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64 ロクヨン 後編

2016年06月17日 | 邦画(16年)
 『64 ロクヨン 後編』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)『64 ロクヨン 前編』が素晴らしかったので、後編もと思って映画館に行ってきました。

 本作の冒頭では、雨が降りしきる中で公衆電話ボックス(注1)に入って電話をかけようとする雨合羽の男の姿が映し出されます。ただし、暗くて誰だか識別できません。男は、古い電話帳(三上姓の何人かの名前が横線で消されています)を見ながら電話をかけます。
 三上広報官(佐藤浩市)は家で電話をとって、「もしもし、どこにいるんだ?心配している、あゆみ、どこにいるんだ?」と叫びます。
 電話ボックスでは、男が無言で電話を切ります。

 次いで、前編のストーリーの主なところが、前編とはやや違ったアングルで撮られた映像を交えて映し出されます。

 そして、本編へ。時点は平成14年12月11日。警視庁長官の視察の前日。
 前編のラストで描かれたように、新たに少女誘拐事件が発生し、刑事部の大半が捜査本部に集結しています。
 三上はその中に入ろうとしますが、捜査1課次席の御倉小澤征悦)に阻止され、「記者クラブと報道協定を締結してください」と言われます。それに対して、三上は「マルガイは誰だ?」と尋ねますが、御倉は「狂言の可能性もあり、名前は言えません」と答えます。

 赤間警務部長(滝藤賢一)は、「これは、長官視察を中止させるのが目的だ」とし、さらに「常に東京と繋がるシステムが必要なのだ。化石化した刑事など必要ない」、「明日の長官視察の際に、刑事部長のポストは本庁の者になると発表する」と三上に言い、加えて「娘さんの捜索を全国の警察に手配することは決めましたか?」と尋ねます。それに対して三上は、苦虫を噛み潰したような顔付きで、「お心遣いに感謝いたします」と答えます。

 三上は広報室に戻って、「事件のことをクラブ全社に伝えろ」と言いますが、諏訪係長(綾野剛)は「被害者が匿名のままでは暴動が起きます」と心配します(注2)。三上は、「2弾、3弾の発表があるとして協定を結べ」と命じます。

 三上は、長官視察の打ち合わせをしようと64の被害者遺族の雨宮永瀬正敏)の家に行きますが、広報室の美雲榮倉奈々)から、「実名を教えろと記者クラブが大変です」という連絡が入ります。

 さあ、この事態に三上はどう対処するのでしょう、そして64の真相や平成の誘拐事件は一体どうなるのでしょうか、………?



 本作は、前編で描かれた昭和64年に起きた少女誘拐殺人事件の解決編であり、前編で張り巡らされた様々の伏線が回収されて真相が明らかになるわけですが、それだけでなく、新たな誘拐事件も起きたりして、単なる解決編ではありません。ただ、前編でかなり描かれていた警察組織内の軋轢といった面が後方に退いて、むしろ主人公の広報官の個人的な面が大きく取り上げられており、確かに、前編と後編で映画の基調を変えるという点(注3)は興味深いものの、なんだかはぐらかされたような感じも受けました。

 (以下は、本作がサスペンス物であるにもかかわらずかなりネタバレしていますので、未見の方はご注意ください)

(2)本作について見ると、東京から来た本社詰めの記者たちの傍若無人振り(注4)を描くのに時間を割き過ぎている感じが否めないとはいえ、三上が松岡捜査一課長(三浦友和)の乗る捜査指揮車に潜り込むような捨て身の行動を取るに至る事情を描き出すためには、それも仕方のないところでしょう。
 ただ、前編で相当描かれていた県警内部の組織対立については、後編で取り上げられることがかなり少なくなっているのは残念な気がしました(注5)。

 それになにより、本作では、原作で終わっているところに独自のものを追加していますが、その点には疑問を感じました。
 総じて本作も、前編と同じように、随分と原作に寄り添って映画が制作されているように思います。例えば、14年間引きこもっていた日吉窪田正孝)が、事件の解決を知って部屋から出てきて母親(烏丸せつこ)と喜ぶところなど、時間的制約がある中でわざわざ描き出す必要があるのかと思いましたが、原作小説にも類似の場面が書き込まれています(注6)。
 にもかかわらず、最後の最後になって、本作は余計なものを付け加えてしまったな、と思ってしまいました。

 確かに、原作の終わり方では(注7)、あるいは見ている方が拍子抜けするかもしれません。
 でも、そんなところが現実の姿であり、むしろリアルさが感じられるのではないでしょうか?
 逆に、本作のように描いても、64の容疑者がなぜ雨宮翔子に目をつけたのか(注8)など、本作でメインとなる事件の核心部分がよくわからないまま映画が終わっているように思います。
 結局のところ、警察側が客観的な証拠を掴んだようには思えず、取調室における容疑者の雰囲気からすると、自白していない感じもします(注9)。その場合には、容疑者がどのように犯行に及んだのかを描き出すことなど出来ないでしょう。

 ただそうだとしたら、三上がどうして容疑者に対してあそこまでのことをするのか(注10)、ということもわからなくなってしまいます。
 三上が警察官の職を辞さなくてはと思うようなことをして容疑者を確保しても、はっきりとした証拠が得られないのであれば、無駄なことをしただけのことになってしまいます。
 それとも、容疑者は観念して自白に及んだのでしょうか?としたら、犯行の内容をもう少し具体的に描くべきではないかと思います。

 あるいは、本作では、三上と娘のあゆみ芳根京子)、雨宮と娘の翔子、そして容疑者とその娘という3重の構造を浮き彫りにしようとしているのかもしれません。



 ですが、そのために、そして「映画らしいラストを作」るとはいえ(注11)、広報官にすぎない三上が容疑者と格闘に及ぶというのではリアリティに欠けるでしょう(注12)。

 総じて申し上げれば、瀬々敬久監督の腕をもってしても、2部作の前編・後編のクオリティを同じ水準で維持するのはなかなか難しいことなのだな、と思ったところです。

(3)渡まち子氏は、「元刑事で現広報官という複雑な立場の主人公の熱意と葛藤を、丁寧に演じる佐藤浩市はさすがだし、被害者の父を演じる永瀬正敏の狂気を秘めた執念の演技も見事」だが、「正直に言うと、前編の方が出来は上。というより、前後編に分けてまで描く必要があったのか?!との疑問がわいた」として65点をつけています。
 前田有一氏は、「まとめると、前編のんびり、後編の前半はちょうどよく、終盤あたふた。一番面白い終盤部分にもっと時間と力を割いてほしかったところ。ただ映画全体をみると、真面目な作りでよく頑張っていると思うし、それなりに見ごたえもある」として65点をつけています。



(注1)映像では、なんだかまわりに人家が見当たらない実に寂しげな場所に設けられた公衆電話ボックスのように見え、そんなところに果たしてそんなものが設置されるものなのか不思議です〔でも、男が人目を忍んで電話をかけているようなので、そうしたセッティングになるのでしょう←原作では、親水公園内に設けられています(文庫版下巻P.383)〕。



(注2)前編の終わりの方で三上広報官は、記者クラブに対して、「以後は、原則として実名を発表する」と約束しましたから。

(注3)このインタビュー記事で瀬々監督は、「DVDが、例えばレンタルビデオ屋に行ったら、前編はドラマのコーナー、後編はミステリーのコーナーに置かれてもいいなと思ったんです。それぐらい振り幅を大きく振ってやった方が面白いんじゃないかと。それが、この前編後編ものの新しい挑戦にもなるんじゃないかと思って、あえてそういうプランで作りました」と述べています。

(注4)特に、秋川(瑛太)と同じ東洋新聞の山下緋田康人)の怒鳴り声は凄まじいものがあります!

(注5)本作では、辻内県警本部長(椎名桔平)は登場しませんし、荒木田刑事部長(奥田瑛二)は保身に汲々としていますし〔松岡捜査一課長が「幸田メモ関係について責任は私が負います」と言ってくれるのでホッとする有様〕、赤間警務部長も、長官の視察が中止になって気落ちしてしまいます。

(注6)原作では、三上が日吉に「証拠ちゃん事件の犯人が捕まったぞ」と電話で知らせます(文庫版下巻P.417~P.418。なお、日吉については、『64 ロクヨン 前編』の「注3」を参照してください)。
 他にも、本作では、幸田吉岡秀隆)が家族をおいて警察に出頭する場面も描かれていますが、なくもがなではないでしょうか?

(注7)原作のラストの方では、容疑者は釈放され、「連日、被害者として参考人聴取」をされていると書かれています(文庫版下巻P.419)。

(注8)容疑者役の俳優は、劇場用パンフレットのインタビュー記事で「(容疑者は)普通の人間ではなくて鬼畜なんです」と述べ、容疑者が狂気に捕らわれた人間だとしています(翔子ちゃんを殺した理由を問われて、容疑者は「そんなこと分かるかよ」と答えますが、そんなところにも容疑者の「狂気」が伺われると、その俳優は述べています)。ですが、一方ではそうだとしても、他方では、容疑者は捕まえた翔子ちゃんの家の電話番号を割り出して連絡をとり、なおかつ冷静に状況を把握しつつ、最後には身代金を獲得してしまうのですから、相当な計画性も伺えるところです。

(注9)唯一の物証が雨宮の音声記憶だとしたら、容疑者が自白しないかぎり、公判を維持するのが難しいかもしれません。

(注10)三上は容疑者に「小さな棺」と電話で連絡すると、容疑者は、64の被害者が発見された場所にやってきて、古い車のトランクをこじ開けて自分の娘を探そうとします。そこへ、三上が現れ、「“小さな棺”といっただけで、どうしてここにある車のトランクの中と分かったんだ?」「どうして殺したんだ?」と言います。それに対し、容疑者が「そんなこと分かるかよ」と答えるので、三上は容疑者を殴りつけます(それを見ていた秋川が記事にしてしまいます)。

(注11)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事における佐藤浩市の発言。

(注12)本作は、一介の広報官にすぎない警察官の組織内における苦闘の物語であり、その広報官が英雄になってしまうのは行き過ぎではないのかという気がします。



★★★☆☆☆



象のロケット:64 ロクヨン 後編