![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b8/0b24c2598f068ac688e47452904dc3c7.jpg)
『孤高のメス』を渋谷TOEIで見ました。予告編を見たときから、この映画の真摯さが伝わってきたからですが。
(1)実のところ、この作品のストーリーは極めて単純です。
20年ほど前、ある地方都市の市民病院に、米国帰りのバリバリの外科医・当麻(堤真一)が赴任し、それまでこの病院では手がつけられなかった外科手術を次々に成功させ、挙句は肝臓移植手術までやってしまうというお話です。
これを、仕事中に亡くなった同病院の看護婦・浪子(夏川結衣)の息子(成宮寛貴)―新米の医者―が、遺品の中にあった母親の日記を読むという構図で描き出しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/b4/d223c070baa8aff6e554790427d93f30_s.jpg)
こうした単純なストーリーになるのは、この映画では、手術シーンがこれまでの映画では見られなかったほどたっぷりと詳細に描かれているためだと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/79/11b48eac36b014a2b7adf235d41ecf15_s.jpg)
まず、市民病院で行われていた従来のお粗末極まりない手術の様子が描かれます〔これまでこんなに酷い外科手術の有様を描いた映画は見たことがありません!間違えて切断してしまった血管から激しく血液が噴き出るシーンでは、背筋がゾーッとなりました〕。
次いで、当麻は、着任早々にもかかわらずすぐに手術着に着かえて、従来ならこの病院ではできないとして大学病院に送り込んでいた患者の手術を成功させてしまいます。
最後に、この映画のハイライトである肝臓移植手術です。肝臓には血管がたくさん結びついていて、病んでいる肝臓を取り出して新しい肝臓を移植するには、まずそれらを一つ一つ塞ぐ必要があり、そのために膨大な時間がかかるとのことですが、映画では、まるで当麻に扮する堤真一が実際に執刀しているが如くにリアルに描かれているので、とても驚きました。
こうしたことから、通常の映画ならばもっと濃密に描かれたであろう様な事柄は、ほとんど触れられません。
たとえば、主人公の外科医・当麻の年齢は40歳台と思われるところ、その経歴とか家族状況の説明はありません。この市民病院に単身で乗り込んできて、いきなり手術を手がけます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/62/6e/1a9d77ebab292d61bdcb510a18868eaf_s.jpg)
また、当麻医師のよき協力者になった看護婦・浪子についても、小さな子供を一人で育てていますが、夫がどうなったのかの説明はありません〔なお、脳死状態の息子の肝臓を移植することに同意した音楽教師(余美貴子)の家も母子家庭ですが―浪子の家と隣同士なのです―、そのいきさつの説明も行われません〕。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/75/78/918bbb0e4399a94b6b5f8923f16afa88_s.jpg)
そして、通常の映画パターンならば、こういう設定をとると、当麻と浪子との間に恋愛感情が生まれて、紆余曲折はあるものの最終的には結婚に至るなどといったストーリーが思い浮かびますが、肝臓移植手術が終わると、なんと当麻医師は至極あっさりとこの市民病院を立ち去ってしまうのです。
浪子の方も、当麻との別れに際しては、通常の医師と看護婦の関係を超えない範囲での挨拶しかしません。
とはいえ、濃密な接近があってもしかるべきにもかかわらず、このように未練のないあっさりした関係にしかならなかったのかの背景理由については、映画製作者側に文句を言うよりも、むしろ観客の側であれこれ考えを巡らせればいいのでしょう。
ということで、この映画では、『オーケストラ!』とか『のだめカンタービレ』で音楽の演奏シーンが重要な役割を演じているのと同じように、手術のシーンがそれ自体において特筆されるべきであって、それが評価されるのであれば映画としても成功したことになるでしょう〔逆に、クマネズミはそうは思いませんが、外科手術はあくまでも一つの設定条件にすぎず、やはり人間関係の方を重視すべきだとする見方からすると、映画としては出来が悪いということになるでしょう〕。
(2)手術の場面のリアリティという点でクマネズミが思いつくのは、『チーム・バチスタの栄光』(2008年)です。
この作品は、バチスタ手術という心臓手術をとりあげていて、実際にも、心臓の一部を切り取ったり、それを縫合したりするところが描き出されていて、従来のものよりもずっとリアリティに富んでいると思われます。
ただ、この映画の焦点は、手術シーンよりもむしろ、それまでずっと成功してきたバチスタ手術がここにきて連続して失敗しだしたのはなぜか、その原因を阿部寛と竹内結子が暴き出すという謎探しにありますから、今度の『孤高のメス』と比べれば今一の感があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/5f/07d175f4e3dba5364dacd6e5ed0af015_s.jpg)
(3)映画評論家の間では意見が分かれるようです
一方で、小梶勝男氏は、「成島監督は地域医療という真面目で地味なテーマを扱うに当たり、意識的に「分かりやすさ」を強調し、エンタティンメントとしても成立させようとしたのかも知れない。その代わり、徹底して手術場面のリアリティーにこだわったのだろう」し、「主人公同様、極めてバカ正直に医療問題に切り込みながら、十分に面白い作品になっている」として78点を、
福本次郎氏は、「医学に対する真摯な使命感に支えられた主人公は、女だけでなく男も惚れる、まさに絵にかいたようなヒーローだ」が、「都はるみファンという以外にもう少し人間的な部分も見せてほしかった」として70点を、
それぞれ与えていますが、他方で、
渡まち子氏は、「主人公を支える周囲のスタッフは、決して天才的な医師や看護師ではない。当麻の存在によって医療そのものを見つめなおしていく努力型の人間たちが、主人公をサポートしている点に、物語の誠実さがある。だがもう一つの柱である肝臓移植に関しては、あまりに描写が浅い。ドナー提供というデリケートな問題をあっさりとスルーするので、考える余地さえなかった」として55点を、
前田有一氏も、「大学病院からきた無責任な派遣医師のステレオタイプな人物造形、都合よく罰が当たる展開などは白けてしまう。さらに問題なのは、後半にある脳死臓器移植手術。ここまで、そこそこのリアリティを誇ってきたこの佳作が、とたんにインチキくさくなってしまうのが残念であった。とくにこのテーマ最大の争点である、脳死判定の困難さを華麗にスルー。結果として、いいとこ取りのありがちな創作美談にとどまってしまった。もしこんな展開で感動を呼べると思っているのなら、現実のドナーをバカにしているようなものだ」として55点しか与えていません。
(4)特に、前田氏は、「脳死の判定はきわめてデリケートかつ困難で、脳死と診断されながら回復した例がいくつもあ」りながら、そうした「マイナス点がまるで伝わっていない現状、国民も国会議員も問題点をほとんど理解せぬまま法改正が強行される現状については、著しくアンフェアであり、承服でき」ず、にもかかわらず、「偏った思想によるこうした映画に感化されて、もし臓器提供希望者が増えようものなら、きっと様々な問題が起こるだろう」とまで述べています。
確かにそうした問題があり、かつその問題は非常に複雑で微妙だと思います(注)。
ただ、2時間強にすぎない映画にあれもこれも求めるのはどうかなという気がします。この映画は、政治的なプロパガンダの作品ではないのですから、そうした問題があることは重々分かっていながらも、あえてそうした問題には触れずに、むしろ、外科手術の素晴らしさの面を強く描き出そうとしているのではないか、この映画を評価するに際しては、描かれてはいないことではなく、描かれていることを評価すべきではないかとクマネズミは思っています。
さらに前田氏は、「とくに本作は未成年がかかわるだけに、たちが悪い」と付言していますが、臓器提供者が未成年であろうが成年であろうが、脳死判定の問題を議論する場合には変わりがないのではと思われ、「たちが悪い」とまで言えるのだろうかと思いました。
なお、2009年の法改正により、平成22年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供できることになり、従って15歳未満の脳死患者からの臓器提供も可能となります。
(注)この映画の医療監修を担当した順天堂大病院肝胆膵外科教授の川崎誠治氏は、当然のことながら前田氏とは別の見解をとっています。
★★★★☆
象のロケット:孤高のメス
(1)実のところ、この作品のストーリーは極めて単純です。
20年ほど前、ある地方都市の市民病院に、米国帰りのバリバリの外科医・当麻(堤真一)が赴任し、それまでこの病院では手がつけられなかった外科手術を次々に成功させ、挙句は肝臓移植手術までやってしまうというお話です。
これを、仕事中に亡くなった同病院の看護婦・浪子(夏川結衣)の息子(成宮寛貴)―新米の医者―が、遺品の中にあった母親の日記を読むという構図で描き出しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/b4/d223c070baa8aff6e554790427d93f30_s.jpg)
こうした単純なストーリーになるのは、この映画では、手術シーンがこれまでの映画では見られなかったほどたっぷりと詳細に描かれているためだと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/79/11b48eac36b014a2b7adf235d41ecf15_s.jpg)
まず、市民病院で行われていた従来のお粗末極まりない手術の様子が描かれます〔これまでこんなに酷い外科手術の有様を描いた映画は見たことがありません!間違えて切断してしまった血管から激しく血液が噴き出るシーンでは、背筋がゾーッとなりました〕。
次いで、当麻は、着任早々にもかかわらずすぐに手術着に着かえて、従来ならこの病院ではできないとして大学病院に送り込んでいた患者の手術を成功させてしまいます。
最後に、この映画のハイライトである肝臓移植手術です。肝臓には血管がたくさん結びついていて、病んでいる肝臓を取り出して新しい肝臓を移植するには、まずそれらを一つ一つ塞ぐ必要があり、そのために膨大な時間がかかるとのことですが、映画では、まるで当麻に扮する堤真一が実際に執刀しているが如くにリアルに描かれているので、とても驚きました。
こうしたことから、通常の映画ならばもっと濃密に描かれたであろう様な事柄は、ほとんど触れられません。
たとえば、主人公の外科医・当麻の年齢は40歳台と思われるところ、その経歴とか家族状況の説明はありません。この市民病院に単身で乗り込んできて、いきなり手術を手がけます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/62/6e/1a9d77ebab292d61bdcb510a18868eaf_s.jpg)
また、当麻医師のよき協力者になった看護婦・浪子についても、小さな子供を一人で育てていますが、夫がどうなったのかの説明はありません〔なお、脳死状態の息子の肝臓を移植することに同意した音楽教師(余美貴子)の家も母子家庭ですが―浪子の家と隣同士なのです―、そのいきさつの説明も行われません〕。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/75/78/918bbb0e4399a94b6b5f8923f16afa88_s.jpg)
そして、通常の映画パターンならば、こういう設定をとると、当麻と浪子との間に恋愛感情が生まれて、紆余曲折はあるものの最終的には結婚に至るなどといったストーリーが思い浮かびますが、肝臓移植手術が終わると、なんと当麻医師は至極あっさりとこの市民病院を立ち去ってしまうのです。
浪子の方も、当麻との別れに際しては、通常の医師と看護婦の関係を超えない範囲での挨拶しかしません。
とはいえ、濃密な接近があってもしかるべきにもかかわらず、このように未練のないあっさりした関係にしかならなかったのかの背景理由については、映画製作者側に文句を言うよりも、むしろ観客の側であれこれ考えを巡らせればいいのでしょう。
ということで、この映画では、『オーケストラ!』とか『のだめカンタービレ』で音楽の演奏シーンが重要な役割を演じているのと同じように、手術のシーンがそれ自体において特筆されるべきであって、それが評価されるのであれば映画としても成功したことになるでしょう〔逆に、クマネズミはそうは思いませんが、外科手術はあくまでも一つの設定条件にすぎず、やはり人間関係の方を重視すべきだとする見方からすると、映画としては出来が悪いということになるでしょう〕。
(2)手術の場面のリアリティという点でクマネズミが思いつくのは、『チーム・バチスタの栄光』(2008年)です。
この作品は、バチスタ手術という心臓手術をとりあげていて、実際にも、心臓の一部を切り取ったり、それを縫合したりするところが描き出されていて、従来のものよりもずっとリアリティに富んでいると思われます。
ただ、この映画の焦点は、手術シーンよりもむしろ、それまでずっと成功してきたバチスタ手術がここにきて連続して失敗しだしたのはなぜか、その原因を阿部寛と竹内結子が暴き出すという謎探しにありますから、今度の『孤高のメス』と比べれば今一の感があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/5f/07d175f4e3dba5364dacd6e5ed0af015_s.jpg)
(3)映画評論家の間では意見が分かれるようです
一方で、小梶勝男氏は、「成島監督は地域医療という真面目で地味なテーマを扱うに当たり、意識的に「分かりやすさ」を強調し、エンタティンメントとしても成立させようとしたのかも知れない。その代わり、徹底して手術場面のリアリティーにこだわったのだろう」し、「主人公同様、極めてバカ正直に医療問題に切り込みながら、十分に面白い作品になっている」として78点を、
福本次郎氏は、「医学に対する真摯な使命感に支えられた主人公は、女だけでなく男も惚れる、まさに絵にかいたようなヒーローだ」が、「都はるみファンという以外にもう少し人間的な部分も見せてほしかった」として70点を、
それぞれ与えていますが、他方で、
渡まち子氏は、「主人公を支える周囲のスタッフは、決して天才的な医師や看護師ではない。当麻の存在によって医療そのものを見つめなおしていく努力型の人間たちが、主人公をサポートしている点に、物語の誠実さがある。だがもう一つの柱である肝臓移植に関しては、あまりに描写が浅い。ドナー提供というデリケートな問題をあっさりとスルーするので、考える余地さえなかった」として55点を、
前田有一氏も、「大学病院からきた無責任な派遣医師のステレオタイプな人物造形、都合よく罰が当たる展開などは白けてしまう。さらに問題なのは、後半にある脳死臓器移植手術。ここまで、そこそこのリアリティを誇ってきたこの佳作が、とたんにインチキくさくなってしまうのが残念であった。とくにこのテーマ最大の争点である、脳死判定の困難さを華麗にスルー。結果として、いいとこ取りのありがちな創作美談にとどまってしまった。もしこんな展開で感動を呼べると思っているのなら、現実のドナーをバカにしているようなものだ」として55点しか与えていません。
(4)特に、前田氏は、「脳死の判定はきわめてデリケートかつ困難で、脳死と診断されながら回復した例がいくつもあ」りながら、そうした「マイナス点がまるで伝わっていない現状、国民も国会議員も問題点をほとんど理解せぬまま法改正が強行される現状については、著しくアンフェアであり、承服でき」ず、にもかかわらず、「偏った思想によるこうした映画に感化されて、もし臓器提供希望者が増えようものなら、きっと様々な問題が起こるだろう」とまで述べています。
確かにそうした問題があり、かつその問題は非常に複雑で微妙だと思います(注)。
ただ、2時間強にすぎない映画にあれもこれも求めるのはどうかなという気がします。この映画は、政治的なプロパガンダの作品ではないのですから、そうした問題があることは重々分かっていながらも、あえてそうした問題には触れずに、むしろ、外科手術の素晴らしさの面を強く描き出そうとしているのではないか、この映画を評価するに際しては、描かれてはいないことではなく、描かれていることを評価すべきではないかとクマネズミは思っています。
さらに前田氏は、「とくに本作は未成年がかかわるだけに、たちが悪い」と付言していますが、臓器提供者が未成年であろうが成年であろうが、脳死判定の問題を議論する場合には変わりがないのではと思われ、「たちが悪い」とまで言えるのだろうかと思いました。
なお、2009年の法改正により、平成22年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供できることになり、従って15歳未満の脳死患者からの臓器提供も可能となります。
(注)この映画の医療監修を担当した順天堂大病院肝胆膵外科教授の川崎誠治氏は、当然のことながら前田氏とは別の見解をとっています。
★★★★☆
象のロケット:孤高のメス
これが脚本であり、演出だとは思いますが、
この映画のテーマが脳死判定にあるとは思えませんので、
「いろいろ問題はあるけど、このケースは刑事事件にならない程度にクリアーしている」
という説明で十分だと思います。
私の感想は福本次郎氏に近いですね。
人づてに聞くと、原作ではもう少し立ち入った感情表現もあるようなので、
当麻の人間臭さを出すことは監督にとってあまり重要ではなかったのかもしれません。
敢えてケチをつけると、親族でさえ適合しなかった肝臓があっさり適合したこと、
肝臓以外の臓器を使わないまま無駄にしたことはちょっと気になりました。
私も、「この映画のテーマが脳死判定にあるとは思え」ないとするKGRさんの見解に賛成です。
そして、映画を論評する場合には、まず映画に描かれていることを中心に議論すべきで、描かれていない事柄や、中心的なテーマとなっていない事柄を議論するのは筋違いでは、と思っています。
なお、「肝臓以外の臓器を使わないまま無駄にしたこと」が気になるとありますが、あの病院(近辺の病院も含めて)に他の臓器の移植が必要とされる重篤な患者がいなければ、“無駄”になってもそれは仕方のないことではなかったか、と思われます(なんと言っても一人の命が救われたのですから!)。
ところが、マスコミに取り入るのは旨くて、雑誌での発言は奇麗事を言うので地元で。余計反発は凄かったです。
その後、となり町の上尾市で上尾甦生病院の院長に迎えられる物の、ここでもトラブル続出。院長を追われますが「自分は院長だ!」と居座りを続け、院長が二人いるという異常な事態になり、地元でも問題になったのです。結局は大鐘氏は、ここも追われたというのが実情です。(当時もマンガの原作などをしていたので実情を知らない人が応援する会を作るなどして大騒ぎになりました)
大鐘氏は、自分の思う通りにならなかったという反動からか「身の回りの医者は悪い奴ばかり」と言う描き方を以前から繰り返しておりますね。コミックを読んでも「またかよ・・・自分はどうなんだよ!あれだけ地元の住民を泣かせたのに!」という思いがしますね。