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巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

F. グルダ作曲の「アリア」の楽譜

2007-03-01 22:44:02 | 音楽
Aria結論からいえば、1990年の「グルダ・ノン・ストップ」におけるグルダ自身のピアノソロの演奏に基づいた、かなり忠実な書き起こし。購入に約2000円を費やしたが、この楽譜を探していた人は、買って損はしないと思う。

フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda)(1930-2000)はウィーンのピアニスト、作曲家。クラシックとジャズの両方の分野で活躍した人だ。ただし彼のジャズをジャズと認めない人は多いだろうし、わたしも、あれはジャズという範疇をはみ出してしまっていると感じている。一方、ベートーヴェン、シューベルトや、そして何よりもモーツァルトを弾く彼は、間違いなく「巨匠」である。

しかし、嗚呼、思い出す。グルダに関する暗い思い出を。社会人になって従業員の平均年齢が25歳に満たない会社に入ったとき、周りはクラシックに興味をもつ奴なんてひとりもいなかった。やっと50代の他社からの出向者の中にクラシック愛好家を見つけて話がはずんだ。相手は口調が穏やかでダンディな男性。

ある日、ピアニストの話に話題がおよび、わたしが「グルダのピアノが好きだ」といったとたんに、変な顔をされて、「まぁ、いいんじゃない。あなたにはグルダみたいなピアニストが合っているかもしれないね」と、馬鹿にするような口調で言われた。グルダの名前を口にしたことで、その男性出向者のわたしに対する見方は変わった。低いほうに。

時は1980年代半ば。この会話の場所は銀座のウエスト本店。そう、あのクラシックのレコードを大量に取りそろえて、BGMも格調高くクラシックだったところだ。高尚なクラシック愛好家の日本人にとって、グルダってそんな位置づけだった。それ以来長らくわたしは人前でグルダの話をすることはなかった。わたしも若かったし、相手がダンディなだけに余計傷ついた。

グルダがそんな位置づけになってしまったのは、西洋音楽の伝統を背負っているウィーンのピアニズムの正当な後継者と期待されていた彼が、その伝統の反発したかったのか、それともプレッシャーに押しつぶされることを恐れてか、はたまた純粋な音楽的好奇心か、ジャズやフリーミュージックに傾倒してしまったことにあった。これで、ジャズをクラシックよりも低俗と考える多くのクラシック・ファンの目には、「キワモノ」になってしまった。

またグルダ自身の行動も色々物議をかもした。ウィーン楽友協会からその時代の最も優れたベートーヴェンを弾きに与えられるベートーヴェン・リング授与されながら、後にそれを権威的な教育システムに反抗の意思を示すべく返上したり、全裸で演奏したり(←リンク先にその写真があるので、怖いもの見たさの人のみクリックのこと)と、何かと物議をかもす行動で「テロリスト・ピアニスト」と呼ばれたりもした。

ここでグルダ作曲の「アリア」(Aria)に話を戻すと、グルダが「アリア」を作曲したのは1969年で、ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムのための曲だった。が、その後グルダのピアノコンサートでは、彼のピアノ・ソロバージョンがしばしば演奏されている。

グルダが1993年に来日したときの、アンコール時のこの「アリア」にまつわる心暖まるエピソードについては、ネット上に散見されるのでさておくとして、グルダのピアノのファンなら、彼の自作アリアも好きなはず(←断言)だ。ピアノを弾いたことのある人なら自分で弾いてみたくなるような曲なので、ピアノ譜を探している人もいるだろう。しかし輸入楽譜の場合店頭にない場合は取り寄せになるのだが、そうなるとこの手の楽譜に付きまとう「質」の問題をチェックできず、あとで後悔の涙を流す可能性が高くなる。

楽譜の「質」問題でよくあるのは、「実際の演奏」と「楽譜」にズレがあることだ。以前、このブログはチック・コリアの「チルドレンズ・ソング」を取り上げたが、これも楽譜と彼自身の演奏をおさめたCDとでは異なる箇所がかなりある。でもこれは自分自身の楽譜に基づいてチックが即興的にいじったのだろうから許せるし、「ああ、こういう風にアレンジするのか」の勉強になる。

わたしに「買って後悔した」の涙を流させる楽譜とは「誰でも弾けるように、簡単なものにアレンジにしました」って場合だ。これは作曲者が楽譜を残さないため、録音されたものに基づいて誰か別の人が書き起こした場合に結構見られる。たとえば、「弾きやすく」しようとシャープやフラットの数を減らすために変な移調をしてしまっていたりする。特にオリジナル版の音階に♯や♭がたくさんある場合は、ト長調・ホ短調あたりに移調されてしまことがある。(さすがに、ハ長調・イ短調への露骨な移調にはあまり出会ったことはないが。)

また、一番弾いてみたかった部分が、ばっさりと割愛されている楽譜もある。その部分は「シロウトの演奏は困難」と判断したのか、あるいは書き起こすのが面倒だったのかはわからない。

ゆえに中身も見ずに楽譜を買うというのは、結構リスキーな行為なのだ。特に輸入楽譜はお高い。高額を出費のあげく手にした楽譜を開いて「!!!」と、ショックのあまり絶句して鬱モード陥る…というのを、わたしは既に何回も経験した。

Gulda_non_stop今回わたしが購入したグルダの「アリア」の楽譜は、昨年出版されたものだ。楽譜を書き起こした人間の前書きによれば、(ドイツ語で書かれているので100%は理解できないが)、数あるバージョンの中で1990年の「グルダ・ノン・ストップ」コンサートで演奏したピアノソロ・バージョンをできる限り正確に書き起こしたものだとのこと。というわけでいま「グルダ・ノン・ストップ」を聴きながら楽譜をながめているのだが、たしかに「ノン・ストップ」のバージョンだ。アホ臭い移調もしていないし、装飾音も「ノン・ストップ」でグルダが実際に弾いたものを忠実に再現している。


ニ長調、全65小節。4/4拍子。Andante (速度指定は60)。最初に出てくる発想記号は "dolce e cantabile"。 とりあえず、初見でたどたどしく弾いてみたが…わたしの指がじゅうぶんに回っていないし、トリルが汚い。さらにわたしの指は普通の人よりも短いこともあり「うへ、指が届かねぇ」率が他人よりも高く、この楽譜でも多少苦労するところがある。が、仮に間違えずに楽譜の指定どおりに弾けたとして、問題はそれだけではない。モーツァルトの曲と同じで、その人の真の力量があからさまになってしまいそうな怖い作品に思える。

ちなみに今日知られている「アリア」のアレンジは、「ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラム」、「ピアノ+ハモンドオルガン+シンセ」、「ピアノ+オーケストラ」。「ピアノソロ (数種類)」、「ヴォーカル・バージョン」といくつかあるらしい。

そのうちアルバムに収録されているのは、"Midlife Harvest"(1973)にはピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムバージョン。"Mozart No End and the Paradise Band" (1989)(「モーツァルト・ノー・エンド」)はピアノ+オーケストラでの演奏で、ここでは「アリア」にミスタッチがあるらしい。"Gulda Non Stop" (1990)と"Gulda Recital Montpellier"(1993)(「モンペリエ・リサイタル」) はピアノソロ。1980年代半ばの"Play Piano Play"に収録されているのはピアノソロらしいのだが未確認だ。

歌詞付の "Nina Carina" (歌詞もグルダ作だったっけ?)については、ヴォーカル+ピアノバージョンは輸入物の楽譜が比較的楽に手に入るはずだ。ヴォーカル+オーケストラ+ピアノのバージョンは、1972年にプラシド・ドミンゴがヘルマン・プライのプログラムうたったバージョンがyoutubeにある。(ドミンゴ若い!+膨れてる!)

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ところで1993年の東京でのコンサートでグルダ本人が演奏していたアリアを、だれかyoutubeにアップしてくれませんか。


グルダの「皇帝」

2006-12-15 17:00:00 | 音楽
フリードリヒ・グルダが弾くベートーヴェンピアノ協奏曲「皇帝」。一部とはいえ、YouTubeにアップされているとは、恐れ入りました。

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この演奏は1989年7月20日、「ミュンヘン/ピアノの夏」にて、グルダがミュンヘン・フィルハーモニーを弾き振りしたものだが、グルダもオケもノリノリで楽しそう。グルダは時に微笑みながら弾いている。ニコニコしながら「皇帝」を弾くピアニストなんて、そんなにいないだろう。聴衆と一体化するってこういうことか…

告白すると、わたしはグルダの隠れファンである。彼のピアノを嫌う人も多いので、このことは普段は言わない。というか、わたしがクラシックの演奏家について「○○(演奏家の名前)の△△(作曲者の名前)が好きだ」というと、クラシック愛好家の悲しき性(さが)か、必ずそれに噛みついてグダグダ言う人が出てくるので、普段は演奏家については言わないことにしている。まぁ、こういうのは、好みの問題だろう。

グルダとの出会いはこの「皇帝」だ。ただし1971年のホルスト・シュタイン指揮のウィーン・フィル盤だが。

物心ついたころから、わが家には「皇帝」のレコードがあったのだけれど、これがヴァン・クライバーンのもの(オーケストラはライナー・フリッツ指揮のシカゴ交響楽団)だった。当時、クライバーンはすでに伝説だった。時は米ソ冷戦時代の1958年。ソビエト連邦社会主義共和国が、芸術的にも共産主義が優位であることを示すために開催した第1回チャイコフスキー国際コンクール。ところがフタを開けてみると、ピアノ部門の第一位はにっくき資本主義国アメリカ合衆国の青年クライバーン。こうして彗星のごとく現われた彼は、一躍アメリカの国民的英雄になり、ニューヨークで盛大な凱旋パレードが開かれた。

そんなクライバーンの「皇帝」を週末になるたびに耳にして育ったわたし。わたしが聴いていたのではなく、父が聴いていたのが聞こえてきたのだ。そして、駄目押しのよう高校の音楽の授業中に、先生が聴かせてくれた皇帝のレコードも、このクライバーン/フリッツ/シカゴ響盤となれば、決定的。わたしの頭の中では「皇帝」といえばクライバーンの演奏がデフォになってしまった。

で、大学時代のある日、別冊「レコード藝術」のお薦めレコードの特集号を手に取った。どんな主旨の特集だったかというと、クラシックの有名曲それぞれについて、複数の音楽評論家たちが各自推薦盤をあげ、その推薦を得点化してしたものだったと思う。

「皇帝」で一番高得点だったのは、グルダのピアノにホルスト・シュタイン指揮のウィーン・フィルのものだった。当時のわたしはおでこが素敵な(きっとあの頭の中に芸術的感性がいっぱいつまっているんだよ)ホルスト・シュタインなら知っていたが、グルダは知らなかった。

しかしあまりの評価の高さと、評論家のグルダに対するコメント(詳細は忘れた)にモロに影響を受けたわたしは、強引に父を出資者にしてレコード屋に向かった。

家につくなりレコードに針を落として呆然。これ、あのクライバーンのと同じ曲ですか?
グルダを聴いたあと、父がしみじみと言った。「クライバーンのほうは『皇帝』ではなくて、『皇帝』になりたがっている若いニイチャンという感じがする」と。

さて、冒頭のグルダの弾き振りの皇帝の動画だけれど、これは実はわが家に完全版がある。Emperor
グルダの「ミュンヘン/ピアノの夏」や「ミュンヘン/アメリカハウス」のライブ映像は、かつて複数がLD(レーザーディスク)になっており、この「皇帝」もその1つだった(写真参照)。この複数のLDの中には、モーツァルトのピアノ協奏曲や、チック・コリアと共演したものなどがあるけれど、そのうち無事にDVD化されたのは、1986年の「ピアノの夏」モーツァルトのピアノ協奏曲の20番と26番「戴冠式」だけ。(DVDのタイトルは「フリードリッヒ・グルダ・プレイズ・モーツァルト・ピアノ・コンチェルト」) はっきりいってグルダのモーツァルトもすごいのでお勧めだが、ほかのライブ映像もDVD化してほしいと心より願っている。サンタさん。クリスマス・プレゼントにグルダのDVDをいっぱい、いっぱいください。(←サンタさんに、そんな無理な注文をしてはいけません。)

ところでわが家にはLDはあるけど、完動するLDプレーヤーがない! …そのため、このLDがきちんと動くディスクかどうかがわからない。実は大量のLDを狭い場所に立てかけて置いたら、何枚かがゆがんで認識不可能になってしまったらしいのだが…



オムニバスアルバム

2005-08-13 22:48:51 | 音楽
最近、洋楽ポップス系のオムニバスアルバムのCDを何枚か買った。「あなたも、そんなもの買う年齢になったんだねぇ。」といわれた。

基本的には、オムニバスアルバムは好きではない。アーティストたちが作った1枚のアルバムにはドラマがあると思うから。そして、オムニバスアルバムはそれをぶったぎってしまうと考えるからだ。

でも、最近は昔の曲を効率よく聴きたいときがある。というわけで、2点ほどピックアップ。


■ Cheer up!! For your positive life

B000091KVW65年の「夢見るシャンソン人形」(フランス・ギャル)から、96年の「キラメキ☆MMM BOP」(ハンソン)まで、「洋楽ポップス系で元気が出そうな曲ばかり60年代から90年代まで幅広くそろえました」という感じ。でも、歌のないサントラなのに82年に全米1位に輝いた「炎のランナー」(ヴァンゲリス)まで入れたりと、意外な選択もある。

「ラジオスターの悲劇」(バグルス)で “Oh-a oh” (「アーワ アワ」と聞こえる) と合唱し、「ホット・スタッフ」(ドナ・サマー)でダンスモードに入り(ただし、わたしの頭の中にあるのはディスコシーンではなく、映画「トレイン・スポッティング」の職安のシーンだ)、「アイ・オブ・ザ・タイガー」(サバイバー)で、完全に戦闘モードに入り眼がつりあがるわたしは、根がかなり単純といえよう。

話はそれるが、いまは映画音楽を作っているハンス・ジマーは、元バグルスだったらしい。彼の『グラディエーター』(いわゆる「グラディエーター・ワルツ」にやられたクチ)や『ブラックホーク・ダウン』のスコアも、好きだなぁ。


■ Your Song

B00005R0W3ユニバーサル系ヒット曲集。その選曲には広く浅く節操がないが、いずれも有名な曲ばかりの2枚組。これで3,400円なのだから、お買い得感は抜群だ。

幼児虐待をテーマにしたスザンヌ・ヴェガの「ルカ」、かつてのフュージョン・ブームの時はどこへ行っても流れていた(が、今はほとんど聞くことがない)シャカタクの「ナイト・バーズ」、そのなれの果ての姿などは微塵も予感させないマイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」(めちゃくちゃ上手い)、清純系フォーク・カントリー歌手からいきなりセクシー路線に変更したオリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」、個人的には聴くと必ず駆け出しの局アナ久米宏がレポーターをしていたころのTBSラジオ「土曜ワイドラジオ東京」を思い出してしまうバリー・ホワイトの「愛のテーマ」など、お買い得感は抜群だ。

それから、わたしが大好きなルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」も収録されている。もともと歌詞が好きで聴くと涙が出そうになる曲だったのだけれど、映画『マイケル』で非常にうまく使われていてうれしかった。が、『ボーリング・フォー・コロンバイン』で、マイケル・ムーアがとんでもない(しかし非常にうまい)使い方をしてくれた。以来、この曲を聴くと、あのアメリカ軍のシーンが浮かぶようになり、別の意味で涙がでそうになる。マイケル・ムーアめ!

不満点をひとつ。エルトン・ジョンの "Your Song" の日本語タイトルは「ユア・ソング」ではなく、発表当時の「君の歌は僕の歌」としてほしかった。


ああ、オムニバスアルバムを買うなんて、わたしも年食った…


どうせカレーを食べるなら

2005-07-31 20:56:39 | 音楽
わたしは命を受け、池袋に向かった。その命とは…


BGM「インドカレー屋のBGM」というタイトルのCDを買ってくることだった。

どうせカレーを食べるなら、思い切り雰囲気をだして食べないと夏を乗り切れないに違いない。そう思った者がいたのである。

というわけで、池袋西武にてインドカレー屋のBGMをめでたくゲット。しかしCDは入手したものの、暑くてカレーを作る気力もない。そこで、レトルトのカレーにすることにする。

帰りに新宿中村屋のレトルトカリー3種(スパイシーチキン、ビーフスパイシー、ホットスパイシー)、大盛りククレカレー、ナン、ガラムマサラ、ついでにインドとは関係が薄そうだが日本のカレーには定番の福神漬けを入手する。冷蔵庫では、すでにラッシー代わりのマンゴーがおいしいヨーグルトが冷えている。

BGMとともにいざ夕飯。いかにもインドカレー屋に流れていそうな怪しげな音楽が、なかなか良い雰囲気をかもし出す。(ちなみに、このCDの音楽はいわゆるBollywood Musicだ。)

しかし何かがもの足りない。インドカレー店の柱や壁に染み付いてとれない数種類のスパイスの複雑な香りが、日本の家のキッチンにはないからである。

さて、下の写真に写っているのは、本日のBGMのために用意したものである。

curry







あの人はいま:タコはどこ?

2005-07-17 23:44:22 | 音楽
Taco_2タコ。TACO。80年代に「踊るリッツの夜」 "Puttin' on the Ritz"で全米でヒットを飛ばした西ドイツ在住のオランダ人。キャッシュ・ボックス誌1983年度最優秀新人賞獲得。

デビューアルバムの"After Eight"では「虹の彼方に」「バラ色の人生」「チーク・トゥ・チーク」等をエレクトロ・ポップ(死語か?)にアレンジしてセンスの良さを印象付けたが、今考えるとひたすらセンスで勝負した感もある。

このデビューアルバムは、全世界では上の写真のようなマトモなジャケットで出回ったが、日本語版のデビューアルバムのみ、異なったジャケットが使われた。下の写真のように彼の写真とともにタコ(つまりあの8本足のオクトパス)が描かれていたものだ。もちろん名前に引っかけたのである。しかもジャケットの裏は、なんと裸体の女性にタコが絡む春画である。もちろんタコの絵は中の音楽とは全く関係ない。

Taco_1しかし、たとえLPのジャケットが「???」であろうとも、ジャケットだけで彼に妙なイメージを抱く日本人は少なかった。"Puttin' on the Ritz"のビデオクリップは結構おしゃれだったし。

しかしそれも彼が日本で歌うまでだった。

タコが日本人にキワモノ感を印象付けたのは、たしか1984年に東京音楽祭に出場し、「西洋から見た日本」の視点にあふれた東洋趣味の「サヨナラ」 "Sayonara ('Til We Meet Again)" を歌ったときであった。

歌の冒頭に日本女性の「愛する、ナンジン(?)さん、誰が我らを引き離したのでしょうか…」と、「帰国子女が、昔の日本語をしゃべったつもり風」のフシギなナレーションを入た(東京音楽祭でナレーションを担当したのは、どこぞの大企業の重役のご令嬢だったと記憶しているが確かではない)「現代版マダム・バタフライ」の歌に、この音楽祭をみていた日本人全員が吹っ飛んでしまった。「これで彼が銅賞を獲得したのはナレーターのお父上の方から、うちの娘がせっかくナレーションを担当したんだから、『とにかくタコに賞を与えろ!』という圧力をかけたに違いない」と、勘ぐってしまったぐらいだ。

翌日のバイト先の喫茶店で、店長がバイトの女性全員を集めてめずらしくお説教を始めた。そのお説教とは…

「いいか。間違っても昨日の東京音楽祭に出ていたあの男、ほら、そう『たこ』だ。あんな奴を恋人にしては、だめだぞ。」

そしていつのまにか、タコはミュージック・シーンから消えてしまった。彼は今どこで何をしているのだろう。

ちなみに、写真下の日本版のデビューアルバムのLPは、わたしが今でも持っているものだ。日本のセカンドアルバムである来日記念盤の"Let’s face the Music"もいまだに持っていて、どちらのアルバムにも、帯がついている。来日記念盤の帯には「SUNTORY MILD VODKA 樹氷 SPECIAL TACO '84」とあり、来日公演のスケジュールが書かれている。時代だぁ。