備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

ハロウィーンは馴染まない

2009-10-31 00:50:04 | Weblog
ハロウィーンとか。

毎年10月になると、それなりの形のカボチャなどを見かけるけれど、いまいち馴染まないイベントである。

何故、馴染まないか?
比較文化人類学的に見ると、「まぁ、そうやろな…」と。



ある文化が他所の文化に入り込む時には、ある一定の要因が必要になる。
そのひとつに『意味として似たものがあるかどうか』というものがある。


クリスマスの定着には、クリスマスツリーの存在が大きい。
つまり日本に昔からある『依代(よりしろ)』としての木の存在がそれに当たる。
エヴァーグリーンな常緑樹にまつわる『意味』の存在。

神が寄る依代の代表的な木は、字の如く榊(サカキ)であるけれど、ご神木としてはヒノキ・スギ・マツ・ツバキ・ヤナギ・ケヤキ・クスノキ……と、全国アチコチにある。

依代をご神木としてマーキングするアイテムとして、注連縄(シメナワ)や御幣(ミテグラ)が必要になる。御幣はあのギザギザの紙。ユフ(由布)・ヌサ(幣)・シデ(垂)とかの別名もある。ヌサ(幣)は道祖神にも供えるもので、道中安全祈願や厄神退散の意味を持つ。

これらの御幣をサカキにつければ、そのまま『玉串(タマグシ)』となる。
玉串が簡略化されると『御札』として守札や神札となる。さらに携帯版が『お守り』である。

ご神木以外の寄代としては、岩、滝、人形などもあり、人形などは特に『形代(カタシロ)』として『雛流し』や『人形(ヒトガタ)』などにその意味を見て取れる。


さて、これらの神聖な木にまつわる記号はそのままクリスマスツリーに置き換わる。

すなわち、ご神木は常緑樹であるモミやトウヒの木になり、御札はオーナメント、注連縄や御幣はモール、テッペンの聖なる星は形代に置き換わる。

結果として、神のおとずれを示す装置としての『意味』は、その洋の東西を問わない事になる。
あとは換骨奪胎すれば、文化の移植は完了。


かくしてクリスマスはお馴染みのイベントとして入り込んだ。
もっとも神聖なクリスチャンの影響もあるし、商魂の成せる業もあったのは周知。


さて、ハロウィーンであるけれど、ご先祖や亡き人を怨霊の類として追い払う対象とするのは、日本のお盆の風習とは相容れない。
なので、いくらカボチャを刳り貫こうが、ナスやキュウリの牛馬とは『意味』が違うので置き換わらないという仕組み。
置き換わらなければ、文化として浸透するには時間が掛かる。
また、必要でない『意味』はダイレクトな侵入も難しい。

なので、ハロウィーンは馴染まない。


11月は西洋ではミサの時期。霊を慰める鎮魂期間である。
日本のお盆とは意味が違うので、日本では11月がミサ曲の集中的な演奏期間にはならないとも言える。


もっとも、これからは『第九』の演奏シーズン突入の時期ではあるけれど……。
これは餅代を稼ぐ日本のオーケストラの都合で始まったので、逆に西洋にその習慣はないという訳。


晩酌しながら、つらつらと……。


個人的にカボチャは、どうでもよい存在。
細君はやはり……『いも たこ なんきん』とか。


さて、11月になってしまったなぁ。


ルーチンワーク

2009-10-30 08:46:35 | 陶芸
日々のルーチンワークとしてあるのが粘土作り。
原土を粉々にして水に漬けておき、充分に浸水したら篩に通して小石を取り除いて、余分な水分を抜いて使用可能な粘土とする。

その仕事の始まりは、座り込んで土を砕いているだけ。
横にはラジオがあったり、落語や音楽をボリュームいっぱいにして……、端から見るとのんびりとした光景である。
小鳥がさえずる山に、ご隠居とサダ吉の掛け合いが響いている……。八っつぁんと熊公も来たか?


現在、備前に関わらず他の窯業地でも自分で粘土作りをする人はいる。
歴史的に焼締めを背景に持つ窯業地ではその傾向が強い。そして、施釉していれば釉薬も自分で精製・調合する場合もある。

備前焼は『無釉焼締め』なので、その素肌というか表面となるのは粘土そのもの。その為『原土から粘土を作る作業』は重要な部分で、これに関する思い入れは、他の窯業地に比べてもかなり濃厚なはず。
釉薬に関してはゼロなわけだから、当然といえば当然。


物流システムが発達した現在は、ヤキモノ屋の在り方として宅配便陶芸家も充分にありだと思う。
原材料に密接に関わるスタンスを志向するなら自分で作るしかないけれど、それとは反対に、工業的に精製された材料の組み合わせだけで作るのもあり、だろう。
それらから作られたモノが持つクールさは、ある種の現代性を帯びていると思うし。
どちらが良いかは、人それぞれ。両方する人もいるし。

要は思っているモノがキチンと出来ていれば良いわけで、改善点があれば代替案を探せば良い。
窯にしても電気窯、ガス窯、灯油窯であっても、出来上がったモノが良ければ良いと思う。

問題があるとすれば、それが悪いと思いながらも繰り返し続けている場合。
それはプロ意識の問題だ。


備前焼のやきもん屋としては、今のところ『粘土を自分で作る』以外には代替案が無いというだけ。
燃料の松や雑木、窖窯(あながま)も自分にとって、より良いであろう方を志向しているに過ぎない。

備前焼業界でも電気窯・ガス窯・灯油窯を積極的に使う人もいる。
『より良いモノを作る為』にという志向で。
または、それが『コストダウンの為』だったりという場合もあるけれど……。これもまた現実。


『こだわり』にとって最大の問題は、時間との戦いである。

……という事で、やきもん屋は忙しいのです。

たとえ、朝から落語を聞いていたとしても……。



「 お~~い サダ吉や、茶の湯を持って来い~~~ 」
「 へ~~い 旦那さま~~ぁ 」

って、今日も演ってます。


あの~、落語を聴くのがルーチンワークじゃないんですよ。
きっと。 たぶん。 ……。

朝霧の風景

2009-10-28 08:08:06 | Weblog
朝霧が立ち込めている。
山の向こうは既に太陽が上がっていてボンヤリと明るい。直接、陽が当たるのはもう少しあと。
山のシルエットが薄い光を纏っている。

緑の濃淡で描かれた水墨画のようなモノトーンな世界といえば言い過ぎだけど、おぼろげで幽玄な山に神性すら感じるのは、ものがはっきりと見えないからか…。
そして、あの人工物が隠れているのもひとつの要因かも知れない。
山の上に聳え立つ鉄塔と高圧電線の姿が…、無い。


普段、目にする物で小生のお気に召さないもののひとつが、電線と電柱。
インフラとメンテナンスの利便性でああいう形になったのだろうけれど、景観的に見苦しい。
街のデザイン、住宅のパースでは省かれて描かれている事が多いように、「そこに在っても無かった事にしておこう」というお約束すらあるように思える。
電柱は住所番地の表示板、PHSのアンテナ、看板、ポスター、ピンクチラシに至るまで身に纏っているけれど……。「アレはなかったことに…」という認識。
やはり皆、どこかでアレの持つ禍々しさを感じてはいるけれど、諦めているのか馴らされているのか。


永らく住んでいた神戸の実家は高台に建っていて、窓から眺める風景は、なだらかな丘陵を下った先に海が光り、沖には淡路島が見えていた。典型的な神戸の風景のひとつだった。
日々の移ろいが島の見え方や海の色によって感じられ、『夏の潮風』も『冬の吹き降ろし』も季節のアクセントだった。

その大好きな風景の中で、かなり邪魔をしていたのが電線。しかも高圧電線が大威張り。
窓から見て常に視界に入る位置にあり無遠慮に空を分断し、冬にはヒュンヒュンと寒々しい音を鳴らす憂鬱な存在だった。

どこかで精神的に影響があったはずだと思う。
いや実際、『電線電柱嫌いキャラクター』には大いに貢献している。


電線電柱の景観問題はなかなか難しいけれど、ヤキモノ業界としては少なくとも観光地を標榜する伊部は完全に電線埋没化していただきたい。


立ち込める霧は視界をさえぎったが故に、心の中にある見えない意識を拾い上げたかのよう。

さて、陽があたって露がキラキラと光るさまも、また愉し…です。


楷の木

2009-10-25 09:42:50 | Weblog
朝夕の冷え込みが、加速度的に紅葉の赤さを増していく。
一気に色づいてきた近所の『楷の木(かいのき)』。岡山人にとっては馴染みのある木。

『楷の木』は、閑谷学校にある巨木が有名で、中国の孔子廟から大正期に実を持ち帰って植えたのが始まり。地元では『学問の木』として大事にされている。
『楷の木』が学問の木とされたのは、閑谷学校にあることもさながら、本場中国では科挙の合格者に楷で作った笏(こつ)を与えたことから合格祈願木とされたとか。
地元紙では毎年、紅葉の写真とともに見ごろ情報が載るほど関心が高い。

自宅に植える人もいて、ウチから見える所にも2本ある。ただし、ウルシの仲間なので、お肌が敏感な人にはオススメできないけど。

将来に備えて、ウチも今から植えておこうかな。まだ苗なら安いし。
もしアレルギー反応が出て、切り倒す羽目になれば縁起悪い事この上ないが……。
それで、近所の『楷の木』は全部、家から離れた場所に植えてあるのかも知れないな。


そういえば先日、閑谷学校の講堂に尖ったものでキズをつけて落書きした不届き者があってニュースになっていた。しかも、その落書きが小生の名前であったから気分が悪い。
「全国にその画像を流すなよ~」って思ったけれど、人の噂も75日。「そんなこともあったっけ?」って感じになっている。
でも、偶然同じ名前だった小生には、小さな記憶として心に引っかかったままになってるんだよなぁ。
つまらん事せんといて。


楷の木の見ごろは、11月上旬あたりです。
夜にはライトアップもされたりして奇麗。オススメ。





ムカゴ収穫も終盤

2009-10-23 17:34:23 | Weblog
散歩道の途中の所々に生えているのをチェックしているヤマノイモ。

ムカゴはちょっとずつ大きくなるので、あまり小さいうちに取ってしまうと食べられる量が少なくなる。その為しばらく待って、大きくなってから収穫するのがベター。ただし、大きくなり過ぎると自然に落ちてしまって収穫できなくなる。

最大のサイズまで待ちたいけれど、落ちるかも…というチキンレースになる。

そのムカゴも見過ごして、既に落ちてしまい収穫を逃すようになってきた。
そろそろ終りかな。


この時期は、散歩に行く時には傘を持っていく。
丁度良いサイズのムカゴが成っているのを見つけたら、その下で傘を上下逆さにして開く。蔓のあたりを揺するとパラパラっと落ちてくるのを傘の中に受けるという段取り。時々、虫が入るのもご愛嬌。

背が足りない時には傘の持ち手を蔓に引っ掛けて直接揺することも出来る。
その為には、透明な傘の方が都合が良い。

あとは傘を閉じて何事もなかったように帰宅するのみ。

晴れていても傘を持って散歩しているのが、かなり不審行動ではある。
そこが弱点であるけれど、ムカゴ収穫には便利なアイテム。


近所の木々も紅葉してきた。
クヌギなどが多いので葉っぱが茶色くなり全体的には美しくないけれど、点在する山桜、柿、漆などの赤や黄色が奇麗に目立っている。

『霜降』とは言っても、霜降りはもう少しあと。朝霧が深く立ち込めるようになってきた。

ジョウビタキも稲刈り後の田んぼの上を飛んでいる。

そろそろ冬支度。

蛸の王様

2009-10-20 23:12:35 | 料理・食材
大きな真ダコをいただきました。名残の蛸。
このところ瀬戸内の手長ダコや飯ダコを見慣れている所為か、ずいぶん足が太く感じられる。
関西人にとって、タコといえば真ダコ。『蛸の王様』です。
でも備前に来てからはデイリーなタコはその他の種類で、それぞれ楽しいヤツら。

東京の高級スーパーで『霜降り真ダコ(明石産)』というラベルを見た時にはビックリした。霜降りって……。美味しいという意味なんだろうけど。


久しぶりに刺身に引くとする。
まだ、息のある彼女(タコはオスメスが見分け易い)の足を一本頂き、まな板に吸盤を貼り付ける。足に沿って長く切れ目を入れて、そこに包丁をあてがって身を向こうへ押していくとクルクル回転しつつ皮が剥ける。太くてやり易い部分だけ皮を剥く。先の方はブツ切りにして別料理に。刺身は太いところが美味しいという事もあるし。

ジンワリとした噛みごたえにネッチリとした身。真ん中の髄からジュ~と味が出てくる。旨っ。
茹でダコをスライスしたのとは全く別物。ひと手間掛ける価値があるなぁ。
タコが生きているからこそ。ありがたや~。ありがたや~。


タコのオスメスの見分け方は、吸盤がポイント。整然と並んでいるのがメス、ランダムなのがオス。
そして、オスの足は交接器になっているので一本だけ先端に吸盤がない。
噂ではメスが美味しいというので、買う時は吸盤ビジュアル系のタコを選べば間違いない。


やっぱり真ダコが『蛸の王様』やなぁ~(by関西人)

今日は、女王様でした……。(^。^ゞ

お祭りすんで 日が暮れて

2009-10-19 17:46:49 | 陶芸
備前焼まつり終了致しました。
多くの方にお越し頂き有難う御座居ました。沢山のご意見ご感想を今後の製作に活かしたいと思います。m(_ _)m

……という堅苦しい文面は今だからこそ書けるわけで…。
昨日、帰宅した時は心身ともに疲労しておりました。メールだけチェックして、すぐに爆睡。

で、お祭り前後の流れを思い起こすと、まずは、前日は諸般の事情により準備が遅れて、結局当日の朝方までかかり…、つまりほとんど徹夜状態(1時間ほど睡眠)でお祭り初日を迎えるというハードスケジュールとなりました。

初日はお昼ご飯が3時過ぎになり、立ちながらオニギリ各種を補給。アイスクリームの差し入れで血糖値をアップさせつつ、なんとか乗り切りました。
憧れの『アナゴ弁当』は、明日へのモチベーションとなり初日終了。
自宅でビール、焼酎などを軽く頂いているうちに前後不覚に陥り……椅子からずり落ちそうになっていて、ほうほうの態で布団にくるまったと思ったら朝。

二日目。朝6時出発。通り道の水辺にガマの穂があったので、ちょいっと失敬して現場設営。いわゆる野花ばかりを活けていたので、目ざとく見つけられて訊かれる事もしばしばでした。トキリ豆(痰切豆)、山葡萄などが珍しかったようです。
やはり、お昼ご飯は3時過ぎ。淡い期待を持って飲食ブースを見てまわりましたが、既に『アナゴ弁当』の姿はなく……。悔しいので『アナゴの串刺し天麩羅』150円也を、100円にしていただき(値切ったわけではない)嬉しくも両手にアナゴを持って、知り合いの店を冷やかしつつお祭り気分を味わいました。

初日こそ怪しい雲行きでしたが天気も良く、知り合い・リピーターの方々も多くお越し頂きました。また、「ブログ見てますよ」と一言つぶやかれる方もいらしたりして、新しい交流もありました。


料理好き・お酒好きの方など同好の士が多くて愉快でありました。
こちらから「何に使うんですか?」とお伺いすると、立て板に水の如く料理名がでたり…。
「この形の酒呑(ぐい呑)は原酒をロックで呑むものである」ことを説明すると、オススメ地酒を紹介してもらったり…。
『ぐい呑を連れて呑みに行こう!』という『私的な運動』の話をして、酒徒袋を紹介すると「実は家内に作ってもらって…」という方も…。

笑いの絶えない出会いの連発でした。


さて、お祭り翌日の今日は片付け。

少し疲れが溜まるお年頃のようです。
体を休めつつ、ボチボチと夕方まで。


では、また来年に集合!~~~~ (*^o^*)/

出会い……

2009-10-15 19:54:34 | 料理・食材
『出会いのもの』というのは、旬が過ぎる『名残』と旬以前の『走り』の食材が一碗、一皿の中に一緒に盛られている料理。

今の時期でいえば、ハモとマツタケの組み合わせは定番。


さて、冷蔵庫にハモがある。しかし、マツタケがない。お互い出会えなかったのね……。

仕方が無いので、シメジを使って『擬似出会い』。
なんだかアヤシイ響きではあるが、本日はこれ。


出汁は、昆布とハモの骨でとる。薄味で。
その出汁でシメジとニンジンをサッと煮ておいて、あとからハモを入れて、ほんのシャブシャブ程度で引き上げる。
仕上げにネギをパラパラ。
食べ始めてから気付いた。ユズがあったではないかと…。まっ、よろし。

いやはや……、ん~っ、この白身っ!
そして、皮からも、皮と身の間からも、骨切りした小骨の断面からさえも、それら全てから淡い味が玄妙に滲みだすかのよう。それでいて、しっかりと口に広がる甘味…。そこへ、冷やおろし投入~~~~~!
あとは心置きなく悶絶するのみ……です。


やっぱりハモやねぇ~~。
あぁ、でもシーズン終りか…。お名残惜しゅうございますなぁ。
でも、脳裏の片隅には既にフグが浮かんでいるのも事実。
瀬戸内には小さいけれど美味しいヤツがいるんですな。これが。


出会えなかったマツタケの方は、多分、備前焼まつり明けぐらいが良いころかと思われる。今のところ近所での発見情報はない。もっとも採ってきても皆、黙っているか…。
マツタケ狩りに誘われているけれど、忙しいんだよね、実は。

次の個展のコンセプト思索段階から、試作段階へと移って、実験的な事や思いつきを形にしているところ。ラフスケッチの2Dから実際の3Dになるとイメージが違ったり…。
作っては壊し、作っては壊れ……と、はかどらない事この上ない。
ストレスが高いので気分転換もしたいけれど、窯焚き予定が決まっているので自縄自縛だし。


「おいでよ!」て、既に料理が並んでいて、お酒も添えてあれば、すぐ行けるんだけどなぁ。


とりあえず、『擬似出会い』でガマンしておこう。


備前焼まつりのご案内・2

2009-10-14 12:00:29 | 陶芸
備前焼まつりが近づいています。伊部はソワソワとした雰囲気です。
「今年は?」とのお問い合わせを受けておりますのでご案内です。


●小生は例年通りの場所です。

駅前の大通りを突き当たって、東へドンドン……。右側に出しています。神社まで行ったら行き過ぎですよ~~。
安達酒店の前ですが、今年は酒屋の看板がなくなりました。

いつものオレンジ色の幟(のぼり)が目印です。


各種イベントに関しましては、先日のエントリーとか小生のHPにも記載しておりますが、備前焼陶友会のHPを参照してください。(宿泊施設のご案内もあります)


その他、瀬戸内の物産など出店が各種あります。
ブドウ(例年はマスカット・桃太郎)、でびら、コノコ、黒豆の枝豆、黒米(花材)などなど。
去年の一番人気は、醤油アイスでした。

小生、お昼ごはんには『アナゴ弁当』を狙っております。はい。(^。^ゞ


収穫の時期

2009-10-13 10:24:03 | Weblog
周辺農家は今、収穫の真っ最中。
冬野菜の植え付けを済ませて、一息入れた段階。その合間に稲刈りが始まる。

見ていると稲刈りは、自分でせずに専門の人に頼むパターンが多いようだ。コンバインを持っていないからという理由。
コンバインは、稲刈りの時にしか必要ない高価な機械。刈りとり、脱穀、選別、わら裁断を同時にする優れものではあるけれど、実稼働時間は1年間のうち数時間。なので、自家用を所有している人は少ない。

従って、コンバインを持っていると、それだけでこの期間は仕事の依頼が来るという事になる。


感覚的には中華人民共和国の『麦客(マイカ)』のよう。
『麦客』は刈り取り専門の出稼ぎ労働者の事で、小麦の収穫が主な仕事。
小麦の性質として収穫期間が一週間程度なので、広い農地を大人数で一気に収穫しないといけない事情もあって需要がある。多くは現金収入が少ない内陸部の農村出身者。

先祖伝来の独特な形の直線鎌を持って集団で仕事をするのが、もともとあった『老麦客(ロウマイカ)』。
一方、ちょっと目先が利いた都市部周辺農家が投資をしてコンバインを購入し、人力とは比較にならない効率で稼ぎまくっているのが『鉄麦客』。

機械が人の労働力を駆逐する例にもれず、老麦客は苦しい立場に置かれている。


さて、ご近所さんの場合、苦しい立場なのは『麦客』ではなく依頼する側らしい。

面積辺りの仕事量で賃金計算して、一緒に来る他のスタッフ7人分の日当を払うと米だけでの現金収益がなくなるとか。かといって、自分一人では、出来ないし……。

残ったのは、請求書と米。
請求書分の現金は、他所で仕事をした分で補わざるを得ない。かくして兼業農家が増えるという実態。他所で現金収入が得られない程の高齢になれば、離農するしかない。
お国がらみのシステマチックな農業は、人が疲弊する。


一方で、もっと上の世代の家庭菜園を見ていると、売る事が目的で無いので、お国主導の要素もなく、静々とエターナルな営みをしている。
空を仰いで、月を見て、風を感じてやっている家庭菜園。家庭菜園と言っても元々プロ。堂々たる営農ぶり。種も籾も少しずつ採っておいて、また蒔いて…。
喜びに満ちた農業をされている。


さてさて、敷地の割には農業実績のない拙宅。周りに大変お世話になっています。
その代わりと言ってはなんだけど、色々植わっていますが…。でも、そのほとんどは腹の足しにはならない。

あとは野山から採ってくるパターンも多い。でもやはり…、腹の足しにはならない。

今はムカゴ収集が散歩のモチベーションの第一位。
夕方になると、傘を持って散歩に出かける。ムカゴ採集には傘は必携。

きっと近所の人は、晴れているのに傘を持って散歩する変なヤツと思っているに違いないが……。