備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

ロクロしながら脳内与太話

2016-02-15 12:43:07 | Weblog


絶賛引きこもり中です。しかも珍しく(!)ロクロ三昧。
スケジュール的にはヒリヒリしていますが、今週は2回ほど外出案件もあるので更にヒリヒリが加速しています。そんな感じの日々。


ちょっとオカルトチックな話で恐縮ですが……。(いや心理学的には説明できるものなんですが)

多忙になる程に集中力の高まりがトランス状態といいますか、動作はオートマチックに進みつつも思考は身体を乖離した感覚が出てきます。疲れで感覚が鈍くなっているのとは異なって身体性の一致がありません。
現実でバタバタ動いている自分を俯瞰した位置からフワフワ漂いつつ客観視している自分。アチラともコチラとも言い難いながらも同時には意識されない人格。可逆性のある多重性を感じます。
このフワフワした自分は現実の自分の周りにいますが、眺めているだけでなく不思議と別の作業もしたりします。
特に文章やアイデアを纏める作業などは、要件やプロットを与えておけば、いつの間にか形にしています。ただし、いつまで経っても頭の中にしかないのでアウトプットは現実側がしなければいけません。勝手に小説とか書いて芥川賞でも取ってくれれば良いのに。もしくは電脳化か。


そんな感覚が最近また。

ロクロしながら、なんだかなぁ。無我の境地ではなく『思いありて思いなし』という状態である。


テーマは、『胸騒ぎ、第六感、虫の知らせ、引き寄せ』などのようです。
勝手にアチラ側(今は現実側で文章を書いているので、フワフワしたのがアチラ側)が考えた結果なので現実側が整理整頓しなければなりません。今はその時間がないので整理しませんが備忘録として……。


『人は体験を繰り返す事によって、容易に反復再現できるように『学習』という仕組みを持ちます。スポーツや計算問題などはその例です。その学習を促進するものが『強化』です。報酬や罰とも。
人は2つ以上の出来事の間に脈絡なく関連性を思いついた場合、その原因と結果を都合良く結びつけ、更に強化があれば強く学習される事になります。それが胸騒ぎ、第六感、虫の知らせ。
不整脈、一時的な血圧上昇、体感温度など単なる身体的要因と全く異なる別の案件が結びついて学習された状態です。
逆に言えば、昨今の引き寄せも強化に対する意識の仕方です。見過ごしや思い込みを如何に関連させるかさせないかという学習であり、成功体験を強化とした学習です。

「人は自分が見たいものを見たいように見るもの」なのです』


というような事をらしい。アウトプットするには説明不足だしアチラ側だけでまだグルグル論じている段階。(←書く必要も無いけれど、きっとコチラ側の引きこもりの反動だろう)


ただ、この原因は思い当たる。多分、玄関先のカマキリの卵である。
『カマキリの卵が低い位置に産み付けられている年は雪が少ない』という説が根拠ない俗説であるという事を思い出したからだろう。


さてさて、現実のコチラ側は形あるモノをアウトプットせねば……。






























ひいらぎいわし

2016-02-01 10:51:00 | 陶芸


民間信仰の魔除けとして、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺して、門柱や戸口に掲げる風習があります。

これは「鬼の嫌いな鰯の臭いと柊の棘で鬼を退散させる」という信心からくるもので、まさに『鰯の頭も信心から』ではありますが、邪気・厄難を払い、ひいては家内安全・招福万来を願う縁起物です。

関西圏では節分によく見られる光景ですが、本来は一年を通じて掲げておくもので、節分毎に新しいものと更新します。私見では関東には少ないように見受けますが。


さて、備前焼の『ひいらぎいわし』。


そもそもこれを作り始めたのは……、(以下、回想シーン)


学生の頃に、全国津々浦々ウロウロとしていました。日本中の工芸を見ようとしていた頃です。
ある冬の小春日和の日に、伊勢神宮から和歌山まで海岸線を移動していた時の事。リアス式海岸のカーブを曲がるたびに小さな集落と港があるような道が続いていました。かつての交通としては船の方が便利だっただろうと思われる地域でした。

晴れて凪いだ海に面して数え切れないほど道を曲がった先にあった自動販売機。横にある日溜りのように取り残されたバス停留所に座って、100円で買える温もりに手を暖めていました。(←尾崎世代)
その目線の先にあったのが、件の『ひいらぎいわし』でした。穏やかな海からの柔らかな照り返しを受けて、そこに静かに在りました。おそらく、ここに座らなかったら見過ごしていた小さな存在。

しかし、関西で見るものとは異なり、イワシ一匹にヒイラギの枝を咥えさせて玄関先に釘で打ち付けてあります。見渡せば各家屋の戸口に同じようにありました。どれもカラカラに乾燥して猫も関心を示さない程の干物状態。
節分の『ひいらぎいわし』は知っていましたが、このスタイルは初見。

堤防で日向ぼっこの古老に、このイワシの謂れを尋ねると「くぁwせdrftgyふじこlp……」と満面の笑み。

え~~と、困ったな。聞き取れない。
笑顔で別れてからも気になって、その後も出会う方々に訊ねる。話を纏めると『一年中吊っておく魔除け』と判りました。なるほどなぁ……。


そんな事をすっかり忘れて幾星霜。(回想終わり)


それが、2013年の展覧会『備前陶心会展』でのテーマ『角(かく、かど、つの)』のタイミングで、ふと思い出しました。

思い出したのは、連想であって、『角』 → つの → 鬼 → 角大師 → 魔除け → ひいらぎいわし → 鬼払い → 角 の順。

「ふむふむ、焼き魚なら……出来るな」という事で作りました。もっとも彼の地で見たものは干物でしたが。

近所のスーパーで一夜干しのイワシを買ってきて、それをモデルに一匹づつ作りました。
これが反響が良くて、受賞して、更に後日完売。
その後も作ると、開店お祝い、新築祝いなどにセレクトして頂くようになり、すっかり定番化しました。


今になって思うと、備前焼としては細工物の流れを汲むモノであり、備前の面する瀬戸内海は小魚(イワシ)が捕れる地域柄であり、瀬戸内エリア発の縁起物アイテムとして『ひいらぎいわし』は良いような気がしています。


と、いう事でっ、『一家に一尾、ひいらぎいわし』を是非。

陶製なので腐りません!! しっかり焼いた焼イワシ。なのに腐らず長持ち、無味無臭。一年通じて玄関先で邪気払い、365日24時間家内安全。メンテナンスフリーな縁起物オブジェです。

夢は、招き猫レベルまでの全国知名度達成です。皆様よろしくお願い致します。


以上、コマーシャルでした。ちゃんちゃん。Ψ(`∀´)Ψ