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邪馬台国を巡って(中)

2009年08月25日 | 古代史
 前回では、5月31日の国立歴史民俗博物館の報告につき、放射性炭素を使った年代測定の問題点を取り上げましたが、今回は、卑弥呼の墓の有力候補とされている箸墓を巡る問題点を取り上げてみましょう。

 在野の古代史研究者・宝賀寿男氏が著した『巨大古墳と古代王統譜』(青垣出版、2005.11)では、「箸墓」として知られる「箸中山古墳」について実に緻密な分析がなされています。



①この古墳につき、「邪馬台国大和説をとる論者からは、卑弥呼ないしは台与の墓として3世紀後半の築造とすらみられてい」ますが、宝賀氏は、「こうした取扱で問題ないのだろうか。具体的な陵墓治定を行う過程で、十分検討してみる必要があろう」と述べます(P.93)。

 すなわち、奈良県の大和盆地東南部にある大和・柳本古墳群について、「多くの考古学者が箸中山(278m)→西殿塚(219m)→行燈山(242m)→渋谷向山(276m)の順の築造とみているから、これがそのまま、倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめ)→崇神→垂仁→景行に比定されそうである。しかし、後2者は妥当としても(垂仁には佐紀の宝来山古墳という所伝があるが)、前2者については十分な検討を要する」(P.100)として、例えば次のような論点を挙げます。

イ)そもそも「当時急速に伸張していた大和政権の勢力・土木力を基礎として何年か後になって築造された大王(崇神)の墓が、一巫女(倭迹迹日百襲姫命)の墓より小さかったと考えるのは、むしろ不自然」(P.101)。
 巫女がいかに偉かったにせよ、かたや大和王権の(実質的)創設者ともされる大王ですから、両者のバランスをどうみるかの問題といえるでしょう。
ロ)「箸中山→西殿塚」とする論拠には問題があり、「西殿塚古墳のほうがやや先行して作られた可能性が十分考えられる」(P.104)。
 この辺りは「特殊器台形埴輪」の時期をいつと見るのかにもかかっているところ、いちがいに言い切れないということでしょう。
ハ) 崇神の「陵墓は、磯城瑞籬宮(崇神の宮都)から2㎞余東北の位置という少し離れた天理市柳本町(行燈山古墳―現崇神陵)に築くよりも、ま近の箸中集落辺りにそびえ立つように築いたほうが自然」(P.105)。

②こうして、結論的には、「西殿塚古墳はむしろ倭迹迹日百襲姫命の陵墓に比定されるのが妥当であり、それにほぼ同時期ないし多少遅れて築造された箸中山古墳が崇神陵に比定されるべきと考えられる」(P.106)ということになります。



 なお、崇神天皇については、著者は、「推定在位期間は西暦315~331年頃の約17年間」であり、「当時の日本列島における最大の政治統合体たる大和朝廷の実質的な初代大王とみて問題なかろう」と述べています(P.44)。
 これは、著者が、日本列島において統合国家が初めて出現した時期を、かつての通説と同じく4世紀前半頃とみているわけで、この立場に立つと、4世紀後半の朝鮮半島への出兵(好太王碑文など)にもつながります。
 
③こうした箸墓を巡る著者の見解は、それだけが独立して与えられているものではありません。古代史全体の流れに関する著者独自の見方が背後にあり、それをよく理解しないと、個別の古墳の築造時期や被葬者についての体系的・総合的な見解も十分な納得がえられないかもしれません。

 すなわち、「陵墓治定や古墳被葬者比定のために重要な基礎作業」として、「上古代の歴史の流れとその時期の大王の系譜(及び活動年代)の把握」が必要なわけです。ですが、「応神天皇より前の諸天皇(及びその活動年代)を具体的に考えることに無理があるとみる見解が多」く、困難を伴います。とはいえ、「応神より前の天皇(大王)を文献を含め様々な面から考察することが歴史の分野にあって「科学的」ではない、とは決していえるはずがない」と著者は言い切ります(P.38)。

 要すれば、様々な可能性を多方面から考えていき、合理性・論理性を検討し、検証していくという過程が重要であって、端から信念的に決めつけ簡単に否定するのは「科学的思考」ではない、と著者は主張しているものと考えられます。

④本書は、上古史そのものを考察する場所ではないので、これ以上の議論はなされてはおりません。
 是非、本書を含め、著者のそのほかの著作もお読みいただき、著者の独創的な見解の詳細に触れ、ご自身の頭と手足で考えていただきたいと思います。
 ただ、本書では、話をわかり易くするために多少とも「言い切り調」で書かれている部分もあるように見受けられます。とはいえ、そうした辺りへ疑問点を持ったり理解を深めたりすることで、自ずと読者は次のステップへ導かれることにもなると思われます。

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