Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

深い関わり

2008-08-20 07:41:27 | 仕事のひとこま
昨日は、更新をお休みしました。
多分、これからそんな日もあると思います。

さて、

最近、人が育つとか、職場が変わるとかそんなネタを続けて書いてきたわけなんですが、今、人と人との関わりは「希薄化」していると言われます。

私も、「希薄化」していると言う言葉を、現実に起きていることの中で、

「こういうことが希薄化している現象なんだ」というようになかなか捉えることができなかったように思います。

多くの組織で、いよいよ、そうもいかなくなってきているように思います。

なぜならば、この状況を変えなければならない組織や、変えたいと思っている個人は、現状打破策を心から探しているような気がするからです。

この仕事量に溢れた職場環境の中で、人と人が深く関わるというのは、いったいどういうことなのか?

現状を急いで変えたいと思うから、人は人を急いで説得するコミュニケーションになる。

また、それもなく諦めのコミュニケーションになる。

相手の心理的抵抗に拮抗するための力の発揮は、

私たちのもつ仕事のエネルギー配分の中で、何か直接目に見える成果につながっている実感がないので、どうしても避けがちではないかと思うんです。

私自身が、説得のコミュニケーションの中に取り込まれているなぁと思う時、私自身の思いをまず伝える「隙」がないことが多かったように思います。

一方的に相手の思いを聴かされて、結局不本意ながら受け止めるということが多く、自分の負担が重くなるという最悪の結末にになることを知っています。

もちろん、そういう場合には、私自身が勇気を持って、あるいは真の当事者意識を持って、自分の意思を伝えていない、ということにも問題があることを知っています。

じゃ、逆の立場、何かお願いする、指示をしてやってもらう立場になった時、相手の不本意さをどれくらい聴いているだとうか?

聴いてしまえば、せっかく固めた方針を変えなければならなくなるという「恐れ」が先立ち、相手の言い分や主義主張を聴くことに億劫になってしまう。

しかし、「恐れ」は「未来」のものに関する感情。

なぜか私たちは、今、顔と顔を合わせている当事者間の「今」の考えや思いを知ろうとしない。

心配や抵抗がある、不安に思っていることが「何なのか、どんなことなのか」「どうだったらいいのか」「あなただったらどうするか」「どうしたいか」「どう具体的にどう修正したらよいか」を聴こうとしない。

一方は、言えない思いを溜め込むか、「聴いてくれない」「言わせてもらえない」と依存的なコミュニケーションになっていて・・・・

自ら言うことだってできるのに。

私は、自分の主張を伝えれば、「こう思われるんじゃないか」「関係がまずくなるんじゃないか」とかという恐れが先立ってしまうなんてことはないんでしょうか?

私には多少なりともそういう思いはあり、言い控えることはあることを知っています。

しかし、だいたいにおいてこんなことぐらいで気まずくなるような関係というのは、

「そもそも結びついてもいない関係」とか、
「偶然の表面張力で接している関係」とか
「役割としての義務的な関係」

なのではないかと思うのです。

だから、ホントは、解けそうになっても、何か衝突があっても、少なくとも相手の自尊心に配慮があれば、実はいつでも「つなぎなおす、つながりなおす」関係を作りなおすことはいつでもできるように思うのです。

だから、本来は何も恐れることなく。

しかし、自分の中に譲れないこだわりがあったとしても、相手のこだわりと自分から率先して交わり、その問題に関わるより多くの人がメリットを感じられるように未来的に解決していくことが必要だと思うのです。

人は、家族や夫婦という深くつながらなければならないユニットの中で、体験的に決して離れてはいけない深い結びつきの必要性や関ることの意味を知っています。

必要だと思っているからできないことに落ち込んだり悩んだりするのであって。

だから、みんな本来そういうことを知っているのに、職場を初めその他の交わりの中では何かよそ行きの顔になり、本来解決的にあるべき関係において、自分自身の解決の力を忙しさの中で封印している。

「ない」のではない、封印しているだけ。

私にはそういう風に見えてなりません。

勇気のある積極的なかかわりと、壊れることを恐れない、それでいて破壊的でない率直な主張。

自分自身が大切にしたいなあと思っています。

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2 コメント

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雑感 (hiro1)
2008-08-22 14:00:14
いまほどコミュニケーションが求められる時代はないですね。
アサーティブなもの言い、アサーティブな姿勢。
日々様々な問題に向き合うとき、
まさに「A」を働かせた機転、バランス感覚が日常生活に
求められます。

>人は、家族や夫婦という深くつながらなければなら
>ないユニットの中で、体験的に決して離れてはいけ
>ない深い結びつきの必要性や関ることの意味を知っ
>ています。
私は、実は、ここがもっとも弱ってきているのではないかと危惧しています。はるさんの言う「希薄化」です。
生活のベースになるところでの繋がりが希薄化しているので、自分勝手な行動が横行しているのではないかと。
自分を支える関係性が薄くなってきている。

身体を構成する細胞のひとつひとつは、誕生してから生命として生き伸びるという使命しか遺伝として持っていません。それが生命力です。
自分の選択でなく、生れ落ちたからには、人はなんとしても生き延びていく使命が誰しもにあると信じます。
生きることは、苦しくとも、なんとか生きていく工夫を気づかせたいですね。

原題とはコメントがずれましたが・・・
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深い結びつきの弱さ (はる)
2008-08-22 22:43:45
hiro1さん

ありがとうございます。
職場の問題の多くは、あるべきコミュニケーションのの欠如や弱さから来る分かち合いの弱さから来る問題
ですよな。

家族や夫婦のつながりというのは、
無くした時、つまり何らかの理由で離別に直面して初めて気づくことも多いように思います。

死別・離散・離婚

あの時、ああしておけばよかったという思いになってつながりの弱さを悔やんだり。

でも、相手のせいにして終わるのかな、恨み憎しみを抱えたまま。

そもそも、人生には苦しいことの方が多いのではないかと思えば、行動をともなった楽に生きる術を身に着けなければ、何もかもが対処療法だと思うんですよね。

生き延びること。

使命です。同感!





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