Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

自信を持つということ

2008-10-13 10:10:59 | 仕事のひとこま
職場がもっと元気になるには、1人1人が自信を持つことが大切だと思う。

きっかけは誰かに与えてもらうものかもしれないけど、最終的には自分の中に自分が納得できる価値を見出し、信じていけるかは、

自分で決めることだと思う。

周囲からみたその人の長所と自分の認識している長所が一致していれば間違いなくそれに自信を持っていいと思う。

あの人は自信家だと、後ろ指をさされたり、自信満々すぎる人は毛嫌いされる場面もなくはないけど、自分の原動力を信じることはとても大事だと思う。

不確かであいまいな自信を、確固たるゆるぎない自信に変えるには、自分が自分を認めること。

自分を必要以上に卑下したり否定する必要も、誰かを羨んだり、ねたんだり、しり込みする必要など本来はなく、

できないことには謙虚になり、それもまた認めること、

そして、誰かに助けを求めてもいい、お互いが人間らしく心を開いていく。

心を開けるかどうかは、受け止める環境が安心で安全なものであるかに左右されると思うけど、

人は相手が心を開けば受け入れられる準備は多少なりともあるとも思う。

涙を拭くティッシュペーパーを分け合う姿が美しい女性たち。

日本の職場は、まだまだ元気になれます。

自分の出番はここにあり、

今日は、窓辺の朝顔が、10月の冷たい空気の中、今シーズン一番きれいだった朝です。

花盛りのコスモスに負けず、しかも、まだつぼみをつけ続けています。

恐るべし・・・



あさがおドーム は、咲き始めから2ヶ月、少しずつ結実の時期を迎えており、

空けた窓から、キンモクセイの香りが部屋に広がっている気持ちの良い朝です。

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強く美しい女性たち

2008-10-07 19:27:50 | 仕事のひとこま
電波時計から、一転、最近の私の仕事について。

私のキャリアは決して自慢できるものではないです。

ひとつの会社にそんなに長く勤めたこともないし、管理職と言っても、現場のリーダーやサブマネジメントどまりです。

会社を辞める度に職務経歴書を書き、自分のキャリアのたな卸しをする度に自分の「キャリアジプシーぶり」には嫌気がさしていました。

加えてまともに家庭を維持することもできませんでしたし、自立しているように見えても、独り身となった今となっては、それは当然のことです。

女性ばかりの研修では、この恥ずかしい生き方を自ら開示してみようかどうか、ずっと迷っていました。

ドンビキされたらどうしよう・・・
講師としての品位を疑われないか・・・

しかし、それは杞憂だったです。

キャリアに迷いながらも暗中模索で進んでいる、あるいは様々な経緯を経てまだまだ頑張りたい女性は、皆、私のダメさ加減も暖かく受け容れてくれるのです。

仕事では、そんな女性たちを支援しているつもりが、逆に私自身が彼女たちに肯定してもらって、

再び自分のつぎはぎだらけのキャリアを愛おしく思えるようになるんです。

ありがとうございます・・・

私は、退職した会社には無責任だったかもしれないし、申し訳ないと思うけど、自分には責任を持っているつもりです。

人は皆、よりよく生きるために、個人差はあれど大なり小なり「学ぶ意欲」を持っていると思っています。

植物の種に高い発芽率があるように、人は成長したいと思っているし、

今の職場環境を少しでも良くなったら、プライベートも充実させることができたならと思っていると思います。

そして良くしよう、充実させようとしている。

女性は、結婚や出産などで働き方が変わったり、一時的に働くことをお休みすることもあるでしょう。

そんな時期もあっていいし、何よりもいろんな働き方があっていいと思う。

それでも、私の知る限りでは、働くことを諦めない人は、皆、強く、美しく、頑張っているように思います。

そして、彼女たちを支援しているつもりが、私は実は支援されていて、

勇気付けているつもりが、間違いなく勇気をもらっています。

そんな仕事の後で、「ありがとう」を反芻しながら、今も涙が流れています。

学生時代目指していた教員になっていたら、きっと今頃「泣き虫先生」と言われていたかもしれませんね。

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しごとのとも

2008-10-04 23:58:28 | 仕事のひとこま
チョコクロとは、チョコレートクロワッサンの略なんでしょうね・・・。

自宅で仕事に集中できない時に、阿佐ヶ谷か高円寺のサンマルクカフェで、時間を1時間と決めて仕事をします。

シアトル系のコーヒーショップでのんびりではない。

ベーカリー系のショップで、炭水化物で血糖値を一旦上げて、4色ボールペンで、ノートに頭の中を掻き出すように、ひたすら書く・・・・

阿佐ヶ谷は、時間帯を問わず中高年が多く、昼の高円寺は主婦っぽいお客さんが多いです。

で、

サンマルクのチョコクロを、月に2,3回はいただいているかと思います。



クロワッサンに溶けた板チョコが包まれております。
たまに、すごい熱い時がある・・・・

以前の会社のクライアントが差し入れて下さった時から、ずっと「仕事の友」となっています。

ん、「仕事の素」か?

いつもは、ベーシックなミルクチョコですが、この日のチョコクロは、マンゴ味。

想像は容易にできる人工的な味ですが、さっぱりしてました。

サンマルクですっきりしない時は、マックorモスをはしご。

多少、サバイバルです・・・

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心臓の位置

2008-09-30 22:21:53 | 仕事のひとこま
ある何の研修を受けた時だったかに、座る位置には理由があるという話を聴いて、正対しないで、斜めに向き合う位置を「中立の位置」と習いました。

  ○
―――――
  机
―――――
    ○

理由は「心臓の位置を合わせると落ち着くから」という理由でした。

ってことは、心臓の位置って、左でしたっけ?

私が、その昔フィットネスのコーチをしていた時には、心臓マッサージのCPRという資格を維持更新しなければならなかったのですが、

その時の心臓の位置は、左でも右でもない

「まんなか」

だったです・・・・。

学生時代、理科(生物)の時間には、心臓は「左」とか「人によっては右」と習いましたが、私の中では心臓は「真ん中」と定義されています。

正対は「対立の位置」といいます。

   ○
―――――
  机
―――――
   ○

燃えるハートをあわせてガチンコ勝負・・・

であるならば、中立の立場は、心臓の位置が合わないから、中立ってことなのかなぁ・・・・

ずっとしっくりしない、久しぶりに細部に囚われている問題です。

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消耗中です

2008-09-28 22:42:48 | 仕事のひとこま

4連続登壇、1休、のち3連続登壇を驀進中です。

連日、感動が多く、疲れるどころか逆に元気をいただいています。

しかし、ホワイトボードマーカーの消耗は激しいです。

客先のものが映りがよい訳ではないので、赤、青、緑、黒を持ち歩いています。

インクはカートリッジで、ヘビーユースに耐えてくれる「戦友」です。

今夜も長いぜ・・・・



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泣ける研修

2008-09-27 23:27:23 | 仕事のひとこま
原則、仕事である研修の内容のことは書きませんが、今日の研修は特別でした。

物事に対する「集中力」、アウトプットしようとすること、考えることを決して「諦めないこと」、言葉にならない思いを言葉にしようとする「一生懸命さ」

誰からも否定されない安心感の中での「認め合いと助け合いの美しさ」など、

社長から聞いて抱いていた事前期待を大きく超えていました・・・・

そして、やっている仕事に断固とした「誇り」を持っている人は本当に強い。

自分の「やりがい」を知っていて、他者に多くを求めることもなく、ひたむきに品質に向き合える。

場を共にした誰もが、なかなか言葉にならない彼の言葉を静かに待った。

そして、搾り出すように口にした言葉の多くは皆の心に響き、金言となった。

こんな目頭が熱くなり、鳥肌が立つ研修は初めてでした。

この出会いに、心から感謝します。

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仕事を楽しむ

2008-09-02 11:38:59 | 仕事のひとこま
書道のお稽古の中で、自分の心と体がいかに離れているかを知る私です。

でも、自分ではそれに気づいていることが幸いだと思っています。

さて、実生活では、研修や講演で人の前に立っている時は、問題ないのですが、喜ばれる研修・講演にしようと思えば思うほど、研修や講演内容が固まらない時のストレス状態は、体に表れているように思います。

それは、今まで同じ姿勢でPCに向かい合っている為だと思っていたのですが、これは心の状態から来る筋肉の緊張なのではないかと思い始めています。

この時の私は、目前の好きな仕事を楽しんでいません。

これまでインプットしてきた内容や自分の体験談を、受講者の為に役立ててもらいたいという気持ちよりも、悲しいかな評価が気になっていたりします。

評価は、行動の結果であり、行動の反響です。

今は、その行動に焦点を当てるべきなのに、未来に目が向くのはどういうことでしょう?

そこにあるのは、できるかできないかという不安や恐れではなく、コレだけやっているのに評価されなかったらどうしようという不安です。

この状態に陥っていることを「ヤバイ」と気づけるようになった私は、多少成長したものだと思います。

ナルシストです・・・

でも、こういう時に、しんどいながらも、様々な心理ツールを借り、様々な人に出会うのと同じように知らない自分に出会う「自己理解の旅」をしている喜びを知るんですよね。

最近、こんなことを良く考えます。

目的は終わりのない目指すべき「的」、目標は的に向かう「道標」で通過点。

今の仕事の「目的」は何なのか?

それを見失うとただ、道標に到着することだけに執着してしまう。

ある先生から「目的」とは「極める道」だと聞き、今、私が最も「目的」という言葉を端的に理解できる言葉となりました。

一つ一つの「道標」に到達することは大切だけど、「的」は、運転の途中で、意図的に遠くすることもでき、道のりは長いものです。

「的」に向かって、自分自身が運転する車でドライブを楽しむ体の感覚を覚えた方がいいかもしれません。

仕事に楽しさを見出せなくなっている人がいたら、「目的」とそこに向かわせる「動機」を確認したい。

そこから取り戻せる楽しさがあるはずだから。

仕事の楽しさややりがいは、自分が見つけるもの。
上司や環境は、あくまでそれを助けてくれるもの。

楽しさという「希望」を自分で見つける、いや再び取り戻すための一歩を踏み出せるような「勇気」。

伝えたい思いを形にしていこうと思います。

明日から3日間、東京を離れ、旅に出ます。

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思い出に残る仕事

2008-08-29 22:04:14 | 仕事のひとこま
昨日は、ひとつ大切な仕事を終え、今朝から取りまとめを終え、お礼のメールを送信し、次なる課題に驀進していました。

ご依頼くださったのは、今の私にとって近年最も大きな影響と知恵を授けてくださった先輩であり、今回は恩返しの仕事でした。

途中、感極まって泣きそうになるかと思ったのですが、久しぶりに昼食をともにし、実に楽しい時間でした。

私には、頑張れという言葉は不要ですし、必要以上に誉められたり、とおり一辺倒に持ち上げたりされても、あまり心理的には影響しないことを知っています。

自分の知らない自分に気づくか、自分しか知らないと思っていたことが、実は相手と分かち合えていたと感じる時のやりとりに最もググッとくる瞬間なんです。

今回、先輩との関わりの中で、最もうれしかった言葉は、

「(はるさんは)骨太でしっかりとしたぶれない信条があるのだから、自分を見失ったり、誰かと比較して一喜一憂したりしないと思う」

という言葉でした。

自分でも、調子が悪い時に同じように自分に投げかける言葉に似ていた為か、自分の中で久しぶりに、自分以外の人から深い癒しに似た感覚を得ました。

もっと身近にいて欲しいと思うけど、離れていても深いところでつながっていることの喜びを知ります。

自分自身は、最大の営業ツールであると同時に商品です。

しかし、独立独歩で歩いているようでも、実際には、多くの人の支えなしではやっていけないことをおおいに知るこの頃です。

感謝以外に言葉が見つからない1日でした。
1日経ってもまだ見つからない・・・・

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深い関わり

2008-08-20 07:41:27 | 仕事のひとこま
昨日は、更新をお休みしました。
多分、これからそんな日もあると思います。

さて、

最近、人が育つとか、職場が変わるとかそんなネタを続けて書いてきたわけなんですが、今、人と人との関わりは「希薄化」していると言われます。

私も、「希薄化」していると言う言葉を、現実に起きていることの中で、

「こういうことが希薄化している現象なんだ」というようになかなか捉えることができなかったように思います。

多くの組織で、いよいよ、そうもいかなくなってきているように思います。

なぜならば、この状況を変えなければならない組織や、変えたいと思っている個人は、現状打破策を心から探しているような気がするからです。

この仕事量に溢れた職場環境の中で、人と人が深く関わるというのは、いったいどういうことなのか?

現状を急いで変えたいと思うから、人は人を急いで説得するコミュニケーションになる。

また、それもなく諦めのコミュニケーションになる。

相手の心理的抵抗に拮抗するための力の発揮は、

私たちのもつ仕事のエネルギー配分の中で、何か直接目に見える成果につながっている実感がないので、どうしても避けがちではないかと思うんです。

私自身が、説得のコミュニケーションの中に取り込まれているなぁと思う時、私自身の思いをまず伝える「隙」がないことが多かったように思います。

一方的に相手の思いを聴かされて、結局不本意ながら受け止めるということが多く、自分の負担が重くなるという最悪の結末にになることを知っています。

もちろん、そういう場合には、私自身が勇気を持って、あるいは真の当事者意識を持って、自分の意思を伝えていない、ということにも問題があることを知っています。

じゃ、逆の立場、何かお願いする、指示をしてやってもらう立場になった時、相手の不本意さをどれくらい聴いているだとうか?

聴いてしまえば、せっかく固めた方針を変えなければならなくなるという「恐れ」が先立ち、相手の言い分や主義主張を聴くことに億劫になってしまう。

しかし、「恐れ」は「未来」のものに関する感情。

なぜか私たちは、今、顔と顔を合わせている当事者間の「今」の考えや思いを知ろうとしない。

心配や抵抗がある、不安に思っていることが「何なのか、どんなことなのか」「どうだったらいいのか」「あなただったらどうするか」「どうしたいか」「どう具体的にどう修正したらよいか」を聴こうとしない。

一方は、言えない思いを溜め込むか、「聴いてくれない」「言わせてもらえない」と依存的なコミュニケーションになっていて・・・・

自ら言うことだってできるのに。

私は、自分の主張を伝えれば、「こう思われるんじゃないか」「関係がまずくなるんじゃないか」とかという恐れが先立ってしまうなんてことはないんでしょうか?

私には多少なりともそういう思いはあり、言い控えることはあることを知っています。

しかし、だいたいにおいてこんなことぐらいで気まずくなるような関係というのは、

「そもそも結びついてもいない関係」とか、
「偶然の表面張力で接している関係」とか
「役割としての義務的な関係」

なのではないかと思うのです。

だから、ホントは、解けそうになっても、何か衝突があっても、少なくとも相手の自尊心に配慮があれば、実はいつでも「つなぎなおす、つながりなおす」関係を作りなおすことはいつでもできるように思うのです。

だから、本来は何も恐れることなく。

しかし、自分の中に譲れないこだわりがあったとしても、相手のこだわりと自分から率先して交わり、その問題に関わるより多くの人がメリットを感じられるように未来的に解決していくことが必要だと思うのです。

人は、家族や夫婦という深くつながらなければならないユニットの中で、体験的に決して離れてはいけない深い結びつきの必要性や関ることの意味を知っています。

必要だと思っているからできないことに落ち込んだり悩んだりするのであって。

だから、みんな本来そういうことを知っているのに、職場を初めその他の交わりの中では何かよそ行きの顔になり、本来解決的にあるべき関係において、自分自身の解決の力を忙しさの中で封印している。

「ない」のではない、封印しているだけ。

私にはそういう風に見えてなりません。

勇気のある積極的なかかわりと、壊れることを恐れない、それでいて破壊的でない率直な主張。

自分自身が大切にしたいなあと思っています。

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ブレイクする環境

2008-08-14 16:29:49 | 仕事のひとこま
教育系の仕事をしていると、お客様のご意向で、今、費やしている「教育コスト」を削減して「採用コスト」に回したいというお話を耳にすることがあります。

つまり、教育しなくても何とかいい資質を持った人を採用したいとのことなんですが。

そりゃそうですよ・・・・・

今は、自分の仕事で精一杯で、教えるとか育てるとかまで手が回っていないというところが、大半なんですもん。

正直、極端な話、育つのに、手がかからない人ほどありがたいものってないと思います。

なのに、せっかく納得できる採用ができても長続きしない。

企業から見て、採用したい人って、だいたい次の行き先を自分で選べる人ですから、環境次第でしょうがないかなぁとも思えてしまいます。

さて、昨今失敗しました枝豆の栽培の教訓から、思うのは

種の袋の裏側には、植物の特性が書かれていて、種まきの時期が記され、栽培方法が書かれています。

どんな種も、発芽率はだいたい80%以上のようです。(わが家の枝豆も、確かに10個種をまき、8個は芽が出ました。)

しかし収穫できた枝豆の不作理由はいろいろ考えられます。

育つ土台の土が悪かったのでは?
種まきの時期が遅かったのでは?
水まきの頻度は?
肥料の種類は、
 即効性のあるものがよかったか?
 緩効性のものがよかったのではないか?
日光が十分だったか?
鳥害や害虫、雨風から守ってきたか?

人の教育も同じだと思っています。

確かに人にも、その環境での発芽率ってあるかもしれません。
そして、多くの場合、生育には手間隙がかかるものだと思います。

しかし、時代はその緩やかな成長を待ってくれないから、何かベストプラクティスを参考にして、合理化して促成栽培を試み、そして、いい花を咲かせ、収穫を繰り返す。

苗を買ってきても、実のならない苗もあります。
種から育てても、強い根をはり、翌年も翌々年も、楽しませてくれる花もあります。

自分から、何か変わってみたい、やれるならやってみたい、もっといろんな面で豊かになりたい、

動機は何であれ、人は何かしら上方向に、横方向に、多少なりとも伸びたいものだと私は思っています。

教育環境は、変えようと思えば変えられる。

育てる側に改良する余地の残される環境にも関わらず、

無理やり人だけ変えようとすれば、その息苦しさに耐えられる余程生命力のある苗や、

自分の動機を置き去りに、その枠の中で静かに環境に同化できる苗なら生き長らえることができるかもしれない。

どっちも生きづらい。

人は皆、自分なりの誇りや使命、自分独自の価値観を大事にしたいと思っているから、

誰もが、自分なりの成長を感じることができ、必要に応じ、ブレイクできる環境を作ることが大事だと思う。

「楽に育つ人」より、誰もがブレイクしやすい環境を作ることの方が大切だと考える日々です。

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恩返しの仕事

2008-08-12 00:30:29 | 仕事のひとこま
この5年ぐらいの間の私の仕事は、会社を数社変わったり、独立をしたり、振り返れば、それはめまぐるしいものだったと思います。

その間は、何か強い達成意欲を持てば持つほど、不全感に苛まれることが多く、

いっそ、この達成意欲を手放せば楽になるのかとか、

求めすぎなければ上手くいくのかとか、

身勝手に描いた完全さを捨てれば楽になれるのかとか、

所属している組織と個人の目標を一致させることができないが故に、色々苦悩したわけでございますヨ・・・

しかし、会社から離れた場所での活動では、自ら行動すれば、会社と自宅の往復だけでは決して得られない出会いや成長の機会があり、

そして、今があります。

中でも、5年前に出会った1人の先輩との出会いは、私にとって大きな転機でした。

今の仕事の武器になっていることは、その先輩からきっかけをいただき、1年ほどの短い間だったけど、ともに知恵を絞る楽しさがありました。

それから、4年、事情があって、なかなか会えなくなり季節ごとにメールや郵便で挨拶する程度の関わりになってしまいました。

彼女と過ごした1年間に得たものは、仕事の本質に関わる「宿題」ばかりでした。

ここ4年ほど、その宿題をやってきたように思います。

年明け早々、彼女から連絡が来て、仕事を手伝うことになりました。
それは、独立して私が受注した最初の仕事でした。

そして、6月末から準備を進めて参りました。

先ほどようやく大きな山を越えました。

自分にとっては、得意な仕事でこれからどんどん拡げていきたい仕事でもあり、気力に溢れていたかもしれません。

期待に応えようとして頑張りすぎたかもしれません。

何度も精査を繰り返し、時間がかかったのも事実です。

脳血管破裂するんじゃないかと思うほど、脳ミソも絞りました・・・

でも、それくらいいただいた「宿題」によって自分が鍛えられたことに、「恩返し」がしたいという思いが強かったんです。

今は、精一杯やりきったという実感で溢れています。

私たちは、似たような学びの機会を経て、似たような動機を持っています。

彼女は、私にとって圧倒的にスゴイと思えるエネルギーを持っています。この「圧倒的」な部分を、私は無条件で尊敬しています。

彼女も、出会った時から、どういう訳が私に対して、惜しみなく何かを分け与え、私のアウトプットを、いついかなる時も誉めては、新しい宿題をくれました。

私は、そのことを、いつも誇りに思い、自分の自信に変えてきました。

一方的かもしれませんが、疎遠になっていた長い時間を経ても、深い部分でのつながりをずっと感じていました。

今回の仕事も頂上が見える頃になって、4年間の苦悩を思い出し、なぜか涙がこぼれてきました。

飛び石を、横に、縦に進むような私は、関心も関係も散漫であることを知っています。

だから、そこかしこでいろんな不義理をしていることも知っています。

でも、決して恩知らずな訳ではないことも、自分自身が良く知っています。

だから、それゆえの苦しみもあります。

そんな風に見えないと思いますケドね・・・・

彼女への恩返しも出会いから5年が経過した今になりました。

いろんな人との出会いで成長できたご恩は、自分のできることを、丁寧にやり、社会に還元していくことだと思っています。

計画通りに行かないことも多いのですが、様々な偶然にも恵まれます。

枝豆の成長不良に落ち込んでいた昨日が嘘のように、一転して、心の底から湧いてくる感謝に溢れる夜です・・・・

皆さん、本当にありがとうございます。

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コミュニケーション・プランナー

2008-07-29 21:52:35 | 仕事のひとこま
合宿1日目、まだまだ仕事は続きます。外は激しい雨です。

さて、私の肩書きは、「コミュニケーション・プランナー」です。

そんな、名刺を持って仕事をしています。現状、ほぼ企業向けのサービスです。

私のような者に、
継続してお仕事を直接ご依頼くださるお客様にとって大切なことは、

それは、当然

「コミュニケーション上の問題を改善したい」

というご要望の中で、

「ありたい姿」を自分たちがはっきりと描けているか、描こうとしているか、

ということです。

すでに「ありたい姿が明確である」お客様もいれば、回を重ねることで、一緒に「明確にしていく」「明確になっていく」というお客様もいらっしゃいます。

その姿の実現までの、ストーリーは作りますが、ありたい姿まで、私に描かせてはダメだし、私が「あるべき」と決めてもダメ。

こんな風になっていきたいから、

研修を計画してほしい、
他の社員にはできないカウンセラーとしてあるいはメンターとして社員に関ってほしい、
電話でのお客様に対してのやりとりを組織として一定以上の品質にしたい、
みんながコミュニケーションに自信が持てるようにしてほしい

その他いろいろな「強い思い」を大切にしてほしいです。

私、その「いろいろ」に、自分の持てる力で応える人・・・

これまで、私を育ててくれた「コールセンター」は、「人」から逃げていては仕事にならない世界でした。

それは、今も全く変わらず、そこに、今まで以上に「言葉」の意味から逃げられない要素が強くなりました。

言葉の定義、基準の定義、

腹に落ちる言葉選び、求心力のある言葉選び、曖昧ではなく具体的な言葉選び

誰もが言いたかったことは「そう、それ!」と言える代弁者としての役割

間違いなく、表現者として「言葉」に責任を持たなければならんでしょう・・・

ブログ通信簿の先生は、「詩人」を目指しましょうとのアドバイスでした(笑)
何となく、パロディではないような気もしています。

夜な夜な言葉を磨き、言葉を紡ぐ作業は続きます。

「読んだよ」のクリックありがとう。



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3人の石切職人

2008-07-18 23:43:41 | 仕事のひとこま
キャリアやCS(顧客満足)、教育を語る上で、よく登場する寓話に、3人の石切職人の話があります。

多分、皆さんの中にもご存知の方もいらっしゃると思います。

それは、社会学者のP・F・ドラッカーの著書『現代の経営』の中で書かれた寓話です。

話は、ある旅人が「何をしているのですか?」と尋ねた石切職人が、

1人目は「飯を食うために働いている」
2人目は「俺の技術を発揮している」
3人目は「すばらしい教会を建てている」

と答える話です。

石を切り出す仕事は、大変な肉体労働でありますでしょうが、

「お給料のために仕方なく仕事をする」

実際、家族を養ったり住宅ローンを払う上では、仕方なくかは人それぞれだけど、労働の対価としてお給料をもらうというのは、ごく当たり前な考えだと思われますが、

「それが、何か?」と言われると、多分「そ、だね」と言って苦笑してしまうだろう。

「自分の技術を発揮するために仕事をする」

確かに、私たちは仕事を通じて、能力を培い、仕事を作品として残すことができます。

しかし、自分の経験や技術を過信して、自己満足な自己実現的な仕事でよいのか?

たった数人の個人の高いパフォーマンスで支えられる組織もあると思いますが、

組織の目標を達成するには、本来、誰もが持ちうる力を発揮して、役割の違う人が助け合っていければ理想的だと思う。

だから、ドラッガーはこの2番目のタイプの人間を最も問題なタイプと位置づけています。

「すばらしい教会を建てる」

人々が集い、祈り、癒されるための教会を作ることは、自分の欲ではなく、誰かのために、誰かの役に立つための仕事。

仕事を通じて誰かの役に立つ。

私の場合、3人目の職人のようでありたいと思いますが、常にこの心のポジションで仕事ができるかというと、なかなかそうもいかないことが多く、

現実的には、1日の中で、3人の石切職人が入れ替わり立ち替りで私の中に現れます。

個人事業主となり、ぶっちゃけ、また開業してまだ間もないので、自分で仕事を決め、報酬の目標を定め、

運に助けられながらも、辛うじて自分の力で仕事を切り開いている実感が持て、そこで手一杯になってしまうことが多い私です。

無論、お客様のことを考えずして手一杯になっている訳ではないとは思うのですが、体の感覚としては「1・2番目の職人」で、毎晩疲れ果てて寝ている感覚。

そんな毎日ですが、3人目の職人の心は、持ち続けたいです。

壁にかけている、自分の仕事上のミッション、サービスポリシー、ライフスタンダードを見直し、そう感じている、月のきれいな夜です。

久しぶりにクリックありがとう。



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お手本を持つ

2008-07-15 22:31:17 | 仕事のひとこま
最近、曖昧なままにしていたことが、ひとつクリアになりました。

それは、仕事の上で私に大きな影響力を与える研修講師の方に出会ったことに始まります。

もちろん、研修をオブザーブさせていただいた時に、魅了されたのと、受講生として受けた研修で「こんな講師になりたい」と激しく感じたのでした。

どちらも、タイプは違うのですが、いずれも「男性」なんです。

お1人は、関西出身の少し年長のK講師と、もうお一方はひと回り以上年齢の離れたカウンセラーのT講師です。

私の研修は参加型・対話型で進めていくスタイルが大半なのですが、

そうなると質問の巧みさや、共感的に回答を受け止めること、懐の深さみたいな部分ばかりに囚われていた時期があり、

何だろうこの不全感は・・・・と思っていたところに

K講師のひとこと

「そうは言っても、受講者は、話聴きに来てんねんから『しゃべくりもおもんないと満足せえへんでぇ』」

K講師の「受講者との対話力」と「しゃべくり」のバランスに激しく感動!

私は、一応、宝塚のような女性ばっかりのインストラクター養成コースでトレーニングを受けているのですが、その時に、基本的なインストラクションテクニックやマナー・マインドは学んではいます。

しかし、その一方で、心から沸いてくる言葉を表現することを避けるようなところがあり、

違和感をこの何年も感じていました。

講師としての感情・気持ちみたいなモノが最低限に抑えられているような感覚がずっと続いていたのです。

しかし、2人から感じたことは、「楽しさ」「並々ならぬ熱意」「受講者を徹底して支援する姿勢」に加えての「ホスピタリティ」

あっ、理想・・・・

今年に入ってから、講演も何回か聴いているのですが、1月のリンクアンドモチベーションの小笹社長の講演は、聴衆の1人としては相当楽しかったです。

そんなことから、6月から試行錯誤が続いていて、

6月末に、ある企業の研修事務局から「オモシロイ研修、ありがとうございました」と言われた時に、

「オモシロイ」

と言われて妙な「快感」を感じてしまいました。

インストラクションやプレゼンテーションの基本は抑えつつも、即興劇や落語を学んでいる講師の方もいます。

講師の心が開けていないと受講生とは分かり合えない。

受けている研修が、日常業務から離れた「ご褒美」なんだと思っていただけるような、笑顔や楽しさが会場に一体感を持たせる研修。

今日も研修が終わり、またクレームの現場に戻っていく皆さんを見送り、そうあることができたかアンケートを読み返しました。

甘んじてはならない・・・

7月・9月と幸運にも講演の機会をいただきました。
機会が全ての成長につながるよう、お客様とともに能力への挑戦を拡げます。

久しぶりにクリックありがとう。



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仕事の決意

2008-06-24 23:56:55 | 仕事のひとこま
昨日の夢は、的確に捉えていました。

勤め人時代とは違うのは、個人と企業との契約でことがすすんでいくのですが、今日は契約を巡って、アップダウンな1日でした。

ほぼ見込まれていた仕事が失注、望み薄しと思っていた仕事が進展。

難しいものです。

自分の考えを確認しなければならないと感じました。

私は、お客様と喜びも痛みも分かち合える仕事を選びます。

私は、易きに流れることよりも、お客様とお互いの努力が報われたと感じられる仕事を選びます。

私は、そういう仕事を自分の意志で選びます。

今日の決意でした。

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