ハロウィーンとか。
毎年10月になると、それなりの形のカボチャなどを見かけるけれど、いまいち馴染まないイベントである。
何故、馴染まないか?
比較文化人類学的に見ると、「まぁ、そうやろな…」と。
ある文化が他所の文化に入り込む時には、ある一定の要因が必要になる。
そのひとつに『意味として似たものがあるかどうか』というものがある。
クリスマスの定着には、クリスマスツリーの存在が大きい。
つまり日本に昔からある『依代(よりしろ)』としての木の存在がそれに当たる。
エヴァーグリーンな常緑樹にまつわる『意味』の存在。
神が寄る依代の代表的な木は、字の如く榊(サカキ)であるけれど、ご神木としてはヒノキ・スギ・マツ・ツバキ・ヤナギ・ケヤキ・クスノキ……と、全国アチコチにある。
依代をご神木としてマーキングするアイテムとして、注連縄(シメナワ)や御幣(ミテグラ)が必要になる。御幣はあのギザギザの紙。ユフ(由布)・ヌサ(幣)・シデ(垂)とかの別名もある。ヌサ(幣)は道祖神にも供えるもので、道中安全祈願や厄神退散の意味を持つ。
これらの御幣をサカキにつければ、そのまま『玉串(タマグシ)』となる。
玉串が簡略化されると『御札』として守札や神札となる。さらに携帯版が『お守り』である。
ご神木以外の寄代としては、岩、滝、人形などもあり、人形などは特に『形代(カタシロ)』として『雛流し』や『人形(ヒトガタ)』などにその意味を見て取れる。
さて、これらの神聖な木にまつわる記号はそのままクリスマスツリーに置き換わる。
すなわち、ご神木は常緑樹であるモミやトウヒの木になり、御札はオーナメント、注連縄や御幣はモール、テッペンの聖なる星は形代に置き換わる。
結果として、神のおとずれを示す装置としての『意味』は、その洋の東西を問わない事になる。
あとは換骨奪胎すれば、文化の移植は完了。
かくしてクリスマスはお馴染みのイベントとして入り込んだ。
もっとも神聖なクリスチャンの影響もあるし、商魂の成せる業もあったのは周知。
さて、ハロウィーンであるけれど、ご先祖や亡き人を怨霊の類として追い払う対象とするのは、日本のお盆の風習とは相容れない。
なので、いくらカボチャを刳り貫こうが、ナスやキュウリの牛馬とは『意味』が違うので置き換わらないという仕組み。
置き換わらなければ、文化として浸透するには時間が掛かる。
また、必要でない『意味』はダイレクトな侵入も難しい。
なので、ハロウィーンは馴染まない。
11月は西洋ではミサの時期。霊を慰める鎮魂期間である。
日本のお盆とは意味が違うので、日本では11月がミサ曲の集中的な演奏期間にはならないとも言える。
もっとも、これからは『第九』の演奏シーズン突入の時期ではあるけれど……。
これは餅代を稼ぐ日本のオーケストラの都合で始まったので、逆に西洋にその習慣はないという訳。
晩酌しながら、つらつらと……。
個人的にカボチャは、どうでもよい存在。
細君はやはり……『いも たこ なんきん』とか。
さて、11月になってしまったなぁ。
毎年10月になると、それなりの形のカボチャなどを見かけるけれど、いまいち馴染まないイベントである。
何故、馴染まないか?
比較文化人類学的に見ると、「まぁ、そうやろな…」と。
ある文化が他所の文化に入り込む時には、ある一定の要因が必要になる。
そのひとつに『意味として似たものがあるかどうか』というものがある。
クリスマスの定着には、クリスマスツリーの存在が大きい。
つまり日本に昔からある『依代(よりしろ)』としての木の存在がそれに当たる。
エヴァーグリーンな常緑樹にまつわる『意味』の存在。
神が寄る依代の代表的な木は、字の如く榊(サカキ)であるけれど、ご神木としてはヒノキ・スギ・マツ・ツバキ・ヤナギ・ケヤキ・クスノキ……と、全国アチコチにある。
依代をご神木としてマーキングするアイテムとして、注連縄(シメナワ)や御幣(ミテグラ)が必要になる。御幣はあのギザギザの紙。ユフ(由布)・ヌサ(幣)・シデ(垂)とかの別名もある。ヌサ(幣)は道祖神にも供えるもので、道中安全祈願や厄神退散の意味を持つ。
これらの御幣をサカキにつければ、そのまま『玉串(タマグシ)』となる。
玉串が簡略化されると『御札』として守札や神札となる。さらに携帯版が『お守り』である。
ご神木以外の寄代としては、岩、滝、人形などもあり、人形などは特に『形代(カタシロ)』として『雛流し』や『人形(ヒトガタ)』などにその意味を見て取れる。
さて、これらの神聖な木にまつわる記号はそのままクリスマスツリーに置き換わる。
すなわち、ご神木は常緑樹であるモミやトウヒの木になり、御札はオーナメント、注連縄や御幣はモール、テッペンの聖なる星は形代に置き換わる。
結果として、神のおとずれを示す装置としての『意味』は、その洋の東西を問わない事になる。
あとは換骨奪胎すれば、文化の移植は完了。
かくしてクリスマスはお馴染みのイベントとして入り込んだ。
もっとも神聖なクリスチャンの影響もあるし、商魂の成せる業もあったのは周知。
さて、ハロウィーンであるけれど、ご先祖や亡き人を怨霊の類として追い払う対象とするのは、日本のお盆の風習とは相容れない。
なので、いくらカボチャを刳り貫こうが、ナスやキュウリの牛馬とは『意味』が違うので置き換わらないという仕組み。
置き換わらなければ、文化として浸透するには時間が掛かる。
また、必要でない『意味』はダイレクトな侵入も難しい。
なので、ハロウィーンは馴染まない。
11月は西洋ではミサの時期。霊を慰める鎮魂期間である。
日本のお盆とは意味が違うので、日本では11月がミサ曲の集中的な演奏期間にはならないとも言える。
もっとも、これからは『第九』の演奏シーズン突入の時期ではあるけれど……。
これは餅代を稼ぐ日本のオーケストラの都合で始まったので、逆に西洋にその習慣はないという訳。
晩酌しながら、つらつらと……。
個人的にカボチャは、どうでもよい存在。
細君はやはり……『いも たこ なんきん』とか。
さて、11月になってしまったなぁ。