窓から見える隣家の田圃を眺めつつ、ご飯茶碗を作る。
植えたばかりなのに、もう収穫後の事に想いが……。
ご飯茶碗は、日常的に直接手で扱うモノ。
なので、使う人によって要望・好みが『こだわり』としてある。
ある程度の用を足せば多少の違いがあっても、人は『道具に自分を合わせる能力(般化)』があるけれど、普段使いの『こだわり』はそれとは一線を画す。
今までのお客さんのこだわりの位置づけは『湯呑以上、丼鉢以下』ぐらいかな。
こういう『こだわり』の場面に接すると、モノがモノとして認知される為の『記号』とか『意味』を思う。
つまりは、ご飯茶碗がそれらしくあるために、『記号化された意味(要因)の』組み合わせで成り立っていながらも、同時に人によってその『度合い』に違いがあるという事。
個人的には、この度合いの『違い(隔たり)』に興味が向く。
概ねその隔たりは、『食生活の生い立ち』に関わりがあるような気がしているんだけど。
なので、ご飯茶碗への『こだわり』を伺っている時に、その人の嗜好が見えてくると面白い。
「だったら、こういう料理好き?」とか、左党ならお酒の好みも判ってきたり……。
「本棚を見たらその人が判る」とか「あなたの友人を示せ、そうすれば、あなたの人物を当ててみせよう」とか、かくのたまわれる方ほどの確証は無いけれど。
まぁ、感覚的な部分。
「あなたのご飯茶碗を示せ、そうすれば、あなたの人物を当ててみせよう」とかいう人もいたりして。(ちょっと怖いなぁ)
呑兵衛のやきもん屋には、ムリっぽい……。
ご飯茶碗への『こだわり』に対しては、密かにご飯茶碗の記号に『幅』を持たせて対応。ラインナップは4種類に整理。
つまりは、カーブ・口作り・高台・比率・重心などなど。
『幅』とは、ある程度の範囲を指すので、これが小生の『ご飯茶碗の閾(いき)』となる。
その『閾』は、小生の食環境・食生活に大いに影響されている筈。
さてさて、いずこの御仁の『こだわり』に適いますやら……。
分析はするけれど、敢えてマーケティングする必要なし!(…だと思う。)
「類は友を呼ぶ」と信じて……。
「良い!」と思うモノを作るのみです。
植えたばかりなのに、もう収穫後の事に想いが……。
ご飯茶碗は、日常的に直接手で扱うモノ。
なので、使う人によって要望・好みが『こだわり』としてある。
ある程度の用を足せば多少の違いがあっても、人は『道具に自分を合わせる能力(般化)』があるけれど、普段使いの『こだわり』はそれとは一線を画す。
今までのお客さんのこだわりの位置づけは『湯呑以上、丼鉢以下』ぐらいかな。
こういう『こだわり』の場面に接すると、モノがモノとして認知される為の『記号』とか『意味』を思う。
つまりは、ご飯茶碗がそれらしくあるために、『記号化された意味(要因)の』組み合わせで成り立っていながらも、同時に人によってその『度合い』に違いがあるという事。
個人的には、この度合いの『違い(隔たり)』に興味が向く。
概ねその隔たりは、『食生活の生い立ち』に関わりがあるような気がしているんだけど。
なので、ご飯茶碗への『こだわり』を伺っている時に、その人の嗜好が見えてくると面白い。
「だったら、こういう料理好き?」とか、左党ならお酒の好みも判ってきたり……。
「本棚を見たらその人が判る」とか「あなたの友人を示せ、そうすれば、あなたの人物を当ててみせよう」とか、かくのたまわれる方ほどの確証は無いけれど。
まぁ、感覚的な部分。
「あなたのご飯茶碗を示せ、そうすれば、あなたの人物を当ててみせよう」とかいう人もいたりして。(ちょっと怖いなぁ)
呑兵衛のやきもん屋には、ムリっぽい……。
ご飯茶碗への『こだわり』に対しては、密かにご飯茶碗の記号に『幅』を持たせて対応。ラインナップは4種類に整理。
つまりは、カーブ・口作り・高台・比率・重心などなど。
『幅』とは、ある程度の範囲を指すので、これが小生の『ご飯茶碗の閾(いき)』となる。
その『閾』は、小生の食環境・食生活に大いに影響されている筈。
さてさて、いずこの御仁の『こだわり』に適いますやら……。
分析はするけれど、敢えてマーケティングする必要なし!(…だと思う。)
「類は友を呼ぶ」と信じて……。
「良い!」と思うモノを作るのみです。