goo blog サービス終了のお知らせ 

巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

東京ミチテラス 2017

2017-12-28 23:00:12 | 日記・エッセイ・コラム




東京ミチテラスは年により当たりはずれが激しいのだが、
今年はフラワーデザイナーのニコライ・バーグマンを起用しており
私としてはこれがとてもよかった。
なお、東京ミチテラスは最終日に行くと、それほど混んでいないことが多い。


以下、行幸通り











なんだかえのき茸みたい


丸の内仲通り(丸の内イルミネーション)を通って


東京国際フォーラム





行幸通りのえのき茸みたいなものを見ていたら
なんだか無性にえの茸を食べたくなったので
帰りに道にブラウンえのき茸を購入


鍋物に入れて、おいしくいただきました。


追記:私はこのようなスナップにはCanonのPowerShot G7 X Mark IIを使う。
大体どのようなものでも、オートモードでパシャパシャとやれば
カメラのおかげできれいな絵が撮れる。
が、このような光を映す場合、
目では黄色がかかった温かみのある光なのに、
オートモードのままでは白色の光になってしまうことが多い。
そのため、プログラムモードでホワイトバランスだけは変えてあげないと
冷たい印象の絵になってしまう。

とはいえ、完全なオートモードでも
たまに実物よりもはるかにきれいな絵が撮れることがある。

以下は、完全なオートモード。(東京ドイツ村にて撮影)






2017年12月22日 東京

2017-12-22 22:24:29 | 日記・エッセイ・コラム
クリスマス直前のイルミネーション


■ 東京ミッドタウン 遠くに見えるのは東京タワー






■ 日比谷公園 東京クリスマスマーケット

シンボルであるクリスマスピラミッド


毎年少しずつ大きくなり、ドイツ風の食べ物も増えている


昨年のクリスマスマーケットにもあったこれが好きだ



■ ザ・ペニンシュラ東京



シロクマさんたちがかわいい


かわいい



■ 丸の内仲通りはキラキラでツリーもいっぱい











今日の城北中央公園

2017-11-04 22:28:11 | 日記・エッセイ・コラム
樹々が色づいてまいりました。




意味性認知症の母の手をひいて散歩に行くと、
黄葉したイチョウの樹を見て、「きれい」と母が嬉しそう。




意味性認知症の母の症状は進んでいます。
かつてアスリートだった母の足腰は弱り、
会話はほとんど続けられません。

ときには娘のわたしの名前や、
わたしが誰なのかすらわからないこともあります。

でも相変わらず、キレイなものやかわいいものが好きで
黄色く色づいたイチョウや、小さな子供や
公園内を散歩する小さな犬をみて、とても楽しそうです。

いつまでこうやって、一緒に散歩できるかな。


としまえん(あるいは、「恐怖の回転ブランコ」)

2017-09-18 21:11:25 | 日記・エッセイ・コラム
50年ぶりにとしまえんに行ってきた。



50年前のおぼろげな記憶では、あの遊園地はやたら樹が多くて、
武蔵野によくある雑木林の中にいるようだった記憶があるが、
今回行ってみた印象もそんな感じだった。







実はとしまえんは今回で3回目だ。1回目はさすがのわたしも覚えていない、
1961年。つまり0歳の時だ。その時の写真が下にある。




わたしが4月1日生まれ。母の服が夏服で、しかもこの写真が貼ってあるアルバムには、
写真の下に「早く首が座ってほしい」と書いてあるので、
生後3ヶ月からせいぜい5ヶ月ぐらいの頃だろう。
母が、24歳の写真だ。若いな。

ところで、2回目となった50年前のとしまえん、
いや当時は豊島園には、忘れがたい嫌な思い出がある。

当時、豊島園には回転ブランコがあった。
その回転ブランコは、記憶が正しければ、ほとんど装飾のないもので、
子供の目には楽しくなさそうだった。
なによりも、遠心力でブランコが斜めになるというのが、
見ているだけで怖かった。
今よくあるタイプの回転ブランコと違って、
高さが全くないものだったが、それでも子供心にはとても怖かった。

父はわたしだけを強制的にそのブランコに乗せようとした。
わたしは嫌がった。
「お父さんかお母さんも一緒に乗ってくれるの?」と必死に食いさがるも
「もう大きいんだから、一人で乗らなきゃだめだ」とか何とかいわれた。
ブランコに乗るために後ろに並んでいる人たちの目が、
「いいかんげんにしろ」と言っていた。
父は、嫌がってぐずり始めたわたしを
「他の人の迷惑になるから、早く乗りなさい」と大声で叱って、
わたしを強制的にブランコに座らせた。

ブランコが回転しはじめ、視界が斜めになり始めた時の恐怖といったら。
わたしは烈火のごとく泣き出した。
あまりに激しく泣き叫んだので、係員はブランコを途中で止めなければならなかった。
ブランコが止まり、わたしは父によって外に引っ張り出された。
父は烈火のごとく怒っていた。
ブランコに乗っている他の大人たち(当時のわたしには大人に見えたのだが、
おそらく若者だったろう)が全員冷たい目で、こちらを見ていた。
あの、大人たちの表情は、理不尽な思いとともにしっかり脳裏に刻まれてしまった。
これが今に至るまで、わたしが回転ブランコに乗れない理由だ。

ところで、父がなぜわたしを回転ブランコに乗せようとしたのかというと、
回転ブランコに乗って楽しそうなわたしの写真を、
写真を趣味としていた父が撮りたかったからだと、かなり後で母から聞いた。
が、わたしが激しく泣いたことで、その日の豊島園での家族の一日は
散々なものとなり、このときの写真は全く残っていない。

後年、『愛の嵐』という映画を観たが、
その中でナチスの強制収容所勤務の男が、
収容所に収容されている若い女たちにきれいな服を着せ、
回転ブランコに乗せて、動いている回転ブランコの彼女たちを
次々と銃で撃っていくというシーンがあった。
ほら、やっぱり回転ブランコは怖いものなんだよ。
無理やり乗せられて、怖い目を見るものなんだよ。
もう、回転ブランコは完全にトラウマ。

ちなみになぜとしまえんに行ったのかというと、
母をそこに連れていくことが可能かどうか、
下見するためだった。
認知症になった母は、子供たちが遊んでいるのを見るのが好きだ。
なので、母が腰を下ろして休めるところがあるか、
そして今の季節なら適当な日陰があるかどうか、
多目的トイレは充実しているかどうかを、
チェックしに行ったのだった。

今は回転ブランコはないし、当時は無かった110年物のカルーセルはきれいだし、
もう少し涼しくなったら、連れて行ってもいいかな。

フリーセル成功率はほぼ100%

2017-06-25 14:47:25 | 日記・エッセイ・コラム


わたしの攻略方法は、いたってシンプル。

  1. カードが並んでいる7列を、奥から手前にできる限り「大 → 小」に並べていくことを、最優先にする。

  2. 上記1を優先する中で、ホームセルに移動できるセルは移動していく。

  3. 1番奥にエースのカードがあっても上記1のルールを優先し、あまり気にしない。

  4. 1種類のスートのみ(例えばハートだけとか、スペードだけとか)がホームセルに積まれるような状態であっても、気にしない。気にしない。


このやり方でやると、カードが半分から1/3残った時点で、
7列すべての列が「大 → 小」になって、
ゲームの方が自動的に次々にホームセルに積んでくれて「上がり」となることが多い。

さて、わたしの記録の1,000回中998回の成功のうち、残りの2回はどうだったかというと
  • 30分ぐらい試行錯誤しているなかで、翌日にやろうとしてWindowsを閉じるつもりが、誤ってゲームを終了させてしまった。

  • 2分ぐらいやっていたところで、首を長くして待っていた宅配便が来たため、ゲームを終了させてしまった。


の2回なので、この2回に関してはクリアできたと思う。
ただ、クリアが不可能な配列というものもあるそうで、
長くやっていても絶対100%にはならないのだそうだ。

所要時間に関しては、最高は1時間近く考えていたと思う。
わたしの感覚では大体は2分40秒~8分の間に上がりとなる。
それも3分台が多い。
ただし短時間でクリアすることを目指しているわけではない。

一番短い1分24秒とは、900回目ぐらいに出たやつで
4枚のエースがどれもかなり奥の方にあったのだけれど
全体としては難しくなくなかった。

フリーセルについてはよく「いかに早い段階で、
エースをホームセルに積むことが出来るかが大事」と言われるが
エースのうち3枚が一番手前にあったけれど、その後が難しく
結局40分近くかかったものがある。

最初からカードがすべて見えているフリーセルは、
わたしにとってはそう難しくはない。
私にとって難しいのは、クロンダイク(皆が「ソリティア」と呼んでいるやつ)のように
見えないカードがあって、成功率がかなり運に左右されるタイプのゲームだ。