
『SP 革命篇』を新宿ピカデリーで見てきました。
新宿ピカデリーは、家に帰るのが便利な新宿にあり、かつまた計画停電のため上映スケジュールなどを縮小しているとはいえ、映画の選択の幅が広いため、前回の映画に続けて行くことになりました。
この映画も、他に空いている映画館が少ないせいなのか、あるいは元々人気が高いためなのか判断がつきませんが、随分と観客が集まっていました。
(1)さて、クマネズミは、フジテレビの「SP 警視庁警備部警護課第四係」や『2夜連続「SP」スペシャル 革命前日』も、また劇場版『SP 野望篇』も何も見ておりません。ですから、完結編とされるこの作品だけを見て正直分かるのかなと不安でした。でも、実際にはこの作品は、それほど複雑なストーリーでもないため、独立した作品として見ることが出来(むろん、ところどころ続き具合が分からない場面がありますが)、余計なことは何も考えずに、ただアクション邦画として捉えるだけであれば、なかなかヨクできているのでは、と思いました。
映画は、岡田准一らのSPたちが警視庁に出勤する光景から始まり、同時に、岡田准一の上司でもある堤真一をトップとする集団が国会議事堂を占拠するに至るまでが展開していきます。

占拠方法は彼らによって細部に至るまで練り込んであるため、最小限の人数で効率よく進められていきます。

そして、衆議院の本会議場の占拠に成功した堤真一たちは、今度は、閣僚に銃を向けながら自分らの要求をつきつけます。それは、閣僚それぞれが犯してきた犯罪的行為を、国民注視の中で閣僚に認めさせ、そのことを通じて国民の奮起を促すというものです。
ただ、その順番が麻田総理(山本圭)のところまで回ってきたときに、議員の一人(香川照之)が立ち上がり、以降の事態の進行をコントロールして、国政の全権を掌握すべく大声をあげます。

とそこに登場するのが、……。
誠に絵に描いたように手際よく物語が展開し、その間に、岡田准一ら4人組と、堤真一配下の者たちとの死闘が随所で繰り広げられます。

なかでも、岡田準一の活躍ぶりには目を瞠らせるものがあります。堤真一との対決もさることながら、高橋努との地下道での格闘は、これなら岡田がやられてしまうかもしれないと観客に思わせるほど迫真の演技です。
ただ、国会内部は、大部分が本会議場であり、あとはその周りをいくつもの似たような部屋が取り巻いているにすぎません。ですから、占拠しようとする集団の行動も、すべて必要なことなのでしょうが、見ているとなんだか繰り返しが多いような気分にさせられます。
それと、国会議事堂内には、通常もっとたくさんの人がいます。映画では少人数の国会見学グループしか描かれてはいないものの、実際は報道関係者、陳情団、政府関係者などで溢れていると言った方が正確だと思います。そういう場合には、この映画のようにはスムーズに物事は進行しないと思います。でもマア、そういう人たちが少ないと見込まれる日を選んで議場占拠が実行されたと考えればいいのでしょう。
岡田准一は、『おと・な・り』の時とは打って変わって激しいアクションを演じて素晴らしいと思いましたし、堤真一も『孤高のメス』と同様、堂に入った役作りをしていますし、香川照之も、議場を圧倒する大音声を発し、『東京ソナタ』とは別の面を見せてくれ、さすがだなと思わせました。
映画の細部を一つ一つ見ていくと、和製のアクション物として大層熱気がこもっていて面白いと思います。
(2)ですが、問題は、大きなプロットの方にあるのではないでしょうか?
今さら言い立てても詮のないことですが、「革命篇」と銘打たれてはいるものの、この映画で描かれている事件は、決して「革命」ではありません(堤真一らは、いったいどういう「階級」を代表していると言えるのでしょうか?)。それどころか、「クーデタ」でもありえず(軍隊〔自衛隊〕が何ら関与していないのですから)、単なる小規模なテロ行為にすぎないと言えるでしょう(注1)。
そのうえ、銃を突きつけたり、何人かの議員に爆弾チョッキを着せたりして、脅迫の下で自分の犯罪行為を個々の閣僚が認めたからと言って、そしてそれを全国民がTV生中継で見たからと言って、そんなテロ行動が何にもならないことは、ここで取り立てて言うまでもありません。
浪岡一喜が扮する官僚・安斎が、“閣僚が認める犯罪行為などは各々の省庁では周知の事実だよ”、などと訳知り顔で言っているところからすると、すでに検察庁特捜部は動いているはずです。にもかかわらず、閣僚たちが逮捕されていないところを見れば、証拠が十分ではないのでしょう(注2)。にもかかわらず、銃などで脅かして罪を認めさせても、その後の裁判を維持できるわけがありません。
まさに無意味な行動といえるでしょう。
ですから、香川照之が扮する伊達國男幹事長が、堤真一からバトンを引き継ぐ形で全権を掌握しようとします。
このことをどうも堤真一は知らされてはいなかったようです(裏切ったなという目つきで、堤真一は香川照之を睨みつけますから)。
だとすると、彼は底抜けにお人好しで、周囲のことが見えないどうしようもない人物としか言いようがありません。
堤真一らの行動は、ある意味で、青年将校が決起した2.26事件と類似する側面があると思われます。当時の政治の中枢部にいた政治家や、軍部等が腐敗しきっているとして、彼らを除去しようと青年将校たちは立ち上がったわけですから。ただその際、彼らは、決起が成功した暁に自分たちで政治を動かしていこうとは思わなかったとしても、荒木貞夫大将らの手に委ねることくらいは考えていたと考えられます。
これに対して、堤真一は、国民が立ち上がることは求めていたとしても、その後事態をどう収拾して日本をどの方向に持って行こうとするのかについては全く考えてはいなかったようです(三島由紀夫事件との類似性はどうでしょうか)。
やはり実務家が一枚絡んでこないことにはどうしようもないでしょう。そこで香川照之が登場するわけでしょう。とはいえ、彼もまた、権力は手に入れたいものの、日本をどのような方向に持って行くのかについてのヴィジョンめいたものを持っていないようです。
それを補佐する集団が、議事堂近くのマンションの1室に陣取っている滝川(平岳大)を筆頭とするキャリア官僚たちなのでしょう。
ですが、こんな官僚たちがいくら優秀だと言っても、戦時でもない限り、これだけ巨大になった日本をコントロールできるはずはありません。戦時ならば、軍隊と一緒になって様々の統制を行ってコントロール可能かもしれません(全体主義的国家、あるいは長期の戒厳令!)。ですが、今時、日本はどこを相手に誰が戦うと言うのでしょうか?
この映画は幾分消化不良の感じでジ・エンドとなります。滝川達が事態の推移をTV中継で注視しているマンションが爆破されるところ、リバプールクリーニングの車とおぼしきワゴン車が立ち去る姿が映し出されますし、麻田総理のその後、さらには堤真一や香川照之のその後なども明示されていません。
とはいえ、劇場版パンフレットには、「『SP』シリーズ、ついに運命の最終章」とか、「壮大なストーリーの結末」、「これでシリーズ完結となりますが」、「これでSPは最後ですが」といった言葉が溢れ返っているところから、続編は考えられないのではないでしょうか?
それに、こうした作品内容なら、続編は企画しない方が製作者のためだと思われるところです。
(注1)こんなブログで声高に言わずとも、劇場用パンフレットの「story」のページにおいて、「リバプールクリーニング」の一味を「テロリスト軍団」と呼んでいるところです。
ただ、クマネズミに言わせれば、議場占拠を実行した堤真一以下のSPたちもテロリストであることは間違いありません。
(注2)ここで暴き出されるのが大部分が、またしても、マスコミの好餌となる「政治と金」の問題だ、というところから、話はなお一層次元が低くなってしまいます。いったい、こうした不正があるからといって、短絡的なテロに訴える行動が認められるのかどうか、そうした政治家を排除して独裁国家を築くべきなのかどうか、等々議論すべき点が多々あると思われるところです。
(3)渡まち子氏は、「国会議事堂という象徴的な場所を舞台にしているのに、何だか話が小さく見えたのは私だけだろうか。第一、国会議事堂のセキュリティの甘さはいったいどう納得すればいいのだろう」、「物語の設定には数々の不満はあるが、岡田准一の熱血アクションには感心させられる。特に印象的なのは、見た目がいいワイヤーアクションではなく、時に相手をレスリングのように組み伏せ、自分もダンゴのように丸くなって身を守るという実践的な武術を披露することだ」などとして50点を与えています。
★★☆☆☆
象のロケット:SP 革命篇
新宿ピカデリーは、家に帰るのが便利な新宿にあり、かつまた計画停電のため上映スケジュールなどを縮小しているとはいえ、映画の選択の幅が広いため、前回の映画に続けて行くことになりました。
この映画も、他に空いている映画館が少ないせいなのか、あるいは元々人気が高いためなのか判断がつきませんが、随分と観客が集まっていました。
(1)さて、クマネズミは、フジテレビの「SP 警視庁警備部警護課第四係」や『2夜連続「SP」スペシャル 革命前日』も、また劇場版『SP 野望篇』も何も見ておりません。ですから、完結編とされるこの作品だけを見て正直分かるのかなと不安でした。でも、実際にはこの作品は、それほど複雑なストーリーでもないため、独立した作品として見ることが出来(むろん、ところどころ続き具合が分からない場面がありますが)、余計なことは何も考えずに、ただアクション邦画として捉えるだけであれば、なかなかヨクできているのでは、と思いました。
映画は、岡田准一らのSPたちが警視庁に出勤する光景から始まり、同時に、岡田准一の上司でもある堤真一をトップとする集団が国会議事堂を占拠するに至るまでが展開していきます。

占拠方法は彼らによって細部に至るまで練り込んであるため、最小限の人数で効率よく進められていきます。

そして、衆議院の本会議場の占拠に成功した堤真一たちは、今度は、閣僚に銃を向けながら自分らの要求をつきつけます。それは、閣僚それぞれが犯してきた犯罪的行為を、国民注視の中で閣僚に認めさせ、そのことを通じて国民の奮起を促すというものです。
ただ、その順番が麻田総理(山本圭)のところまで回ってきたときに、議員の一人(香川照之)が立ち上がり、以降の事態の進行をコントロールして、国政の全権を掌握すべく大声をあげます。

とそこに登場するのが、……。
誠に絵に描いたように手際よく物語が展開し、その間に、岡田准一ら4人組と、堤真一配下の者たちとの死闘が随所で繰り広げられます。

なかでも、岡田準一の活躍ぶりには目を瞠らせるものがあります。堤真一との対決もさることながら、高橋努との地下道での格闘は、これなら岡田がやられてしまうかもしれないと観客に思わせるほど迫真の演技です。
ただ、国会内部は、大部分が本会議場であり、あとはその周りをいくつもの似たような部屋が取り巻いているにすぎません。ですから、占拠しようとする集団の行動も、すべて必要なことなのでしょうが、見ているとなんだか繰り返しが多いような気分にさせられます。
それと、国会議事堂内には、通常もっとたくさんの人がいます。映画では少人数の国会見学グループしか描かれてはいないものの、実際は報道関係者、陳情団、政府関係者などで溢れていると言った方が正確だと思います。そういう場合には、この映画のようにはスムーズに物事は進行しないと思います。でもマア、そういう人たちが少ないと見込まれる日を選んで議場占拠が実行されたと考えればいいのでしょう。
岡田准一は、『おと・な・り』の時とは打って変わって激しいアクションを演じて素晴らしいと思いましたし、堤真一も『孤高のメス』と同様、堂に入った役作りをしていますし、香川照之も、議場を圧倒する大音声を発し、『東京ソナタ』とは別の面を見せてくれ、さすがだなと思わせました。
映画の細部を一つ一つ見ていくと、和製のアクション物として大層熱気がこもっていて面白いと思います。
(2)ですが、問題は、大きなプロットの方にあるのではないでしょうか?
今さら言い立てても詮のないことですが、「革命篇」と銘打たれてはいるものの、この映画で描かれている事件は、決して「革命」ではありません(堤真一らは、いったいどういう「階級」を代表していると言えるのでしょうか?)。それどころか、「クーデタ」でもありえず(軍隊〔自衛隊〕が何ら関与していないのですから)、単なる小規模なテロ行為にすぎないと言えるでしょう(注1)。
そのうえ、銃を突きつけたり、何人かの議員に爆弾チョッキを着せたりして、脅迫の下で自分の犯罪行為を個々の閣僚が認めたからと言って、そしてそれを全国民がTV生中継で見たからと言って、そんなテロ行動が何にもならないことは、ここで取り立てて言うまでもありません。
浪岡一喜が扮する官僚・安斎が、“閣僚が認める犯罪行為などは各々の省庁では周知の事実だよ”、などと訳知り顔で言っているところからすると、すでに検察庁特捜部は動いているはずです。にもかかわらず、閣僚たちが逮捕されていないところを見れば、証拠が十分ではないのでしょう(注2)。にもかかわらず、銃などで脅かして罪を認めさせても、その後の裁判を維持できるわけがありません。
まさに無意味な行動といえるでしょう。
ですから、香川照之が扮する伊達國男幹事長が、堤真一からバトンを引き継ぐ形で全権を掌握しようとします。
このことをどうも堤真一は知らされてはいなかったようです(裏切ったなという目つきで、堤真一は香川照之を睨みつけますから)。
だとすると、彼は底抜けにお人好しで、周囲のことが見えないどうしようもない人物としか言いようがありません。
堤真一らの行動は、ある意味で、青年将校が決起した2.26事件と類似する側面があると思われます。当時の政治の中枢部にいた政治家や、軍部等が腐敗しきっているとして、彼らを除去しようと青年将校たちは立ち上がったわけですから。ただその際、彼らは、決起が成功した暁に自分たちで政治を動かしていこうとは思わなかったとしても、荒木貞夫大将らの手に委ねることくらいは考えていたと考えられます。
これに対して、堤真一は、国民が立ち上がることは求めていたとしても、その後事態をどう収拾して日本をどの方向に持って行こうとするのかについては全く考えてはいなかったようです(三島由紀夫事件との類似性はどうでしょうか)。
やはり実務家が一枚絡んでこないことにはどうしようもないでしょう。そこで香川照之が登場するわけでしょう。とはいえ、彼もまた、権力は手に入れたいものの、日本をどのような方向に持って行くのかについてのヴィジョンめいたものを持っていないようです。
それを補佐する集団が、議事堂近くのマンションの1室に陣取っている滝川(平岳大)を筆頭とするキャリア官僚たちなのでしょう。
ですが、こんな官僚たちがいくら優秀だと言っても、戦時でもない限り、これだけ巨大になった日本をコントロールできるはずはありません。戦時ならば、軍隊と一緒になって様々の統制を行ってコントロール可能かもしれません(全体主義的国家、あるいは長期の戒厳令!)。ですが、今時、日本はどこを相手に誰が戦うと言うのでしょうか?
この映画は幾分消化不良の感じでジ・エンドとなります。滝川達が事態の推移をTV中継で注視しているマンションが爆破されるところ、リバプールクリーニングの車とおぼしきワゴン車が立ち去る姿が映し出されますし、麻田総理のその後、さらには堤真一や香川照之のその後なども明示されていません。
とはいえ、劇場版パンフレットには、「『SP』シリーズ、ついに運命の最終章」とか、「壮大なストーリーの結末」、「これでシリーズ完結となりますが」、「これでSPは最後ですが」といった言葉が溢れ返っているところから、続編は考えられないのではないでしょうか?
それに、こうした作品内容なら、続編は企画しない方が製作者のためだと思われるところです。
(注1)こんなブログで声高に言わずとも、劇場用パンフレットの「story」のページにおいて、「リバプールクリーニング」の一味を「テロリスト軍団」と呼んでいるところです。
ただ、クマネズミに言わせれば、議場占拠を実行した堤真一以下のSPたちもテロリストであることは間違いありません。
(注2)ここで暴き出されるのが大部分が、またしても、マスコミの好餌となる「政治と金」の問題だ、というところから、話はなお一層次元が低くなってしまいます。いったい、こうした不正があるからといって、短絡的なテロに訴える行動が認められるのかどうか、そうした政治家を排除して独裁国家を築くべきなのかどうか、等々議論すべき点が多々あると思われるところです。
(3)渡まち子氏は、「国会議事堂という象徴的な場所を舞台にしているのに、何だか話が小さく見えたのは私だけだろうか。第一、国会議事堂のセキュリティの甘さはいったいどう納得すればいいのだろう」、「物語の設定には数々の不満はあるが、岡田准一の熱血アクションには感心させられる。特に印象的なのは、見た目がいいワイヤーアクションではなく、時に相手をレスリングのように組み伏せ、自分もダンゴのように丸くなって身を守るという実践的な武術を披露することだ」などとして50点を与えています。
★★☆☆☆
象のロケット:SP 革命篇
ドラマの意味深なラストからようやく完結を
迎えましたが、まだ続いて欲しいという
願望がまだあります。
重厚な人間ドラマと邦画最高レベルの
華麗なアクションの融合でした。
あと何回観賞したら満足できるのか
分かりません(笑)
ただ、コメントをいただいておきながら申し訳ありませんが、クメネズミは、この映画のアクションシーンの素晴らしさは十分に認めますが、そしてアクション物であればアクションだけを見ればいいのかも知れませんが、それでも、気に入らない政治状況を一息に浄化しようとして、銃とか爆弾によるテロ行為を敢行するというプロット自体に、大いに違和感を感じてしまいます。
拙ブログにトラックバックとコメントを賜りましてありがとうございます。
すみませんが少々教えてください。
クマネズミさんから頂戴したコメントの返事を拙ブログに載せてしまいましたが。
クマネズミさんは私のコメントをいつもご丁寧にこちらのブログにお返事を下さるのでしたね。
お尋ねするのは失礼かもしれませんが、
クマネズミさんの流儀ではどちらにコメントをお返しするのがよろしいのでしょうか。
よろしかったら教えてください。
私ぼんやりしていて気がつきませんので…。(^・^)
ではでは
さて、「愛知女子」さんは、コメント欄に書くべき事柄に関するクマネズミと「ふじき78」さんとのやりとりをご覧になったのですね。ただそこでは、クマネズミがまるで明快な基準に従っているかのように書いてしまいましたが、実のところは毎回悩みます。
通常行われているのは、コメントを受け取ったら、そのコメント欄で返事を書くというやり方でしょう。
でも、クマネズミ個人としては、拙い記事にもかかわらずわざわざコメントされたことに対し、まずお礼を申し上げたいのです。加えて、拙ブログのコメント欄に記載してしまうと、投稿者に読んでもらえないのではとも恐れます。そこで、なるべくなら投稿者のコメント欄に書き込みたいと考えています(とはいえ、いただいたコメントが、拙ブログ記事の特異な点に触れたものの場合、拙ブログに返事を記載するだけにとどめることがあるものの、どうすべきかいつも悩みます)。
ただ、コメントを書く以上は、たとえお礼が主眼であっても、投稿者のブログ記事内容に触れたものにしようと心がけています。
というのも、コメント先のブログ記事内容に何も触れていない一般的な感想を述べるコメントが随分と世に出回っていますが(「ふじき78」さんによれば、映画掲示板以来の流れがあるとのこと)、それなら自分のブログに端から記載すればいいのでは、そしてそれを知らせたいのであればTBで十分では、と思っていますので。
そこで「愛知女子」さんへの回答です。
今回の「愛知女子」さんの対応は、通常のやり方に従ったものですから、それで十分と考えます。ただ、仮にクマネズミのブログ記事内容について特に触れてみたい点がおありになるのであれば、こちらのコメント欄に記入していただければ望外の幸せです。
ある意味、既存政治家を全員取り替えて、有用な官僚も逐次殺していって、唯一のカリスマとして香川照之が降臨するのであれば、既存のシステムより目新しいそれなりの新世界は構築できるのかもしれない。但し、それは武力を根底に置いた不安定な社会で幸せな社会かどうかは分からない。そこまでやってくれたなら「革命」は割と似つかわしい言葉だったかも。
あと、今、小沢が第一線にいないように、司法力を使わずともマスコミ力だけで、政治家の交代は可能でしょう。
といっても、タイトルの「じゃ」という接頭語と「うううう」の接尾語には、引っかかるものを感じてしまいますが。
そんな冗談はさておき、おっしゃるように、テロリスト堤真一らの国会占拠は、せいぜいのところ「CMで「革命的な味」とか使う」レベルの児戯に等しいものでしかありません。この点を強調したいがために、逆に大袈裟に「階級」を持ち出してみました。
また、「既存政治家を全員取り替えて、有用な官僚も逐次殺していって、唯一のカリスマとして香川照之が降臨するのであれば、既存のシステムより目新しいそれなりの新世界は構築できるのかもしれない」とする考え方は、民主主義体制にあっては最初からつきまとっているもので、「ある意味」、フランス革命以来の近代社会は、そうした考え方との戦いの連続だったと言えるのではないでしょうか(「フランス革命」自体が、ロベスピエールを生み出したと言えるでしょう!)?
そして、そういうものを「革命」として持ち上げる姿勢があからさまなこの映画に凄く違和感を感じたものですから、アクションだけを楽しめば十分なのにもかかわらず、少々大上段に振りかぶってしまったというわけです。
さらに、「司法力を使わずともマスコミ力だけで、政治家の交代は可能」とありますが、例えば、福島原発に批判的だった佐藤栄佐久・元福島県知事は、マスコミに散々取り上げられはしましたが、辞職に至る打撃を受けたのは特捜部による逮捕ではなかったでしょうか?