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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ライク・サムワン・イン・ラブ

2012年10月11日 | 邦画(12年)
 『ライク・サムワン・イン・ラブ』をユーロスペースで見ました。

(1)イランのアッバス・キアロスタミ氏による作品(監督・脚本)でありながら日本語が話される映画として製作され(日仏共同制作)、それに加瀬亮も出演していると聞いて映画館に出向きました。

 映画の冒頭では、カフェに若い男女が集まって話しているところ、その内の一人の若い女性・明子高梨臨)に焦点が当てられます。



 彼女は、携帯電話で、今日会えない理由をくどくどと話していますが(注1)、相手〔ノリアキ加瀬亮)と思われます〕はそれを受け付けないようです。
 そこへ、中年過ぎの男性・ヒロシでんでん)が現れ、「俺の頼みをきいてくれ」と、明子をある人物のもとに送り込もうとするものの、彼女はノリアキに言っていた理由を挙げて、「今日は無理」と言います。
 にもかかわらず、ヒロシは無理やり明子をタクシーに乗せて、その人物のもとに向かわせます(注2)。
 明子を呼んでいた人物・タカシ奥野匡)は、84歳になる老人で、定年まで大学で社会学を教えていたものの、退職後は翻訳や講演をしているとのこと。



 明子はタカシの部屋で一晩過ごしたあと(注3)、たかしの運転する車で大学に向かいます。
 そうしたところ、大学の入口で待ち構えていたのがノリアキ。
 明子はなんとかノリアキを振り切って、テストを受けに大学の中に入ります。
 後に残されたノリアキは、今度は、タバコの火を借りようとして、タカシの車に入り込みます。
 さあ、明子、ノリアキ、タカシの関係はどうなることでしょう、……?

 最初のうち明子がいったいどういう女性なのか把握しがたいままに物語が進行し、また日本で撮影されていながらもシチュエーションが日本離れしているようにも思われ、さらに何も解決しないところで映画が終わってしまうのですが、にもかかわらず、かえって観客を色々な解釈に誘っていて、大層興味をひかれました。

 ノリアキに扮する加瀬亮は、最近は米国映画『永遠の僕たち』に出演するなど随分と幅広く活躍していて、かつそれぞれの作品での演技の質も高いものがあるところ、本作においても、中学での自動車整備工という役柄を的確に演じていると思いました。




(2)本作は、前に見たキアロスタミ監督の『トスカーナの贋作』を思い起こさせます。
 その映画では、主人公の英国作家・ジェームズとフランス人の「彼女」との関係がいかようにでも解釈できるように曖昧なものとなっていますが(まるで夫婦のようですが、偽の夫婦のようにも見えます)、本作においても、明子、ノリアキ、タカシの関係がいまいち明確なものとはなりません。むしろ、そうならないように作られていると言えるのかもしれません。

 明子は、どうやらデートクラブに所属する女の子で、でんでんが扮するヒロシがそこを取り仕切っているようです。元教授のタカシたかしは、何かの機会に明子を見染めて、でんでんを通じて彼女を自宅に呼んだのでしょう。
ところが、明子は、タカシの家の中に入るなり、壁に架けられている絵画に注目して、まるでタカシの親類縁者のような口ぶりなのです(注4)。
 また、明子に思いを寄せているノリアキは、明子とデートクラブとの係わりは過去のこととして(注5)、現在は普通の大学生だとみなしている感じです。明子が乗っていた車を運転するタカシが、明子との関係を「おじいさん」だと告げると、疑いもせずにそれを鵜呑みにしてしまうのですから(注6)。
 その後、明子とタカシの関係が祖父-孫といったものでないことがわかったのでしょう、ノリアキは激怒し、明子が逃げ込んだ先のタカシの家まで押しかけて、タカシの車のガラスを打ち破るは、部屋の窓ガラスは破壊するはなどの乱暴を働くのですが、これも明子が単純な大学生と信じていたからこその行為のように思われます。
 しかしながら、車の中で、タカシが「今日のテストはどうだった、どんな問題が出たの?」と尋ねたのに対し、明子は、「最初に進化論を提唱したのはデュルケームだよね」などと、小学生でも知っている問題について酷く頓珍漢なことを言うのですから(注7)、その大学生ぶりも甚だ怪しいと思えてきます。

 一時は、タカシ-明子が「祖父-孫」の関係、「ノリアキ-明子」が普通の恋人関係(注8)、「タカシ-ノリアキ」が近い将来の縁戚関係という具合になりかけていたものの、そうした偽物の関係(贋作!)は、やはり長続きはせずに簡単に瓦解してしまって後には何も残らない、といった物語のように思えました。

(3)映画評論家の小梶勝男氏は、読売新聞の映画評で、「今年のカンヌ国際映画祭に出品され、キアロスタミは会見で「人生と同じように、映画に始まりも終わりもない」と語った。これはまさに、そんな作品だ」などと述べています。



(注1)明日のテストのために勉強しなくてはならない(今日も寝ていない)とか、今、田舎からおばあちゃんが上京していて相手をしなくてはいけない、などといった理由を電話で相手に話しています。

(注2)一見すると、カフェは新宿にあり、目的地は横浜のように思われます。
 とはいえ、そうはっきりと決められないように撮影されています。
 横浜方面に向かう前に、新宿駅東口を、明子を乗せたタクシーが何度か回るのですが(車窓から見える光景にビックカメラなどが入ってきます)、その中心に鎧兜を付けた銅像が置かれていて、その台座のところに明子のおばあちゃんが立っているのです。もとより新宿駅にそんな銅像など設置されていませんから、場所は架空ということになるでしょう(この記事によれば、銅像は、静岡駅前にある家康公の像とのこと)。
 さらに、高速から降りる際にタクシーが支払う料金が、とても東京から横浜までの金額とは思えないほどの安さです。
 監督は、具体的な場所の特定を、意識的に避けようとしているのでしょう(いわば“偽の場所”を作り出しているのでしょう!)。

(注3)タカシは、明子と、ワインを飲み食事をしつつ話をしようと考えていたようですが、明子の方は、「眠い」と言って先にベッドに入って寝てしまいます。

(注4)壁に架かっているのは矢崎千代二の『教鵡』。



 映画の中で、タカシは、「この絵は、1900年に描かれたもので、オウムに言葉を教えているところ。日本の題材を使って油絵を描いたことで有名」と明子に説明します。
 これに対して、明子は、「この絵好きなんです。14歳ごろ、この絵をもらったことがあるんです」とか、「小さい頃、おばあちゃんに、この絵の人にお前は似ている、と言われた」などと、不思議なことをタカシに話します。
 するとタカシは、「髪の毛をお団子にすれば似ている」などと答えたりするのです。

(注5)ノリアキはタカシに、「明子が東京に出てきたときにデートクラブに所属したことがあり、この間、職場の仲間が、その時の明子が写っているフーゾクのビラ(贋作?)をこれ見よがしに取り出したので喧嘩になった」などと話しています。
 なお、明子のおばあさんは、明子への電話の中で、しきりとそのフーゾクのビラのことを言っています。明子の電話番号が分かったのも、デートクラブでの同僚なぎさの母親から聞いたのだとおばあさんは言っていますし、あるいはおばあさんは、明子の現在の状況を察知しているのかもしれません。

(注6)ノリアキは、明子からおばあさんが上京していることを聞いていたので、自然とそう思ったのでしょう。ただ、それでもノリアキは、明子が現在もデートクラブを続けていると分かっていれば、タカシのことをまずは「客」と考えるのではないでしょうか?

(注7)もちろん、タカシによって「それはダーウィンだよ」とたしなめられますが、たとえ社会進化論としても、その提唱者はスペンサーでしょう。

(注8)どうも明子はノリアキと分かれたがっていたようですが、逆に、ノリアキは彼女との結婚を切望しており、「彼女は、何があっても何も言わない、だから結婚した方がいい、結婚すれば話し合うから」などとタカシに言います(これに対して、タカシは「結婚しても彼女は何も言わないかもしれない、彼女を好きになるのはいい、でも結婚はしない方がいい」などと答えます)。



★★★★☆




象のロケット:ライク・サムワン・イン・ラブ


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