備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

10円玉をきれいにするもの

2008-08-31 23:25:56 | Weblog
はぁ~。やっと夏休みが終わってくれた。

明日から学校が始める。子供以上に親の方が嬉しいよ。まったく。

結局、夏休み大詰めのこの週末に自由研究をやっつけた。
実験っぽい事をやらせるべく、数日前から色々な話をしておき、自由研究のお題を(誘導して)自分で決めさせる。

で、テーマは『10円玉をきれいにするもの』

『酸』や『腐食』についての話は版画の時にしていたけれど、低学年では、まとめようも無いのは承知の上。
家にある色々なもので実験する。調味料関係・洗剤関係から、レモン、サイダー、ビール、梅酢、クエン酸、ウスターソース、ハチミツ、シロップ、お茶、洗剤、重曹など。結果のバランスを考えながら(これまた誘導しつつ)チョイスさせる。「全部失敗でした。」「全部成功でした。」では書きようがないので。レモンやクエン酸での結果は、知っていたらしい。

サイダーやウスターソースは『お父さんオススメ』として提案するも、信頼ゼロ。不信感一杯の顔。「仕方なく実験してあげる」という渋々の態。
でも結果をみて、本気で驚いている。してやったり。オトナをなめんなよ。へへへ。

小学校低学年に『酸』については難解なので、結論は「不思議だった。面白かった。」で終了。しばらくはこれで良いかなと……。あとは写真をペタペタと貼り付けてそれなりに仕上げる。


で、小生が驚いたのは梅酢。キレイになるのは分かっていたけれど、液に漬けた途端に、10円玉から泡が……。あっという間にピカピカ。凄い酸の力。

実験をしながら、昔、友達のアルマイト(アルミ)の弁当箱で、梅干と当たった部分が溶けていて驚いた事を思い出していた。


そういえば……。アルマイトにキャラクターを印刷した楕円形の弁当箱や、おかず入れがパッキン付小箱で箸入れが横に付く(しかも蓋でお茶を飲んでいた)弁当箱って、今もあるのかなぁ?プラスチック全盛のように思えるけれど、あれらも絶滅危惧アイテムなのだろうか……。


粘土風の紙

2008-08-28 11:12:37 | Weblog
夏休み終盤。子供たちもいよいよ宿題のラストスパート。低学年の宿題にお付き合いする。
仕事もせずに付きっきり。早よ、終わってくれぃ~。 ┐(-。ー;)┌


【案件その1-廃物利用の工作】
・今更に廃物を見つけてきて、あれこれ考えるのはヤメ。(時間が無いし)
・シンプルに作って、廃物感をアピールする。(時間が無いし)
・塗装などはあえて部分的にして素材感を残す。(時間が無いし)
・手間のかからない製作方法で作る(時間が無いし)

…で、新聞紙を細かく裁断し水につけて、でんぷんノリと混ぜて『紙粘土』っぽい材料を作る。「それを使って……、子供の身近なアイテムといえば…」という事で、鉛筆立てをチョイス。ここまでの作業は実に素早かった。
バケツの上で紙を切り、漬けた後はザルにあけて、ビニール袋へ。その中にノリを注入して、棒で殴って混ぜる。手で揉み揉みして完成。


横でアドバイスしながらの作業となる。備前焼の土ひねり体験などで教えた事があるけれど、今回は可塑性の無い紙粘土なので、いつも以上に難関。紙粘土とは言いつつも粘土風の紙のかたまりに過ぎない。

一人で作るのは無理。手伝って、円筒形に積み上げるものの小学生オーバーの技。あまりにも…という事で、紙の筒を立てて貼り付け工法で作らせる。レリーフ状の模様をくっつけて、接着面のケアだけを手伝い。
後は乾燥したら色を塗って出来上がりの予定。

ところがここ最近、雨続きで乾燥が悪い。果たして乾燥は間に合うのか。
最終的に自然乾燥が間に合わなければ、ドライヤーですな…。


なんだか窯詰め直前の仕事みたいな雰囲気になってきた。
「親子って似るもんやなぁ~」と実感です。




浮世絵の美展

2008-08-24 23:02:13 | Weblog
所用があって岡山へ。ついでに色々と懸案事項をこなしつつ。
本日で終了の展覧会を思い出したので、県立美術館へ。
『浮世絵の美展(千葉市美術館所蔵)』

有名どころの揃い踏み。ならびに鑑賞オススメのものも。既視感たっぷりの作品多数。

最終日という事もあってか、凄い人出。壁沿いにノロノロと渋滞中。当然付き合いきれないので、その人垣の外側から肩越しに鑑賞。


芸術作品と捉える向きが多数なのだろうけど、印刷(版画)の技術としてみる。

よくある一枚の紙への版画だけでなく、本(絵草子)に閉じたものも興味深い。
袋に閉じて製本するので左右で違う絵の版木を使ったり。(元は一枚の版木か)
絵柄としては当時の三美人、山本勘助討死をしげしげと…。

こうしてみると今のマンガや広告デザインの有り様は、脈々と受け継がれている。この辺りまで展示していただければ、より繋がりが俯瞰できて良かったかも。リキテンシュタインやウォーホル、明治の双六どまり。

かつて梱包材として使われて海を渡った浮世絵が、ヨーロッパで美術的価値が見出されたように、日本の現代美術や映画が海外で受ける構図も同じ。価値観の逆輸入。村上隆のスーパーフラットの概念も他の分野へ影響を及ぼしつつある。

資源の無い国・日本=コンテンツ大国・ジャパンの側面に期待して美術館を出る。


街路樹の『フウノキ』が、歩道に濃淡のある影を作っている。「この影の風景を切り取っていけば、一枚の絵だな。」と早速影響されてみる。

日中でも日陰は涼しくなった。

鯛の押し寿司

2008-08-22 00:44:24 | 料理・食材
なんだか最近は料理ばっかりしているみたい。

鯛(天然)を頂きました。アリガトウゴザイマス。
周年(一年中)美味しいといわれる鯛。『魚偏に周く』で鯛。今時分は脂も少なくさっぱりとしたところ。生ちりは先日やったので何にしようか…。


夕刻にばらして、昆布締めにして冷蔵庫へ。この日はワタリガニとの格闘に終始する為、鯛の賞味は翌日へ延期。置いておくなら美味しくしておきたいので、昆布締めにするという段取り。
翌日の昼に押し寿司を仕込みたいところだったが、押し寿司の箱が無い。ん~?。

仕方が無いので、その辺の容器へギュウギュウに詰めて、引っくり返してお尻をポンっ!やれば出来るじゃん。でも、イマイチ押しが足りない。まっ仕方なし。
ばらしてから都合一日後に鯛の押し寿司を頂く。

寿司飯に紫蘇、ゴマを混ぜ込み、鯛の下に山椒の葉を散らして……。香りと昆布の風味が、白身の淡白さに彩りを添えている。醤油もいいけど、昆布の佃煮と一緒でもいい感じ。


「早く食べたい~」と思って大慌てでセッティング。器の盛り付けように余裕が無い。反省ですな。

先日のカンパチはヒラマサの間違い。子供に指摘された。これまた反省。


カンパチの生ちり

2008-08-18 01:08:38 | 料理・食材
幼い頃、夏休みに親類宅に遊びに行くと近くに大きな公園があった。夏のことなのでセミが沢山いる。あまりにも大量に採集出来るので、虫籠がギチギチになるほどセミを詰め込んでいた。
これがお盆になると、「殺生はダメ」と職人気質の親類にきつく言われて、セミ採りを自粛せざる負えなくなっていた。これが子供心に辛かった。なにせ普段は街中に住んでいたので、大量のセミは宝の山。宝を目の前にして、眺めるだけ。

それから数十年後の今年。

その職人気質の親類がお盆期間中に釣りに行った。夏のことなので、あまり釣れない。なので、海の釣堀りへ。あまりに沢山釣れたので、クーラーボックスにギチギチに詰め込んでいた。
「お盆期間中の殺生は……」というのは何処へ行ったやら。釣りの自粛もせず、子供のようにウキウキご機嫌。釣堀りは宝の山。宝を目の前にして、ひたすら釣るだけ。


子供の頃の怨み事はさておいて、カンパチ、タイを頂いた。とれとれピチピチ。
早速ばらして戴くとするも流石にカンパチは大きい。

お刺身にするも普通に醤油では、夏場はなかなか箸が進まない。そこで、『生ちり』で。
二杯酢を薄目の出汁で割って土佐酢を作る。薬味は、蕎麦用に置いていた辛味大根の大根おろしとネギ、七味唐辛子。

醤油だけでは食べるにつれて塩気でしんどくなるけれど、これならスイスイ、パクパク。あっという間に無くなった。

お酒は郷の誉(純米吟醸・雷神無濾過生々)で。これが超辛い。店では+10と書いてあったけど舌の上ではそれを上回っているように感じた。大根おろしとの相乗効果か。


という訳で、暑さを吹き飛ばす、かなりパンチの効いた『カンパチの生ちり』となりました。
暑気払いですなぁ。

箱書きの日

2008-08-17 20:45:24 | 陶芸
お盆もボチボチ終了。

現住所が地方で実家が都会なので、世間の皆様とは、およそ逆の移動方向。車で移動するも渋滞とは無縁。逆車線の渋滞を大いに同情しつつも少々の優越感で横目に見ながらの移動。とはいえ、ピークを避けて帰宅する。


今日は、日がなユルユルと箱書き三昧。時々手を止めて、高校野球とオリンピック観戦もしつつ。

墨を磨って字を書き、印泥にて印を押す。その後、梱包。薄用紙、共布、紐、掛紙…。字を書いて後が手間が掛かる。そんなこんなの着物を沢山身につけさせて、世に送り出す。「可愛がってもらえよ~」と思いながら…。日本人の風流なところですなぁ。

しかし、昨今の物価上昇がジワジワとイロイロなところに及んでいる。あれもこれも価格が上がる。ヤキモノの着物もジワジワと……。風流もつらい。まぁ、一点当たりで見ると些少ではあるけれど。
ただ仕入れは、ある程度のまとまった量になるので、支払い時には一瞬「エッ!…」と思う事もある。


さぁ、明日からは本気モードで仕事じゃ~~。

世間に負けず、風流な心を忘れずに参りたいものです。

焼き茄子

2008-08-12 21:54:53 | 料理・食材
夏野菜がジャンジャン食卓に上がるものの、消費ペースと生産量のバランスが崩れている。完全な供給過多。
キュウリに至っては炒め物、スープ、キュウリ麺かという程大量の冷麺のトッピング。それでも収穫が間に合わずに種が出来ている。

ナズビは料理のバリエーションが多い食材なので、キュウリほどの珍メニューの登場には至らない。


タイミングが合えば『焼き茄子』を仕込む。

お昼ご飯の後に、外で炭を熾す。
ナズビのお尻の方から箸を突っ込んで、穴を開ける。これがポイントその1。焼けるに従って水蒸気が出てくる。皮を破かないように注意。その為の煙突。
全体が半分ぐらいの大きさになった頃が良い焼き加減。既に真っ黒コゲだ。
しばし冷まして、皮を剥く。この時に水を使わない事。これがポイントその2。一箸ごとに裂いてバットに並べ、出汁を張って冷蔵庫へ。

夕刻になると冷えた焼き茄子の登場となる。削り節、ショウガを添えて…。
出汁が良く染みつつもトロッとした食感の焼き茄子。冷えたところが身上ですなぁ。

手抜きポイントは沢山あるけれども、旨く作るためには手を抜かない事。きちんと、ちゃんと。愛情が全ての料理。量の割には時間が掛かるのが欠点か。


「自分用に」と思って作るけれど、いつも子供達にさらわれる。

しかし……この暑い時期に、昼間っから炭を熾すとは……。我ながら酔狂な。

立秋でも夏

2008-08-10 08:41:42 | Weblog
立秋とはいえ、日本各地で猛暑日連発。

確実にセミは夏を主張しているし、日差しも気温計も夏を裏切らない。

それでも、つい数日前に窯焚きに行った先は、山の中腹という事もあって夜中になると結構涼しかった。

しかも、山あいの窯場で、漆黒の闇の底からスズムシの音色が…。パチパチと割り木のはぜる音と交ざり合いながら…。淡々とした作業ながらも「なんだか良いねぇ~」という風情。
時折、遠くの瀬戸内の海に光る稲光が山の形を浮き上がらせる。


朝焼けが見られる頃になると、スズムシは次第になりを潜めて、しばし鳥がさえずり……。爽やかな山の空気を深呼吸……。と、思う先で、いきなりセミ!セミ!セミ!

ヒグラシから始まって、ツクツクボウシ、アブラゼミ、ミンミンゼミ。
日が高くなると、それに加えてクマゼミがシャカシャカ、シャンシャンと圧倒的声量で、窯場を包囲する。


やっぱり、まだまだ夏。

でも、コスモスが咲き始めました。

コムラサキシキブ

2008-08-06 10:54:41 | Weblog
初夏の花がそろそろ終り、また盛夏の花が咲き始めている。
まだ咲いていたコムラサキシキブ。順番に咲いていくので結構長く花をつけている。

すでに咲いている花は枝先だけになっていて、元のほうは実の形が出来ている。
花は小さく、気がついた時には良いとこ取りして活ける。でも咲いている事を見落とす年も多い。

これが秋になると鮮烈な紫の実をつける。自然の中でこれほど目立つ色は無い。鳥についばんでもらうには最高の色。good job!
花材としてもあちらこちらで急にもてはやされる。でも水揚げが悪くて、実は落ちないけれど、葉っぱがすぐにクルクルのショリショリ。(関西人はオノマトペがお好き。)

学生の頃に、ホンの真似事程度に習ったお花でも花材としては出なかったような気がする。花屋さんの都合かな?


花材といえば……、町行くお姉さま方の中に、お花のお稽古帰りという『いでたち』を見る事が極端に少なくなった。お花を入れる独特なバッグ状のものがあるので、すぐにそれと判るハズなのだが……。

住空間やライフスタイルの変化との関連が大きいけれど、文化を大事にしないと。華道なんて日本ぐらいだし。(というか、日本人は『道』がお好き。)
同時に新しい『何か』を考えるのも必須。

そういう意識ある生活が、日常の中の漣(さざなみ)となって人生を楽しくする。……という言い回しは、もはや言い尽くされた感があるなぁ。でも事実。


床の間に絵や写真を飾っても「美しければいいじゃん」というリミックス。そうやって和をリバイバルするのも『あり』と思う。だから華道も変わらなきゃ。
あっ、それがフラワーアレンジメントか。


翻って小生は……、伝統の形からオリジナルまで、(つまり、今の在庫的には『矢筈耳付花入』から『透かしのハンドバッグ』まで)、『花入』『花器』も幅広く作っておりますわよ。 オホホ…。(点数は少ないけどね)


思い在りて、思い無し

2008-08-05 10:55:20 | 陶芸
ここ最近は、ひたすら削っている作業が続いています。

既に作り始めているものの、ロクロを使っていません。手びねり&削り。作業量に対して仕上がり点数が極端に少ない製作方法です。
作業中はひたすらに同じ動作の繰り返しになるので、自然と自分の内側へと関心が向いていきます。

傍目から見ると一心不乱ですが、心の中は……。『無心』ではなく漠然と取り留めなく湧き上がってくる雑多な発想に、身を任せている感じです。ひとつのテーマを深く考える事もあるし、延々と連想をつなげている時もあります。『思い在りて、思い無し』の状態。

手を動かしながら、湧き上がる連想は、覚醒しながら夢を見ているような感覚で、脈絡の無さと非現実的な浮遊感が面白いものです。視点が自由になり、新しい何かが生まれては消えていきます。


……これは『可逆性』でありながらも、精神分裂病(今は統合失調症)に近い。または幼児がえりか。

アチラに行ってしまって、戻ってこれなくなると世間の尺度によって病名がつきます。現実世界に戻ってきて社会生活が送れるから健常の範囲。
そんな感じで、外側(社会)の『現実』と自分の中の『非現実』とを行き来しています。


こういう作業から見出された『心象』をモチーフに作品を生み出すパターンは、あらゆる分野で多いけれど、大事な事はそれを伝達・翻訳する技量とセンス。工芸では尚更の事。


だから、ヤキモノを作る小生は、ここでは書かないし、書けない。

今は目前のヤキモノを作る事が、自分への至上命令だ。

さぁ、今日も削ろう!(今日は何が去来するだろう?)