巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

羽田空港機能強化 実機飛行確認

2020-02-02 19:37:05 | 日記・エッセイ・コラム
始まっています。



上の写真は本日16:47ごろ
下赤塚駅の近くからみえたボーイング777
JL5便(ニューヨークJFK空港発 東京羽田空港行)です。
三園~成増~赤塚新町上空ルートを飛んでいます。

私の住む板橋区は南風時に飛行ルートの下になります。
板橋区のホームページによれば、
実機飛行確認は、令和2年2月1日~3月11日の間の
南風時に7日間程度、15時~19時に行われます。

そして、3月29日以降は南風時の15時~19時(実質3時間)に

好天時
    三園~成増~赤塚新町上空 14便程度/時
    小豆沢~常盤台~向原上空 30便程度/時
悪天時
    三園~成増~赤塚新町上空 30便程度/時

が、上空を通過することになります。
本日は、実機飛行確認が南風時の好天時のルートで行われていました。

一方、板橋区西台のわたしの自宅から東側の空に見えるのは、
小豆沢~常盤台~向原上空を通る飛行機です。
日が暮れて航空灯が良く見えるようになってくると、
東から入ってきて南に進路を変えるこのルートを通る飛行機が、
4機から5機連なって次々とやってくるのが見えます。
その軌跡は一本の曲線上をきちんとなぞっているような感じ。
米軍が支配する「横田空域」にかかるところですから、
ここは、本当に線の上を飛ばないといけないのかもしれません。
(何しろ日本は敗戦国ですから。)

さて、羽田空港機能強化の説明会の時は、
一機のみの音をヘッドフォンを通して聴きましたが、
実際には、次々に飛んできては遠ざかっていく複数の飛行機の音が、
姿は見えなくても常に空全体に響いているような印象です。

おそらく板橋区の多くの地域では、南風時の15時~19時(実質3時間)は、
外にいれば飛行音が途切れなく聞こえる状態になるかと思います。
三園~成増~赤塚新町ルートの下に住む人にも
小豆沢~常盤台~向原ルートの飛行音が聞こえ、その逆もそうなるかと。
また、両方のルートを通る飛行機を同時に見ることができる地域も
結構あるのではないかな? 下赤塚からは両方がよく見えました。

我が家は飛行ルートの真下にはないため、
2006年に当時の次世代省エネ標準準拠で建てた家の中で、
窓を閉めていれば音は気になりませんでした。
飛行ルートの真下にいる人たちはどうなのでしょうか。

神田明神は今日も混んでいた

2020-01-04 21:00:11 | 日記・エッセイ・コラム
正月3が日を過ぎたとはいえ、土曜日。
神田明神は、今日も混んでいる。


だいこく様


だいこく様の両脇にある石灯籠には「紀元二千六百年」の文字が。


紀元二千六百年とは、
神武天皇の即位から2600年目だった1940年(昭和15年)のことで、
全国で様々な記念行事が行われたとのこと。。
近所の天祖神社にも「紀元二千六百年」と彫られた石があったし、
当時3歳だった母は、紀元二千六百年を祝うちょうちん行列に
加わったことを覚えていると、話してくれたことがある。

お正月の神田明神では、毎年猿まわしをみることができる。
今年は日光さる軍団ゆりあさんと若いクゥちゃん。


ふたりの息のあった動きを見ていると、
ヒト(ヒト科)の祖先とマカク(オナガザル科)の祖先が分かれたのは
そんなに昔のことじゃなかったと思うのよね。


心付けは、クゥちゃんの好きな形のほうを…


そして、母に健康長寿守りを。
自分用には、勝守とIT情報安全守護を。

お土産は、天乃屋の甘酒と芝崎納豆小茄子辛子漬

外科手術と被影響性の亢進が、大腿骨を骨折した母を救う

2020-01-03 21:14:51 | 美容と健康

2020年1月3日。
母がいる特別養護老人ホームの屋上から見た夕暮れの富士山。
今年も、母が健康でいられますように。




ここ数年の母は、
どうやったら歩くことができるのかを
忘れてしまったかのように
フラフラとぎこちなく歩くようになっていた。

そして、昨年9月の明け方、
母は特養のベッドから落ちて、
歩けずにいるところを見つかった。
病院へ運ばれた母は、
大腿骨転子部骨折と診断された。

重度の認知症の82歳の母。
私も弟もこの時点で、
母が寝たきりになることを覚悟した。
2日後に骨折観血的手術を受け、
ほどなくリハビリが始まった。

病院での母は、
同室の他の入院患者の付き添いの方が言うには、
医師にも看護師にも逆らわない、
きわめて扱いやすい患者だったらしい。
その一方、私が毎晩お見舞いに行っても
何の反応も興味も示さなかった。

入院日から数えて15日目に退院して
特養の自分の部屋に戻った後も、
母はほとんどのものに反応しなくなっていた。
おまけに、食べることや飲むことも
忘れてしまったかのように
食事も水分もとろうとせず、
あと1日この状態が続いたら、
点滴や栄養のために病院へ入院させるしか
ないかもしれない、という事態になった。

最後の手段として、特養のスタッフが食事時に、
同じユニットの他の入所者が集まるリビングに
母を連れて行った。

すると母は、今まで食べなかったのは
いったい何だったろうかと思うほど、
バクバクと飲み食いを始めた。

母の認知症は前頭側頭葉変性症の一種である意味性認知症で、
母は他人のやっている動作を反射的に模倣する傾向がある。
(いわゆる「被影響性の亢進」というやつ)
そこで、他の人が食べ物を食べているのを見てこれを模倣した結果、
物を食べたり飲んだりすることができるようになったわけだ。

食事がとれるようになると、母はそろりそろりと歩き始めた。
現在の母は、ラクッションパンツを着用し、
室内にはいろいろと転倒対策をしている。
職員の方たちも、これまで以上に母の転倒に注意している。
寝たきりになるのは、もっと先のことだろう。




(以下の、リンク先のAERAの記事は、高齢者の大腿骨骨折に関するもの。
母が手術を受けたのは、この記事にある高島平中央総合病院である。)
黒柳徹子が明かした「大腿骨骨折」 患者数が年々増加、寝たきりリスクも

アタリちゃん

2019-12-29 22:25:01 | ノラネコ
9月の初めごろ。自転車置き場に放置してある
母の自転車のリアバスケットをみると、
小さな猫が1匹入ってた。
顔は頬がこけていて、
「これ、猫だよね」と確認したくなるような
逆三角形のカマキリ顔。



その猫はわたしの顔を見るなり、
あわてて自転車から降りた。
その、体のびっくりするほど細いこと、細いこと。
リアバスケットには自分で入ったのだろうが、
こんな体でよく自力で自転車の上に登れたものだと
感心するほどの細さ。

自転車から降りたこの猫はそのまま私に突進し、
わたしの脚にぶつかっては逃げる、を繰り返した。
気をひきたかったのと、
自分の臭いをつけたかったのだろうが、
見ず知らずの人間にそんなことをするなんて、
決死の覚悟だったに違いない。

そんなわけで、
わたしはこの猫を「アタリちゃん」と呼ぶことにした。

そして3ヶ月強が経過。
最近のアタリちゃんは猫らしい顔つきと体つきになってきている。



ピンクリボンスマイルウォーク東京2019

2019-10-05 19:56:36 | 日記・エッセイ・コラム
10月は日本だけでなく、世界的に乳がん月間。
毎年10月にはさまざまなイベントが開かれる。
とはいえ、ピンクリボンスマイルウォーク東京には
今回初めて参加した。

乳がんと診断されてから10年。
いままでこのようなイベントとは無縁だったわたし。
が今回は、「一度ぐらい参加しても良いかな」と思う
複数の理由があった。

その理由の一つは、本当は今年でいったん終わるはずだった
経過観察が、画像にビミョーなものが写っていたために、
来年も継続になってしまったこと。
もう一つは膵臓の検査で引っかかってしまったこと。
さらには、重度認知症の母のこと。特養で大腿骨転子部を骨折し
当面は動けない状態に。
特養にいるとはいえ、母に費やす時間は時間は
これからはもっと多くなるだろう。
またわたしには臼蓋形成不全があって、
9年前に「このままだと、数年で歩けなくなるかも」と言われているが、
まだちょっと持ちそうだ。
というわけで、参加できるときに参加しておかないと、
参加する機会がなくなってしまうのが、参加の理由。

前日までの連日の寝不足に若干不安を覚えつつ、
心の中で「体調が悪くなったらすぐにリタイア」を唱えて参加となった。

わたしは日本橋14kmを歩く、10:30出発のコース
10月のイベントだということで申し込んだときはも
う少し涼しくなると思っていたのだが、本日の東京は暑い。

出発点とゴール地点になった、六本木ヒルズアリーナ





オープニングイベントに備えて、
モモバルーンを膨らませている皆さん



スポンサーのプレゼンに登場した生理ちゃん

この着ぐるみの身長!
中の人は背が低かったとしても、
中腰か腰を曲げているのかどちらかでないと、
この中には入れない気がする。
暑い中、ご苦労様です。

スタート! 一斉にではなく、
混乱を避けるために、数十名に分けて順次スタート。



暑い! 


日陰はそれなりに涼しいのだが、歩くコースの大半は
直射日光を浴びまくることになった。
0カロリーのアクエリアスを半分凍らせたものと
14キロコース参加者に提供された水、
それにinタブレット塩分プラスで熱中症回避。
日焼け止めは鉄板のアネッサ。
帽子はコロンビアのオムニシェイド(URF 50)の
グリーンホーンメドウブーニー。
無印の日焼けを防ぐUPF50ジップアップパーカーを羽織って、
暑さと紫外線のダメージに備えるも、
顔の頬の真ん中から下が真っ赤。

7km地点あたり。

JFE商事さんにはかつてお世話になりました。

ゴール。2時間30分強で14kmを歩いた計算になる。
まだあまり人が戻っておらず、
午後のイベントに備えて舞台をセッティング中。



計算といえば、愛用のFitbit Charge 3にて記録した、
今回のウォーキング内容は以下の通りだ。



時間より早めにエクササイズの記録を開始し、
ゴールしてからもしばらくエクササイズ終了を押し忘れたので、
距離は若干多め、時間も長めに出ている。
Googleマップのタイムラインでは、
10:34~12:36までの間の距離が13.8 km。


1kmごとのスプリットタイム。



普段は大体1 km を10分40秒前後で歩いているので、
かなりハイペースで歩いていたことになる。
最も暑くなる午後2時ごろに歩くのは避けたいのと、
その後の予定を考えると、
はやく終わらせたくてどうしても早歩きになってしまう。
この速さのために、Googleマップのタイムラインでは、
この時間の私の行動を「ランニング」と認識していた。
(「徒歩」に修正しておいた。)


心拍数。わたしの安静時心拍数は、71~74ぐらい。

180に到達したのは、信号が変わる前に横断歩道を渡ろうと、
ダダダッと走った時じゃないかな。

14 kmという距離そのものは大丈夫だったのだが、
早足で歩いたので
ちょっと股関節に負担が来ているかもよ。

台風一過の夕方は

2019-09-09 22:03:32 | 日記・エッセイ・コラム
暑い。そして、赤い。



このところ、個人的に良くないことが続いている。

8月の下旬に13年使ったエコキュートが壊れた。
あわてて新しいものを発注しようにも
消費税増税前の特需で
10月の中旬以降まで待たねばならないらしい。

9月の第1週に、母が特養にて大腿骨転子部骨折。
母は重度の認知症なので
自分がどこにいて、なぜそこにいるのかを理解できない。
毎晩見舞いに行っている私のことも
誰だかわからないことが多い。
そんな状態のまま
母からけっこう文句を言われる。
正直、滅入る。

滅入った気分を変えようとして、某ファミレスで昼食。
きちんと水分を取ろうとドリンクバーを頼んだら、
私が飲もうとしたものに限って、
  • カフェラテは苦いコーヒーがカップに半分、ミルク成分はほぼゼロ
  • ウーロン茶は、薄く色がついただけのほぼ水の状態

という、ありさまだった。

悪いことは続くもので、
常に身に着けているアクテビティトラッカー
Fitbit Charge 3が母の骨折と機を同じくしてまたも故障。
「またも」と書いたのは
6月に一度故障しており代替機を送ってもらったのだが、
今度はその代替機に、前回と同じような現象が起こっているから。
その現象とは:
  • 心拍数測定が不正確になるか全く測定しなくなる。
  • 電池持ちが異様に悪くなる。100%充電しても12時間ぐらいしか持たない。

Fitbit社製のトラッカーはこれまでに数種類使ってきたが、
こんなトラブルは初めてだ。

そして、ここで電動アシスト自転車の後輪がパンク。
母の入院先へ行くための足として、必要なのに。
このパンクが発生したのが
自転車の定期点検から数日後というタイミング。
先ほど電チャリを自転車屋さんに持って行ったのだが、
なんと、カマキリをどこかで電チャリにくっつけていたらしい。
店員さんその1が、後輪の泥除けについていたカマキリをだまって指さし、
店員さんその2が、それをそっとつまんで、外に持って行った。
私も不幸だが、不本意に変なところにつ入れて行かれたカマキリも
またかわいそうなのであった。

自転車の修理の完了は明後日の午後だそうだ。

祖母の占いの話~終戦記念日によせて

2019-08-15 22:05:13 | 日記・エッセイ・コラム
私の母方の祖父は、徴兵にとられフィリピンへ行き、そこで戦死した。その時の様子は「ある男とその家族の話」(2004年6月28日のエントリー)に書いた通りだ。

本日は終戦記念日なので、その話に加えて、戦争体験の話をちょっとだけ付け加えたい。


◆◆◆


祖父がフィリピンのルソン島で1945年3月に戦死したとの知らせが入った。その後「遺骨」が返ってきたが、それは木箱の中に祖父の名前が書いてある紙が1枚入っているだけのものだった。

遺骨が無いのだから、死んだという確たる証拠はない。祖母はあきらめることが出来なかったのだろう。実際、「戦死」とされていた父が、兄が、弟が、息子が生きていて、戦後ある日ひょっこりと帰ってくるということが、当時は結構あったらしい。そこで祖母は戦争が終わると、様々な占い師のもとに行っては、自分の夫が生きているかどうか、そして自分のもとへ帰ってくだろうかを、占ってもらったそうだ。

占い師たちは異口同音に「生きている」「帰ってくる」と答えた。それを聞くたびに祖母は狂喜し、生活が苦しいにも関わらず、占い師たちに気前よくお金を渡した。

祖母が戦後しばらくいろいろな占い師のもとに通っていたという話は、母から聞いた。あれは、1970年代にこっくりさんが流行っていた時のことだった。他の中学生同様にこっくりさんに夢中になっていた私に、母は言った。「こっくりさんなんか、あてにならないよ。『お父さんが帰ってくる』って言ったんだから。馬鹿だよねぇ。母ちゃんは。占い師は母ちゃんが聞きたいと思っている答えを言えば、たくさんお金をくれることが分かっているから、『生きている』『帰ってくる』と、言っていただけなのにねぇ。占い師の答えに大喜びして、そのたびに大金を払って。」占い師のところから帰ってくるたびに、祖母は母に「ほら、やっぱりお父さんは帰ってくるんだよ!」と嬉しそうに報告したそうだ。

結局のところ、祖父は帰ってこなかった。が、祖母は、1972年にグアム島で横井庄一さんが発見され、その後フィリピンのルバング島で小野田寛郎さんが出てきたこともあって、「ひょっとしたら、自分の夫は実はどこかで生きているかもしれない。」と、ずっと考えていたらしい。そんな話を、祖母が亡くなった後で聞いた。


グーラッシュ(グヤーシュ)の話

2019-07-14 20:23:26 | 
最初に断っておきますが、このエントリーは長いですよ。

◆◆◆

中欧へツアーで旅行に行くと1回は出てくる、パウダー状のパプリカをたっぷり入れたハンガリー発祥の牛肉のスープまたはシチュー。オーストリアではグーラッシュと呼び、ハンガリーではグヤーシュと呼ぶ。

バリエーションはいろいろあって、スープのようなあっさりしているか、シチューのようになっているか、肉の煮込み料理になっているかは、その地方や作り手によって違う。「中毒になるほどものすごく美味しい」というものではないが、日本人の口にあうはず。わたしは1年に1回ぐらい食べたくなるので、輸入もののグーラッシュの素があれば自分で作り、なければ、青山通りのカフェラントマンに行く。

で、今回はグーラッシュの素を使わず自分で作ってみようと思ったわけ。



メインとなる食材は、牛肉(他の肉やソーセージを使ったバリエーションもあるけどやっぱり牛肉!)、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、トマト(缶詰やピューレ等でも可)、ピーマン系の何か(ここで「何か」という理由は、このエントリーの最後の方に)を適当にぶち込む。ちなみに私は野菜ゴロゴロがすき。

グーラッシュをグーラッシュたらしめるスパイスとして欠かせないのは、色と風味をつけるパプリカ(辛みのない唐辛子の粉で、スーパーの香辛料売り場には必ずある)を結構な量と、風味を左右するキャラウェイかクミン。そして、ニンニク、ローリエ、塩・コショウ等。唐辛子としての辛みが欲しければ、カイエンペッパーを足すこともある。

調理方法はカレーやシチューとほぼ同じで、具材を炒めたうえで煮込めば、大体それらしいものができる。今回はその際にビーフコンソメの素と白ワインを少々足している。ちなみに上の写真のものは玉ねぎをあまり炒めずに作ってしまったので、そこは失敗。

◆◆◆

グーラッシュには旅行の思い出がある。

祈念すべき最初のグーラッシュ・エクスペリエンスは、2010年オーストリアはザルツブルクにあるヨーロッパ最古のレストラン。ザンクトペーター・シュティフツケラーのグーラッシュ。



ツアー用の料理のため量は控えめ。そしてその時のツアー一行の関心は「できそこないのタコさんウィンナー」のようなソーセージの形状に集中。
丸いドーム型のものは小麦粉やジャガイモベースのダンプリング。これはのちにウィーンのカフェでグーラッシュを頼んだ時にもついていた。実はなぜこの時の、ちょうど乳がんの全摘手術から1周年の日に食べたものだったから。


翌年は、ツアーの中欧旅行中、チェコはブダペストでやはりグーラッシュに遭遇。



ここについているのは、「クネドリーキ」という茹でパン。

実は、その時の中欧旅行では、グラーシュ発祥の地であるハンガリーで、現地添乗員お勧めのチューブに入った「グヤーシュの素」を購入している。それを使って後に作ったのが、これ。



ご覧のように、力が入ってクネドリーキも自作。クネドリーキには強力粉、ドライイーストに古くなったパンを混ぜ込んだ記憶がある。大量のジャガイモで作るバージョンもあると聞く。


次の写真は2013年2月、ウィーンのリンク通り沿いにあったカフェ・ショッテンリンクでのグーラッシュ。



「ピーマン系の何か」といったのは、おそらくこんなものが入るだろうから。私の第一印象は「中途半端に熟した万願寺がのってる?」

さて、ここにもザルツブルクで食したのと同様のダンプリングが。しかもなんと2つも。これだけでもボリュームがあるのに、オーストリアのパンが好きなわたしは、別途三日月形のパンも注文。で、もちろんメランジェ(カプチーノみたいなコーヒー)も。旅行となると、私はしばしば大食漢に変身するのである。
さて、そのとき、グーラッシュを食らう私の前に広がっていた光景がこれ。


1879年の創業の由緒あるカフェだったのだ。リンク通りとはいえもともと観光客があまり来ない場所にあるし、さらには2月という観光のシーズンオフの夕方。観光客は私を除いて全くおらずそこでくつろいでいるのは少数の地元の人だけ。 しかし、このカフェ、残念ながらその後まもなく閉店になってしまった。閉店を知った時はマジで涙した。。


2015年の12月のウィーンのクリスマスマーケットでは、ブール型のパンに入ったグーラッシュがおいしかった。



パンの中には他のシチューを入れてもらうこともできるのだが、やはりグーラッシュが一番おいしそうで、ついでに値段も他のシチューを入れてもらうよりちょっと高い、6.4ユーロだった。蓋はバリバリ食べちゃったが、パンは完食できなかった。

◆◆◆

さて、今回、2週間前に一度作って、「うーん?」と考え、もう一度作り直した。

どこが問題になるかというと、先ずはスパイス。パプリカは必須として、その次に来るのものをキャラウェイにするかクミンにするかが風味の分かれ目。キャラウェイ(甘い風味がするのでお菓子に使われることが多い)とクミン(カレーに必須)では、外見はそっくりだけど、バジルと大葉の違いぐらい風味が異なる。どちらが好きかは好みがあるけれど、先にサッポロビールのレシピを参照にクミンシードを使って作った私は、「これは私が求める風味ではない」という結論に達し、二度目にはキャラウェイシードで作り直したわけ。もちろんキャラウェイとクミンの両方を使うのもありだが、実のところ、クミンは容易に手に入るがキャラウェイは売っていないことが多い。今回、キャラウェイは私がよく行くイオンスタイルとイオンスタイル内のカフェランテにはなく、わざわざカルディに赴いて購入した。(カフェランテに無いとは、怪しからん。)

次に、ピーマンの類。Wikipedeia日本版には、グーラッシュの具材として「生のグリーンペッパー」と書いてあるが、これは、生の青いコショウの実のことではなく、いわゆる野菜として売っているピーマン系のもののこと。日本の青いピーマンの苦みが嫌いなら赤ピーマン(通常の緑のピーマンを完熟させたもの)でよいかもしれない。パプリカ(香辛料のパプリカではなく、サラダに使う赤、オレンジ、黄色の大きなカラーピーマン)でもいいんだけれど、パプリカを入れると全体が甘くなりすぎるというのは、1回目に感じて、2回目には赤ピーマンで作ってみた。グリーンペッパー系で何でもよいのだったら、獅子唐辛子でいいかもしれないし、やっぱり万願寺唐辛子が入手できたらグーラッシュを作ってみたいな。

次にとろみ。これまで私はグーラッシュの素次第でとろみが出るものも出ないものも使ってきた。(どちらも現地のスーパーでクノールとかマギーのものが手に入る。)
今回、一度目にサラサラで作った私は、二度目には多少のとろみを入れるために、牛肉に塩・コショウをした上に、小麦粉をまぶしてから肉に火を通している。さらっとしたスープとして食したいなら、小麦粉は無し。逆に煮込み料理のソース感を大きく出したいのならば、十分に炒めた小麦粉を加えてから煮たり(小麦粉だけ加えると糊感が出てしまうよ)、フランス料理の技だけれど仕上げにブールマニエを足すかという判断になる。

なお、今回グーラッシュを作った背景には、サワークリーム消費という動機もあった。グラーシュにもサワークリームを使うことがあるので。実は先日、ボルシチを作るために、サワークリームを買った。ところが、ロシアの料理なのに、健康を考えすぎて血迷ったか、ココナッツオイル使ってしまった。その結果、風味がボルシチとは違うものになってしまった。ビーツの泥臭さとココナッツオイルの甘い香りが、ミスマッチでした。サワークリーム入れてもどうしようもなくて。

外国の料理を日本の食材だけで作る場合は、やっぱり数回は試行錯誤することが必要らしい。いや、どんな料理でもイメージしたものとぴったりの味を1回で作れる人がいることは知っているが、私はそうではない普通の人なので。しかし、次回はもっと玉ねぎを十分炒めよう。

京成バラ園の早朝開園

2019-05-25 22:10:17 | 日記・エッセイ・コラム
京成バラ園の早朝開園に行ってきました。
昨年は、5月の連休後に弟が倒れたために行けず、
2年ぶりです。

なお、一昨年のバラ園のエントリーは
薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である (Rose is a rose is a rose is a rose.)にて。


朝、6時の開園を待つ人々。


中は、バラだらけ。


バラだらけ。


バラだらけ。バラだらけ。
早朝ということもあって、
バラ園全体がひときわ良い香りです。



では、気になった品種をの中から
一昨年のエントリーでは取り上げなかったものを。



アンティークレース
若い夫婦が、「これを買っていこうか」と
話し合っていました。


シャルル ドゥ ゴール
ブルーローズ系の薔薇は香りのあるものが多いけど
このフランスの第18代大統領の名前の薔薇も
よく香ります。ブルーローズ特有の香りです。


ブラン ピエール ドゥ ロンサール


パープルタイガー


ミスター ローズ
Mr. Roseとは日本のバラの育種家で
京成バラ園芸所長だった故 鈴木省三氏のことです。



京成バラ園は、基本的には、
バラを育てる人が来るところのようです。
(恋人の聖地でもあるようですが。)
みな、バラ園でバラを見て、
気に入った種類の苗を購入していったり、
仕立て方のヒントにしたり。
だから、花の説明に「育てやすい」とか
「病気に強い」とか書いてあるわけです。
「買っていって植えたけれど、
一輪しか咲かなかった」とか言う話も聞こえてきました。
うーん、大変そうだな。


もちろん、ここでは最近人気の園芸品種ばかりを
扱っているわけではありません。

ロサ ポミフェラ
原種バラ。立派なローズヒップが生るので
アップルローズとも呼ばれています。


ダマスクローズ
一般的に「薔薇の香水」でイメージする香りは
たぶんこのダマスクローズの香り。
花びらをジャムにもしたりします。



この季節にここへ来たら私は必ず
薔薇のソフトクリームを食べます。







伊勢屋さんのせいで、毎年端午の節句前後は食べすぎる

2019-05-04 23:18:49 | 日記・エッセイ・コラム
東武東上線の東武練馬駅近く、旧川越街道沿いにある
練馬北一商店街に行ける範囲に住む多くの人間にとって
こどもの日の柏餅といえば、ここ。



そう、伊勢屋

端午の節句のシーズンには
朝早くから柏餅を買う人が並ぶ。
そして、柏餅とともに必ずと言っていいほど
皆おにぎりを買っていく。
そう、わたしも。
連休にも拘わらず早起きして伊勢屋へ直行し、
柏餅とおにぎりを購入。



今朝のお買い物:味噌柏(ピンクのやつ)、ヨモギの柏餅、
五目稲荷、しゃけのおにぎり。



しゃけのおにぎりが、ウマくていけねぇ。
しっかり入ったご飯も、そして塩じゃけも。この塩加減が良いのよ。
五目稲荷もウメぇ。味付けの甘辛さがわたし好みだわ。
もちろん、柏餅は定番のおいしさ。
スーパーで売っているプヨンとした柏餅と違って
上新粉で作るからこその、歯ごたえがイイ!



毎年5月5日前後は食べすぎるのだ。
さて、明日はエネルギー消費ために
ウォーキングに精を出すぞ!