教育系の仕事をしていると、お客様のご意向で、今、費やしている「教育コスト」を削減して「採用コスト」に回したいというお話を耳にすることがあります。
つまり、教育しなくても何とかいい資質を持った人を採用したいとのことなんですが。
そりゃそうですよ・・・・・
今は、自分の仕事で精一杯で、教えるとか育てるとかまで手が回っていないというところが、大半なんですもん。
正直、極端な話、育つのに、手がかからない人ほどありがたいものってないと思います。
なのに、せっかく納得できる採用ができても長続きしない。
企業から見て、採用したい人って、だいたい次の行き先を自分で選べる人ですから、環境次第でしょうがないかなぁとも思えてしまいます。
さて、昨今失敗しました枝豆の栽培の教訓から、思うのは
種の袋の裏側には、植物の特性が書かれていて、種まきの時期が記され、栽培方法が書かれています。
どんな種も、発芽率はだいたい80%以上のようです。(わが家の枝豆も、確かに10個種をまき、8個は芽が出ました。)
しかし収穫できた枝豆の不作理由はいろいろ考えられます。
育つ土台の土が悪かったのでは?
種まきの時期が遅かったのでは?
水まきの頻度は?
肥料の種類は、
即効性のあるものがよかったか?
緩効性のものがよかったのではないか?
日光が十分だったか?
鳥害や害虫、雨風から守ってきたか?
人の教育も同じだと思っています。
確かに人にも、その環境での発芽率ってあるかもしれません。
そして、多くの場合、生育には手間隙がかかるものだと思います。
しかし、時代はその緩やかな成長を待ってくれないから、何かベストプラクティスを参考にして、合理化して促成栽培を試み、そして、いい花を咲かせ、収穫を繰り返す。
苗を買ってきても、実のならない苗もあります。
種から育てても、強い根をはり、翌年も翌々年も、楽しませてくれる花もあります。
自分から、何か変わってみたい、やれるならやってみたい、もっといろんな面で豊かになりたい、
動機は何であれ、人は何かしら上方向に、横方向に、多少なりとも伸びたいものだと私は思っています。
教育環境は、変えようと思えば変えられる。
育てる側に改良する余地の残される環境にも関わらず、
無理やり人だけ変えようとすれば、その息苦しさに耐えられる余程生命力のある苗や、
自分の動機を置き去りに、その枠の中で静かに環境に同化できる苗なら生き長らえることができるかもしれない。
どっちも生きづらい。
人は皆、自分なりの誇りや使命、自分独自の価値観を大事にしたいと思っているから、
誰もが、自分なりの成長を感じることができ、必要に応じ、ブレイクできる環境を作ることが大事だと思う。
「楽に育つ人」より、誰もがブレイクしやすい環境を作ることの方が大切だと考える日々です。
「読んだよ」のクリックよろしく。
↓
つまり、教育しなくても何とかいい資質を持った人を採用したいとのことなんですが。
そりゃそうですよ・・・・・
今は、自分の仕事で精一杯で、教えるとか育てるとかまで手が回っていないというところが、大半なんですもん。
正直、極端な話、育つのに、手がかからない人ほどありがたいものってないと思います。
なのに、せっかく納得できる採用ができても長続きしない。
企業から見て、採用したい人って、だいたい次の行き先を自分で選べる人ですから、環境次第でしょうがないかなぁとも思えてしまいます。
さて、昨今失敗しました枝豆の栽培の教訓から、思うのは
種の袋の裏側には、植物の特性が書かれていて、種まきの時期が記され、栽培方法が書かれています。
どんな種も、発芽率はだいたい80%以上のようです。(わが家の枝豆も、確かに10個種をまき、8個は芽が出ました。)
しかし収穫できた枝豆の不作理由はいろいろ考えられます。
育つ土台の土が悪かったのでは?
種まきの時期が遅かったのでは?
水まきの頻度は?
肥料の種類は、
即効性のあるものがよかったか?
緩効性のものがよかったのではないか?
日光が十分だったか?
鳥害や害虫、雨風から守ってきたか?
人の教育も同じだと思っています。
確かに人にも、その環境での発芽率ってあるかもしれません。
そして、多くの場合、生育には手間隙がかかるものだと思います。
しかし、時代はその緩やかな成長を待ってくれないから、何かベストプラクティスを参考にして、合理化して促成栽培を試み、そして、いい花を咲かせ、収穫を繰り返す。
苗を買ってきても、実のならない苗もあります。
種から育てても、強い根をはり、翌年も翌々年も、楽しませてくれる花もあります。
自分から、何か変わってみたい、やれるならやってみたい、もっといろんな面で豊かになりたい、
動機は何であれ、人は何かしら上方向に、横方向に、多少なりとも伸びたいものだと私は思っています。
教育環境は、変えようと思えば変えられる。
育てる側に改良する余地の残される環境にも関わらず、
無理やり人だけ変えようとすれば、その息苦しさに耐えられる余程生命力のある苗や、
自分の動機を置き去りに、その枠の中で静かに環境に同化できる苗なら生き長らえることができるかもしれない。
どっちも生きづらい。
人は皆、自分なりの誇りや使命、自分独自の価値観を大事にしたいと思っているから、
誰もが、自分なりの成長を感じることができ、必要に応じ、ブレイクできる環境を作ることが大事だと思う。
「楽に育つ人」より、誰もがブレイクしやすい環境を作ることの方が大切だと考える日々です。
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自律した人間をいかに育てるか、あるいは自律できる環境をどう提供していけるか・・・
仕事に気づきと創造性がなければ、やがて萎えます。
その仕組みづくりが必要と考えます。具体的に!
昨今の日本の各方面での頭打ち傾向は、時には少し枠を外れる創造性の欠如かもしれません。
私は、自分が自分を信じ、自分に火をつけ、そして人とつながっているという実感が、次へのエネルギーと
なり、人に着火するのではないかと思っています。
自分が自分を信じることができるのは、「できた、できる」っていう実感が必要だと思うんです。
ESは上司と部下との関係性においてだけでなく、仲間同志で、重要だと大切にしあうことが必要だと思います。
それは、新たな気づきでも創造でもなく、本来あるものの回復や強化だと思っています。
自律の次は、次は着火です。
hiro1さんの着火に期待します!
これが、まさに自律した人間だと思うんですよ。
そのことが、仕事を通じてもエネルギーが発露され、伝播し、また自己に帰ってくる実感がもてる。
これがES(充実感)だと思うのですが・・・
この自分でできるという感じを、自分で掴める人は自律のサイクルが回りやすいと思います。
このサイクルが回るのを、空気感染を待つか、チャッカマンとなって積極的に着火していくか・・・・
教えていて思うのは、これを高める役は、実は誰でもできるのになかなかできないのかなぁなんて思っています。
ES(従業員満足)は、満足できていた時期って多少なりとも誰にでもあったと思います。もしかしたら、新しく獲得するものではなく、まずは、日々の仕事の中で、プラスのストロークの交換の中で回復するものなのかと思っています。
人に求めすぎず、与えるところからか・・・・