巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

神田明神は今日も混んでいた

2020-01-04 21:00:11 | 日記・エッセイ・コラム
正月3が日を過ぎたとはいえ、土曜日。
神田明神は、今日も混んでいる。


だいこく様


だいこく様の両脇にある石灯籠には「紀元二千六百年」の文字が。


紀元二千六百年とは、
神武天皇の即位から2600年目だった1940年(昭和15年)のことで、
全国で様々な記念行事が行われたとのこと。。
近所の天祖神社にも「紀元二千六百年」と彫られた石があったし、
当時3歳だった母は、紀元二千六百年を祝うちょうちん行列に
加わったことを覚えていると、話してくれたことがある。

お正月の神田明神では、毎年猿まわしをみることができる。
今年は日光さる軍団ゆりあさんと若いクゥちゃん。


ふたりの息のあった動きを見ていると、
ヒト(ヒト科)の祖先とマカク(オナガザル科)の祖先が分かれたのは
そんなに昔のことじゃなかったと思うのよね。


心付けは、クゥちゃんの好きな形のほうを…


そして、母に健康長寿守りを。
自分用には、勝守とIT情報安全守護を。

お土産は、天乃屋の甘酒と芝崎納豆小茄子辛子漬

ピンクリボンスマイルウォーク東京2019

2019-10-05 19:56:36 | 日記・エッセイ・コラム
10月は日本だけでなく、世界的に乳がん月間。
毎年10月にはさまざまなイベントが開かれる。
とはいえ、ピンクリボンスマイルウォーク東京には
今回初めて参加した。

乳がんと診断されてから10年。
いままでこのようなイベントとは無縁だったわたし。
が今回は、「一度ぐらい参加しても良いかな」と思う
複数の理由があった。

その理由の一つは、本当は今年でいったん終わるはずだった
経過観察が、画像にビミョーなものが写っていたために、
来年も継続になってしまったこと。
もう一つは膵臓の検査で引っかかってしまったこと。
さらには、重度認知症の母のこと。特養で大腿骨転子部を骨折し
当面は動けない状態に。
特養にいるとはいえ、母に費やす時間は時間は
これからはもっと多くなるだろう。
またわたしには臼蓋形成不全があって、
9年前に「このままだと、数年で歩けなくなるかも」と言われているが、
まだちょっと持ちそうだ。
というわけで、参加できるときに参加しておかないと、
参加する機会がなくなってしまうのが、参加の理由。

前日までの連日の寝不足に若干不安を覚えつつ、
心の中で「体調が悪くなったらすぐにリタイア」を唱えて参加となった。

わたしは日本橋14kmを歩く、10:30出発のコース
10月のイベントだということで申し込んだときはも
う少し涼しくなると思っていたのだが、本日の東京は暑い。

出発点とゴール地点になった、六本木ヒルズアリーナ





オープニングイベントに備えて、
モモバルーンを膨らませている皆さん



スポンサーのプレゼンに登場した生理ちゃん

この着ぐるみの身長!
中の人は背が低かったとしても、
中腰か腰を曲げているのかどちらかでないと、
この中には入れない気がする。
暑い中、ご苦労様です。

スタート! 一斉にではなく、
混乱を避けるために、数十名に分けて順次スタート。



暑い! 


日陰はそれなりに涼しいのだが、歩くコースの大半は
直射日光を浴びまくることになった。
0カロリーのアクエリアスを半分凍らせたものと
14キロコース参加者に提供された水、
それにinタブレット塩分プラスで熱中症回避。
日焼け止めは鉄板のアネッサ。
帽子はコロンビアのオムニシェイド(URF 50)の
グリーンホーンメドウブーニー。
無印の日焼けを防ぐUPF50ジップアップパーカーを羽織って、
暑さと紫外線のダメージに備えるも、
顔の頬の真ん中から下が真っ赤。

7km地点あたり。

JFE商事さんにはかつてお世話になりました。

ゴール。2時間30分強で14kmを歩いた計算になる。
まだあまり人が戻っておらず、
午後のイベントに備えて舞台をセッティング中。



計算といえば、愛用のFitbit Charge 3にて記録した、
今回のウォーキング内容は以下の通りだ。



時間より早めにエクササイズの記録を開始し、
ゴールしてからもしばらくエクササイズ終了を押し忘れたので、
距離は若干多め、時間も長めに出ている。
Googleマップのタイムラインでは、
10:34~12:36までの間の距離が13.8 km。


1kmごとのスプリットタイム。



普段は大体1 km を10分40秒前後で歩いているので、
かなりハイペースで歩いていたことになる。
最も暑くなる午後2時ごろに歩くのは避けたいのと、
その後の予定を考えると、
はやく終わらせたくてどうしても早歩きになってしまう。
この速さのために、Googleマップのタイムラインでは、
この時間の私の行動を「ランニング」と認識していた。
(「徒歩」に修正しておいた。)


心拍数。わたしの安静時心拍数は、71~74ぐらい。

180に到達したのは、信号が変わる前に横断歩道を渡ろうと、
ダダダッと走った時じゃないかな。

14 kmという距離そのものは大丈夫だったのだが、
早足で歩いたので
ちょっと股関節に負担が来ているかもよ。

台風一過の夕方は

2019-09-09 22:03:32 | 日記・エッセイ・コラム
暑い。そして、赤い。



このところ、個人的に良くないことが続いている。

8月の下旬に13年使ったエコキュートが壊れた。
あわてて新しいものを発注しようにも
消費税増税前の特需で
10月の中旬以降まで待たねばならないらしい。

9月の第1週に、母が特養にて大腿骨転子部骨折。
母は重度の認知症なので
自分がどこにいて、なぜそこにいるのかを理解できない。
毎晩見舞いに行っている私のことも
誰だかわからないことが多い。
そんな状態のまま
母からけっこう文句を言われる。
正直、滅入る。

滅入った気分を変えようとして、某ファミレスで昼食。
きちんと水分を取ろうとドリンクバーを頼んだら、
私が飲もうとしたものに限って、
  • カフェラテは苦いコーヒーがカップに半分、ミルク成分はほぼゼロ
  • ウーロン茶は、薄く色がついただけのほぼ水の状態

という、ありさまだった。

悪いことは続くもので、
常に身に着けているアクテビティトラッカー
Fitbit Charge 3が母の骨折と機を同じくしてまたも故障。
「またも」と書いたのは
6月に一度故障しており代替機を送ってもらったのだが、
今度はその代替機に、前回と同じような現象が起こっているから。
その現象とは:
  • 心拍数測定が不正確になるか全く測定しなくなる。
  • 電池持ちが異様に悪くなる。100%充電しても12時間ぐらいしか持たない。

Fitbit社製のトラッカーはこれまでに数種類使ってきたが、
こんなトラブルは初めてだ。

そして、ここで電動アシスト自転車の後輪がパンク。
母の入院先へ行くための足として、必要なのに。
このパンクが発生したのが
自転車の定期点検から数日後というタイミング。
先ほど電チャリを自転車屋さんに持って行ったのだが、
なんと、カマキリをどこかで電チャリにくっつけていたらしい。
店員さんその1が、後輪の泥除けについていたカマキリをだまって指さし、
店員さんその2が、それをそっとつまんで、外に持って行った。
私も不幸だが、不本意に変なところにつ入れて行かれたカマキリも
またかわいそうなのであった。

自転車の修理の完了は明後日の午後だそうだ。

祖母の占いの話~終戦記念日によせて

2019-08-15 22:05:13 | 日記・エッセイ・コラム
私の母方の祖父は、徴兵にとられフィリピンへ行き、そこで戦死した。その時の様子は「ある男とその家族の話」(2004年6月28日のエントリー)に書いた通りだ。

本日は終戦記念日なので、その話に加えて、戦争体験の話をちょっとだけ付け加えたい。


◆◆◆


祖父がフィリピンのルソン島で1945年3月に戦死したとの知らせが入った。その後「遺骨」が返ってきたが、それは木箱の中に祖父の名前が書いてある紙が1枚入っているだけのものだった。

遺骨が無いのだから、死んだという確たる証拠はない。祖母はあきらめることが出来なかったのだろう。実際、「戦死」とされていた父が、兄が、弟が、息子が生きていて、戦後ある日ひょっこりと帰ってくるということが、当時は結構あったらしい。そこで祖母は戦争が終わると、様々な占い師のもとに行っては、自分の夫が生きているかどうか、そして自分のもとへ帰ってくだろうかを、占ってもらったそうだ。

占い師たちは異口同音に「生きている」「帰ってくる」と答えた。それを聞くたびに祖母は狂喜し、生活が苦しいにも関わらず、占い師たちに気前よくお金を渡した。

祖母が戦後しばらくいろいろな占い師のもとに通っていたという話は、母から聞いた。あれは、1970年代にこっくりさんが流行っていた時のことだった。他の中学生同様にこっくりさんに夢中になっていた私に、母は言った。「こっくりさんなんか、あてにならないよ。『お父さんが帰ってくる』って言ったんだから。馬鹿だよねぇ。母ちゃんは。占い師は母ちゃんが聞きたいと思っている答えを言えば、たくさんお金をくれることが分かっているから、『生きている』『帰ってくる』と、言っていただけなのにねぇ。占い師の答えに大喜びして、そのたびに大金を払って。」占い師のところから帰ってくるたびに、祖母は母に「ほら、やっぱりお父さんは帰ってくるんだよ!」と嬉しそうに報告したそうだ。

結局のところ、祖父は帰ってこなかった。が、祖母は、1972年にグアム島で横井庄一さんが発見され、その後フィリピンのルバング島で小野田寛郎さんが出てきたこともあって、「ひょっとしたら、自分の夫は実はどこかで生きているかもしれない。」と、ずっと考えていたらしい。そんな話を、祖母が亡くなった後で聞いた。


京成バラ園の早朝開園

2019-05-25 22:10:17 | 日記・エッセイ・コラム
京成バラ園の早朝開園に行ってきました。
昨年は、5月の連休後に弟が倒れたために行けず、
2年ぶりです。

なお、一昨年のバラ園のエントリーは
薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である (Rose is a rose is a rose is a rose.)にて。


朝、6時の開園を待つ人々。


中は、バラだらけ。


バラだらけ。


バラだらけ。バラだらけ。
早朝ということもあって、
バラ園全体がひときわ良い香りです。



では、気になった品種をの中から
一昨年のエントリーでは取り上げなかったものを。



アンティークレース
若い夫婦が、「これを買っていこうか」と
話し合っていました。


シャルル ドゥ ゴール
ブルーローズ系の薔薇は香りのあるものが多いけど
このフランスの第18代大統領の名前の薔薇も
よく香ります。ブルーローズ特有の香りです。


ブラン ピエール ドゥ ロンサール


パープルタイガー


ミスター ローズ
Mr. Roseとは日本のバラの育種家で
京成バラ園芸所長だった故 鈴木省三氏のことです。



京成バラ園は、基本的には、
バラを育てる人が来るところのようです。
(恋人の聖地でもあるようですが。)
みな、バラ園でバラを見て、
気に入った種類の苗を購入していったり、
仕立て方のヒントにしたり。
だから、花の説明に「育てやすい」とか
「病気に強い」とか書いてあるわけです。
「買っていって植えたけれど、
一輪しか咲かなかった」とか言う話も聞こえてきました。
うーん、大変そうだな。


もちろん、ここでは最近人気の園芸品種ばかりを
扱っているわけではありません。

ロサ ポミフェラ
原種バラ。立派なローズヒップが生るので
アップルローズとも呼ばれています。


ダマスクローズ
一般的に「薔薇の香水」でイメージする香りは
たぶんこのダマスクローズの香り。
花びらをジャムにもしたりします。



この季節にここへ来たら私は必ず
薔薇のソフトクリームを食べます。