1981年、時のローマ法王ヨハネ=パウロ二世の法王の来日に先立って、そごう系のデパートで、「大ヴァチカン展」が開かれた。この「大ヴァチカン展」を、「大ヴァカチン展」と読み間違えた人がいたというのは、有名な話だ。
「ヤフオク」(Yahoo!オークション)を「ヤオフク」と間違えたことのある人は多いし、「シカカイ」(shikakai、その実を洗髪に使うインドのハーブ)を「シシカイ」と今でも思っている人もいる。
林野庁がらみで新聞にその名がひんぱんに報道された製材会社は「やまりん」だったが、どうも「ま」と「り」が逆位置に読めてしまう人が多かったらしい。わたしも危うく間違ったほうで音読しそうになった。危ない、危ない。
こういう間違いは、「見慣れない文字」が「今までになじみのある単語の音」や「自分が理解できそうな単語の音」に脳内で処理されるせいだろう。「馬鹿チン」、「八百福」(八百屋の名前か?)、「獅子飼い」(「鹿飼い」でも「シシカイ」と読めるが…)などだ。ただし、「トピ主」(topic作成者)を「トビ主」(鳶主)と思っている人がいるのは、おそらくコンピュータのディスプレイに現れる半濁音のフォントの形状ゆえだろう。
ところで、多くの人が見間違えた経験があるだろう看板に、「おことの教室」というものがある。「お琴の教室」なのだが、「男の教室」に見えてしまうことがある。
昔昔、まだ20代だった母は、バスを待つ間にバス停の反対側にある「おとこの教室」なるものが何か、興味津々だった。しかし誰にも聞けなかった。なにか男だけですごいことをする教室で、女性がその内容を質問するのもはばかられる類のものだろうと、勝手に解釈したのである。
ある日母は3歳のわたしを連れて、いつものようにそのバス停でバスを待っていた。純真なわたしがゆっくりと例の看板を読みはじめた。
「お…こ…と…の…」(当然ながら「教室」は読めなかった。)
母ははっとして、看板に目を凝らした。確かに「おこと(お琴)の教室」だった。いままでなぜ「おとこ(男)の教室」と思い込んでいたのだろう。その瞬間、母はバス停で一人でゲラゲラと笑ったらしい。
後年母からその話を聞いて、わたしは自分の純真さが早くも小学生のころには失われていたことを知った。
小学生のころ、あのバス停からバスに乗りピアノのお稽古に行っていたのだが、その間ずっとあの看板を「おとこの教室」と思っていたのである。おまけに母と同様に、「何か凄いことを教える女人禁制の教室」だと想像して、「おとこの教室」が何であるのかを誰かに質問することすら、恥ずかしくてできなかった。嗚呼、母子二代で…。
「ヤフオク」(Yahoo!オークション)を「ヤオフク」と間違えたことのある人は多いし、「シカカイ」(shikakai、その実を洗髪に使うインドのハーブ)を「シシカイ」と今でも思っている人もいる。
林野庁がらみで新聞にその名がひんぱんに報道された製材会社は「やまりん」だったが、どうも「ま」と「り」が逆位置に読めてしまう人が多かったらしい。わたしも危うく間違ったほうで音読しそうになった。危ない、危ない。
こういう間違いは、「見慣れない文字」が「今までになじみのある単語の音」や「自分が理解できそうな単語の音」に脳内で処理されるせいだろう。「馬鹿チン」、「八百福」(八百屋の名前か?)、「獅子飼い」(「鹿飼い」でも「シシカイ」と読めるが…)などだ。ただし、「トピ主」(topic作成者)を「トビ主」(鳶主)と思っている人がいるのは、おそらくコンピュータのディスプレイに現れる半濁音のフォントの形状ゆえだろう。
ところで、多くの人が見間違えた経験があるだろう看板に、「おことの教室」というものがある。「お琴の教室」なのだが、「男の教室」に見えてしまうことがある。
昔昔、まだ20代だった母は、バスを待つ間にバス停の反対側にある「おとこの教室」なるものが何か、興味津々だった。しかし誰にも聞けなかった。なにか男だけですごいことをする教室で、女性がその内容を質問するのもはばかられる類のものだろうと、勝手に解釈したのである。
ある日母は3歳のわたしを連れて、いつものようにそのバス停でバスを待っていた。純真なわたしがゆっくりと例の看板を読みはじめた。
「お…こ…と…の…」(当然ながら「教室」は読めなかった。)
母ははっとして、看板に目を凝らした。確かに「おこと(お琴)の教室」だった。いままでなぜ「おとこ(男)の教室」と思い込んでいたのだろう。その瞬間、母はバス停で一人でゲラゲラと笑ったらしい。
後年母からその話を聞いて、わたしは自分の純真さが早くも小学生のころには失われていたことを知った。
小学生のころ、あのバス停からバスに乗りピアノのお稽古に行っていたのだが、その間ずっとあの看板を「おとこの教室」と思っていたのである。おまけに母と同様に、「何か凄いことを教える女人禁制の教室」だと想像して、「おとこの教室」が何であるのかを誰かに質問することすら、恥ずかしくてできなかった。嗚呼、母子二代で…。