今回の旅でまずはここに行きたいと思っていました。
ここは、小峰城への西軍(新政府軍)の進軍を阻止するために、西郷頼母率いる東軍が激突した場所です。
小高い山の上から白河の街を見渡すと、140年前に焼けた街とは思えないのどかな街とのギャップを埋めることができません。
ここでは会津藩の田中主税が命を落としており、盟友と多くの藩士を失った西郷頼母がその無念さと屈辱をわが身を「かたつむり」に例えて詠んだ歌が碑となっています。
そして
稲荷山の麓には会津藩士304名の名が刻まれた墓・慰霊碑、田辺軍次の墓(白坂庄屋:大平八郎との悲話あり)長州・大垣藩士の墓が隣接しており、
激戦地で落とされた命が、ここでも敵・味方関係なく弔われていました。
この土地の意気には本当に感動せずにはいられません。
ここは、小峰城への西軍(新政府軍)の進軍を阻止するために、西郷頼母率いる東軍が激突した場所です。
小高い山の上から白河の街を見渡すと、140年前に焼けた街とは思えないのどかな街とのギャップを埋めることができません。
ここでは会津藩の田中主税が命を落としており、盟友と多くの藩士を失った西郷頼母がその無念さと屈辱をわが身を「かたつむり」に例えて詠んだ歌が碑となっています。
そして
稲荷山の麓には会津藩士304名の名が刻まれた墓・慰霊碑、田辺軍次の墓(白坂庄屋:大平八郎との悲話あり)長州・大垣藩士の墓が隣接しており、
激戦地で落とされた命が、ここでも敵・味方関係なく弔われていました。
この土地の意気には本当に感動せずにはいられません。
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