巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

両親ともに大腸がん

2012-07-11 22:04:00 | 美容と健康
子供のころは、検便といえば、回虫とか蟯虫とかいった輩を発見するためのものだった。

大人になってから、検便の意味と意義は変化した。大腸がんの検査のためだ。同時に検便は2日分になった。

さて、この検便による大腸がん検査に、昨年母が引っかかった。同様の検査を十数年受けてきて、ひっかかったのは初めてのことだ。出血がみられたという。というわけで、母は暮れに内視鏡検査を受ける予約をした。

母の食生活は、昔から非常に健康的だった。タンパク源としてはあまり肉をとらず魚が中心。しかも青魚大好き。そして大量の野菜を摂取。生野菜ではなく火を通したもの。そういえば母は、30年以上も前に、ゴマだのきな粉だの小麦胚芽粉末だのを毎朝食べていたっけ。

そして母は基本的にはかなりのアスリート。現役時代はフルタイムに近い状態で働きながら、休みの日をジャズダンスや体操に費やした。そういえば、ラジオ体操指導員なんてのもやっていたな。そして酒もたばこも皆無。

だから母は常に快腸。後期高齢者目前の最近は、さすがに年齢のせいかたまに便秘気味になることもあったけれど、今回もそのせいでちょっと切れて血が混じったかもよ。

…なんて軽く考えていて、大腸内視鏡検査に臨んだ母に、まさかの画像が。

検査技師は叫んだ。「なんだこれはぁ!」

内視鏡は肛門から入り、途中マイナーなポリープ2個を発見しながら、直腸、S字結腸、下降結腸、そして、横行結腸へと進んだ。(大腸の形状と、それぞれの部分の発生割合については、ブレイブサークルの「大腸がんの発生部位」を参照。)横行結腸をかなり進んだところで、技師は大小の無数のポリープが固まってある箇所を発見。その表面積は約3~4cm四方。思わず叫んでしまったわけだ。

結局、その無数のポリープの一部と、マイナーなポリープ2個が切除され、臨床検査に回された。そこからはがん細胞は発見されなかったのだが、無数のポリープというのは、形状からして問題だ。

「こういう状態のものは、かならずがん化するから。」

そういわれて母は、「ポリープがある部分を含む腸の一部を切除することを勧める」との紹介状を携えて都立駒込病院へ行った。

駒込病院で、再度内視鏡検査し、問題の個所の一部を採取し再検査したが、がん細胞は見つからない。だが、「こういう状態は、絶対にどこかにがん細胞がある。」

医師は、内視鏡粘的膜下層剥離術(ESD)をするという。つまり、大腸の腫瘍のある部分の粘膜下層を薄く剥ぐやつ。腸の一部を切除となると開腹手術か腹腔鏡手術だ。それに比べて、ESDは患者の体への負担がはるかに軽い。

が、それは、ESDが成功すれば、の話だ。大腸の管の厚さはただでさえ薄いし、その薄皮を広範囲(母の場合4 cm四方だが、本人には事前に3 cm四方と伝えられた)にわたって過不足なく剥離するのは少々難しそう。しかも、内視鏡をかなり奥に進めていかないと、例のブツに到達できない。

母のESDは2月に行われた。わたしは仕事を休み、叔父と叔母(母の弟と妹)もやって来た。剥離面積が広かったために、かなりの時間がかかった。

術後、担当医師が虫ピンできれいに伸ばした状態の剥離部分を見せてくれた。水洗いをした豚ハツの薄切りのような色味の薄皮に、鳥肌 ― いや、「さぶいぼ」と言ったほうが雰囲気はでる ― のようなポリープがびっしりついており、最大のものは水いぼ程度の大きさだった。

「これはわたしがイメージしていたポリープではない。」と、一緒に待っていた叔父は、目の前のブツに抗議まがいの反応を示す。たしかに、素人が一般的にイメージする大腸ポリープとは、異なった姿だった。

術後1週間で退院の予定が、母はその夜熱をだした。スケジュールが狂ったため、わたしは母の退院を待たずに、ウィーンに向かった。しかもこの時点では、わたしも経過観察の検診で引っかかって、帰国後にはわたしの方に再検査を待っているという状態だった。)

術後の組織の臨床検査の結果、医師の見立てどおりに、がん細胞が発見された。ステージは0期。かなり幸運だったといえよう。そしてわたしの再検査のほうも、結果はシロと出た。

わたしは、がん家系ではないと思っていた。がんはありふれた病気でなので、親類関係をくまなく調べればがん患者を見つけられないことはない。しかし、少なくとも六親等内には誰もいなかったはずだった。だから、わたしが自分の近い親族では、最初のそして唯一のがん患者だと思っていた。

が、父には大腸がんがあった。これは父の死後わかったことで、浸潤の度合いとかは不明であり、がんが父の死の直接の原因になったかどうかは不明だが、とにかくがんがあった。父は母と全く異なる不健康な食生活をしており、大酒飲みでもあったので、それだけでもがんになっても不思議ではないが。

そして、健康的な生活パターンの母にも大腸がんがあった。

ということで、わが家は一挙にがん家系へ… 母の大腸がんもわたしの乳がんも超早期(0期)発見で切除だけで済んだのは、共に最悪には至らない運があるのか。

ちなみに、これまで母に自覚症状があったのかということだが、「そういえば、2~3年前、後でがんあるとわかった個所が、たまにビリビリと震えるようになることがあった。けれど、痛いというわけではないし、しばらくするとおさまるので、そのままになっていた」そうだ。