映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

戦火のナージャ

2011年04月30日 | 洋画(11年)
 『戦火のナージャ』を銀座シネスイッチで見てきました。

(1)2時間半もの長尺を見てグッタリしたにもかかわらず、何だか唐突な始り方だし、結局何も解決せずに終わった感じがして、変だなと思って劇場用パンフレットを見ましたら、この作品は3部作の真ん中のものだとのこと!
 事前に分かっていれば、まず第1部の『太陽に灼かれて』を見てからにしたのにと思ったものの、後の祭り(注1)。
 この映画をどう評価するのかについては、やはり3部作全部を見てからと言うしかありません(第3部『The Citadel(要塞)』は、現在制作中)。 
 とはいえ、なにしろ半端でない長さの作品を見たのですから、とりあえずのものに過ぎませんが、以下にレビューを書き記すことにいたしましょう。

 映画は、基本的には、別れ別れになった父親コトフ大佐(監督のニキータ・ミハルコフ)と娘ナージャ(従軍看護師:監督の娘のナージャ・ミハルコフ)とが、お互いを求めて様々の危機に出会うという物語と言えるでしょう。



 ただ、そこに、スターリンによる大粛清と独ソ戦という歴史的な要素が入ってくるため、話がかなり複雑になってきます(と言っても、決して純然たる歴史物ではありません)。

 まず、スターリンの大粛清に関しては、映画の冒頭に驚くべき場面があります。すなわち、スターリンの誕生日を祝うために作られた巨大なケーキに、コトフ大佐は、あろうことかスターリンの顔を押し付けてしまうのです。
 そのためでしょう、彼は政治犯とされて銃殺される運命にあったらしいのですが、収容所に入れられているときに、何かの手違いからなのでしょうか、経済犯に罪状が改められます。
 ただ、コトフ大佐は、映像からはスターリンの側近のようであり、一体何の為にスターリンに対してそんなふざけたまねをしたのか、よく理解できないところです(スターリンの粛清の犠牲になった者の罪状と言っても、こんな類いの詰らないものであり、それをスターリンは誇大に取り上げて銃殺してしまった、という事情をこれで象徴させているのかもしれません)。

 他方、スターリンは、銃殺されたと思っていたコトフ大佐が生きているらしいとの情報を掴み、真相を探るよう諜報機関幹部のドミートリに命じます(1943年)。ですが、ドミートリは、コトフ大佐とは旧知の間柄のようで、またナージャの逃亡を助けたりもしているようなのです(当時は、政治犯の家族も粛清されたようです)。たぶん、スターリンは、そこまで知った上でドミートリに調査を命じたのでしょう、ドミートリ専用の運転手は、密かに彼と彼の妻との会話を盗聴したりします。

 ドミートリが調査を始める時点は、スターリングラードの戦いも終わって、ドイツ軍の敗走が現実化し出した1943年5月以降で、ドミートリ等には余裕が感じられます。ですが、調査から明らかになったように描かれるコトフ大佐やナージャの行動は、すべて1941年の独ソ戦開始当時のことで、まだドイツ軍の攻勢が厳しかった頃です。
 ですから、ソ連軍は決して格好良くは描かれていません。
 例えば、
 ドイツ軍の進撃を阻止すべく、大量の避難民が溢れる橋に爆弾が仕掛けられますが、途中でその命令が取り消されたにもかかわらず、連絡の手違いで突然爆破が実行されてしまいます(この有様を、コトフ大佐は、逃れた川の中から見守っています。というのも、上記の政治犯として押し込められていた強制収容所がドイツ空軍機によって爆撃された際に、コトフ大佐は、屋根から逃れ、川に飛び込んで助かるのです)。
 また、ドイツ軍を待ち受けているある前線は、コトフ大佐が所属する懲罰部隊が守備していますが、何かの手違いからか、赤軍の士官候補生の精鋭部隊が増派されてきます。
 ただ、精鋭と言っても、実戦経験のない若者にすぎず(敵を味方と取り違えてしまうくらいの)、また十分な装備も支給されないために、後方から出現したドイツ軍の戦車部隊に、それこそアッという間に蹂躙されてしまうのです。
 それでも、コトフ大佐は何とか生き延びてしまうのですが。

 他方、ナージャは、従軍看護師として赤十字病院船に乗り合わせているところ、ドイツ空軍機の攻撃を受けてしまいます。いくらなんでも病院船ですから、何もしなければ飛び去ったはずながら、戦闘機の乗員が傍若無人な振る舞い(その乗員が、船に向けて空から脱糞しようとしたのです!)をしたことに堪え切れなくなった傷病兵が、銃でその乗員を撃ち殺してしまいます。その結果、赤十字病院船にもかかわらず、戦闘機の攻撃によって簡単に沈没してしまいます。



 ただ、ナージャは、浮かんでいる大きな機雷に掴まることで、この窮地を脱することができました(注2)。

 さらに、本作品にはもう一つ特異と思われる点が見受けられます。
 既に社会主義体制は崩壊してしまったとはいえ、ロシアは、元はソヴィエト連邦であり、国民は一応はマルクス・レーニン主義を奉じていたはずです。ですが、この作品は、そうした点は微塵も感じさせず、逆に宗教的な要素がことさらあからさまに描かれている印象を受けてしまいます。
 例えば、
 コトフ大佐の所属する懲罰部隊が今にもドイツ軍の攻撃を受けるという間際になって、仲間の一人がイスラム教の礼拝をし、その礼拝に派遣されてきた士官候補生も加わったりします。
 また、コトフ大佐が潜り込んでいたロシア正教の教会を、ドイツ空軍機から落とされた爆弾が直撃するのですが、偶々爆弾が、教会のドームに吊るされていたシャンデリアに引っ掛かったおかげで、教会の外に逃れ出る時間が稼げて、難を逃れます。代わりに、聖母マリアとか聖人が描かれていた協会ドームが吹き飛ばされます。



 ナージャの方では、上で述べましたように、乗り合わせた病院船で爆撃を受けるのですが、機雷に掴って助かった際、その機雷にはもう一人神父が掴っていたのです。そして、ナージャは、その神父によって洗礼を受け、合わせてロザリオを貰い受けます。
 また、モスクワの攻防戦において、胸の十字架を見て、重傷を負った青年に祈りの言葉を教えてもらえないかと頼まれます(その際に、胸を見せてくれと懇願され、ナージャは上半身裸になりますが、青年は息絶えてしまいます)。

 以上の簡単な記述からお分かり願えるかもしれませんが、本作品は、全体を見渡してみると、さすがお金と時間をかけているだけのことはあるなと思わせる迫力を感じさせます。とはいえ、個々の描写を見ると、むろんナチスの残虐性を強調する場面も忘れられてはいないものの(注3)、どれもなんだかオカシナ雰囲気が付きまとい、座りの悪さを感じさせるのです。

(2)本作品では独ソ戦が取り上げられているところ、戦闘場面としては、専らソ連軍がドイツ軍によって蹂躙される戦争初期の光景が描き出されています(注4)。
 そこで、手近にあった『モスクワ攻防1941』(ロドリク・プレースウェート著:川上洸訳、白水社、2008年)を見てみますと、大雑把には次のような感じです。
 1941年6月22日の独ソ戦開始の前の「冬から春にかけて、諜報資料はますます詳細、精密になり、時宜をえたものとなってきた。しかし、ナマの情報がどんなにすぐれていたものであろうと、すべてを左右するのはその解析と活用の仕方」なのです(P.80)。
 そうした「ナマの諜報資料」については、「ヒトラーはただちにソ連を攻撃するつもり」だとする解釈と、「ソ連を恐喝して今後とも経済的、政治的譲歩を引き出し、そのあいだに対英戦争に片をつけるつもり」だとする解釈が可能であり、後者については、「スターリンにとってもおおいに魅力的」でした。そして、「ドイツの脅迫的な態度は、すくなくともその一部は、こけおどしであって、最後通告なしに攻撃してくることはありえないし、自分がドイツの要求を拒否しないかぎり攻撃をうけることはありえない、とスターリンは判断した」ようです(P.82)。
 こうして、ソ連側は大層不十分な防備体制しかとっていなかったときに、「300万以上の兵員、2000機近い航空機、3000両以上の戦車、75万頭の馬」からなる「3個の軍集団」が「6月21日の真夜中にソ連国境に投入された」わけです(P.102)。
 その結果、ソ連軍は壊滅状態となり、「ドイツの意図について途方もなく誤った判断を下し、自らの固定観念にそぐわない助言を拒否したことで」、スターリンの「権威は酷く失墜し」、「側近たちがこの機会を利用して長年にわたるテロルと屈辱の報復をこころみるのを恐れたに違いな」く、スターリンは「虚脱状態になって「近い別荘」にひきこもってしまった」のです(P.136)。

 むろん、スターリンを権力の座から引きずり下ろそうとする者は出現せず、暫くしてソ連軍は盛り返すのですが、こうした独ソ戦初期の敗戦の状況がこの映画でことさらに取り上げられたのは、監督のスターリン批判の表れなのでしょう。
 なお、ソ連中枢部の有様は、ある意味で、福島原発事故に対する菅総理の行動として伝えられているところと類似する点が多々あるように思われて仕方がないところです。


(注1)驚いたことに本作品は、2009年に映画シナリオが脚色されて、ロンドン・ナショナルシアターで上演されているのですが、その日本版が、鹿賀丈史や成宮寛貴らの出演で上演される運びとなったようです(本年7月24日〜8月9日、天王洲銀河劇場にて )。

(注2)こうしたナージャに関する物語は、誰が語っていることになるのでしょうか?
 少なくとも、コトフ大佐に関する物語は、ドミートリの調査によって明らかになったことのように描かれています。ところが、いくらなんでも、ドミートリはナージャまでも調査しているわけではないでしょう。とすると、いったい誰が話しているのでしょうか?

(注3)ある村に侵攻したドイツ軍が、大勢の村人を農家の馬小屋に押し込めた上で、火をつけて焼き殺してしまうところ、その行為を、ナージャは遠くから目撃する羽目になります。というのも、これは、偶々入り込んでしまった村でナージャがドイツ兵にレイプされそうになるのですが、彼女を救うために村の娘がドイツ兵を殺してしまったことから引き起こされた惨劇なのです。
 ナージャは狂乱状態に陥るものの、村の娘は、これも神の定めたことだと説得し、ナージャも、自分には父親を探し出す使命があるのだと納得します。
 ここにも宗教的な要素が入り込んでいるわけながら、ただ、この惨劇よりも父親との再会の方を上位に置いてしまう描き方は、観客としてよく理解できないところです。

(注4)映画『スターリングラード』(2001年)は、今回の映画が舞台としている二つの年代、1941年と1943年の中間の1942年の出来事を扱っている作品ながら、『レポゼッション・メン』のジュード・ロウがソ連軍の狙撃兵を演じ、ラストでドイツ軍の狙撃兵と対決するという印象的なシーンがあり(ドイツ軍の内情をソ連軍に通報していた少年を、ドイツ軍がむごたらしく処刑してしまったのを見て、ジュード・ロウは怒りに駆られるのです)、また『アレクサンドリア』で好演したレイチェル・ワイズが演じる女兵士を巡って、同僚のソ連軍兵士とも対立したりします。




追記:2011.11.25
 本作の冒頭部分に関するクマネズミの記述につき、余りにも何回も同内容の詰まらない無意味なコメント(それも自分のサイトを明かさない卑劣なやり方で)が繰り返し寄せられるので、そんな必要はないとは思いつつも、最近レンタル可能になった本作のDVDを見てみました。

 映画の冒頭は、犯罪人が収容されている収容所の光景で、兵士がその広場に展開します。その場面から、いきなりコトフ大佐の私邸へ飛んで→大きな池の側に設けられた東屋で寛ぐスターリン→スターリン誕生日記念に作った肖像が象られたケーキを、コトフの妻マトルーシャが運び込む→コトフ大佐が、スターリンの顔をケーキに押しつける→マトルーシャが、「コトフ、ナージャはどこ?」と叫ぶ→叫び声に、収容所で寝ていた囚人の一人が目覚める→コトフ大佐が起きて「ナージャ!」と叫ぶ→周りの者が「ただの夢だよ」などと言って、コトフ大佐を抑える→コトフ大佐は、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」などと叫ぶ→収容所長が入ってきて、「政治犯は製材所に集合せよ」と言う、……という具合に展開します。



 さて、ここまでを見て、コトフ大佐がスターリンの顔をケーキに押しつけるシーンは、「映画の中の現実の事柄」なのか、それとも「単なる夢の中のお話」なのか、というわけです。

 確かに、コトフ大佐は、収容所で「ナージャ」と叫んで飛び起きますから、何かナージャに関する夢を見て飛び起きたのでしょう。
 そして、その夢の内容は、その前まで映画で描かれていたコトフ大佐の私邸での出来事だったのでしょう(ナージャはその場面に全然現れないので、変なのですが)。
 でも、だからといって、それが「単なる夢の中のお話」に過ぎないものとはトテモ思えないのです。

 むしろクマネズミは、コトフ大佐の私邸での出来事は、夢の中の単なる話しではなく、「この映画における現実」として受け取ることが可能ではないか、と思っているところです。
 なによりコトフ大佐は、目覚めてから、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」と叫ぶのですから!
 目的語が書かれていないので確定は出来ないものの、コトフ大佐がやりたくなかったこととは、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件だと考えられます。そして、それが「単なる夢の中のお話」であれば、目覚めてからそんなことをわざわざ言い出さないでしょう!
 ですから、コトフ大佐の私邸での出来事は、この映画においては「現実にあった出来事」とされ、それをコトフ大佐は夢の中でリアルに回想したのだと考えることは十分可能ではないでしょうか?

 それに、この映画のその後の展開からすれば、仮に「私の意志ではなかった」などのコトフ大佐の発言がなくとも、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件は「現実のこと」と考えた方が、遙かに面白いのではないでしょうか?
 というのも、その後の展開の中では、例えば、ドイツ軍の戦闘機の搭乗員が、ナージャが乗る赤十字船に向かって空から脱糞しようとして尻を露出する場面とか、同じ機雷につかまっていて生き延びた牧師に、ナージャが洗礼を受ける場面など、とんでもない描写が幾つも見られるからです。
 ですから、これらの場面と同じレベルで冒頭のシーンを捉えて、それが本作においては「現実的なこと」として描かれていると考えた方が、この映画全体の雰囲気(スターリン批判!)にも合致するのではないでしょうか?




★★★☆☆




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19 コメント

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Unknown (鉄男)
2011-05-30 22:37:00
冒頭の回送シーンは実際にあった事ではなく、スターリン本人を間近で見てきたコトフの悪夢です。

一応、一部作からの流れから推測するに、スターリンによって幸せな家庭をぶち壊された事へに対するコトフの怒りや悲しみの表現であると思います。

コトフとスターリンは革命時代から面識があるようで。


宗教に関してですが、確かに戦前に教会弾圧は酷いものでしたが、大祖国戦争勃発に際しては人民の結束を固めるために宗教活動を容認し、支援していたようです。
回想?悪夢? (クマネズミ)
2011-05-31 05:41:50
「鉄男」さん、わざわざコメントをありがとうございます。貴重なご指摘を感謝申し上げます。

ただ、冒頭の「回想シーン」に関するコメントについては、おっしゃるような見方もあるかもしれませんが、それではあまりにも矮小でツマラナイ見解に思えてしまいます。
むしろクマネズミは、スターリンによる大粛清の「悪夢」の意味合いを象徴させているシーンではないかと思っています。
すなわち、コトフが見た「夢」というよりも、「ソ連の悪夢」を象徴させるシーンであり、あるいは「映画評論」氏が言うように、「落語でいえばこれはあくまで「枕」」なのであり、なおかつ映画全体の色調(スターリン批判)を定めているシーンといえるのではないか、と思っています。
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-11-40sennkanonaja.html

それに、コトフの「幸せな家庭」を直接的にぶち壊したのは、「一部作からの流れ」からすれば、むしろドミートリではないでしょうか?

なお、まことに些細なことで恐縮ですが、「回想シーン」といえば、「実際にあった事」(無論、歴史的事実の場合もあるでしょうが、物語的事実もあるでしょう)を「回想」するシーンを意味するはずであり、他方「夢」は「夢」であって、それを「回想」するとはどういうことなのかヨクわからないのですが?

モット言えば、「悪夢」とは、「恐ろしい現実」を指す場合もありますが、「恐ろしい夢」を指す場合もあるでしょう。「コトフの悪夢」という場合は、どちらを指すのでしょうか?冒頭の「回想」シーンで描かれているのは、コトフの立場からすれば、むしろ「望ましい現実(あるいは夢)」なのではないでしょうか?

さらにまた、クマネズミは、この映画の表現上、宗教に対しことのほか強く光が当てられていることに興味があるのであって、ソ連において「宗教活動」が実際にどのように行われていたかについては、何ら関心は持っておりません。

全体として、この映画は、歴史的な事実を描くものではなく、独ソ戦の頃のソ連を背景にして作られた戦争絵巻、戦争ファンタジーと思っています〔ブログ本文の(2)で述べたことは、その背景についての単なる附録に過ぎません〕。それにしては各エピソードがバラバラで、一つの作品としてのまとまりに酷く欠けているように思われたところです。
Unknown (Unknown)
2011-11-20 18:01:46
たまたま検索してて当たった者だけど、ブログ主のこの対応はひどいね。

---
一体何の為にスターリンに対してそんなふざけたまねをしたのか、よく理解できないところです(〜中略〜象徴させているのかもしれません。)
---

って記述に対して、現実じゃなくて夢ですよね?ってコメントでしょ。

「私は「悪夢」の意味合いを象徴させているシーンではないかと思っています。」って答えは支離滅裂じゃん。

言葉の枝葉末節にグダグダ言ってるけど、そんなの論点でもなんでもなく、冒頭のシーンが現実か夢かは、ベッドから飛び起きるシーンで明らかなのだから、「そうですね」で終わりでしょ。

それがあなたが言うように悪夢を象徴していようとコメントさんが言うように怒りや悲しみの表現してようと別問題。
酷いのはご自分のコメントでは? (クマネズミ)
2011-11-20 18:39:11
自分のことはヒタ隠しにしたままで、「言葉の枝葉末節にグダグダ言ってる」に過ぎない他人のブログのコメントにまで口を出すとは、「unknown」氏は余程の暇人と見えますね!
それも、ドウってことのない常識を振り回すだけなのですから(「ベッドから飛び起きるシーンで明らか」ならば、黙っているべきでしょう)!
そんなつまらない常識や先入観を確認するために、わざわざこの記事を書いてるわけではないつもりなのですが?
Unknown (Unknown)
2011-11-20 23:23:34
暇人だけど 笑 それがなんか関係あるの?

「スターリンの誕生日を祝うために作られた巨大なケーキに、コトフ大佐は、あろうことかスターリンの顔を押し付けてしまうのです。
 そのためでしょう、彼は政治犯とされて銃殺される運命にあったらしいのですが、収容所に入れられているときに、何かの手違いからなのでしょうか、経済犯に罪状が改められます。
 ただ、コトフ大佐は、映像からはスターリンの側近のようであり、一体何の為にスターリンに対してそんなふざけたまねをしたのか、よく理解できないところです」

ってセンテンス書いてるでしょ。

これであなたが冒頭のシークエンスを現実の出来事として捉えてることは明らかで、「それって違いますよ」って指摘してるだけじゃん。

もっかいDVD見返してみな。普通に夢の中の出来事として描かれてるから。

で、この描写が何かを象徴してようといまいとその先は主義主張したければすればいいし、ブログの中で解釈ごっこしてればいいんじゃない?

ただ、冒頭のシーンは現実には起こってない出来事だよ、ってことだけを言ってんだから、それはふつーに受け入れればいいじゃん。
Unknown (クマネズミ)
2011-11-21 00:07:33
極度に暇な人には何を言っても通じないようで、ですからそんなコメントをいくらしても、「あまりにも矮小でツマラナイ見解に思えてしまいます」と書いているところで、何度も暇に任せて同じことを繰り返していただくには及びません!
「冒頭のシーンが現実か夢かは、ベッドから飛び起きるシーンで明らか」とありますが、決して明らかではないと思います。現実に起きたことを「悪夢」として思い出して「飛び起きる」ことなど、誰でも経験することでしょう!
それに、そもそも、コトフ大佐は、どのような理由から収容所に入れられているのでしょう?どんな些末のことであっても、何かの理由を付けられて犯罪人扱いをされているわけでしょう?その何かの理由を「冒頭のシーン」で象徴させていると考えてはどうでしょうか、それがスターリン体制ではないのか、そしてそのように監督はスターリン批判をしたかったのではないでしょうか?
ですから「冒頭のシーン」が現実であっても、それがこの映画全体に及ぼしている効果こそが重要であって、現実かどうかは二の次ではないかと思っています。
加えて、何でご自分のサイトを明らかにしない訳の分からない人から、「〜すればいいし」とか「〜してればいいんじゃない」とのいい加減な指示を受けなくてはならないでしょうか?
元々、何を「象徴」するか、どう「解釈」するか、という観点抜きに、「現実」など捉えることは出来ないのではないでしょうか?
「解釈ごっこ」などという言葉を用いることで相手を貶めているつもりでしょうが、ご自分の足元がそれを言うことで崩れてしまっていることに気がつかないのでしょうか?
いずれにせよ、ご自分のサイトを明らかにしないで、同じツマラナイことを繰り返し言ってみても、犬の遠吠えにしかなりません!
あ〜ビックリした・・・ (通りすがり)
2011-11-24 05:11:40
ちょっと検索して立ち寄った者ですが、このブログ主さんの戦争映画に対する狭苦しい見方にはびっくりしました。
貴方の見方では、史実を元にしたフィクションはすべてファンタジーになってしまうようですね。
この映画はジュード・ロウの『スターリングラード』などに比べるとひとつ格が上の映画なんですよ。
戦争映画ではありません。
ミハルコフの映画なんです。
せっかくアドバイスしてくれているコメント主さん達にもあまりにも失礼な対応ですよ。
驚愕のコメント! (クマネズミ)
2011-11-24 05:50:10
「通りすがり」さん、こちらの方がビックリして声も出ません!
だって、あの映画は、全部が全部、最初から最後までファンタジー以外の何物でもないではないですか(でも、この映画についてそう思っているだけのことで、いうまでもありませんが、「史実を元にしたフィクションはすべてファンタジー」だ、などと言っているわけではありません)!
それに、「ミハルコフの映画」だからドウだというのでしょう!どんな監督だって(黒澤明をも含めて)、傑作もあれば駄作も作ります。「ミハルコフの映画」ということだけで、「通りすがり」さんのようにありがたがっているのであれば、映画館などにわざわざ出向く必要など金輪際ありません!
そもそも、「ひとつ格が上の映画」とは何でしょうか?映画に「格」などあるのでしょうか(ジュード・ロウの『スターリングラード』の方が遙かにヨクできていて面白いと思っています)?
また、「戦争映画ではありません」というのは、「戦争絵巻、戦争ファンタジー」と見る見方と同様に、やはり一つの決めつけにすぎないのではないでしょうか(同列の話しにすぎないでしょう!)?
そして、何よりも、自分のサイトも明らかにせずに、エントリ自体ではなく他のコメントに関してコメントを付ける方が「失礼」千番ではないでしょうか?
「せっかくアドバイスしてくれているコメント主さん達」は、自分のサイトも明らかにしないにもかかわらず、その上何度もこちらがきちんと回答しているにもかかわらず、同じことばかりを「もっかいDVD見返してみな」とか「支離滅裂じゃん」などという下劣な言葉使いでコメントしてくるわけですが、その方が何千倍も「失礼」なことは、わざわざ言うまでもないでしょう!
打ち止め (クマネズミ)
2011-11-25 07:09:13
これ以上、長大な映画のホンの始まりの数分間の出来事に関する実に馬鹿馬鹿しく下劣極まる無内容な非難コメントに、これ以上貴重な時間をつぎ込む訳にいきませんから、これ以降の本件に関するコメントは、どんなものもすべて管理者の権限で削除することと致します。悪しからずご了承下さい。
なお、本件に関するクマネズミの現在の見解は、記事本文末尾に追記いたしましたので、以降はそれを参照して下さるよう、お願いいたします。
Unknown (X^2)
2012-01-22 00:18:43
> これ以降の本件に関するコメントは、どんなものもすべて管理者の権限で削除することと致します。

という事なので、このコメントも無視されるのでしょうが、明らかにあなたは勘違いをしています。冒頭のシーンは現実ではありえない、これはこの映画を見たロシア人(というよりスターリンに関して何らかの知識がある人物)は誰もが容易に理解できる事です。あのような事を実際に行ったら、その場で処刑、少なくともスターリン直々の命令で拷問、銃殺されるはずで、コトフその家族が生き残れるはずがありません。さらに、あの場面にはラブレンチー・ベリヤも居ましたからね。とにかく現実ではなく、信じていたスターリンに無残に裏切られたコトフの、あの時点でのひそかな願望による悪夢というのが当然の解釈でしょう。
上のいくつかのコメントも、それを踏まえているので、決して「馬鹿馬鹿しく下劣極まる無内容な非難コメント」ではないと思いますが。
それから、「自分のサイトも明らかにしない」事を非難されていますが、これも考え違いでは?自分のサイトがなくてもこのブログを読んでコメントする事は物理的に可能ですし、全世界に公開されているブログに記事を書く以上、このようなコメントを受け入れるのは最低限の責務では。
追記をお読み下さい! (クマネズミ)
2012-01-22 06:27:55
ですからまたもや繰り返しになってしまい甚だ時間の無駄なのですが、「X^2」さん、「明らかにあなたは勘違いをしています」!
クマネズミは、元の本文の中でも、コメントの中でも、エントリの追記でも書いたように(すべて、同じ内容の回答になっているはずです!)、いくらなんでも、あの冒頭シーンが剥き出しの「現実」(“史実”というべきでしょうか)だなんて言っているわけではありません!
仮に、あんな滑稽なことが“史実”そのものだったら、スターリンに関する数多の著作の中で、必ずや取り上げられていたことでしょう!でも、寡聞にして、そんな話を聞いたことはありません!
そうではなくて、「単なる夢の中のお話」というよりも、「映画の中の現実の事柄」(“映画ストーリー上の現実”というべきでしょうか)と考えられるのではないか、そう解釈した方が面白くこの映画を見ることが出来るのではないか、と申し上げているのです。
それで、「X^2」さんの今回のコメントをも含めて、「無内容な非難コメント」だと申し上げているわけです(何しろ、クマネズミが言ってはいないことについて非難しているのですから!)。
にもかかわらず、同一の内容を何度も何度も繰り返してばかりいるのであれば、「「自分のサイトも明らかにしない」事を非難されて」も、それは仕方がないでしょう。失礼千万なのですから!それで「馬鹿馬鹿しく下劣極まる」コメントだと言っているわけです。
さらに、クマネズミの方は、受け取ったコメントに何度も応じており、あまつさえ「追記」までエントリ本文に記載しているのですから、「このようなコメントを受け入れるのは最低限の責務」などと、今頃「X^2」さんに批判される筋合いはマッタクないと思っています。驚くべきことに、冒頭の「鉄男」氏以降、馬鹿の一つ覚えのように、同じことの繰り返しなのですから!
そもそも、「X^2」さんは、上記エントリの「追記」をキチンとお読みになったのでしょうか?そこに「現実」とわざわざ括弧書きで書いてあることをどのように受けとめられたのでしょうか?
この映画が、“史実”よりも、むしろ“ファンタジー”を重視していると思われるというクマネズミの見方についてはどう思われているのでしょうか?そうした見方に立って冒頭のシーンも捉えた方が、本作を面白く見ることが出来るのではと思っているところです。
話がここまで及ぶ中で冒頭のシーンを議論するのであれば、時間の無駄ではないと思いますが、にもかかわらず、なぜ馬鹿馬鹿しいことだけに拘泥するのでしょうか?
なお、「ひそかな願望による悪夢」とは言語矛盾ではないでしょうか?「願望」から見る夢が「悪夢」とは?そんな夢ならば「願望」などしてはいないのでは?
Unknown (X^2)
2012-01-22 11:03:30
もちろん「追記」をきちんと読んだうえでのコメントです。今回のお返事で、ようやくあなたの主張の根拠が理解できたのですが、私を含めて以前にコメントされた方々の誰も、「史実」と「映画の中の現実」とが同じだなどと主張していませんよ。そもそもコトフ大佐などという人物は、現実世界には存在しないのだから、この映画が「史実」であるはずがない。しかしながら、現実の歴史を土台とした映画である以上、最低限「これはありえない」という描写はある訳です。
あの夢の内容は「(映画の中の)現実」としては、正にあの時代にはありえない事であり、それを映画の中の現実シーンとして描いたら、ほとんどすべての映画評論家やファンから失笑されてしまうレベルです。
あなたは、「“ファンタジー”を重視している」から、ありえない事が描写されていても構わない、あるいはその方が面白い、という主張をされていますが、製作者はこの映画を「歴史もの」として描き、見ている方もそのように捉えているはずです。

> ドイツ軍の戦闘機の搭乗員が、ナージャが乗る赤十字船に向かって空から脱糞しようとして尻を露出する場面とか、同じ機雷につかまっていて生き延びた牧師に、ナージャが洗礼を受ける場面など、とんでもない描写が幾つも見られるからです。

この部分が、あなたがこの映画を「ファンタジー重視」と解釈されている根拠と思われますが、私には「それほどとんでもない」(ありえない)描写とは思えないのですが?少なくとも冒頭の場面に比べれば、何の問題もない場面では?
同じことの繰り返し! (クマネズミ)
2012-01-22 22:21:20
「X^2」さんは、「あのような事を実際に行ったら、その場で処刑、少なくともスターリン直々の命令で拷問、銃殺されるはずで、コトフその家族が生き残れるはずがありません。さらに、あの場面にはラブレンチー・ベリヤも居ましたからね。とにかく現実ではな」いと先のコメントで述べておられます。ですが、おっしゃるように「現実世界には存在しない」「コトフ大佐などという人物」が同じ画面に描かれている以上、「ラブレンチー・ベリヤ」がそこに描かれていることにどんな意味があるというのでしょう?そもそも、その人物だって、「ラブレンチー・ベリヤ」だときちんと紹介されているわけではなく、外見上そのように推定されるだけのことです。
要するに、冒頭で描き出されていることは、スターリンと目されている人物を初めとして、すべて作り事、純然たるフィクションに過ぎません。だったら、それをどのように解釈しようと見る方の自由であるはずです。
そもそも、本作は、スターリンの伝記映画ではないのですし。
(なお、「その場で処刑、少なくともスターリン直々の命令で拷問、銃殺されるはず」というのも、どんな「史実」に基づく推測でしょうか?スターリンは、自分では決して直接手を下さず、裁判形式を重視したのでなかったでしょうか?)

すべては見解の相違、映画を見る見方の相違であって、いくらこのラインで議論していっても何の成果も得られないでしょう。
そちらが「ありえない」と思ったとしても、こちらは映画のストーリー上はあり得てもおかしくないのでは、そしてその方が面白いのでは、と思っているのですから!
そして、仮にそうした見方が「映画評論家やファンから失笑されてしま」うとしても(注)、そんな了見の狭い人達のことなど視野に入れなければいいのです(何も、そんな人達に褒めてもらおうとして、わざわざブログを書いているわけではありませんから!「失笑」をおそれるのであれば、パンフレットでも買って、ソコに掲載されている評論家のエッセイを眺めていれば十分でしょう!)。
さらには、「ドイツ軍の戦闘機の搭乗員が、ナージャが乗る赤十字船に向かって空から脱糞しようとして尻を露出する場面」などは、「とんでもない描写」であって、本作をいたく面白くしていると思っています(「X^2」さんが、それを「とんでもない描写」と思わないというのであれば、それは見解の相違であって、そんなことをいくら議論しても平行線でしょう!)。
〔なお、この場面は単なる例示(分かりやすいもの)として持ち出しただけのことに過ぎず、むしろ、殆ど全編が「ファンタジー」ではないかと考えています〕

そもそも映画を見る見方には何の制約もありえず、それをコレはあり得るコレは有り得ないなどとわざわざ見方を狭くしても、得るところは何もありません。映画を見る楽しみは、こちらの思考を飛躍させてくれるものを発見することだと考えています。ですから、仮に、「製作者はこの映画を「歴史もの」として描」いているにしても、見る方がそんなことに囚われる必要性はマッタクありません。また、「見ている方もそのように捉えているはず」というのは、視界をわざわざ狭くしようとされる「X^2」さんの推測に過ぎないでしょう。!

「X^2」さんは、「現実(?!)の歴史を土台(?!)とした映画である以上、最低限(?!)「これはありえない」という描写はある(?!)訳」だと述べていますが、結局のところ、クマネズミは、そうした大層大雑把で曖昧な見解に肯んずることは出来ず、こうしたことを議論するのは時間の無駄ではないかと思っています。

(注)評論家の対応には2種類あると思われます。常識的な見方に囚われている場合には、「X^2」さんのように「失笑」するかもしれません。ですが一部の良質な評論家なら、そうはせずに、ソコにはどんな制作者側の意図が込められているのだろうとアクティブに考えることでしょう!
Unknown (ひわ)
2012-09-24 12:54:33
先日、『戦火のナージャ』をレンタルして観たのですが、終わり方が中途半端だったので、続編があると思い検索したところ、こちらに辿り着きました。やはり続編があるとわかり、とても助かりました。私も、3部作なのを知らなかったので、改めて1作目をレンタルするつもりです。ありがとうございました。
感謝 (クマネズミ)
2012-09-24 22:00:13
「ひわ」さん、わざわざのコメントをありがとうございます!
とにかく (うーん)
2012-10-24 20:54:20
とにかく一作目の「太陽に灼かれて」を見てないと本作は良く分からないと思います。
コトフは革命の英雄であり、スターリンとも盟友であったという設定です。
その彼が、なぜスターリン嫌いになったかは「太陽に灼かれて」を見ればよくわかるはず。映画としての出来は大味な本作よりも「太陽に灼かれて」の方がずっといいです。別に無理して続編作る必要なかったような。
宗教 (とにかく)
2012-10-24 21:04:25
>既に社会主義体制は崩壊してしまったとはいえ、ロシアは、元はソヴィエト連邦であり、国民は一応はマルクス・レーニン主義を奉じていたはずです。ですが、この作品は、そうした点は微塵も感じさせず、逆に宗教的な要素がことさらあからさまに描かれている印象を受けてしまいます。

共産主義時代のソ連で宗教が忌避されるものであったというのはあくまで表向きのことです。実際には、教会も聖職者も存続できたのですから。
かのゴルバチョフソ連大統領も幼児洗礼を受けていた事を西側のインタビューで告白しているように、ロシア正教とロシア人はイデオロギーとは別に切っても切れない関係であったようです。
むしろ、大戦中は宗教は忌避されるどころか、愛国心高揚のために大いに利用されていたようです。
Unknown (とにかく)
2012-10-24 21:15:44
「太陽に灼かれて」はある程度時代背景や革命前後のソ連、ロシア社会についての予備知識がないとわかりにくいところがあるのが、ちょっとつらい所です。
登場人物の中でコトフだけがフランス語を話せないのにどういう意味があるとか。
歴史的事実 (クマネズミ)
2012-10-27 05:48:58
「とにかく」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
ただ、本作に関する拙エントリは、冒頭で申し上げましたように、全3部作の真ん中だけを見て書いた本当に「とりあえずのもの」に過ぎません。
あるいは、第1部の「太陽に灼かれて」を見た上でこの第2部を見れば、また違った書き方になるのでしょう(特に、映画冒頭の出来事についてなど)。
でも、それはそれとして、本作は、単独の形で上映されたわけですから、それだけの感想としてそのまま残しておくことにも意味があるのではと思っています。
なお、「共産主義時代のソ連で宗教が忌避されるものであったというのはあくまで表向きのこと」というのは、いわれるまでもなくよく知られている事実です。ただここで問題なのは、そうした“歴史的事実”にかかわることではなく、本作で、それがどのように“描写”されているかという点ではないかと思います。クマネズミは、そうした観点から、本作では「宗教的な要素がことさらあからさまに描かれている印象」だと申し上げました。
総じて、本作は、“歴史的事実”を踏まえつつも一定の立場に立って「物語」(ファンタジー)を作り上げて映画を製作する際に生じてくる問題をいろいろ抱え込んでいるのでは、と思います。

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