本日(2004年6月5日)の朝日新聞のbe(土曜版)のビジネス版に、デルの会長であるマイケル・デル氏の記事が出ていた。記事の内容はともかく、わたしが目をとめたのは、beの1面の出ていた、彼が写っている写真のポーズだ。
さすが、アメリカ人。
ビックカメラ有楽町店にて、デルのコーナーのディスプレイ台の上に腰を掛け、2台の自社パソコンを肘掛代わりにして微笑んでいる。いくら30代だったとしても、日本人の経営者にあんなポーズはなかなかできない。日本人があれと同じポーズをとって新聞にバーンと載ったら、翌日その企業には「商品台の上に座るんじゃねぇよ!」と、クレームの電話の数本は入るのを覚悟しなければならないだろう。
一般的にアメリカ人のエグゼクティブは、リラックスした雰囲気をかもし出している写真を撮られるのが好きだ。会長や社長であってもファースト・ネームで呼ばれるのを好む国なだから、フレンドリーな姿勢を示したほうが良いと考えているのかもしれないし、リラックスした雰囲気で写っている方が、当人の自信を示すことができると思っているのかもしれない。
エグゼクティブではなくても、アメリカ人の人物の写し方には特徴がある。
まだ、デルが日本で売られる前、アメリカ本国向けのパンフレットのなかに、「デルのコンピュータは世界中の顧客に選ばれている」ことを示すリーフレットがあって、そこには世界何カ国かのユーザーの写真と、インタビューに基づく記事が載っていた。その中に日本人のユーザーの写真もあったのだが、これが「やっぱりアメリカ人には、こういう写真が受けるんだねぇ。」「でも、日本ではつかえないけどねぇ。」と、そのリーフレットをみた日本人誰をも、言わせるようなものだった。
どういう写真だったのかというと、ビジネススーツを着た日本企業のエグゼクティブと思しき人物(けっこう素敵なおじさまで、実際に一流企業の管理職の肩書きと名前が書かれていた)が、どこかの神社の長くて急な石段の真ん中で腰をかけているというものだ。写真のアングルは石段の正面(つまり彼の正面)だ。正面を向いて石段に腰をかけている彼のポーズといえば、両膝が離れており、足首の前で足を交差している。彼の顔には大きな微笑が浮かび、その膝の上ではデルのノートパソコンが開かれており…
おいおい、どこの日本人がスーツ着たまま、神社の石段に腰を下ろしてノートパソコンなんか開くかよ。そして、どうしてこの日本人は、日本人が撮った写真ではありえないほど、こうも大げさに微笑んでいるんだよ。
おそらく、神社の長い石段は、アメリカ人にとって、日本的情緒をあらわすのに最適なものだったのだろう。そして、モデルになった日本人エグゼクティブの大きな微笑みも、アメリカ人向けのドキュメントには必須だったのだろうと思われる。普通の日本人の微笑では「東洋人の意味のないニヤニヤ笑い」に解釈され、読む者に誤解を与える可能性があったのだから。しかし、その写真は日本人の眼からは、明らかに文化のミスマッチに見てた。
それにしても、朝日新聞のマイケル・デルの写真をみて「マイケルも老けたなぁ」と思う。わたしがデルに会ったのは日本市場参入のときだものね。きっと自分も当時よりは相当老けているんだろうなぁ。他人の老いをみて自分の老いを知るとは、このことだ。
さて…と、フェイササイズだ。
さすが、アメリカ人。
ビックカメラ有楽町店にて、デルのコーナーのディスプレイ台の上に腰を掛け、2台の自社パソコンを肘掛代わりにして微笑んでいる。いくら30代だったとしても、日本人の経営者にあんなポーズはなかなかできない。日本人があれと同じポーズをとって新聞にバーンと載ったら、翌日その企業には「商品台の上に座るんじゃねぇよ!」と、クレームの電話の数本は入るのを覚悟しなければならないだろう。
一般的にアメリカ人のエグゼクティブは、リラックスした雰囲気をかもし出している写真を撮られるのが好きだ。会長や社長であってもファースト・ネームで呼ばれるのを好む国なだから、フレンドリーな姿勢を示したほうが良いと考えているのかもしれないし、リラックスした雰囲気で写っている方が、当人の自信を示すことができると思っているのかもしれない。
エグゼクティブではなくても、アメリカ人の人物の写し方には特徴がある。
まだ、デルが日本で売られる前、アメリカ本国向けのパンフレットのなかに、「デルのコンピュータは世界中の顧客に選ばれている」ことを示すリーフレットがあって、そこには世界何カ国かのユーザーの写真と、インタビューに基づく記事が載っていた。その中に日本人のユーザーの写真もあったのだが、これが「やっぱりアメリカ人には、こういう写真が受けるんだねぇ。」「でも、日本ではつかえないけどねぇ。」と、そのリーフレットをみた日本人誰をも、言わせるようなものだった。
どういう写真だったのかというと、ビジネススーツを着た日本企業のエグゼクティブと思しき人物(けっこう素敵なおじさまで、実際に一流企業の管理職の肩書きと名前が書かれていた)が、どこかの神社の長くて急な石段の真ん中で腰をかけているというものだ。写真のアングルは石段の正面(つまり彼の正面)だ。正面を向いて石段に腰をかけている彼のポーズといえば、両膝が離れており、足首の前で足を交差している。彼の顔には大きな微笑が浮かび、その膝の上ではデルのノートパソコンが開かれており…
おいおい、どこの日本人がスーツ着たまま、神社の石段に腰を下ろしてノートパソコンなんか開くかよ。そして、どうしてこの日本人は、日本人が撮った写真ではありえないほど、こうも大げさに微笑んでいるんだよ。
おそらく、神社の長い石段は、アメリカ人にとって、日本的情緒をあらわすのに最適なものだったのだろう。そして、モデルになった日本人エグゼクティブの大きな微笑みも、アメリカ人向けのドキュメントには必須だったのだろうと思われる。普通の日本人の微笑では「東洋人の意味のないニヤニヤ笑い」に解釈され、読む者に誤解を与える可能性があったのだから。しかし、その写真は日本人の眼からは、明らかに文化のミスマッチに見てた。
それにしても、朝日新聞のマイケル・デルの写真をみて「マイケルも老けたなぁ」と思う。わたしがデルに会ったのは日本市場参入のときだものね。きっと自分も当時よりは相当老けているんだろうなぁ。他人の老いをみて自分の老いを知るとは、このことだ。
さて…と、フェイササイズだ。