映画的・絵画的・音楽的

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クヒオ大佐

2009年10月25日 | 邦画(09年)
 「クヒオ大佐」を渋谷のシネクレストで見てきました。

 私としては、『南極料理人』に引き続いて堺雅人の演技が秀逸であり、かつ作品自体としても面白く、全体に大層優れた映画だなと思ったところです。

 「映画ジャッジ」の評論家諸氏では、福本次郎氏が、「映画は主人公の内面に深く踏み込もうとはせず、行為だけからは彼の人となりがイマイチ見えてこない」と相変わらずピントが外れた論評で40点です。こうした映画で「彼の人となり」とか「クヒオの素顔」を求めても仕方がないでしょうに!
 また、渡まち子氏は、「バレバレの嘘を平気でつく幼稚な発想や、夢と現実の区別がつかない体験談など個性あふれる見所に対し、クヒオの背景や心理描写が浅いのは残念だが、付け鼻とおかしな日本語で熱演する境雅人の曖昧な笑顔が抜群にハマッていて、大いに楽しめた」として70点を与えています。「クヒオの背景や心理描写」に関心が行ってしまう点は問題ですが、マアマアのところでしょう。

 この映画に関する論評では、小梶勝男氏のものが最高でしょう。彼は、「日本人なのにアメリカ人と名乗って女性を騙した実在の結婚詐欺師を、堺雅人が付け鼻と片言の日本語で演じる。岡本喜八作品にも通じる映画らしい映画」だ、「詐欺の話で、ラブストーリーであるにもかかわらず、ラストに近づくと、怒濤のように「活劇」となっていく。その感覚が、岡本作品と通じるところがあるのだ。今年見た日本映画の中では抜群にいい」として90点もの高得点を与えているのです!

 小梶氏は、「主演の堺雅人は、何と付け鼻に片言の日本語で、嘘くさいキャラクターを嘘くさいまま、見事に演じきってしまう」と述べます。まさに、あんな姿恰好では、余程のバカでない限り騙されることはないでしょう。これでは映画が成立しないのではと思いながらも、次第に、登場人物たちが騙されるばかりか、見ているこちらの方も、もしかしたらこんな話は起こりうるのかもしれないと思えてきます。

 あるいは、この映画は、監督と観客の騙し合いが狙いなのかもしれません。

 冒頭に、いきなり「第一部 血と砂と金」とのタイトルがあらわれ(注)、湾岸戦争のドキュメンタリ映像が流され、その上で、外務官僚たちの日本の戦争協力を巡っての激しい論争が描かれます。アレッこれは「クヒオ大佐」という映画ではなかったのかしら、これは何か別の映画の予告編なのかしら、と観客をひどく戸惑わせておいてから、暫くすると「第二部 クヒオ大佐」というタイトルが、それも小さく表示されます。
 やれやれ。でも今の映像は何だったのかしら、という不思議感覚は最後まで消えません。

 映画の本編は、冒頭シーンの派手さとは打って変わって、詐欺師の生活ぶりを描いていながらも、極度に地味な場面が続きます。何しろ、クヒオ大佐は、零細な「弁当屋の女社長」から少額のお金を巻き上げて、安アパートで生活しているにすぎないのですから!
 唯一派手派手しいのは銀座のバーの情景ながらも、クヒオ大佐が飲み代を支払う場面は描かれません。ストーリー重視の立場からすれば問題があるかもしれませんが(銀座での飲み代を支払えるほど、クヒオ大佐は稼いでいないはずですから)、この映画としては、銀座のママとそのお客〔クヒオ大佐というよりも、むしろ会社の金を横領した常連客〕との騙し合いの様子が描き出されていれば十分でしょう。

 それがラスト近くになってくると、調子が冒頭に戻って、「クヒオと女性たちが揉み合い、走り、最後は米軍のヘリまで登場」、その「米軍ヘリからプールサイド、そしてパトカーの車内と続くラストのシークエンスの圧倒的な面白さ」に「ワクワクさせられる」ことになります。
 ここでも、突然米軍ヘリが登場しますから、アレッと思うものの、冒頭で湾岸戦争の映像を見ていますから、こんなシーンもあってもおかしくないなと思っていると、トドノツマリは、パトカーの中でのクヒオ大佐の妄想に過ぎないことがわかってジ・エンド。

 この映画には、クヒオ大佐と3人の女性、監督と観客という関係のほかに、もうひとつ騙し騙されの関係があるようです。それが米国と日本との関係でしょう。日本は、表向きは米国に忠実に従っているものの、実際のところはお金で済むところはお金で済まそうと虎視眈々とうかがっており、他方で、米国も、日本が思い描いているような格好の良さを示していながらも、いろいろなルートで多額のお金を奪い取っている、という関係ではないか、と映画が言っているようでもあります。

 とにかく、初めから一気にアクセルをふかせたかと思うと急にブレーキを踏み、そうこうしているうちに、またもやアクセルがいっぱいに踏み込まれるという、すごくメリハリの利いた構成の中で、騙し騙されの関係がいろいろなレベルで仕掛けられていて、随分と面白い映画に仕上がっているなと感心いたしました。

(注)小梶勝男氏によれば、「第一部 血と砂と金」とは「岡本喜八監督の「血と砂」から取ったタイトルであることは明らか」で、この映画の「吉田大八監督は、岡本喜八を意識して本作を撮ったのだろう」とのことです。
 そこで、岡本監督の『血と砂』(1965年)をDVDで見てみました。
 確かに、『血と砂』は、荒涼とした「北支」における日本軍の戦いを描いていますから、湾岸戦争におけるイラクのクエート侵攻と類似するところはあるでしょう。さらには、三船敏郎とか佐藤允などが活躍する「活劇」ですから、雰囲気も「クヒオ大佐」のラストとある程度は合致しているでしょう。
 ただ、岡本作品は、軍隊の音楽隊の少年兵が三船の指揮の下、ある陣地の奪取を命じられ、結局は全員戦死してしまうという戦争の悲劇を描いたもので、トーンは総じて「クヒオ大佐」の本編とは別物であって、小梶氏のように「岡本喜八を意識して本作を撮った」とまで言えるのか疑問です。

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