
フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda)(1930-2000)はウィーンのピアニスト、作曲家。クラシックとジャズの両方の分野で活躍した人だ。ただし彼のジャズをジャズと認めない人は多いだろうし、わたしも、あれはジャズという範疇をはみ出してしまっていると感じている。一方、ベートーヴェン、シューベルトや、そして何よりもモーツァルトを弾く彼は、間違いなく「巨匠」である。
しかし、嗚呼、思い出す。グルダに関する暗い思い出を。社会人になって従業員の平均年齢が25歳に満たない会社に入ったとき、周りはクラシックに興味をもつ奴なんてひとりもいなかった。やっと50代の他社からの出向者の中にクラシック愛好家を見つけて話がはずんだ。相手は口調が穏やかでダンディな男性。
ある日、ピアニストの話に話題がおよび、わたしが「グルダのピアノが好きだ」といったとたんに、変な顔をされて、「まぁ、いいんじゃない。あなたにはグルダみたいなピアニストが合っているかもしれないね」と、馬鹿にするような口調で言われた。グルダの名前を口にしたことで、その男性出向者のわたしに対する見方は変わった。低いほうに。
時は1980年代半ば。この会話の場所は銀座のウエスト本店。そう、あのクラシックのレコードを大量に取りそろえて、BGMも格調高くクラシックだったところだ。高尚なクラシック愛好家の日本人にとって、グルダってそんな位置づけだった。それ以来長らくわたしは人前でグルダの話をすることはなかった。わたしも若かったし、相手がダンディなだけに余計傷ついた。
グルダがそんな位置づけになってしまったのは、西洋音楽の伝統を背負っているウィーンのピアニズムの正当な後継者と期待されていた彼が、その伝統の反発したかったのか、それともプレッシャーに押しつぶされることを恐れてか、はたまた純粋な音楽的好奇心か、ジャズやフリーミュージックに傾倒してしまったことにあった。これで、ジャズをクラシックよりも低俗と考える多くのクラシック・ファンの目には、「キワモノ」になってしまった。
またグルダ自身の行動も色々物議をかもした。ウィーン楽友協会からその時代の最も優れたベートーヴェンを弾きに与えられるベートーヴェン・リング授与されながら、後にそれを権威的な教育システムに反抗の意思を示すべく返上したり、全裸で演奏したり(←リンク先にその写真があるので、怖いもの見たさの人のみクリックのこと)と、何かと物議をかもす行動で「テロリスト・ピアニスト」と呼ばれたりもした。
ここでグルダ作曲の「アリア」(Aria)に話を戻すと、グルダが「アリア」を作曲したのは1969年で、ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムのための曲だった。が、その後グルダのピアノコンサートでは、彼のピアノ・ソロバージョンがしばしば演奏されている。
グルダが1993年に来日したときの、アンコール時のこの「アリア」にまつわる心暖まるエピソードについては、ネット上に散見されるのでさておくとして、グルダのピアノのファンなら、彼の自作アリアも好きなはず(←断言)だ。ピアノを弾いたことのある人なら自分で弾いてみたくなるような曲なので、ピアノ譜を探している人もいるだろう。しかし輸入楽譜の場合店頭にない場合は取り寄せになるのだが、そうなるとこの手の楽譜に付きまとう「質」の問題をチェックできず、あとで後悔の涙を流す可能性が高くなる。
楽譜の「質」問題でよくあるのは、「実際の演奏」と「楽譜」にズレがあることだ。以前、このブログはチック・コリアの「チルドレンズ・ソング」を取り上げたが、これも楽譜と彼自身の演奏をおさめたCDとでは異なる箇所がかなりある。でもこれは自分自身の楽譜に基づいてチックが即興的にいじったのだろうから許せるし、「ああ、こういう風にアレンジするのか」の勉強になる。
わたしに「買って後悔した」の涙を流させる楽譜とは「誰でも弾けるように、簡単なものにアレンジにしました」って場合だ。これは作曲者が楽譜を残さないため、録音されたものに基づいて誰か別の人が書き起こした場合に結構見られる。たとえば、「弾きやすく」しようとシャープやフラットの数を減らすために変な移調をしてしまっていたりする。特にオリジナル版の音階に♯や♭がたくさんある場合は、ト長調・ホ短調あたりに移調されてしまことがある。(さすがに、ハ長調・イ短調への露骨な移調にはあまり出会ったことはないが。)
また、一番弾いてみたかった部分が、ばっさりと割愛されている楽譜もある。その部分は「シロウトの演奏は困難」と判断したのか、あるいは書き起こすのが面倒だったのかはわからない。
ゆえに中身も見ずに楽譜を買うというのは、結構リスキーな行為なのだ。特に輸入楽譜はお高い。高額を出費のあげく手にした楽譜を開いて「!!!」と、ショックのあまり絶句して鬱モード陥る…というのを、わたしは既に何回も経験した。

ニ長調、全65小節。4/4拍子。Andante (速度指定は60)。最初に出てくる発想記号は "dolce e cantabile"。 とりあえず、初見でたどたどしく弾いてみたが…わたしの指がじゅうぶんに回っていないし、トリルが汚い。さらにわたしの指は普通の人よりも短いこともあり「うへ、指が届かねぇ」率が他人よりも高く、この楽譜でも多少苦労するところがある。が、仮に間違えずに楽譜の指定どおりに弾けたとして、問題はそれだけではない。モーツァルトの曲と同じで、その人の真の力量があからさまになってしまいそうな怖い作品に思える。
ちなみに今日知られている「アリア」のアレンジは、「ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラム」、「ピアノ+ハモンドオルガン+シンセ」、「ピアノ+オーケストラ」。「ピアノソロ (数種類)」、「ヴォーカル・バージョン」といくつかあるらしい。
そのうちアルバムに収録されているのは、"Midlife Harvest"(1973)にはピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムバージョン。"Mozart No End and the Paradise Band" (1989)(「モーツァルト・ノー・エンド」)はピアノ+オーケストラでの演奏で、ここでは「アリア」にミスタッチがあるらしい。"Gulda Non Stop" (1990)と"Gulda Recital Montpellier"(1993)(「モンペリエ・リサイタル」) はピアノソロ。1980年代半ばの"Play Piano Play"に収録されているのはピアノソロらしいのだが未確認だ。
歌詞付の "Nina Carina" (歌詞もグルダ作だったっけ?)については、ヴォーカル+ピアノバージョンは輸入物の楽譜が比較的楽に手に入るはずだ。ヴォーカル+オーケストラ+ピアノのバージョンは、1972年にプラシド・ドミンゴがヘルマン・プライのプログラムうたったバージョンがyoutubeにある。(ドミンゴ若い!+膨れてる!)
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ところで1993年の東京でのコンサートでグルダ本人が演奏していたアリアを、だれかyoutubeにアップしてくれませんか。