備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

今年もあと僅かです

2007-12-31 18:52:15 | Weblog
今年もあと僅かです。
今年は……、初めての事が多い年だったなぁ。


掃除しながら、認知心理学の授業を思い出していた。

それは、人間の脳の記憶の仕方について。
記憶とは、丸ごと出来事を覚えている訳でない。記憶領域で認知した事を分割し、似たような事は取りまとめて同じフォルダに入れてしまう。データを分割、圧縮するという作業をする。
そして思い出す時には複数のフォルダから取り出してきて、統合する。
結果、ひとつの関連付けされた記憶として蘇らせる。
『分割圧縮と統合』が記憶の仕組み。


デジャビュ(既視感)とは、これによって起きる。未経験なのに、既に経験した事であるような錯覚は記憶の仕組みによっておこる。今の経験と過去の似た記憶が結びついてしまう脳の仕業。
また記憶は、夢の構造にも関連があって、あちこちのフォルダを開く組み合わせで不思議な夢を見る事になる。


その授業で……、
「大人になるほど、何故一年が経つのが早いか?」というテーマがあった。

それは、似た記憶は圧縮されるという事につながる。毎日、同じ繰り返しの行動(通勤、ルーチンワーク……)をすると、脳は同じものとして記憶する。その結果、記憶量が小さくなる。数日、数ヶ月がひとつのフォルダに入ってしまう。
反対に、子供の頃は毎日の発見が多い。毎日のサプライズの蓄積で、記憶量が多い為、一年が長かったという記憶になる。
つまり、『時間の感じ方は記憶量に影響される』という仕組みに由来している。

「大人になるほど、何故一年が経つのが早いか?」
「同じことを毎日繰り返しているから。」というのがひとつの理由。


で、今年のように『初窯を焚く』という事は、充分に新鮮な記憶なので、充実感と共に一年の記憶がしっかりと出来るハズ。
なんだけど……悲しいかな。最近モノの名前がパッと出てこない事も。
う~む。やや不安。


さて、忘却と記憶。
将来、年齢を経た時にどちらが優位になって、どれほどの『今年の記憶』を残すだろうか。


とりあえず、今年もあと僅かです。


ウチの青備前~器中に天は在るか?

2007-12-27 10:37:42 | 陶芸
今月上旬に焚いた窯の作品を磨いたり洗ったりしています。
今回は還元焼成でもあり、いつもの酸化焼成とは一味違った面白さがあります。

一般に鉄分が多いといわれる備前の粘土ですが、鉄分含有率は青磁釉のそれと似たような数値です。原土によって違いがあっても、その程度です。これと焼成条件との組み合わせで、青備前が発色します。
青磁の発色が難しいと聞きますが、青備前も安定させるとなると実に大変です。
今回も、薄青から黒まで様々でした。そのばらつきの許容範囲はイメージの問題。


登り窯では窯焚き一回あたりの『青備前』は、かなり少ない数です。専用の小窯を作ればもっと数を出す事は可能です。どちらが良い悪いではなく、何を目的とするかという意図の問題。今回の窯焚きでは、全般的な還元焼成なので窯出し数が限られています。


「青備前」というと大抵のお客様は、ツルツルと滑らかでキメ細かな仕上がりをイメージされています。これまで青備前(細工物・茶器)は、確かにそのような水簸(スイヒ)土を使って製作されています。緻密な硬質感で上品な雰囲気を持っています。

さて、小生作の『青備前』ですが、水簸土ではなく山土系の粘土での焼成です。
全体に星が出たように白い点が散っています。これが多すぎると、うるさくなる。その分量のコントロールがポイント。

ツルツルした青備前とは印象が異なり、ちょっと緩やかな表情。
家の晩酌には、緊張感を持って対峙する器は疲れる。だから、穏やかさが欲しい。でも、華やかさも欲しい。そんな『青』。

もっともTPO次第では、そういう緊張感ある器も必要。(実際、作っているし)。 今回の『青』のテーマは、それではないという事。


酒器ならば、モノトーンな空間に点在する『星』が酒に揺らぐという愉しみ。
『壷中在天』ならぬ『器中在天』となれば……。

また、山土系は使っていくうちにかなり変化していき、その変化は所有者だけのお楽しみになるという事。「これが俺の青備前」という風に育ててもらえたらなぁ。という期待もあります。


とりあえず、年内はちょっとづつ仕上げです。





我が家のツリー

2007-12-25 15:46:28 | Weblog
12月25日です。

昨晩はクリスマスイヴという事で、街は賑わっていた様だが…今日がその誕生日。誕生日当日は祝わなくて良いのか。庶民は前日には祝わずに当日を祝うのだけど。何故か違うのね。今日はすっかりケーキも大安売り。う~ん判らん。けど、いいか。美味しくいただければ。


あと数日でお寺の『除夜の鐘』を搗き、続いて翌日からは神社関係。ひと月経たないうちに節分で豆まき。宗教行事満載。
節操がないというよりも、八百万の神々がいらっしゃる日本では当然の成り行きか。
ギリシャの神も沢山いらっしゃるが、日本では神格が曖昧ゆえに異文化が入り易い状況という事。

異文化でも、似ていたり置き換えがきくものがあれば流入定着はしやすい。
ハロウィンがなかなか定着しないのは、それがない為。もっとも死者に対する想い方の違いもある。恐怖なのか親しみなのか…。


クリスマスは、日本の『依代(よりしろ)』であるサカキ(境木・栄木)とクリスマスツリーとの換骨奪胎。面白いのは植生によってその木が変わるという事。ヒノキ、カシ、ツバキ、シキミ、スギ、マツ、ヒイラギ……。これらがクリスマスツリーと関連している。

そして、依代の存在は世界中にイロイロある。という事で、クリスマスツリーが世界中に広がる訳だわな。特に商魂あふれる経済では。


で、我が家の庭先のツリーは、支那柊(チャイニーズホリー)。
こうなると更に訳がわからなくなる。日本でする西洋行事、木の名前は中国。和洋中の入り乱れ。ま、いいや。日本人らしくて。


で、クリスマスに気掛かりなのは、『終い弘法』だ。




出張終了

2007-12-15 09:41:28 | Weblog
東京から帰ってきました。一言で言うと「疲れた~」。
すっかり田舎ライフが身に付いたということか。

地下鉄の移動が多かったけど、自分が地下何メートルに居るのかサッパリ。列車が思った方向と違う向きから来たり…。


さて、一水会陶芸部展。表彰式後に懇親会があり、久しぶりの知り合いと歓談したり、名前だけ存じ上げている方や初対面の方とお話ししたりの交流会。不思議と共通の知り合いがあったりして愉快。備前焼は入選者に対して参加者が少なく残念。

現役の人間国宝の方々が中心の会で、実にフレンドリーかつ紳士的。最後に井上萬二先生(白磁)のお話に一同、爆笑しつつ耳を傾ける。創作の現場の最前線に立ち続けるヒトの『迸る情熱』と『漲る元気』。司会担当の方が「講演会ならギャラがいりますよ~。」なんて言われていたけれど、講演部分は無料。愉快痛快のうちに閉会。本当に自分が若手である事を実感。最後に審査員の方々の審査講評をほぼマンツーマンでされるのが常。こんなにオープンに講評してもちっともぐらつかない説得力。「いやぁ~、また来たいなぁ~」という思いを残して池袋を後にする。

晩メシ逍遥兼ねて、六本木界隈。
ついでにヒルズにオノボリさんして、ジャズを聴きながらの夜景鑑賞。いい感じに酔って、第一日目は終了。


次の日は知人の個展めぐり。都内を地下鉄&徒歩で移動しまくり。これまた楽しくて、夕方にあわてて晩飯。新宿の安くて美味しいところ。寒ブリ、カキ…の生ものから始まって、白キモのソテー……、お酒は最近目を向けている長州を中心にオーダー。獺祭の発泡濁りを食前酒にして各種。

幸福感に浸りながら歩いていると、立ち喰いの寿司屋発見。しばらく逡巡するが、やはり突入。板さん1人に客3人の振り分け。ツブ貝がいきなり美味しい。続けて赤貝は…と見るとサルボウなのでパス。アナゴが当たり。アワビ、ソイ、葉ワサビといただいて、9貫で500円チョイ。安ぅっ~~。板さんによってイロイロありそうだけど、上手くいけばイイ感じで使えるかも。見ていると回転寿司より客の回転は良い。


美味しいお話はイロイロあるけれど、
とりあえずこの辺で…。 (結局、喰いモン話か。)


さて、日常に戻りますか。




一水会陶芸部公募展のご案内

2007-12-11 12:29:26 | 陶芸

明日から、しばし東京の空の下です。

まず、西武池袋で12日の正午から表彰式に出席。

それからは、あれやこれやと企画中。
久しぶりなので、方々に顔を出しつつ……。
酔っ払いすぎにならないように注意ですな。


◆◇◆ 一水会陶芸部公募展 ◆◇◆

■西武池袋本店6階(南ゾーンC8)=西武アート・フォーラム
■12月12日(水)~17日(月)


拙作の『 備前大鉢(一水会賞) 』も展示してあります。
皆様、機会が御座いましたら、
是非ご高覧下さいますようお願い申し上げます。 m(_ _)m


一水会陶芸部公募展

1958年に13代酒井田柿右衛門、12代今泉今右衛門などが発起人となり日本の陶芸レベルの向上を目的として発会した「一水会陶芸部」は、ほぼ半世紀に渡り陶芸界の登竜門として、有望な陶芸作家を数多く生み出してきました。本展では、人間国宝や一水会委員・会員の熟達した秀作から、公募作品より選ばれた新進気鋭の作家の意欲作まで、約110点を展覧いたします。 ( 西武アート・フォーラム )



登窯の記述。若干の訂正

2007-12-08 11:09:58 | 陶芸
先日のエントリーに、 メールを頂きました。


「明治初期から、効率の悪さが理由で窖窯を止め、京都式の連房式登窯を導入し、」と書いてありますが、備前で登窯を始めたのは、江戸後期の天保2年(1831年)で森家墓碑に文書が残っていますので、はっきりしています。
いわゆる、天保窯です。

と指摘がありました。


「明治初期」はマチガイです。訂正。


天保以前から、藩に対する登り窯使用の許可申請→不許可の官民のやり取りがあった末に、登窯(天保窯)が築かれます。
当時は備前焼は藩の統制下にあった為に窯の修理、燃料調達、作陶に関する事には許可が必要でした。

その間は過渡期であり、備前焼の大窯(巨大な窖窯)焼成がいきなり登窯に取って代わられたということはありません。
しかしながら登窯の登場は、伊部では大きな改革革命だった事と推測されます。

『コスト見直しから登窯が築かれ、大窯(窖窯)の終焉が明治には完了した』と訂正しておきます。


『上がりお神酒』明けで、説明不足でした。
朦朧としていたようですな。 ┐(-。ー;)┌


続いて…

又、この登窯は伊万里の窯を導入したと言われています。
確証はないのですが、京都の登窯は小さいので、京都ではないと思います。


コレは全くもって初耳でしたので、これから研究したいところです。

ご教授有難うございました。 m(_ _)m


以上にて、訂正でした。

ひさびさに、還元焼成!

2007-12-07 11:30:02 | 陶芸

この数日来、窯焚きでした。
チョイッと久しぶりに還元焼成をしたくてやってました。

モノの形に沿った(応じた)焼き上がりの『色』というものを考えていて、「それらを今の自分がどのように整理出来るのか」が焦点……というか目標だった訳です。


かつての「桃山に帰れ」のムーブメントでは、先達の方々は登り窯での可能性を探っていました。古備前の焼色(窖窯焼成)を連房式登窯で再現するという方法。

明治初期から、効率の悪さが理由で窖窯を止め、京都式の連房式登窯を導入し、更にその京都式を焼成室が大きな備前スタイルに発展させました。

その過程を見直すことで、「桃山」を発見、再現して『昭和備前』があります。
そして、その動きは『現代備前』と続いています。


個人的に、今後は連房式ではなく単房式登窯(窖窯)が、更に変化していくムーブメントを感じています。
なので、今回の還元焼成からフィードバックしていくと酸化焼成の時には役立つハズという目論み。


窖窯をベースに展開するのが自分のスタイルですが、仕事の幅を広げる為には時々違う仕事も必要なのだと思う次第。


『 二兎追う者は二兎を得ず 』  転じて……、

『 二兎追う者しか二兎は得ず 』 by bizen-nabechan ……ホントか?



・画像は 『 あながまの陶庵 』からのいただき物