『ぼくのおじさん』を渋谷TOEIで見ました。
(1)北杜夫の原作を松田龍平の主演で映画化したというので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は小学4年生のクラスで、中に春山雪男(大西利空)が座っています。
担任のみのり先生(戸田恵梨香)から、皆のまわりにいる大人の人について誰でもいいから作文を書いてくるよう、宿題が出されます。優秀なものは作文コンクールに出すとのこと。
家に帰る途中、雪男の仲間は家族の誰かを書くようで、雪男に「雪男くんの家は?」と尋ねるので、雪男は「パパ(宮藤官九郎)は公務員で課長、ママ(寺島しのぶ)は専業主婦だけど」と答えます。
家に戻ると、雪男は机に作文用紙を開いて、「ぼくのお父さん」とか「ぼくのお母さん」のタイトルを書き入れますが、書き倦んでしまいます。
妹が「おやつよ」と呼びに来たので、机の上の作文用紙をクシャクシャにまるめて、別の用紙を開いて「ぼくの妹」と書き込むものの、すぐに「ダメダメ、大人じゃないと」と呟きます。
そこに、この家に居候をしている“おじさん”(雪男の父の弟:松田龍平)が、「雪男君、勉強中?お邪魔?」と言いながら顔を出します。
雪男が「いや、休憩中」と応じるものですから、おじさんは、「『少年キック』の発売日では?」と訊きます。それに対し、雪男は「あれはママに止められた。高学年になったらもっと高級な本を読まないと」と答えます。
するとおじさんは、「ボクにはマンガが必要。頭を休ませないといけない。それに、現代の哲学者は、マンガを語らなくてはならないのだ」と言います。
雪男は「ママに叱られる」と嫌がるところ、おじさんが「本にカバーをかければいい」となおも迫るものですから、仕方なく雪男が「お金を」と言うと、おじさんは「お前も読むのだから、3分の1は出す」と応じます。
おじさんは、雪男が買ってきた漫画雑誌を万年床に寝っ転がって読み、時折笑い声を立てます。それを聞いた雪男は、机の上の作文用紙に「ぼくのおじさん」とのタイトルを書き込みます。
こうして、雪男の書く作文が読み上げられるという形でこのおじさんを巡る物語が描かれていきますが、さてどのような展開となるのでしょうか、………?
本作は、兄の家に居候する哲学の非常勤講師の物語。ひょんなことからハワイで農園を営む女性に一目惚れしたおじさんと甥っ子のハワイ旅行の話が中心のコメディ。松田龍平が好演するおじさんののんびりした様子には心が癒やされるものの、原作が書かれた60年ほど前ならともかく、今時こうした雰囲気はなかなか見かけないのではとも思えてしまいます。
(2)「東映」のサイトに掲載されている「ぼくのおじさん」の「イントロダクション」には、「ダメ人間だけどどこか面白おかしい“おじさん”の物語は、大人も子供も誰もが楽しめるあの名シリーズ「寅さん」を彷彿とさせます」とあり、また『男はつらいよ』シリーズ自体にタイトルが『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(第42作:1989年)という作品があります(注2)。
確かに、本作は、おじさんが主人公の笑える場面がいくつもあるコメディ作品であり、かつまたそのおじさんの悲恋物語でもありますから、『男はつらいよ』シリーズとの類似性は高いものと思います。
特に、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』以降のいくつかの作品では、甥の満男(吉岡秀隆)とおじさんの寅さん(渥美清)との関係が描かれていますから、なおさらでしょう。
ただ、『男はつらいよ』の主人公の車寅次郎がテキ屋家業を生業としているのに対し、本作の主人公は、大学の哲学の非常勤講師なのです(注3)。世の中の中心ではなく、隅の方でうごめいている人物という点は案外共通しているかもしれないとはいえ、時々カントを引用したりする本作のおじさんの雰囲気は(注4)、「結構毛だらけ猫灰だらけ」などが口癖の車寅次郎とは全く別物と言えるでしょう。
なにより、きっぷの良さが売り物の車寅次郎と、どこかネジの外れた感じのする本作のおじさんとは、キャラクターが随分と違っています。
それに、寅さんは、全国を股にかけて歩き回っていて、殆ど家にいませんが、本作の主人公は、哲学的思索にふけるためか、居候先の部屋に敷かれた万年床で横になっていることが多そうです。
とはいえ、美人に対する感度が鋭いのは両作に共通しているように思われます。
寅さんは、第1作の冬子(光本幸子)を始めとして、毎回マドンナを見つけては振られますが、本作のおじさんも、稲葉エリー(真木よう子)に簡単に一目惚れをしてしまいます。
そして、エリーのことが忘れられないおじさんは、雪男とともに一足飛びにハワイに行くことになりますが、寅さんの場合は、日本全国を股にかけるとはいえ、海外には殆ど出ません(注5)。
こんなふうに本作と『男はつらいよ』とを比較していくとネタは尽きないながらも、本作だけを見た場合には、少々違和感を覚えるところもあります。
例えば、本作は、携帯電話が使われているなど、時点は現代を想定していますが、哲学を研究しているというおじさんの風采は、一昔前のいわゆる“デカンショ”節を歌う旧制高校的な“学士様”の感じがしてしまいます(注6)。
丸メガネをかけ、寝癖でボサボサの髪の毛で、部屋に万年床を敷き、そのまわりに乱雑に本が置かれている、などというのは、はたして今時の哲学研究者に見いだせるのでしょうか?
それに、おじさんが大の苦手とする伯母(キムラ緑子)が見合い話を持ち込みますが、今時、こんなにまともな見合い話が行われるとも思われないところです(注7)。まして、エリーのような美女がお見合いの席に登場するなんて(注8)!
尤も、稲葉エリーの話は原作には見当たらないようですですが(注9)。
その関連で言えば、彼女が引き継ごうとしているハワイのコーヒー農園「INABA FARM」は、農園を取り仕切るボブ(サイモン・エルブリング)の話によれば経営が上手く言っていないとのことながら、急きょ、なぜか日本のデパートが取引契約することになって持ち直すようなのです(注10)。
とはいえ、これらの点はつまらないことがらであり、総じて、全編にあふれるユーモアとゆるいほのぼのとした感じを味わえば十分なのかな、と思いました。
(3)渡まち子氏は、「ユルい笑いと共に市井の人々が持つおかし味をあたたかくみつめる山下敦弘監督らしさがにじむ佳作に仕上がった」として65点を付けています。
森直人氏は、「これはキャラクター映画として絶品だ。作家・北杜夫が約45年前に発表して以来、長く愛される児童文学の名作が、疑似親子的な男同士の小さな冒険を描くキュートなバディ(相棒)ものになった」と述べています。
(注1)監督は、『オーバー・フェンス』の山下敦弘。
脚本は、須藤泰司(本作は春山ユキオの名義)。
原作は、北杜夫著『ぼくのおじさん』(新潮文庫)。
出演者の内、最近では、松田龍平は『殿、利息でござる!』、大西利空は『金メダル男』、真木よう子は『海よりもまだ深く』、寺島しのぶは『シェル・コレクター』、宮藤官九郎は『バクマン。』、キムラ緑子と戸田恵梨香は『日本のいちばん長い日』で、それぞれ見ました。
(注2)劇場用パンフレット掲載の川本三郎氏のエッセイ「困ったおじさんではあるけれど」でも、「フランス映画『ぼくの伯父さん』(58年)のジャック・タティや、わが山田洋次監督『男はつらいよ』シリーズの渥美清演じる寅さんがすぐに思い浮かぶ」と述べられています。
(注3)哲学に携わる人を描いた最近の映画作品に関しては、この拙エントリの(注1)をご覧ください。
(注4)カントが臨終の際に言ったとされる「Es ist gut」を、おじさんは時々口にします。
(注5)ただし、41作目の『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(1989年)では、寅さんはウィーンに降り立ちます。
(注6)Wikipediaのこの記事によれば、原作は1972年に刊行された単行本(旺文社)に収められていますが、実際には、旺文社の雑誌『中二時代』で昭和37年(1962年)5月号から翌年『中三時代』まで連載されたものであり、さらに、「おじさん」のモデルは作者の北杜夫自身」とすれば〔劇場用パンフレット掲載の「INTORODUCTION」には、「作家本人が自らをモデルに、兄の家に居候していた頃の体験を膨らませて、ユーモアたっぷりに描いたもの」と述べられています〕、原作は昭和30年代前半(作者の北杜夫が30歳位としたら、)を踏まえてのものだと思われます。要するに、現時点から60年余り昔の状況が原作には書き込まれているのではないでしょうか?
なお、本文の(2)で触れた「東映」サイトに掲載されている「イントロダクション」では、「昭和40年代をベースに書かれている原作を、時代設定は現代に置き換えつつ、家族とのやり取りに感じられるどこか懐かしい昭和感は健在」と述べられていますが、クマネズミは読んでいないにもかかわらず、原作は「昭和30年代をベース」にしているのではないかと考えます。
また、話が飛躍してしまいますが、アニメ『コクリコ坂から』では、昭和38年頃、学園内に設けられている「カルチェラタン」に設けられている「哲学部」の部室に、戦前の旧制高校生然とした図体の大きな生徒がいる様子が描かれています〔同作に関する拙エントリの(1)のニをご覧ください〕。
(注7)この記事によれば、「お見合い結婚は約6%、一方で恋愛結婚は約87%を占めます。もう圧倒的に恋愛結婚」とのこと。さらに、「1960年代にお見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転」したとのことですから、原作の物語は書かれた当時の状況を踏まえていることになるのでしょう。
(注8)モット言えば、おじさんは非常勤講師として哲学の授業を週に1コマ持っているようですが、それだと月収はせいぜい5万円弱くらいでしょうから、お見合いするに足る書類条件に全く適っていないように思われます。
(注9)山下敦弘監督のこのインタビュー記事では、「山下監督の「原作のセリフを変えるとつまらなくなる」という思いから、「前半はほぼ原作通り」だが、後半はおじさんの恋愛を主軸にしたオリジナルストーリーが展開する」と述べられています。
『高台家の人々』を見たときにも感じたのですが〔同作に関する拙エントリの(2)をご覧ください〕、原作に沿って展開する前半部分の面白さに比べて、オリジナルストーリーになる後半部分がどうしても息切れ気味になってしまっているように思いました。
(注10)それまで稲葉農園で生産されるコーヒー豆については、買い手がつかなかった状況だったにもかかわらず、いくら有名菓子店の社長の青木(戸次重幸)の画策があるとはいえ、日本のデパートが突然契約をするというのは、もう少し説明してもらわないと理解しがたい感じがしてしまいます(たぶん、稲葉農園のコーヒー豆の価格が他の農園に比べてかなり高いのだろうと思われます。それをそのままに契約すれば、今度はデパート側に損が発生するかもしれません。それに、今の時代、デパートが直接こうした商取引をするとも思えません。常識的には、そこに店舗を出している企業が契約をするのではないでしょうか)。
★★★☆☆☆
象のロケット:ぼくのおじさん
(1)北杜夫の原作を松田龍平の主演で映画化したというので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は小学4年生のクラスで、中に春山雪男(大西利空)が座っています。
担任のみのり先生(戸田恵梨香)から、皆のまわりにいる大人の人について誰でもいいから作文を書いてくるよう、宿題が出されます。優秀なものは作文コンクールに出すとのこと。
家に帰る途中、雪男の仲間は家族の誰かを書くようで、雪男に「雪男くんの家は?」と尋ねるので、雪男は「パパ(宮藤官九郎)は公務員で課長、ママ(寺島しのぶ)は専業主婦だけど」と答えます。
家に戻ると、雪男は机に作文用紙を開いて、「ぼくのお父さん」とか「ぼくのお母さん」のタイトルを書き入れますが、書き倦んでしまいます。
妹が「おやつよ」と呼びに来たので、机の上の作文用紙をクシャクシャにまるめて、別の用紙を開いて「ぼくの妹」と書き込むものの、すぐに「ダメダメ、大人じゃないと」と呟きます。
そこに、この家に居候をしている“おじさん”(雪男の父の弟:松田龍平)が、「雪男君、勉強中?お邪魔?」と言いながら顔を出します。
雪男が「いや、休憩中」と応じるものですから、おじさんは、「『少年キック』の発売日では?」と訊きます。それに対し、雪男は「あれはママに止められた。高学年になったらもっと高級な本を読まないと」と答えます。
するとおじさんは、「ボクにはマンガが必要。頭を休ませないといけない。それに、現代の哲学者は、マンガを語らなくてはならないのだ」と言います。
雪男は「ママに叱られる」と嫌がるところ、おじさんが「本にカバーをかければいい」となおも迫るものですから、仕方なく雪男が「お金を」と言うと、おじさんは「お前も読むのだから、3分の1は出す」と応じます。
おじさんは、雪男が買ってきた漫画雑誌を万年床に寝っ転がって読み、時折笑い声を立てます。それを聞いた雪男は、机の上の作文用紙に「ぼくのおじさん」とのタイトルを書き込みます。
こうして、雪男の書く作文が読み上げられるという形でこのおじさんを巡る物語が描かれていきますが、さてどのような展開となるのでしょうか、………?
本作は、兄の家に居候する哲学の非常勤講師の物語。ひょんなことからハワイで農園を営む女性に一目惚れしたおじさんと甥っ子のハワイ旅行の話が中心のコメディ。松田龍平が好演するおじさんののんびりした様子には心が癒やされるものの、原作が書かれた60年ほど前ならともかく、今時こうした雰囲気はなかなか見かけないのではとも思えてしまいます。
(2)「東映」のサイトに掲載されている「ぼくのおじさん」の「イントロダクション」には、「ダメ人間だけどどこか面白おかしい“おじさん”の物語は、大人も子供も誰もが楽しめるあの名シリーズ「寅さん」を彷彿とさせます」とあり、また『男はつらいよ』シリーズ自体にタイトルが『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(第42作:1989年)という作品があります(注2)。
確かに、本作は、おじさんが主人公の笑える場面がいくつもあるコメディ作品であり、かつまたそのおじさんの悲恋物語でもありますから、『男はつらいよ』シリーズとの類似性は高いものと思います。
特に、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』以降のいくつかの作品では、甥の満男(吉岡秀隆)とおじさんの寅さん(渥美清)との関係が描かれていますから、なおさらでしょう。
ただ、『男はつらいよ』の主人公の車寅次郎がテキ屋家業を生業としているのに対し、本作の主人公は、大学の哲学の非常勤講師なのです(注3)。世の中の中心ではなく、隅の方でうごめいている人物という点は案外共通しているかもしれないとはいえ、時々カントを引用したりする本作のおじさんの雰囲気は(注4)、「結構毛だらけ猫灰だらけ」などが口癖の車寅次郎とは全く別物と言えるでしょう。
なにより、きっぷの良さが売り物の車寅次郎と、どこかネジの外れた感じのする本作のおじさんとは、キャラクターが随分と違っています。
それに、寅さんは、全国を股にかけて歩き回っていて、殆ど家にいませんが、本作の主人公は、哲学的思索にふけるためか、居候先の部屋に敷かれた万年床で横になっていることが多そうです。
とはいえ、美人に対する感度が鋭いのは両作に共通しているように思われます。
寅さんは、第1作の冬子(光本幸子)を始めとして、毎回マドンナを見つけては振られますが、本作のおじさんも、稲葉エリー(真木よう子)に簡単に一目惚れをしてしまいます。
そして、エリーのことが忘れられないおじさんは、雪男とともに一足飛びにハワイに行くことになりますが、寅さんの場合は、日本全国を股にかけるとはいえ、海外には殆ど出ません(注5)。
こんなふうに本作と『男はつらいよ』とを比較していくとネタは尽きないながらも、本作だけを見た場合には、少々違和感を覚えるところもあります。
例えば、本作は、携帯電話が使われているなど、時点は現代を想定していますが、哲学を研究しているというおじさんの風采は、一昔前のいわゆる“デカンショ”節を歌う旧制高校的な“学士様”の感じがしてしまいます(注6)。
丸メガネをかけ、寝癖でボサボサの髪の毛で、部屋に万年床を敷き、そのまわりに乱雑に本が置かれている、などというのは、はたして今時の哲学研究者に見いだせるのでしょうか?
それに、おじさんが大の苦手とする伯母(キムラ緑子)が見合い話を持ち込みますが、今時、こんなにまともな見合い話が行われるとも思われないところです(注7)。まして、エリーのような美女がお見合いの席に登場するなんて(注8)!
尤も、稲葉エリーの話は原作には見当たらないようですですが(注9)。
その関連で言えば、彼女が引き継ごうとしているハワイのコーヒー農園「INABA FARM」は、農園を取り仕切るボブ(サイモン・エルブリング)の話によれば経営が上手く言っていないとのことながら、急きょ、なぜか日本のデパートが取引契約することになって持ち直すようなのです(注10)。
とはいえ、これらの点はつまらないことがらであり、総じて、全編にあふれるユーモアとゆるいほのぼのとした感じを味わえば十分なのかな、と思いました。
(3)渡まち子氏は、「ユルい笑いと共に市井の人々が持つおかし味をあたたかくみつめる山下敦弘監督らしさがにじむ佳作に仕上がった」として65点を付けています。
森直人氏は、「これはキャラクター映画として絶品だ。作家・北杜夫が約45年前に発表して以来、長く愛される児童文学の名作が、疑似親子的な男同士の小さな冒険を描くキュートなバディ(相棒)ものになった」と述べています。
(注1)監督は、『オーバー・フェンス』の山下敦弘。
脚本は、須藤泰司(本作は春山ユキオの名義)。
原作は、北杜夫著『ぼくのおじさん』(新潮文庫)。
出演者の内、最近では、松田龍平は『殿、利息でござる!』、大西利空は『金メダル男』、真木よう子は『海よりもまだ深く』、寺島しのぶは『シェル・コレクター』、宮藤官九郎は『バクマン。』、キムラ緑子と戸田恵梨香は『日本のいちばん長い日』で、それぞれ見ました。
(注2)劇場用パンフレット掲載の川本三郎氏のエッセイ「困ったおじさんではあるけれど」でも、「フランス映画『ぼくの伯父さん』(58年)のジャック・タティや、わが山田洋次監督『男はつらいよ』シリーズの渥美清演じる寅さんがすぐに思い浮かぶ」と述べられています。
(注3)哲学に携わる人を描いた最近の映画作品に関しては、この拙エントリの(注1)をご覧ください。
(注4)カントが臨終の際に言ったとされる「Es ist gut」を、おじさんは時々口にします。
(注5)ただし、41作目の『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(1989年)では、寅さんはウィーンに降り立ちます。
(注6)Wikipediaのこの記事によれば、原作は1972年に刊行された単行本(旺文社)に収められていますが、実際には、旺文社の雑誌『中二時代』で昭和37年(1962年)5月号から翌年『中三時代』まで連載されたものであり、さらに、「おじさん」のモデルは作者の北杜夫自身」とすれば〔劇場用パンフレット掲載の「INTORODUCTION」には、「作家本人が自らをモデルに、兄の家に居候していた頃の体験を膨らませて、ユーモアたっぷりに描いたもの」と述べられています〕、原作は昭和30年代前半(作者の北杜夫が30歳位としたら、)を踏まえてのものだと思われます。要するに、現時点から60年余り昔の状況が原作には書き込まれているのではないでしょうか?
なお、本文の(2)で触れた「東映」サイトに掲載されている「イントロダクション」では、「昭和40年代をベースに書かれている原作を、時代設定は現代に置き換えつつ、家族とのやり取りに感じられるどこか懐かしい昭和感は健在」と述べられていますが、クマネズミは読んでいないにもかかわらず、原作は「昭和30年代をベース」にしているのではないかと考えます。
また、話が飛躍してしまいますが、アニメ『コクリコ坂から』では、昭和38年頃、学園内に設けられている「カルチェラタン」に設けられている「哲学部」の部室に、戦前の旧制高校生然とした図体の大きな生徒がいる様子が描かれています〔同作に関する拙エントリの(1)のニをご覧ください〕。
(注7)この記事によれば、「お見合い結婚は約6%、一方で恋愛結婚は約87%を占めます。もう圧倒的に恋愛結婚」とのこと。さらに、「1960年代にお見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転」したとのことですから、原作の物語は書かれた当時の状況を踏まえていることになるのでしょう。
(注8)モット言えば、おじさんは非常勤講師として哲学の授業を週に1コマ持っているようですが、それだと月収はせいぜい5万円弱くらいでしょうから、お見合いするに足る書類条件に全く適っていないように思われます。
(注9)山下敦弘監督のこのインタビュー記事では、「山下監督の「原作のセリフを変えるとつまらなくなる」という思いから、「前半はほぼ原作通り」だが、後半はおじさんの恋愛を主軸にしたオリジナルストーリーが展開する」と述べられています。
『高台家の人々』を見たときにも感じたのですが〔同作に関する拙エントリの(2)をご覧ください〕、原作に沿って展開する前半部分の面白さに比べて、オリジナルストーリーになる後半部分がどうしても息切れ気味になってしまっているように思いました。
(注10)それまで稲葉農園で生産されるコーヒー豆については、買い手がつかなかった状況だったにもかかわらず、いくら有名菓子店の社長の青木(戸次重幸)の画策があるとはいえ、日本のデパートが突然契約をするというのは、もう少し説明してもらわないと理解しがたい感じがしてしまいます(たぶん、稲葉農園のコーヒー豆の価格が他の農園に比べてかなり高いのだろうと思われます。それをそのままに契約すれば、今度はデパート側に損が発生するかもしれません。それに、今の時代、デパートが直接こうした商取引をするとも思えません。常識的には、そこに店舗を出している企業が契約をするのではないでしょうか)。
★★★☆☆☆
象のロケット:ぼくのおじさん