巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

マイケル・ジャクソン死去

2009-06-27 00:53:47 | 音楽
世界中がこのニュース一色だ。

『オフ・ザ・ウォール』(1979年)以降の彼のアルバムを、最近まですべて持っていたわたしとしても、とりとめはないけれどマイケルについて少し何かを書いておこう。(ちなみに『スリラー』は3枚持っていた。1枚はCDでCDプレーヤーの購入時に買いなおしたものだが、あとの2枚はLPレコード。そのうち1枚は発売当時の普通のLPで、2枚目はピクチャーレコード。)

マイケルとわたしはほぼ同世代だ。マイケルのほうが少しばかり年上だが。

マイケルは子供のころから、海の向こうでは活躍していた。しかし、わたしと同世代の人間のほとんどは、子供のころはR&Bには、特に親がそのジャンルに傾倒していたなどの特別な環境にいないかぎり、ほとんど興味を持っていなかったと思う。

1970年代の初めぐらいまで、洋楽などには興味がない東京在住のフツーの子どもの目や耳に入る海外の兄弟グループといえば、まずはオズモンズだった。だからジャクソン5の日本版二番番煎じといった感じのフィンガー5が出てきた時も、「オズモンズの日本版?」と思ってしまったぐらいだった。当時の「明星」とか「平凡」とかいった雑誌には、フィンガー5がジャクソン5を意識していることはきちんと書かれていたのだが。

もちろん、あの「ベンのテーマ」を歌っているのが「マイケル・ジャクソン」という黒人の男の子であり、どうやら兄弟でグループを組んで歌っているらしいというのは、どこかで聞いていた。が、そのグループが何を歌っているかはわからなかった。いま考えれば「ABC」とか「アイル・ビー・ゼア」はラジオで比較的頻繁にかかっていたと思うのだが、わたしの中ではそれがグループとしてのジャクソン5の存在には結び付かなかったのだ。R&Bというのは、子供にはそれほど遠い存在だったわけだ。

中学に入り、いわゆる洋楽に興味を持つようになっても、しばらくは洋楽と言えば白人の音楽のことだった。すなわち(すでに解散していた)ビートルズ、カーペンターズ、「キラー・クィーン」が衝撃的だったクィーン等々。

あの(良い意味で)化け物のようなアルバム『スリラー』は1982年の終わりごろに発売された。その翌年である1983年はこのアルバムからシングル・リリースされる曲が次々とチャートインした年だった。これらの曲と彼のビデオ・クリップが日本のテレビでもラジオでも頻繁に流れた。ビデオでマイケルのダンスを見た人は皆―少なくとも、小学生から比較的若い世代は―必死になって彼のダンスをまねた。

1983年の暮れにわたしはひどいインフルエンザに罹り、その年の大晦日を布団の中で過ごす羽目になった。熱があって気分も悪かったが、あまりにも暇なのでラジオをつけた。どのラジオ局にまわしても、AMもFMも「今年の締め」として、にマイケルの音楽が流れていた。「マイケル・ジャクソン以外に、今年の洋楽界には聴くべき音楽はない」と言わんばかりだった。

ところで、マイケルがギネスに掲載されるほどのブームを起こしたのとほぼ同時期に、アフリカン・アメリカンではプリンスもまた成功していた。当時、両名はしばしば比較された。

「黒人らしさ」という意味でいえば、マイケルは分が悪かった。「マイケルは心も音楽的にも白っぽくなって(=白人寄りになり)、そのために成功したが、プリンスは黒いまま成功した。だからマイケルよりプリンスのほうが偉大だ。」とは、当時わたしが、しばしば耳にしたり目にしたりしたマイケル評である。また彼の曲については、「無害すぎる」と言われることもあった。

また、アフリカン・アメリカンの中には、彼が「オレオ」(OREO=日本でも売っているバニラクリームを挟んだチョコビスケット。黒いビスケット中に白いクリームが挟まれていることから、「外見は黒だが中身は白」すなわち白人に迎合したり、白人のようにふるまったりする黒人のことを指す)であり、ゆえにマイケルを黒人を裏切った黒人とみなす人たちも少なからずいたらしい。

一方、白人の中では、黒人であるマイケルが白人の音楽であるビートルズの曲の版権を有していること、また彼が白人のエルヴィス・プレスリーの娘と結婚したことに対する反感を持つ人たちもいた。

が、そのような反感をもたれようが、マイケルの音楽と、歌と、ダンスはすばらしかった。そして、すばらしいので売れた。

マイケルの人気が絶頂期に達して以降、彼はいろいろなスキャンダルに見舞われた。次々に奇行が報道され、一方、外見もどんどん変化していった。彼のスキャンダルや顔面整形については、他の人がいろいろ書くと思うので、わたしはこれ以上は書かなくてよいだろう。

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あんな風に才能にあふれた人間は、もうしばらくは出てこないだろう。


グルダ バッハを弾く

2008-12-30 23:20:00 | 音楽
Gulda_plays_bachタイトルは故フリードリヒ・グルダの新しいアルバム “Gulda Plays Bach”の直訳。日本盤のタイトルは『バッハ・アーカイブ』で12月24日発売。詳しいデータはこちらだが、この録音が世に出るのは初めてとのこと。

10月に輸入盤として入ってきたので、わたしはその時に入手。土曜日に家に届いたのだけれど、土日は家を開けていたため聴くことができず、月曜日の朝一にかろうじてWalkmanに入れて、通勤途中の電車の中で聴きはじめたところ

降りるべき駅で降りそこなった。

しかも降りそこなったのは一度ならず。恐るべしFG。

この人はよく知られているベートーヴェンやモーツァルトの演奏のほか、プロコフィエフ、ラベル、ドビュッシー等、クラシックだけでもかなりレパートリーが広い人だったが(バーンスタインとのガーシュインはその場で聴いてみたかった)、バッハの録音に関しては例によって世間をあっと言わせ、一方では熱狂的に好かれ一方では大きく嫌われたバッハの『平均律クラヴィーア曲集第1巻・第2巻』(1972~1973年)が代表作ということになる。わたしが知っている限りでは、ピアノとクラヴィコードの演奏の録音と映像が残っている「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BV.903」の演奏にも、熱狂的ファンがいたりする。


演奏活動…というよりは広義のパフォーマンス自体が好きだったらしく、演奏活動を嫌ってレコーディングに注力したためにたくさんのアルバムを残したグレン・グールド(わたしは若いころ、この人のバッハには夢中になった)とは対照的に、公式のレコーディング自体が少ない。おまけにフリー・ミュージックにまで行ってしまって、クラシックの録音はさらに少ない。(わたしは彼のクラシックとジャズと、その範疇の自作は好きだけれど、フリー・ミュージックは理解できない。でも彼には必要だったんだろうな。)

今回発売された『バッハ・アーカイブ』に収録されたの「トッカータとフーガハ短調 BW911(1955年に収録)」 は、フーガの部分が10代のころの初期のレコーディングでも取り上げられていたものだけれど、これは数年たってかなり変化している。個人的には1955年録音のほうが好み。1969年に収録された自作の「プレリュードとフーガ」(対位法なジャズ)も、これまでに聴いていたバージョン(1971年、1977~78年、1993年の収録)のいずれとも違っていて面白い。

ちなみにこのアルバムには、若いころのグルダの写真がいくつか載っていて、まだ頭頂部に髪の毛が十分残っている写真もあり、誰かが言っていたけれど本当に「これ、誰?」


グルダ~モーツァルト・テープス II (モーツァルト・アーカイブ II)

2007-09-16 13:03:19 | 音楽
The_gulda_mozart_tapes_2グルダ~モーツァルト・テープス II


やっぱり、グルダのモーツァルトですよ。いま、やりかけの納期が迫った仕事を放り出して、今「すごいな」と思いながらとりあえず1回、通しで聴きました。グルダファンなら買ったほうがよいです。ちなみに国内盤発売は11月21日だそうです。

2000年に急逝したグルダの未発表音源のモーツァルトソナタ集「モーツァルト・アーカイブ」 (モーツァルト・テープス)が昨年突如発売されたのは、かなり衝撃的な出来事でした。

1980年代以降晩年まで、グルダがもっとも熱心に取り組んでいたのはモーツァルトでした。ところが、若いころに2度も全集を録音したベートーヴェンのピアノソナタと違って、なぜかモーツァルトの録音はほとんど残っていなかったのです。本人が生前語ったところによると、「ちゃんと全曲録音したことはあるが、捨ててしまった」とのことでした。このおっさんの言ったことなので、本当か嘘かわかりませんでしたが、とにかく実際にないものはなかったのです。グルダのモーツァルトと聴きたかったら、彼がモーツァルトに傾倒する以前の古い録音や、DVD(およびLD)に残されているモーツァルトでその全体像を想像するしかありませんでした。

The_gulda_mozart_tapesところがその「幻の」録音がオリジナルテープではなく、録音時のエンジニアによってカセットテープでダビングされた形で残っていたことがわかり、残されたカセットをもとに3枚組のCDとして昨年発表されたのが「モーツァルト・アーカイヴ」(英語タイトル"The Gulda Mozart Tapes") でした。が、この中に一部の曲は、「販売に耐えられる音質ではない」とされて、収録されませんでした。

しかし、今回、前回収められていなかった残りの6曲が2枚組で発売されたわけです。

IとIIをあわせても、モーツァルトのピアノソナタのうちK309と、K533/494 (解説にはK533/594と書かれていますが、おそらくK533/494のことだと思います)は収録されていません。CDの英語に翻訳された解説を読んでいますが、息子さんのパウルさんの解説によれば、2曲がないのはグルダが意図的に録音しなかったためだとあります。K309についてはグルダが「本物ではない (inauthentic)」と考えていたからで、K533/494は楽章を寄せ集めたもので、1つの作品として完結していないから…と言うことらしいです。

ということはモーツァルト・チクルスとして録音されたものは、すべてダビングされたカセット音源で残っていたということになり、グルダが自伝のなかで「全曲録音した」といっていたのは、本当だったことになります。(ああ、疑ってごめんよ。) これがきちんとリリースされていれば、MPSはつぶれなかったのでしょうか?

今回も気になる音質ですが、昨年発売された3枚組も、きちんとしたAVシステムや高価なヘッドフォンで聴いたりすると「(松田優作風に→) なんじゃこりゃあ!」でした。(だからわたしはよくCDラジカセで聴いています。) 今回も音質に関しては?いろいろと努力したのでしょうが?やはり瑕疵があります (特にK310)。

パウルさんの解説によるとテープ音源に関する主な問題は3つあったとのこと。

  • 録音レベルが高すぎる。 (これ、モーツァルトアーカイブでも、書かれていましたね)

  • マスターテープからダビングされたカセットテープの録音スピードが、ときにバラバラ。(できる限り「これが録音時の正しいスピードだったろう」という状態に修正したらしいです
  • )
  • K457では、ダビングにつかったカセットテープの長さが足りず、最後の30秒間が切れてしまっている。



切れてしまったK457の3楽章の最後の方は息子のパウルさんが演奏しています。同じ機種のピアノ(ベーゼンドルファー・インペリアル)を使用して、似たタイプのテープを使い、できるかぎり父グルダの弾き方にあわせたとのことです。最後が途切れた演奏を聴くと「ああ、グルダはもういないんだ」と余計に悲しくなるだけでしょうから、この試みには賛同します。


当分このCDを聴きまくるぞ! でも、ああ仕事が進まない。の、の、納期が…

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[追記] (2007.09.19)

この輸入盤のThe Gulda Mozart Tapes IIをPCのWindows Media Player (Ver. 9.00.00.3354) で再生したところ、1枚目のアルバム情報が "The Guld Mozart Tapes" と表示される。しかもトラックの曲名がそれぞれ、K.330、K.332、K.333と表示されてしまう。実際に流れるのはK.331、K.284、K.310だ。K.330の表示を見ながらトルコ行進曲を聴くことになるわけ。

つまり、昨年発売されたIの1枚目のCD情報がIIの1枚目のCDに中途半端に残ってしまっているのだ。なぜ「中途半端に残ってしまっている」と表現したのかというと、更新をしていないWindows Media Playerの古いバージョンや、わたしのPCに入っている他のMedia Player数種では、その現象が起こらないから。

で、2枚目のCD情報はどうなっているのかというと、「アルバム情報なし」で、曲名も入っていないため「トラック1」「トラック2」「トラック3」…と出てくる。Windows Media Playerの最新版以外のMedia Playerでは、1枚目も同様に「アルバム情報なし」、「トラック1」「トラック2」…と表示される。

どうやらThe Gulda Mozart Tapes IIには、CD情報を入れてなかったみたいなんだよね。なのに、どうして1枚目にIの情報が中途半端に入っているんだろう? 

そもそも、オーディオCDってつねにアルバム情報を入れているものだと思っていたのだけれど。実際、とてつもなく怪しげな輸入盤にも(スペルの間違いなどはあっても) これまでわたしが手にしたものには、すべて入っていたのだけれど。天下のドイツ・グラモフォンの新譜に入っていないのって、どうしてだ? で、日本人は (真実ははともあれ) 几帳面だという評判があるから、ちゃんとチェックして国内盤は情報を入れてくる…かな?

ジョー・ザヴィヌル死去

2007-09-12 23:36:17 | 音楽
きっと90過ぎまで現役でキーボードを弾き続けている。そんなイメージがあった人なんだけれど…

訃報:ジョー・ザビヌルさん 75歳 死去=ジャズ・キーボード奏者

 ジョー・ザビヌルさん 75歳(オーストリア出身の世界的ジャズ・キーボード奏者)オーストリア通信によると、11日ウィーン市内の病院で死去。皮膚がんなどを患っていた。
 1932年ウィーン生まれ。ピアノを学び、59年に渡米。70年にサックス奏者のウェイン・ショーターらと「ウェザー・リポート」を結成、その後加入したベース奏者のジャコ・パストリアスらとともに70、80年代に活躍した。電子楽器を用いたジャズで知られ、名曲「バードランド」などのヒット曲を生んだ。「ジャズの帝王」マイルス・デイビスとも活動。「ウェザー・リポート」解散後も活発に活動を続け、たびたび来日した。【ウィーン共同】
[毎日新聞 2007年9月12日 東京朝刊]



シンセサイザーが新しくて未来的で、果てしない可能性にあふれたわくわくするような楽器だったころ、「ウェザー・リポート」というエレクトリック・ジャズバンドがアメリカにありました。当時クラシックに傾倒し、ジャズやフュージョンにはあまり興味がなかった極東の小さな島国の女子学生だったわたしでも、そのバンド名やザヴィヌルをはじめとする各メンバーの名前ぐらいは知っており、そして「バードランド」などいくつかの名曲を聴いたものでした。

Zawinul

ザヴィヌルがウィーン出身でしかもクラシックの名門ウィーン・アカデミーに在籍していたことを知ったのは、ずっと後年になってからのことです。この写真にの2人は、ウィーン・アカデミーの同窓生なわけですね。2人でいっしょにラジオ番組をもっていたころの写真でしょうか。(ということは両者とも20代?) のちに2人ともハゲになり、どちらもステージではライトの反射を防止するために帽子をかぶっていましたが、若いころの写真でもすでに後年のハゲっぷりが予想できます。

写真手前のザヴィヌルよりも2歳年上の巨匠/鬼才/変人ピアニストは2000年に他界し、いまでは天国でモーツァルトと連弾中とのうわさです。ザヴィヌルのほうはジャコ・パストリアス (and/or マイルス・デイヴィス)と一緒にプレイするのでしょうか。

合掌


グルダのLD色々

2007-03-06 19:00:00 | 音楽
わたしはクラシックのピアニストとしてグルダを聴いていたが、実は知らないところで弟はジャズ・ピアニストとしてのグルダを聴いていた。どうもチック・コリアつながりから聞き始めたらしい。そして弟はレーザーディスクプレイヤーをもっており、映画や音楽の大量のLDを持っていた。

というわけで、「もしや?」と、納戸の中のLDのコレクションを調べたところ

出たー!!!!!


Gulda_lds

(上の写真はクリックで拡大します。)

ほとんどのものがDVDにはなっていないグルダのLDの数々(全部ライブ盤)。それにしてもLDは音楽物が充実していたよねぇ。

さて、LDが出てきたところで問題は2つ。

  1. 現在わが家にはLDプレイヤーがない

  2. 弟の話によれば、その辺に立てかけておいたため、ゆがんでしまってプレイヤーが認識できなくなったLDが多い。


つまり、1をクリアした上で(さっさと確定申告しないと)、さらに2をチェックしなければならない。

とりあえず、これらのソフトがDVDになることを切に願いつつ、データを書いておこう。


写真後列左より

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■『ショパン・アンド・ビヨンド』 ("Chopin and Beyond")

1986年ミュンヘン・フィルハーモニーホール

<1. わが優しい女性のためのショパン>

  1. 夜想曲 17番 ロ短調 作品62-1

  2. 舟歌 嬰へ単調 作品60


  3. 24の前奏曲集 作品28から9つの変奏曲
  4. 第15番 変ニ長調「雨だれ」

  5. 第10番 嬰ハ短調

  6. 第9番 ホ長調

  7. 第3番 ト長調

  8. 第4番 ホ短調

  9. 第7番 イ長調

  10. 第13番 嬰へ短調

  11. 第21番 変ロ長調

  12. 第24番 ニ短調

  13. 子守唄 ニ短調 作品57


<2. コンソナンツァ・ペルゾナーレ>(Consonanza Personale)

  1. Invocation and Visit of the Shadow

  2. Night Magic and Dance

  3. The Shadow Overcome

  4. Beyond (There is Serenity)

  5. Encore


1986年の2つのライブを1つのLDにおさめたもの。グルダさんは音楽をやる上で女性が強烈なモチベーションになっていたようだ。
『グルダの真実―クルト・ホーフマンとの対話』(1993)によれば、一時期、当時の恋人好みのエレガントなスター・ピアニストになろうとして、「俺、もうショパンしか弾かないからね」となっていた時期があるとのこと。<わが優しい女性のためのショパン>はこの時期のことでしょうか。
コンソナンツァ・ペルゾナーレ(個人的な協和音)は、リンペ・フックスとの即興演奏。このフックスとの関係も同書によればただならぬものだったとのこと。リンペは旦那さんのパウルとフリー・ミュージックの分野で活動しており、グルダはこのフリー・ミュージックで夫妻と共演していたのだが、リンペと関係をもってしまったと、グルダ本人が語っています。ばらされた女性たちの方は、たまったものではありませんな。


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■ソロ・フライト ("Solo Flight")

1981年2月27日、ミュンヘン・アメリカハウス

    平均率クラヴィーア曲集(J.S.バッハ)より
  1. プレリュードとフーガ イ短調 BWV889

  2. プレリュードとフーガ ハ長調 BWV846

  3. プレリュードとフーガ 変イ長調 BWV866


  4. さすらい人(シューベルト=グルダ編曲)

  5. 水に映る影(ドビュッシー)

  6. グラナダの夕べ(ドビュッシー)

  7. 練習曲第9番(グルダ)

  8. 息子パウルのために(グルダ)

  9. プレリュードとフーガ(グルダ)

  10. 息子リコのために(グルダ)



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■グルダ・プレイズ・モーツァルト&ジャズ("Mozart No End and the The Paradise Band")
(「モーツァルト・ノー・エンド」としても知られている)

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1989年7月20日、1990年7月21日)
パラダイス・バンド(1990年6月14日)

  1. ピアノ協奏曲第26番ニ短調 K.537「戴冠式」
    第2楽章 ラルゲット(モーツァルト=グルダ編曲)

  2. 幻想曲 ハ短調 K.475(モーツァルト)


  3. ピアノソナタ ハ短調 K.457(モーツァルト)
  4. 第1楽章 モルト・アレグロ

  5. 第2楽章 アダージョ

  6. 第3楽章 アレグロ・アッサイ


  7. 歌劇「フィガロの結婚」~レチタティーヴォとアリア
    「とうとううれしい時がきた」--「恋人よ、早くここへ」
    (モーツァルト=グルダ編曲)

  8. アリア(グルダ)

  9. エクササイズ9(グルダ)

  10. ストーミー・ウェザー・ブルース(バーバラ・ディナーリン)

  11. オパス・デ・ファンク(ホレス・シルバー)

  12. フォー・ポール(グルダ)

  13. 君とぼく(グルダ)

  14. ジェネラル・ダンス(グルダ)


「君とぼく」(Du und I)はグルダの弾き語り。「ゴロヴィンの森の物語」を聴いた人は、グルダが歌っていても驚かないとは思う。


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■ベートーヴェン/皇帝

ミュンヘン・フィルハーモニー
1989年7月20日(ミュンヘン・ピアノの夏'89ライブ)

この演奏は現在、輸入物のDVD "Piano Concerto.5 / Piano Sonata.13: Gulda / Munich.po"に組み込まれている 。(このDVDの余白に1995年に演奏したモーツァルトの、幻想曲ニ短調 K.397、ピアノソナタ K.333(13番)、ピアノソナタ K.576(17番)が入っているのだけれど、このときのグルダがかなり老けていて、体調も良くなさそうで気になる。

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写真後列左より

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■『ノン・ストップ』 (“Non-Stop”)

1990年11月19日ミュンヘンにてライブ収録
内容は同名のCD『ノン・ストップ』と同じなので、曲名一覧はリンク先を参照のこと。


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■『チック・コリア&フリードリヒ・グルダ ザ・ミーティング ソロ・パーツ』

1982年6月27日「ミュンヘン・ピアノの夏」ライブ
次のLD『ザ・ミーティング』に先立ち、それぞれがソロで演奏したもので、A面がグルダ。

  1. 「ウルスラのための協奏曲」によるパラフレーズ(グルダ)

  2. ピアノ・ソナタ10番 K330 (モーツァルト)

  3. 「ウルスラのための協奏曲」によるパラフレーズ(グルダ)

  4. ダンス(グルダ)

  5. プレイ・ピアノ・プレイ第1番(グルダ)

  6. アリア(グルダ)

  7. プレリュードとフーガ(グルダ)

  8. ウィーンの歌「レブラウス」によるパラフレーズ (グルダ)


ちなみにチックは、B面で50分近くにわたり、「ラウンドミッドナイト」(T.モンク)インプロヴィゼーションズを演奏している。


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■『チック・コリア&フリードリヒ・グルダ ザ・ミーティング
ダブル・ピアノ・インプロヴィゼーション』 ("The Meeting")

1982年6月27日「ミュンヘン・ピアノの夏」ライブ

  1. いつかは王子様が(E.チャーチル)

  2. プット・ユア・リトル・フット・アウト(M・デイヴィス)

  3. ポエム No.3(F. パウエル)

  4. 子守唄(ブラームス)


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■モーツァルト・ピアノソナタ第4、9、12、14番、幻想曲K.475 ("Mozart for the People")

1981年2月13日、ミュンヘン、アメリカハウス・ライブ

現在『モーツァルト・フォー・ザ・ピープル』というタイトルで国内盤DVD有り

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俺は聴衆と共演するのが大好きなんだよ。つまり舞台の下から来るもの、聴衆から――そう、いい聴衆から――こちらにももたらされるものと一緒にプレイするのが好きなんだ。これはほとんど、エロチックな関係と言ってもいいくらいさ。たしかに、狭い意味でのエロチックな接触ではないけど、もっと広い意味での、昇華された意味でのエロチックな関係なんだ。聴衆とプレイして、彼らを喜ばせて、彼らの満足によって、またこちらもますますその気にさせられる、ってわけ。それは一種のセックス・プレイなんだよ。
――フリードリヒ・グルダ (『グルダの真実―クルト・ホーフマンとの対話』(1993)、pp.25-26


その"セックス・プレイ"をみるためには、LDプレイヤー購入が必要だ。しかし、金欠だああああ! というか、ソニークラシカル様、ユニバーサル・ミュージック(旧フィリップス)様、ジェネオン エンターテイメント(旧パイオニアLCD)様、お願いだからすべてDVD化してください。LDプレイヤーなんて、もうほとんど市場から消えてしまっているじゃないの。

ちなみに、弟いわく「グルダの映像には、鼻毛や耳毛がはっきり映っているものが結構ある」のだそう。