映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ハクソー・リッジ

2017年07月05日 | 洋画(17年)
 『ハクソー・リッジ』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)アカデミー賞の作品賞や主演男優賞などにノミネートされた作品ということで、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「真実の物語」の字幕。
 次いで、画面には、兵士の死体が横たわっています。
 また、火炎に包まれる兵士の姿や担架で運ばれる兵士の死体。
 そして、主人公デズモンドアンドリュー・ガーフィールド)のモノローグ:「知ってるだろう、主は世界の創造主」「思いやりの溢れた方」「疲れた者に力を与える」など(注2)。

 次いで、「デズモンド、しっかりしろ!」と呼ぶ声がして、画面は16年前になります。場所は、米国ヴァージニア州リンチバーグ
 少年のデズモンドが兄のハルと走っていると、後ろのハルが「デズモンド!」と呼びます。デズモンドが「何?」と答えると、ハルは「待てよ。話がある」、「頂上まで競争だ」と言います。でも、デズモンドのほうが、兄のハルよりも早くに頂上にたどり着いてしまいます。
 二人が崖の上に出ると、大人の男が「リッジから離れろ!」「ドスの餓鬼どもめ」「気の触れた親父そっくりだ」と叫びます。

 その父親のトムヒューゴ・ウィーヴィング)は、酔っ払った足取りで墓地の中を歩きながら、「街はすっかり変わってしまった」「俺も戦場で死んだんだ」「俺たちは存在しなかったんだ」などと呟いたり、墓にウィスキーをかけたりしています(注3)。

 さらに、庭ではデズモンドとハルが殴り合いの喧嘩をしています。
 母親のバーサレイチェル・グリフィス)は「やめなさい」と叫びますが、トムは「勝った方を俺が殴れば平等だ」などと言って傍観しているだけです。
 そうこうしているうちに、デズモンドは、近くにあったレンガを手にしてハルを殴ってしまいます。
 トムは、慌ててハルを家の中に運びますが、意識を失っているようです。
 ハルをじっと見守っているデズモンドに対し、トムは「何をしたかわかるか?」「ルールだ、お前を罰してやる」と怒ります。
 ですが、バーサは「もういい加減にして。反省しているのだから」「ハルは大丈夫」と言います。

 そのあと、「十戒」のポスターの6番目(注4)を見ながら、デズモンドが「ハルを殺してたかも」と言うと、バーサは「殺人は最も重い罪。主を最も苦しめるもの」と応じます。

 また、2階でトムとバーサが大声で喧嘩しているのがわかると、1階の子供部屋にいるハルが「大嫌いだ!」と叫んだりします。
 泣いているバーサに対して、デズモンドが「父さんは僕らが嫌いなの?」と訊くと、バーサは「父さんは、自分が嫌いなの。戦争の前のパパを見せてあげたい」と応じます。

 ここまでは本作のホンの初めの部分ですが、さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、前の大戦における沖縄の前田高地の戦いでの実話に基づいて制作されています。米国の青年が、自分は銃を持って戦わないが衛生兵として従軍するとして兵役志願し、まれに見る激戦のさなかに、負傷兵を一人で次々と運び出して生還させたというもの。激しい戦闘の有様がとてもリアルに描き出され、その中での主人公の奮闘ぶりは感動的です。こうした戦争物では、敵側の日本兵の扱いが正視し難いものとなりがちながら、本作ではそうした面は随分と控えめになっていて、その意味でもなかなかの作品といえると思います。

(2)本作の関連情報をネットで探していると、映画『デズモンド・ドス―良心的兵役拒否者』(注5)に遭遇しました。
 同作は、デズモンド・ドス自身や彼に関係する人物の証言が集められているドキュメンタリーであり、見ていくと、冒頭で「真実の物語」とされているにもかかわらず、本作が事実に様々の脚色を加えていることがわかります(注6)。
 要するに、本作は、同作から伺える真相を大きな枠組みとして制作された劇映画ということでしょう。
 でも、本作が真実そのものから乖離しているからといって、本作が、エンターテインメントの劇映画として観客の興味を十分に惹きつける作品になっているのなら、問題があるわけではないでしょう。
 実際のところ、本作についてクマネズミは、最初から最後まで目を話すことが出来ませんでした。

 それで、劇映画としての本作の方に目を向けると、本作は、プロローグとメインの物語とエピローグから構成され、メインの物語も三つに分けることができます(注7)。
 最初のパートでは、デズモンドの少年時代から軍隊に入るまで、真ん中のパートは軍隊に入隊してから前線に出発するまで、そして最後のパートでハクソー・リッジでの戦いが描かれています。
 予告編からすると、3番目のパートが大部分なのかなと思っていましたが、実際に見てみると、第1と第2のパートのウエイトがかなりある感じでした。

 最初のパートで山場となるのは、彼の妻となるドロシーテリーサ・パーマー)との出会いでしょう。
 デズモンドは、目の前で少年が車に足を轢かれる場面に遭遇し、自分のベルトを使って血止めをしただけでなく、その少年を病院にまで運ぶのですが、そこで出会った看護師のドロシーに一目惚れしてしまいます(注8)。
 それから結婚の約束をして(注9)、デズモンドが入隊すべくバスに乗って出発するまでが、ありきたりと言えばそれまでながらも、第3のパートと対比的になるよう、随分と微笑ましく幸せそうな二人の様子がなかなか上手く描かれているように思いました(注10)。



 次のパートの山場は、軍法会議でしょう。
 兵役に就くと、医療班ではなくライフル部隊に配属されたデズモンドは、銃を持つようにとの上官のハウエル軍曹(ウィンス・ヴォーン)の命令に従わなかったために、軍法会議にかけられてしまいます(注11)。
 ここでは、一方で、異質なものを理解せずに排除しようとする、何処の組織でも見られる行動原理が伺えますが、他方で、飲んだくれで息子たちと対立していた父親のトムの活躍が描かれていて、感動的な場面となります。

 そして、最後のパートが、本作全体の山場ともなるハクソー・リッジでの戦いの場面となります。
 両軍がまともに相まみえる戦争物の作品としては、最近では『フューリー』を見ましたが(注12)、そして同作でもかなり激しい戦闘場面が描かれていましたが、本作は、それを遥かに上回る厳しい戦闘の有様がリアルに描き出されています(注13)。



 そんな中で、デズモンドが、武器を持たずに負傷兵の救出に当たる姿は、見ているものの目を釘付けにします(注14)。

 それでも、次のようなことが思い浮かびました。
 本作は、あくまでもデズモンドの活躍に焦点を当てて描き出している作品ですから何の問題もないとはいえ、見ていながら、どうして米軍はあの崖の奪取にあれほどまでにこだわるのか、そもそもこの戦いの全体はどんなものなのか、ということが気になってしまいました(注15)。
 また、これまたどうでもいいことながら、デズモンドは負傷兵を崖の上から一人一人ロープで引き下ろしますが、それに気がついた崖の下にいる部隊からは兵隊が出てきて、降ろされた負傷兵を医務班のテントに運び込みます。ただ、なぜ崖の上に上がってデズモンドの作業を助けようとする兵士が一人も現れないのか、と不思議な感じがしたところです(注16)。
 それと、このハクソー・リッジ周辺の戦いは5月6日に終わりました。ですが、それは1945年3月26日から6月23日まで行われる沖縄戦の一部であり、その後1ヵ月以上戦いが続きます。にもかかわらず、本作では、沖縄戦全体の集結を意味する司令官の自決の場面が描かれます(注17)。確かに、その死によって沖縄におけるすべての戦いが終わるのですからかまわないとはいえ、ハクソー・リッジの戦いに焦点を当てるという本作の狙いからすればそれでいいのかな、とやや違和感を覚えたところです。

 でも、『沈黙-サイレンス-』で大層立派な演技を披露したアンドリュー・ガーフィールドが、本作では、その上を行くような一段と冴えた演技をしていて、これからが楽しみになります。

(3)渡まち子氏は、「圧倒的な暴力の中に、確かに存在した奇跡のような実話は、今までにないタイプの戦争映画に仕上がっている」として80点を付けています。
 前田有一氏は、「「ハクソー・リッジ」は、とくに沖縄戦の当事者の一人である私たち日本人にとって、必見の傑作映画だと断言する」として85点を付けています。
 渡辺祥子氏は、「デズモンドの「絶対に仲間を助ける」という強い信念と、「人を殺してはならない」という神の教え。それが平和の時代なら普通の若者だったはずの青年に力を与え、多数の負傷兵を救出する戦場の英雄を生んだ。信念と信仰の持つ力なのか」として、★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 柳下毅一郎氏は、「ドスの献身はほとんど狂気に近いものに見える。ギブソンが描いてみせるのは救うために人が傷つくことを願い、天国に行くために地獄を想像する倒錯した世界なのである」と述べています。
 毎日新聞の木村光則氏は、「ドスが最後にみせる超人的な活躍はやや過剰だが、当初は最も弱そうに見えたドスが終盤は最強の存在に見えるというパラドックス。人間の弱さや恐怖心を受容し、支えることのできる社会(人間)こそ本当は強いのだと伝えてくる」と述べています。



(注1)監督はメル・ギブソン
 脚本はロバート・シェンカンとアンドリュー・ナイト。

 出演者の内、最近では、アンドリュー・ガーフィールドは『沈黙-サイレンス-』、テリーサ・パーマーは『きみがくれた物語』で、それぞれ見ました。

(注2)聖書・イザヤ書第40章第28節~第31節に基づくものだと思われます。
 その全体は、この口語訳によれば、「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」。

(注3)本作によれば、トムは、第一次世界対戦に従軍し、無事に帰還したものの心に深い傷を負ってしまいました(墓地に設けられている墓に3人の戦友のものがあると、トムは語ります)。

(注4)プロテスタントの場合、第六戒(The Sixth Commandment)は「汝、殺すなかれ」(Thou,shall not kill)とされています。
 なお、デズモンドの母親は、この記事によれば、プロテスタント系のセブンスデー・アドベンチスト教会を信仰し、デズモンドをも敬虔なその信徒として育て上げたとのこと。

(注5)このYouTubeで見ることが出来ます。
 なお、同作は、IMDbによれば「The Conscietious Objector」(2004年)とのタイトルであり、監督・脚本はテリー・ベネディクト〔彼は、『ハクソー・リッジ』のプロデューサー(produced by)として名前が記載されています〕。

(注6)例えば、最初の方に過ぎませんが、デズモンドには姉がいたこと、父親トムは大恐慌以来酒浸りだったこと、父親と叔父との喧嘩で父親が拳銃を出したものの、母親が間に立って拳銃を取り上げ、その日以来、デズモンドは、拳銃を持たないことに決めたこと、などが、同作では描かれています。
 なお、最後の点については、劇場用パンフレットの「staff profiles」掲載のデズモンド・ドスの経歴の中で、「(デズモンドが武器を持つことを拒否する上で大きな転機となったのは、)酔った父がケンカになった叔父に銃を向けたこと。映画ではそれが、父と母に置き換えられている」と述べられています(ただし、この経歴では、「(デズモンドは)戦争後は、戦争で負った傷の後遺症に苦しみながらも家具職人として働き」と述べられていますが、この記事では、「戦争が終わった後、デズモンド・T・ドスはまず大工仕事の再開を考えていたが、戦傷で残った腕全体へのダメージが元で断念せざるを得なかった」と述べられています)。
 また、本作の中では、砲弾であいた穴に身を隠している時、デズモンドが同僚のスミティルーク・ブレイシー)に、「母に向けられていた父の銃を奪って、父にそれを向けた」「心の中で撃った」「父が泣いた」「そして、2度と中に触らないと神に誓った」と話します。

(注7)劇場用パンフレット掲載の「production notes」には、「デズモンドが生きた3つの世界」という項があり、「本作では3つの全く異なる世界が登場する。1つはデズモンドが育った、ヴァージニア州の小さな町リンチバーグ。そして、1つは第二次世界大戦中の兵舎。最後に、沖縄の断崖ハクソー・リッジである」と述べられています。

(注8)本作では、献血をするという理由でデズモンドは看護師ドロシーに近づきますが、上記「注6」で触れた「staff profiles」掲載の経歴では、「実際には教会でドロシーと出会う」とされています(なお、映画『デズモンド・ドス―良心的兵役拒否者』によれば、デズモンドは、献血のために5kmの道を徒歩で往復することは厭わなかった、とされています)。

(注9)二人が結婚するのは、本作の場合、軍法会議が終わってからとなっていますが(結婚式を予定していた日にデズモンドは投獄されてしまい、出られなかったので)、上記「注6」で触れた「staff profiles」掲載の経歴では、「本格的な訓練が始まる前の42年にドロシーと結婚する」とされています。
 なお、ドロシーのことについては、この記事が参考になります。

(注10)デズモンドは、ハルと登った崖の上にドロシーを連れていきます。ドロシーが「登るのを助けて」と求めると、デズモンドは「ご褒美としてキスを」と応じます。

(注11)デズモンドの配属先の陸軍では、中隊長のグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)などが、デズモンドを「良心的兵役拒否者」として、穏やかに軍隊から排除しようとしましたが、彼があくまでも「良心的協力者」だと主張したために、あやうく有罪になるところでした。ですが、父親が持ってきたマスグローブ准将(第一大戦で父親と一緒に戦ったことがあるとされています)の手紙に「軍隊で武器を持たないことも許される」と書かれていたことから、無罪の判決を得ます。

(注12)戦争物としては、その後に『野火』を見ていますが、同作ではまともな戦闘場面は殆ど描かれていません。
 なお、関連性があるのかどうかクマネズミにはわかりませんが、本作の冒頭でイザヤ書が引用されているのと同じように(上記「注2」で触れているように)、『フューリー』でもイザヤ書が引用されています(同作に関する拙エントリの「補注」をご覧ください)。

(注13)総じて本作においては、日本兵は靄とか煙の中に登場するので、正視し難い場面はそれほど多くはありません。
 ただ、本作では、白旗を掲げる日本兵が近づいてきて手榴弾を投げつける場面が描かれており、そんなことまでやったのかと違和感を覚えました。ですが、映画『デズモンド・ドス―良心的兵役拒否者』の中で、中隊長のグローヴァー大尉が、「3人の白旗を掲げる日本兵が20mくらいのところまで近づいてきて、持っていた手榴弾を投げつけ、5人の部下が負傷した」と話しています。

(注14)例えば、映画『デズモンド・ドス―良心的兵役拒否者』によれば、デズモンドが所属していたB中隊は、ハクソー・リッジの上の戦闘から、155人のうち55人が戻ってきたものの、100人は戻ってきませんでした。
 そこで、デズモンドの活躍が始まります。同作の中で、デズモンドは、例えば、「銃弾や砲弾が飛び交っている中では、できるだけ身を低くし小さくならなければいけません。負傷者を見つけたら、襟首を掴んで地面すれすれに力いっぱいその人を引きずります。突然、ウエスト・ヴァージニアで発見した“”もやい結びが頭にひらめきました。例のWループを神様が思い出させてくださったのです。すぐに2重のループを作り、負傷者の両足をそこに入れさせました」「私は、ずっと祈っていました。神様、もう一人助けさせてくださいと」などと語っています。



 また、別の元同僚は、「彼は一度の2人を腕に抱えていることもありました」、「彼の体重は70kgもなかったと思います。どちらかといえば小柄な男でした。だから余計に驚いたんです」などと語っています。
 結局、デズモンドは、12時間で75人を救出したとのことです(ただ、これは、彼が運び出した兵士の数であり、生き残ったかどうかは別だと思われます)。

(注15)このハクソー・リッジの戦いを含む全体の戦闘は、「前田高地の戦闘」とされていて、この記事によって、その全貌が分かります。
 その記事によれば、「この前田高地は、その日本軍第二線主陣地帯の核心にあたる地区で、首里地区防衛に関して特に重要な地位を占めていた。また米軍にとっても、眼前にそびえる絶壁の前田高地を奪取することが、首里攻略そして日本本土への進攻の第一歩として位置づけられ、日米両軍にとって沖縄戦の成否をかけた一戦となった」とされています。
 ただ、何も、北側から崖に取り付いて前田高地を奪取しようとするだけでなく、当然のことながら、米軍は、南側に回って背後から責め立てる方策も取られています。
 こうした全体の作戦の一環としてハクソー・リッジの戦いがあることを、もう少し映画の中で説明してもらえたら、また違った印象を受けることになったのかもしれません。
 尤も、本作では、地名らしきものにほとんど言及されませんから、制作者側としては、戦闘場面のみが重要だったのでしょう。

(注16)あるいは、部隊全員が、それまでの戦闘で疲労困憊してしまっていて、崖をよじ登る気力を持っている者など一人もいなかったのかもしれません。

(注17)本作では、自決をする司令官の名前が明示されてはおりませんが、6月23日に、参謀長と摩文仁洞窟に置かれた司令部壕で割腹自決をした牛島満司令官ではないかと推測されます(この記事を参照)。



★★★★☆☆



象のロケット:ハクソー・リッジ