『永遠の僕たち』を渋谷のシネマライズで見ました。
(1)本作は、自閉症気味の青年が主人公ですが、実はこれもまた、余命3カ月と宣告された少女を巡る物語でもあります。
であれば、『50/50』と『私だけのハッピー・エンディング』、それに本作という具合に、短期間のうちに、同じ傾向の作品を3つも見たことになります(注1)!
なんとなく、幽霊が登場する邦画が流行っているなとの印象を持っていたところ(『東京公園』、『朱花の月』、それに『ステキな金縛り』!)、洋画では「ガン」というわけでしょうか?
と思いながら見ていたら、この映画には、なんと加瀬亮が、神風特攻隊員の幽霊役で出てくるので驚いてしまいました。
本作の主人公イーノック(ヘンリー・ホッパー:近頃亡くなったデニス・ホッパーの息子)は、交通事故で両親を亡くし、その際に自身も、昏睡状態が3か月続き、さらに3分間ほど臨死体験をしています。
そして、どうもその時に、特攻隊員のヒロシ(加瀬亮)に出会ったようなのです(注2)。
要すればイーノックは、交通事故以来、人とうまくコミュニケーションを持つことができず、昼間は、自身とは無関係の様々な葬儀に列席したりして時間をつぶし(注3)、夜に家に戻ると、部屋にはヒロシが待ち構えていて、一緒にゲーム(注4)などをしたりしています(注5)。
ソウしたある日、イーノックは、いつものように葬儀に列席していたところ、アナベル(ミア・ワシコウスカ)という余命3か月の少女(注6)と出会います(注7)。
イーノックとアナベルとの様々の交流がこの映画の中心となり(注8)、そこにヒロシがまた絡んできて、その存在が彼ら2人をより接近させたりします。
結局アナベルは亡くなりますが、そしてヒロシがその先導役を買って出るために、イーノックは一人きりで残されてしまうものの、きっとこれからは一人立ちできるに違いありません(注9)。
この映画には、予告編でも見られるような、自分たちの姿を白墨で形どる場面(殺人事件の現場類似の)など、実に鮮烈な映像が溢れています。
さらに、イーノックとアナベルが着る衣装がなかなか凝っている点にも注意を払う必要があでしょう(ヒロシは、大部分、特攻隊の制服を着ています)。特に、アナベルに扮するミア・ワシコウスカは、20代前半の若さとすらりとしたスタイルで、どの衣装も実によく似合っていました(注10)。
また、本作が始まると、ビートルズのアルバム『Let It Be』の冒頭を飾る「Two of Us」が流れます(注11)。
本作は、実に若々しく瑞々しいヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカ、それにまたもや守備範囲の広さを披露する加瀬亮(注12)、さらに凝った衣装とか音楽、というように見所・聞き所が詰まっていて、見応えある作品に仕上がっていると思いました。
(2)幽霊の姿で登場するヒロシは、1941年に予科練を首席で卒業したと言い、またナポレオンとかリンカーンの幽霊に会ったことがあるとも言います。
ヒロシの場合、恋人に対する思いを書いた手紙(注13)を仲間に託すことなく死ななくてはならなかったために、現世に対する未練が残っていて、それで幽霊になっているのかもしれません。とすると、ナポレオンの場合は、失意のままセントヘレナ島でヒ素で毒殺されたこと、リンカーンの場合はその2期目就任直後に暗殺されたことから、それぞれまだ現世に未練があって、幽霊の姿になっているとも、もしかしたら考えられます。
さらに、ヒロシは、特攻隊の制服を着用していたり、イーノックにお辞儀の仕方とか「セップク」の意味などを教えたりと、西欧人が抱いている型どおりの日本人イメージに沿った描き方がされているのは事実です。
とはいえ、ヒロシは、イーノックとアナベルの距離を縮めるのにも随分と大きな役割を果たします。
たとえば、イーノックとアナベルとヒロシの3人が水辺でお喋りをしているシーンがあります。
アナベルにはヒロシの姿は見えませんし、声も聞こえません。ヒロシが何か言うと、イーノックはそれをマイルドに翻訳し直してアナベルに伝えたりして(注14)、ヒロシの怒りを誘ったりしますが、他方でアナルとイーノックの中はより深くなるようです。
さらにまた、ラストの方でアナベルが臨終近くになると、イーノックは病室を飛び出して一人泣きだし(注15)、自分の家に戻りますが、そこに現れたヒロシは、自分はアナベルの長い旅のお伴をするといって、これまでの戦闘服に代わって、モーニングにシルクハットという正装を身にまとっています。そして、恋人に渡すはずであった手紙を読み上げて、自分のようにならないように早くアナベルのところに戻れと言って姿を消します。たぶん、もう現れることもないのではないでしょうか。
こうしてみると、ヒロシは本作では脇役的な存在ですが、イーノックやアナベルと同様、かなりしっかりと造形されていると思いました。
(3)映画評論家の評価は随分と高いものがあります。
樺沢紫苑氏は、「心理学的にも精緻に描かれていて興味深いが、何より切ないラブストーリーとして完成されていて、感動させられる」として90点をつけています。
青森学氏は、「この作品は登場人物の死を通して生きることの意味を真摯に見つめた秀作である」として85点をつけています。
渡まち子氏は、「青年の成長物語でもある繊細なラブ・ストーリーで、感動が心に染み入る」として70点をつけています。
(注1)ただ、『50/50』の場合、アダムは、5年後の生存率が50%と宣告されますが、『私だけのハッピー・エンディング』のマーリーについては、余命半年とされ、本作のアナベルの場合には、さらに短くなって3か月とされています。
(注2)イーノックが目覚めると、ベッドにヒロシが座っていたとのこと。
(注3)イーノックは、本当なら高校に通うべき年齢ながら、両親のことをからかった同級生に暴行を加え入院させたことから退学処分となって、いまはどこにも通っていないようです〔彼の面倒をみているメイベル叔母さん(ジェーン・アダムス)が、「高校のパンフレットをベッドの上に置いておいた」と言ったりしています〕
(注4)「battleship」という海戦ゲーム。
なお、ヒロシは、イーノックに、葬式巡りは止めるべきだと忠告しますが、イーノックは意に介しません。
(注5)主人公のイーノックのこんな有様から、本作の原題が「Restless」(不安で落ち着かない)となっているのでしょうか。
(注6)アナベルは、「ダーウィンの評伝」を熱心に読んでいる女の子で、「人類について偉大なことを言っているから、ダーウィンが好き。アインシュタインなど問題外」と言い、また「腐肉の臭いを遠くから嗅ぎ取る虫で、親虫が幼虫の面倒をみたりするのがいて、とても面白い」などとも話し、鳥とか虫の生態に猛烈に詳しく、実に上手に動物の絵も描きます。
こうしたアナベルに対して、イーノックは『ビーグル号航海記』を贈ろうと本を持って家に入ると、アナベルが床に倒れているのを発見します(このときは、アナベルが、死んだときの予行演習をしたようなのですが)。
(注7)イーノックが、ある葬儀に列席していて、葬儀社の社員に呼び止められ、疑いをかけられたところを、アナベルが親戚だとして救ってあげたところから、2人は親しくなります。
アナベルは、最初のうちは、ガンにかかった子供たちの病棟で働いていると言っていましたが、途中で、「実は、自分はそこの患者なの」と打ち明けます。
また、家には、母親と姉のエリザベス(シェイラー・フィスク)がいます(アナベルによれば、父親は「森の番人」だったとのことですが)。
(注8)ハロウィンの夜に、イーノックとアナベルは結ばれ、それ以降2人は、バドミントンをしたり、草原で遊んだり、ボートに乗ったり自転車に乗ったりなど、愉しい時間を一緒に過ごすようになります。
(注9)アナベルの告別式で、イーノックは、アナベルの思い出を皆の前で進んで語ろうとするのですから。
(注10)ハロウィンの夜の仮想に際しては、イーノックは、ヒロシのような特攻隊の戦闘服を着、アナベルは日本の着物を着ています。
(注11)この曲については、例えば、このサイトの解説が分かりやすいと思います。
(注12)加瀬亮は、このところでは、『婚前特急』、『海炭市叙景』、『マザーウォーター』から『アウトレイジ』と、実に幅広い範囲の作品に出演しています
(注13)“上官から、天皇陛下バンザイと言って敵艦に突っ込めと言われたが、自分はあなたの名前を言って死ぬ”といった感じの内容ですが、こうした手紙であれば、仮に出そうとしても、事前の検閲によって相手には渡らなかったのではと思われます。
(注14)例えば、ヒロシがアナベルの服装について、「男みたいな服装だ」というと、イーノックは、「似あっているよ」と通訳してしまいます。
ただ、逆に、何かの拍子にアナベルが「ナガサキの仇討ち?」と口を滑らしてしまい、それまで知らなかった長崎原爆投下のことを知って、ヒロシはショックを受け、浴槽に沈み込んでいる場面もあります。
(注15)イーノックは、アナベルに、「何かしてあげたい。ガラパゴスへ行くとか、季節を春にするとか」と言いますが、アナベルは、「今で十分、……もうすぐみたいだけど、大丈夫?」と言います。
★★★★☆
象のロケット:永遠の僕たち
(1)本作は、自閉症気味の青年が主人公ですが、実はこれもまた、余命3カ月と宣告された少女を巡る物語でもあります。
であれば、『50/50』と『私だけのハッピー・エンディング』、それに本作という具合に、短期間のうちに、同じ傾向の作品を3つも見たことになります(注1)!
なんとなく、幽霊が登場する邦画が流行っているなとの印象を持っていたところ(『東京公園』、『朱花の月』、それに『ステキな金縛り』!)、洋画では「ガン」というわけでしょうか?
と思いながら見ていたら、この映画には、なんと加瀬亮が、神風特攻隊員の幽霊役で出てくるので驚いてしまいました。
本作の主人公イーノック(ヘンリー・ホッパー:近頃亡くなったデニス・ホッパーの息子)は、交通事故で両親を亡くし、その際に自身も、昏睡状態が3か月続き、さらに3分間ほど臨死体験をしています。
そして、どうもその時に、特攻隊員のヒロシ(加瀬亮)に出会ったようなのです(注2)。
要すればイーノックは、交通事故以来、人とうまくコミュニケーションを持つことができず、昼間は、自身とは無関係の様々な葬儀に列席したりして時間をつぶし(注3)、夜に家に戻ると、部屋にはヒロシが待ち構えていて、一緒にゲーム(注4)などをしたりしています(注5)。
ソウしたある日、イーノックは、いつものように葬儀に列席していたところ、アナベル(ミア・ワシコウスカ)という余命3か月の少女(注6)と出会います(注7)。
イーノックとアナベルとの様々の交流がこの映画の中心となり(注8)、そこにヒロシがまた絡んできて、その存在が彼ら2人をより接近させたりします。
結局アナベルは亡くなりますが、そしてヒロシがその先導役を買って出るために、イーノックは一人きりで残されてしまうものの、きっとこれからは一人立ちできるに違いありません(注9)。
この映画には、予告編でも見られるような、自分たちの姿を白墨で形どる場面(殺人事件の現場類似の)など、実に鮮烈な映像が溢れています。
さらに、イーノックとアナベルが着る衣装がなかなか凝っている点にも注意を払う必要があでしょう(ヒロシは、大部分、特攻隊の制服を着ています)。特に、アナベルに扮するミア・ワシコウスカは、20代前半の若さとすらりとしたスタイルで、どの衣装も実によく似合っていました(注10)。
また、本作が始まると、ビートルズのアルバム『Let It Be』の冒頭を飾る「Two of Us」が流れます(注11)。
本作は、実に若々しく瑞々しいヘンリー・ホッパーとミア・ワシコウスカ、それにまたもや守備範囲の広さを披露する加瀬亮(注12)、さらに凝った衣装とか音楽、というように見所・聞き所が詰まっていて、見応えある作品に仕上がっていると思いました。
(2)幽霊の姿で登場するヒロシは、1941年に予科練を首席で卒業したと言い、またナポレオンとかリンカーンの幽霊に会ったことがあるとも言います。
ヒロシの場合、恋人に対する思いを書いた手紙(注13)を仲間に託すことなく死ななくてはならなかったために、現世に対する未練が残っていて、それで幽霊になっているのかもしれません。とすると、ナポレオンの場合は、失意のままセントヘレナ島でヒ素で毒殺されたこと、リンカーンの場合はその2期目就任直後に暗殺されたことから、それぞれまだ現世に未練があって、幽霊の姿になっているとも、もしかしたら考えられます。
さらに、ヒロシは、特攻隊の制服を着用していたり、イーノックにお辞儀の仕方とか「セップク」の意味などを教えたりと、西欧人が抱いている型どおりの日本人イメージに沿った描き方がされているのは事実です。
とはいえ、ヒロシは、イーノックとアナベルの距離を縮めるのにも随分と大きな役割を果たします。
たとえば、イーノックとアナベルとヒロシの3人が水辺でお喋りをしているシーンがあります。
アナベルにはヒロシの姿は見えませんし、声も聞こえません。ヒロシが何か言うと、イーノックはそれをマイルドに翻訳し直してアナベルに伝えたりして(注14)、ヒロシの怒りを誘ったりしますが、他方でアナルとイーノックの中はより深くなるようです。
さらにまた、ラストの方でアナベルが臨終近くになると、イーノックは病室を飛び出して一人泣きだし(注15)、自分の家に戻りますが、そこに現れたヒロシは、自分はアナベルの長い旅のお伴をするといって、これまでの戦闘服に代わって、モーニングにシルクハットという正装を身にまとっています。そして、恋人に渡すはずであった手紙を読み上げて、自分のようにならないように早くアナベルのところに戻れと言って姿を消します。たぶん、もう現れることもないのではないでしょうか。
こうしてみると、ヒロシは本作では脇役的な存在ですが、イーノックやアナベルと同様、かなりしっかりと造形されていると思いました。
(3)映画評論家の評価は随分と高いものがあります。
樺沢紫苑氏は、「心理学的にも精緻に描かれていて興味深いが、何より切ないラブストーリーとして完成されていて、感動させられる」として90点をつけています。
青森学氏は、「この作品は登場人物の死を通して生きることの意味を真摯に見つめた秀作である」として85点をつけています。
渡まち子氏は、「青年の成長物語でもある繊細なラブ・ストーリーで、感動が心に染み入る」として70点をつけています。
(注1)ただ、『50/50』の場合、アダムは、5年後の生存率が50%と宣告されますが、『私だけのハッピー・エンディング』のマーリーについては、余命半年とされ、本作のアナベルの場合には、さらに短くなって3か月とされています。
(注2)イーノックが目覚めると、ベッドにヒロシが座っていたとのこと。
(注3)イーノックは、本当なら高校に通うべき年齢ながら、両親のことをからかった同級生に暴行を加え入院させたことから退学処分となって、いまはどこにも通っていないようです〔彼の面倒をみているメイベル叔母さん(ジェーン・アダムス)が、「高校のパンフレットをベッドの上に置いておいた」と言ったりしています〕
(注4)「battleship」という海戦ゲーム。
なお、ヒロシは、イーノックに、葬式巡りは止めるべきだと忠告しますが、イーノックは意に介しません。
(注5)主人公のイーノックのこんな有様から、本作の原題が「Restless」(不安で落ち着かない)となっているのでしょうか。
(注6)アナベルは、「ダーウィンの評伝」を熱心に読んでいる女の子で、「人類について偉大なことを言っているから、ダーウィンが好き。アインシュタインなど問題外」と言い、また「腐肉の臭いを遠くから嗅ぎ取る虫で、親虫が幼虫の面倒をみたりするのがいて、とても面白い」などとも話し、鳥とか虫の生態に猛烈に詳しく、実に上手に動物の絵も描きます。
こうしたアナベルに対して、イーノックは『ビーグル号航海記』を贈ろうと本を持って家に入ると、アナベルが床に倒れているのを発見します(このときは、アナベルが、死んだときの予行演習をしたようなのですが)。
(注7)イーノックが、ある葬儀に列席していて、葬儀社の社員に呼び止められ、疑いをかけられたところを、アナベルが親戚だとして救ってあげたところから、2人は親しくなります。
アナベルは、最初のうちは、ガンにかかった子供たちの病棟で働いていると言っていましたが、途中で、「実は、自分はそこの患者なの」と打ち明けます。
また、家には、母親と姉のエリザベス(シェイラー・フィスク)がいます(アナベルによれば、父親は「森の番人」だったとのことですが)。
(注8)ハロウィンの夜に、イーノックとアナベルは結ばれ、それ以降2人は、バドミントンをしたり、草原で遊んだり、ボートに乗ったり自転車に乗ったりなど、愉しい時間を一緒に過ごすようになります。
(注9)アナベルの告別式で、イーノックは、アナベルの思い出を皆の前で進んで語ろうとするのですから。
(注10)ハロウィンの夜の仮想に際しては、イーノックは、ヒロシのような特攻隊の戦闘服を着、アナベルは日本の着物を着ています。
(注11)この曲については、例えば、このサイトの解説が分かりやすいと思います。
(注12)加瀬亮は、このところでは、『婚前特急』、『海炭市叙景』、『マザーウォーター』から『アウトレイジ』と、実に幅広い範囲の作品に出演しています
(注13)“上官から、天皇陛下バンザイと言って敵艦に突っ込めと言われたが、自分はあなたの名前を言って死ぬ”といった感じの内容ですが、こうした手紙であれば、仮に出そうとしても、事前の検閲によって相手には渡らなかったのではと思われます。
(注14)例えば、ヒロシがアナベルの服装について、「男みたいな服装だ」というと、イーノックは、「似あっているよ」と通訳してしまいます。
ただ、逆に、何かの拍子にアナベルが「ナガサキの仇討ち?」と口を滑らしてしまい、それまで知らなかった長崎原爆投下のことを知って、ヒロシはショックを受け、浴槽に沈み込んでいる場面もあります。
(注15)イーノックは、アナベルに、「何かしてあげたい。ガラパゴスへ行くとか、季節を春にするとか」と言いますが、アナベルは、「今で十分、……もうすぐみたいだけど、大丈夫?」と言います。
★★★★☆
象のロケット:永遠の僕たち
からしか見ていないのですがタイトルバック
で何か重要な(?)情報はありましたか?
ガス・ヴァン・サントはあまり好きな監督では
ないし、この作品も僕の中で評価しにくいの
ですが嫌いではないタイプの作品です。
「50/50」(最初だけだが)同様に余命
が少ないと知っても、まったく深刻ぶらず
この映画では3ヶ月は長いからフランス語の
勉強を始められるとか(もちろん内面は計り
知れないが)極めて普通の行動をするとか…
ホラーも含め幽霊の類が登場する作品は好き
なほうですが(「フライトナイト」も楽しめ
ました)、ヒロシがイーノック以外には
見えない存在(イーノックが作り出したもの)
だとすれば本来イーノックが登場しない場面に
ヒロシが登場することはあり得ないはずです。
この映画では、アニーの部屋の窓の外にヒロシ
が立っている場面が一瞬挿入されます。そして
ラスト近くでアニーの叫び声にイーノックが
急いで駆けつけるとヒロシが立っています。
この時点では恐らくアナベルにもヒロシが
見えた(ヒロシの意志で出現)と思えた…
少なくとも台詞によればヒロシはイーノックと
別行動で街を歩いたりするのでイーノックの
幻想ではなくヒロシ自身の意志で好きな場所に
出現できるようです。
ヒロシマではなくナガサキ、ハラキリではなく
セップクだったことに少々驚きましたが、
ハロウィーンの時アナベルが着物を着ますが
当然(?)左前に着ています。
例えば加瀬もいるし(この映画に限らないが)
間違いを正すことは可能なはずです。
しかし言うまでもなく映画が本当の現実を
“正しく”描く必要はありませえん。
西洋では着物はキモノであってガウン代わりに
着るので、極端に言えば逆に着るほうが
“正しい”わけです。
またマイク・リーを引き合いに出しますが
「トプシー・ターヴィー」で登場人物が
la kimono(女性名詞)と言いますが正しくは
le kimono(男性名詞)です。そのことをリーに
問いただすと“それで正しい”と言います。
(よく気づいたなと褒められましたが)
つまり演じられた人物が知らなかっただけと。
そういう答え方は場合によっては言い逃れにしか
なりませんが、例えば登場人物が大阪は日本で
一番大きい町だと言ったとして、見た観客が
それは間違いだと指摘することが逆に間違いと
いうこともあり得るという話です。
もう一つ面白かったのは西洋映画においては
恐らく9割以上が土葬ですが、この作品では
(場面はないが)火葬、そして墓地に異常に
石像(?)が多く、家族数人と犬二匹のピクニック
のような墓石(??)が2回出てきます。
であれば、もちろんベンジャミン・フランクリンのことで間違いではありますが、是非は別として“字幕”としては間違いとは言えません。
日本人にとってはフランクリンを出すより、リンカーンのほうが直感的に理解できるので翻訳者(寺尾次郎)が親切に(?)換えたはずなので…
こういうことは出版翻訳と違い字幕翻訳ではよくあることです。
①映画の導入部分は、うろ覚えながら、イーノックが横になって自分の体型を白墨でかたちどっている→橋、ではなかったでしょうか。
②ヒロシの幽霊については、そうおっしゃられると、色々問題がありそうですね。
確かに、「イーノックの幻想ではなくヒロシ自身の意志で好きな場所に出現できる」としないと解釈出来ない場面がありそうです。
その場合には、幽霊は実在するものの、見える人と見えない人がいる(あるいは、見える時と見えない時がある)ということになるのかもしれません。
ただ、そうだとすると、ヒロシが「ナガサキの原爆」を知らないというのもオカシナ感じです。というのも、特攻で死んで幽霊となってからは、必ずや祖国に戻ってその後の状況を見ているでしょうから(イーノックの幻想としても、その表情からすると、彼はナガサキの出来事を知っているようですから、ヒロシが知らないというのはなおのことオカシナ感じになりますが)。
ですが、そう考えてしまうと、アナベルの「ナガサキの仇討ち」という言葉に、ヒロシが何故それほどショックを受けるのかが分からなくなります(元々、milouさんがおっしゃるように、「ヒロシマではなくナガサキ」をアナベルが持ち出すこと自体、トテモ奇異な感じを受けるところですが)。
あるいは、ヒロシの恋人がナガサキの原爆で死んでしまったのでしょうか(ただその場合には、ヒロシはその恋人の幽霊と一緒にいて、イーノックのところになど出現しないのではないでしょうか)?
また、台詞では「Ben Franklin」 だったのが字幕では「リンカーン」になっているというご指摘は、「翻訳者(寺尾次郎)が親切に(?)換えたはずなの」だから、「是非は別として“字幕”としては間違いとは言え」ないとおっしゃられていますが、気がつかなかったクマネズミの不明を恥じるばかりです。
そして、「フランクリン」の幽霊にヒロシが会ったとすると、おそらく彼は大往生でしょうから、クマネズミのエントリの(2)で申し上げている点を修正する必要があるでしょう。その場合には、どんな人も死後は幽霊になるのでしょうから!
ただそうだとすると、幽霊の数は物凄く膨大になってしまい、いったいヒロシは、どうやってそんな著名人の幽霊に出会えたのかと不思議に思えてしまいますが。
なお、ブログ「Memoirs of dai」には、「主人公のイーノックという名前は間違いなく旧約聖書のエノクからだろう」との指摘があり(http://dai4.blog44.fc2.com/blog-entry-959.html)、その場合には、邦題の「永遠の僕たち」に実に深い意味が込められていることにもなり、翻訳者らの様々な隠れた努力があってはじめて、クマネズミなどは洋画を見ることが出来ているのだな、と分かってきます!
③アナベルが着物を「左前に着てい」るとのご指摘は、いつもながら鋭く、また、マイク・リー監督に関するエピソードも、大変興味深いものがあります。
④「火葬」については、従来土葬が一般的だった韓国では、大都市に場所がなくなってしまったところから、最近火葬が普及し出しているそうで、西欧でもあるいはそういった背景がみられるのかもしれません。
何と登場人物はイーノックとアニー、そしてフィリップスという女1人男2人の幼なじみです。
内容的にはまったく関係なさそうですが、読めば関係があるかもしれません。
こじつければフィリップスという音もヒロシに近いとも思えます。
ところで冒頭からチョークの人型ですか…
都合3回。常識的に“死”を連想しますが
まあ象徴的な意味は持たせているでしょうね
昨日、「ヒミズ」を観てきました。とてもよかったのですが、個人的にはしっくりこないところも多々あり、(本当に毎回申し訳ありませんが)クマネズミさんに観ていただきたいと思いました。本当に、観なくてもいいので、出来るだけ多くの方に観ていただきたい映画です。すみませんでした。。。
作品としては3人とも巧く描写されるからこそ、この作品の主題が観る人へ伝わるように感じました。
milouさんの博識振りには驚くばかりです。テニスンの「イーノック・アーデン」などマッタク知りませんでしたから!
なお、「detoured」というブログの元旦の記事では、ポーの「アナベル・リー」が取り上げられています(http://d.hatena.ne.jp/detoured/20120101/p1)。
これならまだなんとかなりそうですが、それにしても世の中には博識な方が随分といらっしゃるものです!
おっしゃるように、この作品では「3人とも巧く描写」されているなと思いましたが、クマネズミとしては、なかでもアナベルがダーウィンの評伝を読みふけっているという設定に、あとからイーサックが持ってくる「ビーグル号航海記」はもちろんのこと、あの実に読みにくい「種の起源」なども読破した後のことかなと想像したりして、いたく興味をそそられました。
やはり映画との直接の関連はないようですがイノックが(海の)事故で父親をなくした孤児であるとか、無理に関連を探せばこじつけることは出来ます。
またイノックはアニーと結婚するのですが家族のため長い航海に出て難破し生死不明になり別人のようになって戻るとアニーはフィリップと再婚していてイノックは(幽霊のように?)家族の前には姿を見せず見守りつつ死んでいきます…
さて偶然の一致とはポーの詩は「アナベル・リー」(1849)ですが何と「イノック・アーデン」(1864)もアニー・リーなのです。関係ないがこの映画の医者もDr.Leeです。
なおリンカーンではなくフランクリンだったことも確証が取れました。確かに“小さな親切、大きな迷惑”じゃないが余計なお世話であることは確かですが、まあ僕は今回は(?)大目に見ます。
ただゴダールの作品には多種多様の大量の引用がありますが、(根拠はないがゴダール以後、書物や映画のポスターなどに注釈字幕を出す習慣は個人的には反対です。たとえ作品にとって重要な意味があるとしても翻訳者による解釈の押し売りだからです。嫌味かもしれませんが分かる人だけ分かるべきだと思うので…