備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

ちから×ちから

2007-04-29 01:23:41 | 陶芸

普段は、ロクロは座ったままで仕事をするけれど、大物製作では最終的には立ち上がる事もある。立ち上がって、手をいっぱいに伸ばしても、底に手が届かない事もある。

大きなものを作る時は、小さなロクロでは回転が止まってしまう。なので、低速で力が強いロクロが必要。備前では『シンポのRK-1X型』 を使っている人が多いかな。人馬一体というけれど、ロクロの力と自分の力が一体になる必要あり。ちなみに小生も『RK-1X型』

信楽の陶芸の森で外国人ゲストアーチストが、ロクロの周りに足場を組んで、大物の製作していたのを見た事がある。あれは凄かった。人もさることながら、ロクロが回っていたもんなぁ。


『ちから』と言えば……、土練機(土を練る機械)を使っていないので、ロクロ成形よりも土練りの方が体力を使う。昔の人々も当然、機械化していないので、体力勝負は仕方なし。しかし、土練機がない昔でも助手はいたかも……。

土を練る間にイロイロと想いが湧くが、途中からそんな雑念は消える。そのまま、コンセントレーションを高めて、「いざ!」と言う事はなくて……。一息ついて、コーヒーを飲んで、落ち着いてからロクロをする。20代の頃は、すぐにロクロに座れたんだけれども。寄る年波か……。

いやいや、製作とは、『ちから』だけではないと言う事かも。

 


ヤキモノ……タケノコ

2007-04-25 20:00:30 | 料理・食材

拙宅の前を猟師さんが通る。聞くところによると、今年はイノシシが獲れなかったらしい。と言う事は、竹林の中もイノシシの害が少ないのでは……と思い、見に行く。なるほど、所々にタケノコが顔を出している。例年ならば、ブルドーザーが通ったかのような無残な光景になっているけれども、今年は良い感じ。

夕刻、炭をしっかりと熾してから、クワを手に出陣。
目をつけておいた数本を速攻いただきっ!太いものは、鍋へ。細いものは炭火の上に。

七厘のタケノコから、ほのかに蒸気が上がる。ゆっくりと火を通して、皮が焦げるまで焼く。軍手越しに握ってみてシンナリしていたら出来上がり。素手ではヤケドしそうなアッチッチの皮を剥ぐ。良い香り。ワサビと醤油で頂く。

根元は、わずかに抵抗感がある歯ざわり。ホッコリ甘く、しかし、芋のそれとは違う。後口が爽やかで、軽い。
中間部分は、タケノコのしっとりとした香りが凝縮されている。やや根元側が一番美味しいか。
先っちょは食べんでも良かろー。
たまには、こんなワイルドなのもいいかな。


壇一雄が『壇流クッキング』で、最も野蛮なタケノコ料理として……、
竹林の中で、掘り取った瞬間に根元側から穴を開ける。生醤油を流し込んで大根(人参も可)で栓をして、焚火に放り込む。醤油の代わりにヒシオかモロミも良い。……と書いている。
次回は、壇流でやってみるか……。

あとは、イノシシに奪われないように、拙宅の愚犬に見張りをお願いしよう。


相棒はオカマちゃん

2007-04-23 13:24:45 | 陶芸

かれこれ付き合いは、10年を超えた。窯元に就職した時からの付き合い。
初出勤の前日に、岡山市街のプロ御用達の金物屋さんで購入した。店のお姉さんが、ご飯を炊くときの注意点を細かく教えてくれたが、蓋は不要の旨申し上げると、かなり怪訝な顔をしていた。説明しても、ややこしいので、思わず「ウチにあります」と言ってしまった。

窯元という所は、自分の道具を持ち込んで仕事をする。「粘土とロクロ以外は全て自前!」と、勇んで出勤した。ところが、そんな人間は始めてだったらしい。と、後で気がついた。
まっ、就職条件の『大人の事情』もあって、ちょっと気負ってたのかも。


オカマちゃん(羽釜)は、ロクロをする時に使う。手を濡らして、粘土との抵抗を減らして仕事をする。その為の、手桶。
この水引き作業で、手についた余分のドベ(泥)を拭う時に、羽釜は実に役に立つ。羽釜の口部分で、片手だけでしごくように落とす。内側にちょっと出っ張る形状が便利。でも、焼物屋の皆が使っている訳ではない。人によっては、木桶、たらい、燗風呂、洗面器……形、素材は、人それぞれ。茶道具の灰器を作って、それを転用している方も。

更に、羽釜が良いのは、冬場は下に電熱器を入れて暖められるという点。水が冷たいとロクロする気になれんし……。あとは、丈夫という事か。

という訳で、備前では『羽釜シェア』は高いのではないだろうか。……という印象。


さぁ~。これからブンブン、ガンガン、仕事しよ。
ヨロシク!オカマちゃん。

 


アケビの風情

2007-04-21 23:49:54 | Weblog

散歩の道すがらは、野の花、山菜を見つけるべく、地面に目を配って歩いている。最近の収穫は、ノビル、フキ、ワラビ、ヨモギ……。

山道の陽だまりで、頭上の枝越しに空を見上げる。木漏れ日に透かして、春風の中でアケビの蔓が揺れている。瑞々しい若葉に隠れて花が咲いていた。なんとか手が届くひと蔓を切って、ブラブラさせながら帰宅。
掛花入に挿しておく。ボンボリのような可愛らしい花。地味な花なので、山にあるときは気付きにくい。

秋になると、かなり目立つビビットカラーの実がなる。「食べてくれ~」と自己主張するその実は見つけやすい。
見つかりたくない『花』と見つけて欲しい『実』。それぞれに事情があるという事か。


それにしても備前焼には、野の花がよく映える。しばし長持ちして欲しい風情。


赤貝の目跡

2007-04-18 19:21:20 | 陶芸

釉薬が溶けて、器から流れ落ちてしまうと棚板や窯床などと溶着してしまう。
その防止の方法として、『目土』という耐火度の高い土を団子状して、数箇所で支え浮かせて窯詰めをする。その部分は、直接火に当たらない為に景色となる。丸い痕跡なので『目跡』といわれる。古今東西で見られる方法。

その目土の代わりに、貝を使用する産地、時代がある。万一、流れた釉薬が引っ付いても、焼いた貝は水につけるとバラバラになって、キレイに剥離する。更に言えば、その貝に、筋状の条線があれば、模様になるという結果。


小生の知る限り、古い備前焼に『貝の目跡』は見られない。

ワラを使った溶着防止の方法(ヒダスキ)があったからだと思う。作品を積み重ねた痕跡に、「これでもか~っ!」というぐらいヒダスキのある古備前は多い。手に入れやすく、使い勝手が良いものを使うのが、今も昔もナチュラルな発想。


で、現代に生きる小生。
『貝の目跡』は、個人的には使いようだと思っている。窯詰めの工夫で、かなり楽しい結果が得られる。それで、使ってきたのが、赤貝、サルボウガイ、アラメ。次回は、スーパーマーケットでお手軽に入手したニューフェイスが登場。


牡丹餅(ボタモチ)という景色も、意識的に作る昨今。
貝の目跡もその伝、という訳。


芽生え

2007-04-11 19:06:11 | Weblog

タラは美味しい。
日当たりが良い場所を好むので、見つけやすい。おまけに特徴的なトゲがあるので、冬でも見つける事も出来る。冬枯れの山道でその木を見つけておいて、春になって採りに行く事も可能。

ただし、新芽がその木の生命線なので、採りすぎたりして負担をかけるとすぐに枯れてしまう。自家用に見張れる場所にある木は、1番最初の芽を必ず採り、枝を出させる。放っておくと真っ直ぐに伸びてしまい、手が届かない高さになってしまうので食べながらも育てる作戦。今後の事も考えながら。


毎年見張っている木から新芽が出た頃に、我が家の子供の入学式があった。

身を守るトゲトゲをいっぱい着けて、その若く柔らかな新芽を そ~っと もたげていくタラ。
なんだか我が子のスクールバスに乗り込む緊張した面持ちと真新しいランドセル姿とが、小さな新芽とオーバーラップする。

春は、芽生えの季節。か。
「頑張れよ~」


山笑う

2007-04-04 19:46:26 | Weblog

山が色鮮やかになってきた。目立つのは大きな山桜。そして、あちこちに散らばるツツジ。

我が家から続く裏山は、荒れ放題のヤブになっている。しかし、想像力を働かせると、人が住んでいた痕跡が見える。
畑にしていたらしき平地。崩れた土留め。そこだけ違う植生。湧き水のある窪地……。
そんな事を観察しながら、散歩すると思わぬものを見かける。今一番わかりやすいのが、山の中に突然ある果樹の大木。他人の土地なので、ウチには縁が無い……きっと、あの実は酸っぱいハズだ。(byイソップのキツネ)
ウメ、モモ、ビワ、クリ。鳥や動物が運んだとは説明できない果樹林があったりする。藪の中に咲くビビットカラーのモモの花を見ると、なぜかしら「栄枯盛衰、諸行無常」という言葉がよぎる。

ウグイスが谷一杯に声を響かせている。
コジュケイも鳴いている。「チョットコイ、チョットコイ」。「お前が来い!」といつも思うけれども……姿は見せない。

その中で、「徳利ひけたかっ!」という叱責にも似た鳴き声。
その正体を探すと……。 いたっ!木の一番高いところに小さな鳥。よく見ると モズだ。
ホトトギスの真似をしている。

それを言うなら「テッペンカケタカ」ちゃいますか?
それとも、そう聞こえる小生に、「なにか問題でも?」

山は、すっかり春です。