
『アズミ・ハルコは行方不明』を新宿武蔵野館で見ました。
(1)久しぶりに蒼井優の主演作ということで、遅ればせながら映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、車のハンドルを握る手が大写しになります。
そして、ドラッグストアの駐車場に停まったその車から、女(安曇春子:蒼井優)が出てきて、タバコを吸います。傍の電柱には「探しています」のビラが貼られています。
次の場面は、ミニシアター。
館内では、一杯の女子高生が騒いでいますが、ブザーが鳴ると、場内は暗くなります。
さらに、男(学:葉山奨之)が女子高生の一団にボコボコにされます。
ラジオから「少女ギャング団による暴行事件が起きています。警察は、夜、男性が一人で歩かないよう異例の通達を出しました」との音声が。
場面はまた変わって、2人の男〔学とユキオ(太賀)〕と女(愛菜:高畑充希)が、街のあちこちの壁などに、スプレーでアズミ・ハルコの顔を描いたり、ビラを貼ったりしながら走り回ります。
次は、結婚式の2次会。
女(今井:菊池亜希子)が「キャバのお客さんと結婚したけど離婚した」と言うと、もう一人の女(春子)は「大変だね」と応じ、さらに今井が「結婚生活ってマジ大変」、「あいつ、1回も皿洗わなかった」と言うと、春子は笑います。
警官(加瀬亮)が交番から出てきて、「探しています 安曇春子」のビラを掲示板に貼ります。そして、ここで本作のタイトルが流れます。
さあ、この後物語はどのように展開するのでしょうか、………?
様々のエピソードが時系列的にきちんと並べられて映し出されず、行ったり来たりするために、最初のうち見ている方はかなり混乱してしまい、よくわからない点が色々残ってしてしまいますが、次第に見る方の頭も整理されてくると、異なる世代の女性が男性との関係で様々の問題を抱えながらも、エイっと前に向かっていこうとする姿が、実にエネルギッシュに捉えられていることがわかり、なかなか面白いと思いました。
(2)本作では、相互にあまり関係性を持たない3つのレベルの物語がつなぎあわされており、それも、時系列的にバラバラに映し出されるので(注2)、始めのうちは酷く混乱してしまいます。
一つは、安曇春子が失踪するまでのお話、もう一つは、愛菜とユキオと学がグラフティーアートを街中に拡散する物語、さらに女子高生の集団が出会う男をボコる話、という具合。


でも、それらの詳細は、劇場用パンフレットに掲載されている3段の年表に時系列的に書き込まれているので(注3)、ここに一々取り上げるまでもないでしょう。
この映画で感じたのは、ともすれば動きのない安定した伝統的で保守的なものに囚われて埋没してしまいかねない地方都市(注4)で暮らしている女性たちが、都市の内部でうごめいている動的で破壊的なものによって突き崩され、新たな方向に進もうとする様子が、実にエネルーギーあふれる映像によって面白く描かれている点です。
それには、本作のような時系列に囚われない描き方が随分と寄与しているように思います。
そして、本作に登場する女性陣は、実に前向きであり、あるいはこの先何かが変わるかもしれません(注5)。
他方、これに対する男性陣といえば、何かが変わる未来など望むべくもありません(注6)。
ただ、この物語の要ともいえる春子の行方不明については、どうもよくわかりません。
確かに、春子を取り巻く環境は相当劣悪で(注7)、それに幼馴染との関係が上手く行かなくなれば(注8)、いたたまれない気持ちになるのもわかります。
でも、人はそんなことでいきなり失踪してしまうものでしょうか(注9)?
常識的には、せいぜい、住む場所を変えて一人暮らしをするといったあたりではないでしょうか?
それに、春子が姿を消したからと言って、警察に捜索願を出すのは誰なのでしょう(注10)?
さらに言えば、本作のような状況においては、捜索願が出されても、警察の方は書類を作成するだけで、何も動かないのが通常なのではないでしょうか(注11)?
実際のところも、ラストで瑠樹を抱いて春子が現れたところからすると、失踪後、高校時代の友人である今井の家で暮らしていたように思えます。人が姿を消した時、家人が真っ先に調べるのは友人関係であり、本作でも、親が今井の家に電話をすれば、春子がソコにいることなどすぐにわかるのではないでしょうか(注12)?
そんなことはともかく(注13)、テロなどに襲われたりして厳しい状況に置かれている他の先進国に対して、総じて実に穏やかで何事も起こらなかった年末年始の島国日本を見ると、もしかしたら、本作は、閉塞した地方都市の有様を描いているのみならず、ガラパゴス化現象を呈している日本の現状そのものを描いているのかもしれない、と思ったりしました。
(3)渡まち子氏は、「女性が抱える鬱屈や諦念は、不思議なほど伝わってくるし、垢ぬけない場所で暮らすモヤモヤと未来への不安、それでも生きていく強さが、時系列を崩しエピソードをシャッフルしたぐちゃぐちゃな構成から、フワリと伝わってくる」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「(登場人物)すべてに共通しているのは、地方都市の閉塞感を意識化することなく体感していることであり、女性にはさらに、男有利な社会への嫌悪感がある。こちらは、つよく意識され、彼女たちを行動に駆りたてる。その感覚はつたわってくるが、トリッキーな話法に気をとられて、うすまってしまった感もある。また、春子の世代以外の人物が、内面のない点景になってしまっているのも不満」として★3つ(「見応えあり」)を付けています。
林瑞絵氏は、「1度目の鑑賞で日本の今を活写する手腕に瞠目し、2度目で伏線の有機的つながりに気づき人間ドラマの深みも感じた。DVDやビデオ・オン・デマンドと映像視聴スタイルが多様化する中、再視聴まで計算した快作だ」と述べています。
毎日新聞の木村光則氏は、「監督を含め、ほとんどが20~30代のスタッフとキャストで製作された今作は若い世代の思いや感性が至るところに発露し、突っ込みどころも含めて楽しめる斬新な映画だ」と述べています。
(注1)監督は、『アフロ田中』の松居大悟。
脚本は瀬戸山美咲。
原作は、山内マリコ著『アズミ・ハルコは行方不明』(幻冬舎文庫)。
なお、出演者の内、最近では、蒼井優は『オーバー・フェンス』、高畑充希は『怒り』、太賀は『淵に立つ』、葉山奨之は『流れ星が消えないうちに』、加瀬亮は『FOUJITA』、菊池亜希子は『海のふた』、山田真歩は『永い言い訳』で、それぞれ見ました。
(注2)例えば、上記(1)で触れたミニシアターの場面は、本作のラストの方で映し出される場面(女子高生らは、ミニシアターを出ると攻囲する警官隊に遭遇しますが、彼女らが指で拳銃を撃つ真似をすると警官たちは倒れてしまい、その間を抜けて街の方に走り去ります)のすぐ前のものなのです。
なお、雑誌『シナリオ』(2017.1)に掲載されたインタビュー記事の中で、監督の松居大悟氏と脚本の瀬戸山美咲氏は、「時系列をぐちゃぐちゃにしようというのは?」とのインタビュアーの質問に対し、松居氏が「原作が結構シンプルな話だから、これを普通にやってしまうと、勿体ない(と考えた)」と答えた後、さらに「松居:最初に瀬戸山さんに(原作にある)出来事を書き出してもらって/瀬戸山:それを切って短冊にして、会議室の机にワーッと並べて/松居:まあ、最初はこれでしょうって/瀬戸山:これはここじゃないかなって言いながら(シーンの流れを作り上げていった)」と述べています。
(注3)同年表は、安曇春子、木南愛菜、それに女子高生の3段に縦に分けられ、例えば安曇春子については、1995年7月の「〔曽我祖父の家・前〕(小学校時代)春子・曽我 段ボール箱の子猫」という記事から掲載されています。
なお、マスコミ試写会時にプレスシートとして配布されたもの(劇場用パンフレットと内容は類似するように思われます)の中にもあるようです。
(注4)本作の主な舞台は足利市。
ちなみに、最近のアニメ『聲の形』の大垣市とかアニメ『この世界の片隅に』の呉市、かなり以前の蒼井優主演作の『百万円と苦虫女』のさいたま市など、映画で取り上げられた地方都市は、とかく印象に残ります。
(注5)ミニシアターを飛び出した女子高生たちは、春子の幼馴染の曽我(石崎ひゅーい)や学などを襲った後も、どんどん前に進んでいくのでしょう。
また、曽我と一緒になろうとした春子、ユキオが好きだった愛菜、出戻りの今井、今井の息子の瑠樹は、ラストで同じ車に乗って海に向かって出発します〔本文の(1)でも触れているように、今井は、春子と高校時代仲良しで、同じ仲良しだったひとみ(芹那)の結婚式で再会します。今井と愛菜は、キャバクラで先輩・後輩の仲〕。
さらに言えば、春子が勤務する会社の先輩である吉澤(山田真歩)も、社長(国広富之) らの冷たい視線や言葉を長年浴び続けていましたが、フランス系外国人と結婚してアフリカへ行くことになります。
(注6)春子が付き合っていた曽我にしても、どうやって暮らしているのかよくわからないそれまでの生活を続けていくのでしょうし、ユキオは土建の現場に出ていますし、アーティストになる夢が破れた学にしても、どこかに就職しなければと考えるようです。
(注7)春子の家は、祖母が認知症で満足に食事もできないことから、母親が絶えず苛ついているにもかかわらず、父親は我関せずとばかりにTVを見ているといった最悪の雰囲気です。また、春子の勤務先の会社でも、社長らの女子社員に対するセクハラ・パワハラ的な言動がどんどんヒートアップしています。
(注8)曽我が、結婚したばかりのひとみと付き合っていることを知って、春子は、彼に「好きだから付き合ってほしい」と訴えるのですが、「バカじゃないの」などと言われ突き放されてしまいます。
(注9)夢ランドで出会った時、ユキオに捨てられて「ユキオに復讐する」「死にたい」「死ねばユキオが悲しむ」と言う愛菜に対し、春子は、「死んだって、忘れるだけ」「幸せに暮らすことがユキオへの復讐になる」「一度消えてしまえば」「行方不明になった女の子は、ヘラヘラ笑いながら何処かで生きている」などと言います。
春子は、自分と付き合おうとしない曽我に復讐しようとして行方不明という道を選んだのでしょうか?それにしては、曽我は随分とダメ男のように描かれていますが。
(注10)春子の家では、春子の存在は、両親の関心事項の外にあったかのように見えます(30歳近くにもなったのだから、早いところ結婚して家を出てくれというところでしょうか)。
(注11)失踪に事件性(殺人とか誘拐といった)があれば別でしょう、ですが、春子の場合にはそんなものはありえません。
さらに言えば、交番の警官が行方不明のビラを掲示板に貼るといったことも、通常なら行われないのではないでしょうか?第一、そのビラは誰の費用によりどこで作成されたものなのでしょう?
(注12)あるいは、親からの電話に対して「知らない」と答えてほしいと、春子は今井に頼んでいるのかもしれません。でも、狭い地方都市のことですから、春子が今井の家にいることくらい、情報としてすぐに春子の家に届くのではないかと思います。
(注13)警察庁が作成した「平成27年中における行方不明者の状況」(平成28年6月)によれば、「行方不明」の原因のうち、「家族関係」が「疾病関係」に次いで多く(19.6%)、「異性関係」も2.0%ありますから、安曇春子のような事例もありうるのでしょう。
なお、平成26年の「行方不明者届受理数」が82,035人なのに対し、所在確認数は80,232人となっています。
★★★☆☆☆
象のロケット:アズミ・ハルコは行方不明
(1)久しぶりに蒼井優の主演作ということで、遅ればせながら映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、車のハンドルを握る手が大写しになります。
そして、ドラッグストアの駐車場に停まったその車から、女(安曇春子:蒼井優)が出てきて、タバコを吸います。傍の電柱には「探しています」のビラが貼られています。
次の場面は、ミニシアター。
館内では、一杯の女子高生が騒いでいますが、ブザーが鳴ると、場内は暗くなります。
さらに、男(学:葉山奨之)が女子高生の一団にボコボコにされます。
ラジオから「少女ギャング団による暴行事件が起きています。警察は、夜、男性が一人で歩かないよう異例の通達を出しました」との音声が。
場面はまた変わって、2人の男〔学とユキオ(太賀)〕と女(愛菜:高畑充希)が、街のあちこちの壁などに、スプレーでアズミ・ハルコの顔を描いたり、ビラを貼ったりしながら走り回ります。
次は、結婚式の2次会。
女(今井:菊池亜希子)が「キャバのお客さんと結婚したけど離婚した」と言うと、もう一人の女(春子)は「大変だね」と応じ、さらに今井が「結婚生活ってマジ大変」、「あいつ、1回も皿洗わなかった」と言うと、春子は笑います。
警官(加瀬亮)が交番から出てきて、「探しています 安曇春子」のビラを掲示板に貼ります。そして、ここで本作のタイトルが流れます。
さあ、この後物語はどのように展開するのでしょうか、………?
様々のエピソードが時系列的にきちんと並べられて映し出されず、行ったり来たりするために、最初のうち見ている方はかなり混乱してしまい、よくわからない点が色々残ってしてしまいますが、次第に見る方の頭も整理されてくると、異なる世代の女性が男性との関係で様々の問題を抱えながらも、エイっと前に向かっていこうとする姿が、実にエネルギッシュに捉えられていることがわかり、なかなか面白いと思いました。
(2)本作では、相互にあまり関係性を持たない3つのレベルの物語がつなぎあわされており、それも、時系列的にバラバラに映し出されるので(注2)、始めのうちは酷く混乱してしまいます。
一つは、安曇春子が失踪するまでのお話、もう一つは、愛菜とユキオと学がグラフティーアートを街中に拡散する物語、さらに女子高生の集団が出会う男をボコる話、という具合。


でも、それらの詳細は、劇場用パンフレットに掲載されている3段の年表に時系列的に書き込まれているので(注3)、ここに一々取り上げるまでもないでしょう。
この映画で感じたのは、ともすれば動きのない安定した伝統的で保守的なものに囚われて埋没してしまいかねない地方都市(注4)で暮らしている女性たちが、都市の内部でうごめいている動的で破壊的なものによって突き崩され、新たな方向に進もうとする様子が、実にエネルーギーあふれる映像によって面白く描かれている点です。
それには、本作のような時系列に囚われない描き方が随分と寄与しているように思います。
そして、本作に登場する女性陣は、実に前向きであり、あるいはこの先何かが変わるかもしれません(注5)。
他方、これに対する男性陣といえば、何かが変わる未来など望むべくもありません(注6)。
ただ、この物語の要ともいえる春子の行方不明については、どうもよくわかりません。
確かに、春子を取り巻く環境は相当劣悪で(注7)、それに幼馴染との関係が上手く行かなくなれば(注8)、いたたまれない気持ちになるのもわかります。
でも、人はそんなことでいきなり失踪してしまうものでしょうか(注9)?
常識的には、せいぜい、住む場所を変えて一人暮らしをするといったあたりではないでしょうか?
それに、春子が姿を消したからと言って、警察に捜索願を出すのは誰なのでしょう(注10)?
さらに言えば、本作のような状況においては、捜索願が出されても、警察の方は書類を作成するだけで、何も動かないのが通常なのではないでしょうか(注11)?
実際のところも、ラストで瑠樹を抱いて春子が現れたところからすると、失踪後、高校時代の友人である今井の家で暮らしていたように思えます。人が姿を消した時、家人が真っ先に調べるのは友人関係であり、本作でも、親が今井の家に電話をすれば、春子がソコにいることなどすぐにわかるのではないでしょうか(注12)?
そんなことはともかく(注13)、テロなどに襲われたりして厳しい状況に置かれている他の先進国に対して、総じて実に穏やかで何事も起こらなかった年末年始の島国日本を見ると、もしかしたら、本作は、閉塞した地方都市の有様を描いているのみならず、ガラパゴス化現象を呈している日本の現状そのものを描いているのかもしれない、と思ったりしました。
(3)渡まち子氏は、「女性が抱える鬱屈や諦念は、不思議なほど伝わってくるし、垢ぬけない場所で暮らすモヤモヤと未来への不安、それでも生きていく強さが、時系列を崩しエピソードをシャッフルしたぐちゃぐちゃな構成から、フワリと伝わってくる」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「(登場人物)すべてに共通しているのは、地方都市の閉塞感を意識化することなく体感していることであり、女性にはさらに、男有利な社会への嫌悪感がある。こちらは、つよく意識され、彼女たちを行動に駆りたてる。その感覚はつたわってくるが、トリッキーな話法に気をとられて、うすまってしまった感もある。また、春子の世代以外の人物が、内面のない点景になってしまっているのも不満」として★3つ(「見応えあり」)を付けています。
林瑞絵氏は、「1度目の鑑賞で日本の今を活写する手腕に瞠目し、2度目で伏線の有機的つながりに気づき人間ドラマの深みも感じた。DVDやビデオ・オン・デマンドと映像視聴スタイルが多様化する中、再視聴まで計算した快作だ」と述べています。
毎日新聞の木村光則氏は、「監督を含め、ほとんどが20~30代のスタッフとキャストで製作された今作は若い世代の思いや感性が至るところに発露し、突っ込みどころも含めて楽しめる斬新な映画だ」と述べています。
(注1)監督は、『アフロ田中』の松居大悟。
脚本は瀬戸山美咲。
原作は、山内マリコ著『アズミ・ハルコは行方不明』(幻冬舎文庫)。
なお、出演者の内、最近では、蒼井優は『オーバー・フェンス』、高畑充希は『怒り』、太賀は『淵に立つ』、葉山奨之は『流れ星が消えないうちに』、加瀬亮は『FOUJITA』、菊池亜希子は『海のふた』、山田真歩は『永い言い訳』で、それぞれ見ました。
(注2)例えば、上記(1)で触れたミニシアターの場面は、本作のラストの方で映し出される場面(女子高生らは、ミニシアターを出ると攻囲する警官隊に遭遇しますが、彼女らが指で拳銃を撃つ真似をすると警官たちは倒れてしまい、その間を抜けて街の方に走り去ります)のすぐ前のものなのです。
なお、雑誌『シナリオ』(2017.1)に掲載されたインタビュー記事の中で、監督の松居大悟氏と脚本の瀬戸山美咲氏は、「時系列をぐちゃぐちゃにしようというのは?」とのインタビュアーの質問に対し、松居氏が「原作が結構シンプルな話だから、これを普通にやってしまうと、勿体ない(と考えた)」と答えた後、さらに「松居:最初に瀬戸山さんに(原作にある)出来事を書き出してもらって/瀬戸山:それを切って短冊にして、会議室の机にワーッと並べて/松居:まあ、最初はこれでしょうって/瀬戸山:これはここじゃないかなって言いながら(シーンの流れを作り上げていった)」と述べています。
(注3)同年表は、安曇春子、木南愛菜、それに女子高生の3段に縦に分けられ、例えば安曇春子については、1995年7月の「〔曽我祖父の家・前〕(小学校時代)春子・曽我 段ボール箱の子猫」という記事から掲載されています。
なお、マスコミ試写会時にプレスシートとして配布されたもの(劇場用パンフレットと内容は類似するように思われます)の中にもあるようです。
(注4)本作の主な舞台は足利市。
ちなみに、最近のアニメ『聲の形』の大垣市とかアニメ『この世界の片隅に』の呉市、かなり以前の蒼井優主演作の『百万円と苦虫女』のさいたま市など、映画で取り上げられた地方都市は、とかく印象に残ります。
(注5)ミニシアターを飛び出した女子高生たちは、春子の幼馴染の曽我(石崎ひゅーい)や学などを襲った後も、どんどん前に進んでいくのでしょう。
また、曽我と一緒になろうとした春子、ユキオが好きだった愛菜、出戻りの今井、今井の息子の瑠樹は、ラストで同じ車に乗って海に向かって出発します〔本文の(1)でも触れているように、今井は、春子と高校時代仲良しで、同じ仲良しだったひとみ(芹那)の結婚式で再会します。今井と愛菜は、キャバクラで先輩・後輩の仲〕。
さらに言えば、春子が勤務する会社の先輩である吉澤(山田真歩)も、社長(国広富之) らの冷たい視線や言葉を長年浴び続けていましたが、フランス系外国人と結婚してアフリカへ行くことになります。
(注6)春子が付き合っていた曽我にしても、どうやって暮らしているのかよくわからないそれまでの生活を続けていくのでしょうし、ユキオは土建の現場に出ていますし、アーティストになる夢が破れた学にしても、どこかに就職しなければと考えるようです。
(注7)春子の家は、祖母が認知症で満足に食事もできないことから、母親が絶えず苛ついているにもかかわらず、父親は我関せずとばかりにTVを見ているといった最悪の雰囲気です。また、春子の勤務先の会社でも、社長らの女子社員に対するセクハラ・パワハラ的な言動がどんどんヒートアップしています。
(注8)曽我が、結婚したばかりのひとみと付き合っていることを知って、春子は、彼に「好きだから付き合ってほしい」と訴えるのですが、「バカじゃないの」などと言われ突き放されてしまいます。
(注9)夢ランドで出会った時、ユキオに捨てられて「ユキオに復讐する」「死にたい」「死ねばユキオが悲しむ」と言う愛菜に対し、春子は、「死んだって、忘れるだけ」「幸せに暮らすことがユキオへの復讐になる」「一度消えてしまえば」「行方不明になった女の子は、ヘラヘラ笑いながら何処かで生きている」などと言います。
春子は、自分と付き合おうとしない曽我に復讐しようとして行方不明という道を選んだのでしょうか?それにしては、曽我は随分とダメ男のように描かれていますが。
(注10)春子の家では、春子の存在は、両親の関心事項の外にあったかのように見えます(30歳近くにもなったのだから、早いところ結婚して家を出てくれというところでしょうか)。
(注11)失踪に事件性(殺人とか誘拐といった)があれば別でしょう、ですが、春子の場合にはそんなものはありえません。
さらに言えば、交番の警官が行方不明のビラを掲示板に貼るといったことも、通常なら行われないのではないでしょうか?第一、そのビラは誰の費用によりどこで作成されたものなのでしょう?
(注12)あるいは、親からの電話に対して「知らない」と答えてほしいと、春子は今井に頼んでいるのかもしれません。でも、狭い地方都市のことですから、春子が今井の家にいることくらい、情報としてすぐに春子の家に届くのではないかと思います。
(注13)警察庁が作成した「平成27年中における行方不明者の状況」(平成28年6月)によれば、「行方不明」の原因のうち、「家族関係」が「疾病関係」に次いで多く(19.6%)、「異性関係」も2.0%ありますから、安曇春子のような事例もありうるのでしょう。
なお、平成26年の「行方不明者届受理数」が82,035人なのに対し、所在確認数は80,232人となっています。
★★★☆☆☆
象のロケット:アズミ・ハルコは行方不明
しかし慣れてくると自然に整理されてきて、ここの人間の心のその時点での動きがなかなか面白いですね。
蒼井優、高畑充希のダブル主演な感じですが、男性二人もなかなかいい演技でした。
こちらからもTBお願いします。
本年もよろしくお願いいたします。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。
本作については、安曇春子が行方不明となるてんにちょっとひっかかるものの、おっしゃるように、「個々の人間の心のその時点での動きがなかなか面白い」作品だなと思いました。