巣窟日誌

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ある男とその家族の話

2004-06-28 21:45:00 | 日記・エッセイ・コラム
昔昔の戦争にまつわる、ある男とその家族の話だ。まったくの作り話かもしれないし、モデルとなる実話があるかもしれない。「この話のモデルはうちだ」と思うのは、いったい何人いるのだろうか。

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男は終戦の前の年の6月の終わりに、海軍に徴兵された。男の住んでいるところは梅雨時に田植えをする習慣だった。そこで男は、親戚に手伝ってもらい、大急ぎで田植えを終えるやいなや、家と子供を妻に任せた。

男は、その年の10月か11月に、船でフィリピンへ発った。10月か11月と書いたのは、もうそのころには、すべてが混乱していたため、正確な記録がないからだ。船は民間船だった。

翌年の3月、男はフィリピンで戦死した。無論、はるか故郷で男の妻がそれより1ヶ月前に、自分の長男である4人目の子供を生んだことなど、男には知る由もなかった。

戦争が終わったとき、男の妻のもとには、8歳の長女を筆頭に、次女と三女、そして、乳飲み子だった長男が残された。

未亡人となった男の妻は、「戦争未亡人」として、周囲から好奇の眼を浴び、嫌がらせを受けた。再婚したい人もあらわれたが、結局、それはできかった。何かの機会に酒を飲むと、そのたびに男の妻は、夫の位牌を箸でたたいては、泣きながら独りごちるのだった。

「お父さん、何で帰ってきてくれないんだ。お父さんさえ帰ってきてくれていたら。」

貸していた田んぼは、「不在地主」であるとして、農地改革によりすべて借主のものになった。まだ子供だった長女がほとんど学校へ行かず、夫の妻といっしょに、残った土地で米や野菜を作り、かつては自分たちのものだった土地を、少しずつ買い戻していった。

大黒柱を戦争で失った一家のもとには、いろいろなものがやって来た。

宗教団体がたびたびやってきては、「あなたの夫が帰ってこないのは、信仰心が足りないからだ。わたしたちの会に入れば、きっと戻ってくる」と、繰り返し言った。そして一家がついぞなびかないと見るや、捨てゼリフをはいては立ち去るのだった。

「こんな不信心な家だから、旦那が戦死するんだ!」

また、復員してきた男たちは、口々に言うのだった。「死んだ奴には、死ぬだけの理由があった。俺たちが帰ってこられたのは、俺たちの行いが良かったからだ。」

さらに言うのだった。「貧乏人が靖国に祭ってもらうのだから、感謝すべきだ。ありがたく思わないと。」

それは、生き残ったことに対する、男たちの後ろめたさが言わせたことばだったかもしれない。けれど、生まれたときからこのことばを、繰り返し、繰り返し聞かされてきた男の長男には、そのことばを真に受けて信じる以外になかった。

??戦争で死んだ人間には、死ぬだけの理由があるのだ。

そう信じながら、男の長男は成長し、就職し、結婚し、子供を育てた。

戦争にいった男とその妻が再び一緒になったのは、二人が最後に別れてから57年後のことだった。母である夫の妻が死んだあとに、長男はいろいろな人の書いた戦争時の手記を読みあさり、そしてやっとひとつの結論に達した。

??戦争で死んだ人間と生き残った人間の間にある違いは、単なる「運」でしかなかったのだ。