映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

シュールレアリズム展

2011年05月03日 | 美術(11年)
 国立新美術館で開催されている『シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―』(~5月15日)に行ってきました。

 お馴染みのマックス・エルンストとか、ジョアン・ミロ、ルネ・マグリットといった画家の作品が並んでいましたが、中でも興味を惹いたのが冒頭に掲載しましたサルバドール・ダリの『部分的幻覚:ピアノに出現したレーニンの六つの幻影』(“Partial Hallucination 6 Apparitions of Lenin on a Piano”、1931年)です。

 というのも、このところ、スターリン批判的色彩が濃厚な映画『戦場のナージャ』とか、中国の辛亥革命前夜を扱った映画『孫文の義士団』などの作品を見て、「革命」に対する関心がクマネズミの中でたかまっていたこともありますが、それだけでなくサルバドール・ダリにこんな政治的な作品があったのか、と驚いたことにもよります。
 美術館のHP に掲載されている解説によれば、レーニンは、当時の「シュルレアリストたちの英雄」だったそうで、ダリは、「黄金色のアウラに包まれ」たレーニンの顔を6つもグランドピアノの上に描いています(注1)。

 ですが、ダリは、その後、レーニンを貶めるような絵を描いたりして、シュルレアリストのグループから除名されています。
 例えば、今回の展覧会には出品されてはおりませんが、下記の『ウィリアム・テルの謎』(“The enigma of William Tell”、1933年)においては、ウィリアム・テルがレーニンを模して描かれているところ、「絵の意味は台座に記された題名が暗示する。つまり、レーニンはウィリアム・テルと同一視されており、ダリによればウィリアム・テルは当時ダリ自身が反抗していた抑圧的な父親像を表す」とのことです(注2)。




それぞれのレーニン像を少しアップしてみましょう。







 3番目に掲載したものは、これも今回出品されておりませんが、「円錐形の歪像が間近に迫る前のガラとミレーの“晩鐘”」(“Gala and the Angelus of Millet Preceding the Imminent Arrival of the Conical Anamorphoses”、1933年)の一部です(わかりにくくて申し訳ありませんが、右側の小さい人物像がレーニンです)。

 ところで、昨年出版された『ソヴェト=ロシアにおける赤色テロル(1918~23)―レーニン時代の弾圧システム』(メリグーノフ著、梶川伸一訳:社会評論社、2010年)では、レーニンが、秘密警察チェーカーを使って反対派を大量に粛清した様子が分析されています(注3)。
 このチェーカーは、いろいろ組織変遷を辿りますが、途中では内務人民委員部(NKVD)となり、スターリンの大粛清を実行します(1954年に国家保安委員会「KGB」に)。ということは、レーニンが、スターリンの大粛清に繋がる道を作ったといえそうです(注4)。



(注1)このサイトの記事に拠れば、「ポンピドゥセンター・ガイド」では次のように記載されているとのこと。
 「画家は、半睡状態での幻影を再現しているが、ここには黄色い後光に包まれたレーニンの肖像が描かれている。ダリ特有の象徴的なモティーフ、とりわけ、誰とも知れぬ人物の背のナプキン状のマント、椅子の上ばかりか人物の腕章の上にも現れる赤く透明なサクランボが、この絵の印象をさらに強めている。そして、他の作品にもすでに登場しているピアノの上では、楽譜がに食われている。後景には扉が開かれ、その奥に広がる山は、イースター島のトーテム像に似ており、奇妙で超自然的な光を放っている。」
 また、こちらのサイトの記事に拠れば、「これはサクランボを食べ過ぎたダリ氏の幻覚であ」り、
 「サクランボは女性の象徴である。食べすぎは病気をもらうかもしれず、体に毒」とされていますが、別のサイトの記事に拠れば、サクランボは実に様々なものの象徴になっているようです。

(注2)クリストファー・マスターズ著『ダリ』(速水豊訳:西村書店、2002年)のP.70。
 さらに同書には、ウィリアム・テルの臀部の先端が二股になった松葉杖で持ち上げられている点につき、「松葉杖とはむろん1917年の10月革命の象徴である」とダリが述べていることが紹介されています。
 なお、同書の上記『部分的幻覚:ピアノに出現したレーニンの六つの幻影』に関する解説では、ダリが述べる次のような体験を紹介しています。「就寝時に私は、青みがかった光輝くピアノの鍵盤を見たが、そこには遠近法によって縮小していく、燐光を放つ一連の小さく黄色い光輪がレーニンの顔を囲んでいた」(P.66)。
 とはいえ、こうした解説から、ダリがこの絵を描くに至る裏事情はわかるものの、そうした情報を知ったからといって、はたしてこの絵を見たことになるのかどうか、甚だ疑問に思えてしまいます。

(注3)同書の翻訳者である梶川・金沢大教授が同書に付した解説については、このサイトで読むことができます。
 ただ、同解説は、「本書の主役は「赤色テロル」の実行機関としてのチェー・カーである。確かにそうではあるが、(著者の)メリグーノフは弾圧システムの醜悪な実行機関としてのチェー・カーを強調するあまり、賢明な読者であるならレーニンへの言及が異常に少ないことにお気づきになるであろう」として、むしろ「チェー・カー」が「まさにレーニンの意志を体現する機関として、十月政変直後から機能した」ことを見るべきとして、同解説においては、同書の解説というよりも、「レーニンとチェー・カーとの関係、レーニン・トロツキーが遂行した諸事件とその背景を含め、総合的で理論的なレーニン批判」を梶川教授が展開しています。

(注4)ソクーロフ監督の映画『牡牛座―レーニンの肖像』(2001年)では、権力の中枢から遠ざけられ病臥するレーニン像が描かれていますが、また中沢新一著『はじまりのレーニン』(岩波書店、1994年)では、「レーニンがよく笑う人であったこと、動物や子どもにさわることが好きな人であったこと、音楽を聴くよろこびを感ずる人であったということ」を前提に書かれているとされていますが(「はじめに」)、モット別のレーン像をも作り上げる必要があるのでしょう。




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