメリカのオケのような鳴らし方だ。でも細部まではっきりとして、やっつけな薄っぺらな印象にはならない。指揮者の裏拍までも振ろうとする手の動きに音作りのあり方が伺える。良く訓練されたオケ。

一方で、音量の変化やニュアンスには欠けるし、チャイコの音の長さへのこだわりが表現できているかとなると…。

でも、「このオケは細部を聴くべきでない」という第一印象を再確認した。

情熱がほとばしり、会場との一体感をテレビでも感じる。
名演奏の時の演奏後の拍手は、息を吐く半拍分遅れて、一気にマックスで沸き起こる。まさにそれ。ブラボー屋でも出遅れる人がいるぐらい。「 ッ!ブラヴォ~!」圧倒された感。その後は、地響きのような拍手が止まない。
個性的で本気の音作り。最大公約数的なラインは端(はな)っから狙っていない。そこが凄い。

久々に「おぉ!」とテレビでさえ思えた。最後までグイグイと惹きつけられる。
アンコールの『マンボ』は最初の数小節で、もう客席がうねっている!『マランボ』では、ここは日本か?という客席のノリ。良いなぁ。
聴いたり演奏するのに、『かしこまり』なんていらない!という強烈なメッセージ。ドレスコードのあるあの国のあのホールではどうなるのだろう?

ベルリン・フィル相手では、流石にオケの力に余裕があり、お互いにもっと違う色が引き出せそうな可能性を感じた。今まで見たことが無いようなベルリン・フィルが、そのうちに出てくるかもしれない。

会場に行けた人は本当に一生モン。音楽はその瞬間にそこにいる人しか享受できない。
でも、テレビで見れて良かったと思っておく。それ以上は望めないのだから。


さて、翌日。

かねてより注目していた『たまごかけごはん』のお店『食堂 かめっち。』へ、朝一番に。座席数が15席なので遅くなると長蛇の列となる。

小生は弟子時代に毎朝あまりにも『卵掛けご飯』を食べ過ぎた為に、生卵のコンディションがモロにわかる体質になっていて、結構不便。
鮮度、飼い方、餌、それぞれの因果関係によるのだろうけれど……。原因不明。

ここの卵は鼻に絡みつくニオイはしない。お米(棚田米)も美味しい。見れば大きな羽釜で炊いている。
お客さんは皆、お決まりの『黄福定食 300円』をオーダーする。
ご飯、卵はお代わり自由。味噌汁、漬物が付く。「おいしいからといって、よくばっての食べすぎには注意しましょう」とは本当の事。
食べた後に、なんだか渋いお茶としょっぱい物が欲しくなるのはご愛嬌です。

ローカルならではの鮮度の良い限定素材を上手く組み合わせて、地域個性として売り出す。何でも揃うという真逆のスタンス。全員一致はあえて求めない。


個性的で、余韻を感じるものが続いたこの頃。「 ッ!ブラヴォ~」


明日の22:30は、

2009-02-19 09:36:30 | Weblog
待望の放送! 

【 ベネズエラの俊英ドゥダメルとユース・オーケストラ 】

2/20 22:30~24:45
NHK教育 『芸術劇場』


いつになるのやらとヤキモキしていたけれど。やったぁ!待ってたぜ。

予告サイトによるとラヴェルの『ダフニスとクロエ組曲第2番』・チャイコフスキーの『交響曲 第5番』ほかとなっている。

しかも! チャイ5は、あの東京公演の録音。「TVカメラが入ってたよ~」という情報に期待していて良かった。
ベルリン・フィル相手も興味深いところ。南米作品を中心にしたプログラムということは、未知の曲もあると思うけれど、あの熱狂的な『マランボ』や『マンボ』もやって欲しい。

放送後に、CD屋さんでいきなり人気急上昇とかになるかも。それぐらいのインパクトを期待。(嬉しいけれどちょっと複雑な気分になるかもね)

年末にも書いたし、その更に前にも書いたけれど、ここ最近の一押し!


勿論、放送は見るし録画もする。

素地の乾燥具合もそっちのけで見る。(霧吹きで水掛けてビニール被せとけ~~)
呑みに誘われたって行かない!(…と思う)

もうソワッソワのウッキウキ。

今日・明日は、きっと一日中ご機嫌が良いよ。
明日、この時間に邪魔されるとご機嫌悪いよ。


そこんとこ、よろしくぅ!

気分転換に…

2009-02-18 20:14:54 | 陶芸
蓋モノばかりをずっと作っていると、内向的な感じになっていくので、ココはひとつド~ンとデカイものを作るとする。

大物のロクロの挽き方も色々とあるけれど、今回は一個挽きで。
16キロの土を用意。一度に16キロを練ると大変なので8キロずつ練ってから、ひと塊にする。
あとは力技で…。

直径60センチオーバーのサイズで挽いても、出来上がり寸法は50センチぐらいか。
窯詰めの棚板の都合で、このサイズまで。

気分転換にはなった。
全く違う性質の仕事だ。


さぁ、これらが一段落したら、また蓋モノ作りの再開だな。



忙しい引きこもり

2009-02-16 11:43:47 | Weblog
う~~ん。やはりと言うべきか…。
自分の進歩の無さには、我ながら驚愕の思い。

やきもん屋稼業はもとより、お子ちゃま時分も追い詰められてから、おもむろに「何事かをせん…」という性分。既にスタイルと言っても良いほどの完成度。(威張るこっちゃない)
これまでは、火事場の集中力と体力にものをいわせて、なんとか凌いできたが…。


忙しい。


この一週間は激動だった。
徹夜仕事、泥酔、不規則な食事、朝風呂。乾燥具合を見計らって寝て…。エンドレスな仕事。ちょっと酷い。


自業自得なやり場の無い自己嫌悪に加えて、ひょっとしたら仕事に自虐嗜好があるのか?とも考えたり。
冬季鬱病…?新年のご挨拶以来、現在まで見事に引きこもり。お出かけは、箱書きと配達ぐらい。それも所用が数件溜まってからという始末。あとは仕事場。忙しい引きこもり生活。

まぁ、窯焚きが近づくとこんなもんではあるが、年齢的に鑑みて反省。もっとも反省したところで、スケジュール的に改善の余地は無いが…。20代、30代はもっと無茶だった事を考えると、まだ落ち着いた方か…。
成長してる?だったら立派じゃん!(そんな事ないなぁ。)


気がつくとチョコ業界の大売出しや身内の誕生日も過ぎていて…。

何故か、手元にシガレットチョコという懐かしのチョコレート。「随分とデザインが変わったなぁ~」と隔世の感。しかし、喫煙の習慣が無いのに何故、シガレット?

来年は知らない間に、お酒入りチョコがドッサリと溜まってますように…。


ちょっと春の息吹でも探しに、気分転換がてら家の周りぐらいはウロウロとするか。
愚犬連れて、咥えチョコで一服しつつ…。

割り木の段取り

2009-02-09 15:09:16 | 陶芸
割り木が納品された。「次回の窯焚きで少し足りないかも」と思い仕入れた。
大方は1年程前に入っている。

大抵普段は、乾いた感じのものを持ってきてくれる業者さん。今回は発注後1週間で納品されたが、真新しい。伐りたてのジトジト。かなり重い。「ん~~」


原木は夏場に切リ出すと虫が入ったり、皮が剥離したりして、冬場に比べると質が劣る。価格は同じだけれど。
今回購入した物は冬の原木。樹皮の雰囲気で判る。しかし、こんなに湿っているとは大誤算だ。こっちの勝手な思い込みなのだが。


窖窯の場合、湿気がある方が緋色の発色は良いので、一度作ると動かせない窯は設置場所には気を使う。その上で割り木の湿気が若干影響する。
個人的に『大割』は湿気があっても気にしないけれど、流石に横焚き用の細い『小割』は乾いた方が良い。

色は別としても、乾いていない割り木だと窯焚きそのもので苦労する。
温度が上がりにくかったり、熾きが出来易かったり。


最終的に乾燥が間に合わない場合は、窯焚きしている窯に乗せるという必殺技があるのだが……。窯焚き中が忙しくなるんだよなぁ。

う~ん、段取りミスで仕事量が増えるのがお気に召さないなぁ。

とりあえず、雨が掛からないように、かつ風通しが良いように並べるとするが……絶体絶命じゃないので良しとするか…。


窯場の周りをウロウロしていたら、陽だまりでオオイヌノフグリが群れて咲いている。「春ですな~」…という事は、窯焚きに向けて頑張らねば!


パーツ作り

2009-02-05 19:53:46 | 陶芸
お茶を淹れるアイテムのバリエーションは多い。
急須・ポット・土瓶・宝瓶(ほうひん)…。

目的、人数、お茶の種類によって実に様々で、なおかつデザイン性が加わると、際限なくバリエーションが広がる。

ひとつ作る為には、部品をそれぞれ作ってから組み立てる。
パーツの数は、ボディー・蓋・注ぎ口・取っ手・茶漉し…と5、6種類にのぼる。そのパーツ全てをバランスよく一発で作れると名人。
……なのだが、そうは行かず、余裕を見て多めにパーツを作っておく。

パーツの数が予定よりも多目なので、組み立ての最後あたりになると、余剰パーツが必ず出てくる。それらで組み立てると、意図しなかった偶然の組み合わせの急須やポットが出来る。
後日、この余剰パーツ製が定番になったりする事もあるので、偶然とはいえ侮れない。

バランスやサイズを厳密にしないと心地良い使用感を得られないので、作るとなると細部に気を使う。…実際、疲れる。
でも、バッチシ上手く決まった時の快感は、他では得られないのでまた作るという循環になる。


このアイテムに生涯の仕事の全てを掛ける方もいらっしゃるほど、実に奥深い。
作家によって、仕事上の満足感を得る部分が違うのだろうが…。

小生の場合は、イレギュラーがお楽しみのひとつか。


餃子

2009-02-02 20:13:02 | 料理・食材
家庭内で敗北感と達成感の無さを感じる事がある。それは餃子の包み方。
何度やっても「コレ!」という手応えを得られない。
ひとつには出来上がりまでのスピード。非常にもたつく。
そして仕上がり具合。非常に不出来。

包んでヒダを作るのが難関。
ヒダはいくつにするのから始まり…、等間隔にならず…、だんだんとムキになり…、出来具合のバラツキにゲンナリ。
後に残ったボウルを前に、汚れた手でボーゼンとする。
陳建一氏によるとヒダは要らないらしいがビジュアル的には欲しい。

細君がすると「あら、キレイ」という見事な手際。結婚した頃は同じような感じの出来具合だったように感じるが、いつの間にか差がついている。ガックリ。

手びねりで備前焼の箸置き作るなら良いんだけれどなぁ。
餅は餅屋。やきもん屋はやきもん屋。


そういえば細君の餃子の焼き方は面白く、かつ失敗しない。

包みながら、ホットプレートに並べていく。全面に並び終えてから、水に少量の油を入れたものを注ぎ入れる。半身浴ぐらい。その後で蓋をして、スイッチオン。最終的に水も油も無くなって、焦げ目が出来ればOK。

細君の説によると、「徐々に水が沸騰してお湯になり、具に火が通る。水が無くなると表面に浮いていた油で焼き目がつき、中はふっくら、皮がパリッ」との事。確かに理屈で、温度が常に上昇する。水は100度、油はそれ以上。

焼いている途中でお湯を差すと部分的に温度が下がり、折角の温度上昇にムラが出来て、その都度、出来上がりにバラツキが出るとの事。

う~ん、主婦の科学やなぁ。ギョウザの科学にも技術にも完敗。


晩酌は、自分の作った餃子に哀愁を感じつつ、焼酎にて乾杯!
(作ってもらったのが旨い…)



棒引き

2009-02-01 10:13:42 | 陶芸
ロクロ成形において、備前焼の土は一般にキメが細かく切れやすい(ヒビが行きやすい)とされている。
その為にひとつの塊から、沢山作り出すという『棒引き』という事はあまりしない。

ロクロ成形では、必要な量を団子にして、団子ひとつで素地ひとつ作る。酒盃ひとつでも同じ事。
それ故、菊練りしてから重さを測って団子を作るという作業が必要となる。他の窯業地から見ると、ひと手間多い。

棒引きは、ロクロのスピード調整をせずに挽く技術でもある。ロクロを停止することなくザーッと引けるので、たまにする棒引きは新鮮な感じ。土練りの段階でも、ロクロ挽きの段階でも断然、作業が早い。


小生の場合は、酒呑(ぐい呑)、汲出し茶碗、蓋に限定してロクロ挽きする。限定の理由は特に無い。
師匠から京都式ロクロ技術も教わっているので、馴れたもの。窯元時代では周りの方々は一切していなかったなぁ。
他の窯業地の土と違って、切り離す時にちょっとしたコツがいる。それによってキズの出る数が違ってくる。経験すれば、わかる事だけど…。


ところ変われば、技術も変わる。技術も変われば道具も変わる。
修行した地方で、技法・道具が変わるので、ヤキモノ屋同士で話していると新しい発見が常にある。
そういう事が多いのが、この業界の面白さだと思う。